第33話 一粒の涙

 心配そうに覗き込むアルスランの瞳は、心からの後悔で彩られていた。


 勢いのまま神妃の部屋へ来てしまい、そして許可なく連れ出した己の行動を、浅はかだったと戒めている。



「そんなのダメ。少しでも早く行かなくちゃ」



 ランタンの灯に照らされたアルスランは、ハッと目を見開いた。


 フィルメラルナの紫色の双眸を見つめる。



「フィルメラルナ様……」


「だって、声が聞こえるの、さっきから、ずっと、ずっと。教えて、アルスラン。本当は――その塔には」



 涙が一粒、フィルメラルナの頬を伝った。


 暗闇に光る雫を見て、アルスランが息を止める。



 泣いてどうなるわけでもない、とフィルメラルナは腕で涙を拭った。



 まだくだんの塔にすら着いていないというのに。


 何一つ、確かめたわけではないのに。



「もう……良いのです。どうかご無理をなさらないでください。フィルメラルナ様、あなたはただ明日、イルマルガリータ様をハプスギェル塔へとお連れくだされば。あとは私たちが――」



 フィルメラルナは、ぐっと両目を強く瞑った。


 彼は……アルスランはまだ知らないのだ。



 イルマルガリータがこの神殿にいないことを。


 失踪した日から、どれだけ時間が経過しているのかを。



 誰も訪れなくなったその塔が、今どのような状態で放置されているのかも。


 彼の婚約者が無事な姿でいる可能性が、どれほど残っているというのか。



 ヘンデルは言ったのだ。


 イルマルガリータが神殿での〈祈祷の儀〉を怠っていたのは――三ヶ月間だと。



 けれども。



 これまでの経緯を何も知らないフィルメラルナには、彼に伝える言葉があろうはずもなく。



「お願い、アルスラン。どうしても今じゃなきゃダメなの」



 食い下がらない訳にはいかなかった。


 もう、すぐ近くにその塔があると感じる。



 額は今にも火を噴き出しそうに熱く、まるで自分を急かしているように感じる。



「……本当に、よろしいのですね?」



 フィルメラルナの苦悶が只事ではないと感じたのか、アルスランの声が慎重に紡がれた。


 彼の瞳は、フィルメラルナの額を介したあと、しっかりと視線を合わせる。



 不思議だった。


 彼の眼差しは、全てを覚悟しているようで。


 いや、既に何かを諦めているような、そんな色を携えていて。



 だから、余計にフィルメラルナも焦ってしまうのだ。


 彼の諦めを否定したくて。


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