第四章 ハプスギェル塔

第27話 心を落ち着けて

 なんだろうか、と思う。


 あれほどまでに熱り立っていたというのに、今はいやに心が凪いでいる。



 あの日。


 突然家にやってきて、父親に剣を突きつけた憎い男だというのに。


 彼が口にする言葉に嘘はなく、とても正当であるように今は感じられて……。



 エルヴィンに送ってもらった自室で、フィルメラルナは寝台に身を預け、じっと考えていた。


 残りの儀式には、結局出られなかった。


 ジェシカという侍女にあんなにはっきりと出席を告げたくせに、と気に病まないこともないが、今日はそれで良かったのだと思う。



 先ほど給仕係の侍女が夕餉を持ってきたが、なぜか食欲は湧かなかった。


 体は疲れているはずなのに、心がそれを欲しない。


 とにかく、せっかく冷えてきた頭で、今までの経緯を整理したかった。




 蒼い蒼いエルヴィンの瞳。


 まっすぐな視線には、迷いなど微塵もなかった。



 最初に彼に会った日を思い出す。



 咄嗟に父親が「逃げろ」と叫んだことで動揺してしまった自分は、高熱を出している状態にも関わらず、無謀にも窓から外へ逃げ出そうとした。


 部屋は二階だったというのに。



 そして、彼は自分を引き止めるために剣を抜いた。



 もし、フィルメラルナが逃げようとしなければ……。


 そうだ、今なら分かる。



 父親も自分も、あんな風に取り乱さず、彼らの話に耳を傾けようとしたならば、こんな事態にはならなかった。



 少なくともエルヴィンも、単なる民間人に騎士の剣を向けるなどしなくて済んだろう。



 少し……ほんの少し心を落ち着けてみよう。


 ちっぽけな存在の自分が騒いだところで、神殿にも、ましてや王宮にも立ち向かえるわけではない。



 本来の神妃イルマルガリータの行方について何か分かれば、自然と解放されるのだろうし。


 父親にもいずれ会える。



 うとうとと、心地よい眠りがフィルメラルナを襲う。


 今日は目まぐるしく緊張した時間を過ごしたのだ。


 心身ともに疲れ果てている。



 夢さえも見ない深い眠りにつこうとしたとき。



 ドンドンドンドン!



 扉が無造作に叩かれた。


 同時に、廊下で騒ぎが広がる。


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