第4話 愛情表現が重たい主人公
星降祭という大きな山場を越えても、現実の俺たちには結末など訪れない。
魔王の復活は阻止したがそれだけだ。魔王自体が消滅したわけではないし、魔王軍だって壊滅していない。学年末考査は待ってくれないし、エウの真名をどうするかという問題も解決していない。
ああ気が重い。
「こんなところに呼び出して何の用だ」
アロイシウス棟四階の秘密部屋の扉を開けると、ちょこんと椅子に座って本を読んでいたアデルがこちらを向いた。
入学当初から伸びっぱなしの黒髪はうなじの辺りで小鳥のしっぽのように結び、牛乳瓶の底かよと言いたくなるような分厚い眼鏡で視界を歪めた只人の少年。〈精霊の眼〉の持ち主で、リディアと同じく日本からやってきた〈異邦の迷い子〉。
アデルは本を閉じると、足元に置いていた紙袋を抱えて立ち上がる。
白い顔に堂々と「なんでぼくが」「面倒くさい」と書いてあった。
「あの……リディアって実は、落ち込むと編み物やお菓子作りに没頭する変な癖があって……」
「いきなりなんの話なんだよ」
「今回はちょっと人に話せない内容で落ち込んでいるから、自然と事情を知っているメンバーのことを考えながらひたすら編み物をしたみたいで……」
「だから何だ。あいつが僕に手袋でも編んだのか?」
溜め息をついたアデルは紙袋の中身を広げた。
「いや。セーターを」
「重い!」
「スヌードもセットで」
「さらに重い!」
わりと素でつっこんでしまった。
アデルがリディアに持たされてきたのは、きれいな翠色の毛糸で編まれたセーターと、薄いベージュのスヌードだった。両方とも手触りのいい高そうな毛糸で編まれていて、特にセーターのほうはかなり凝った編み模様になっており、さすがの俺も感心せざるを得なかった。これは紛れもない特技だ。
「ごめんね。愛情表現が重たい人でさ」
「愛情……? ヤメロ薄気味悪い! 毛糸が上質なのがまたムカつく!」
「でも着るんだね」
スヌードを頭から引っかぶり、セーターを体に当ててみる。採寸された記憶はないが問題なく着用できそうだった。
「……母上の魔石の色だな」
リディアの苦悩の中身がありありと解るな。
猪突猛進なあの主人公のことだ。俺が遺品として長年手許に置いておいた母の魔石を、俺が望んだこととはいえ自分が吸収してしまった──と、うじうじ気に病んでいるに違いない。
「少なくとも僕のことに関しては、くだらないことを悩んでいないで勉強しろと言っておけ」
「伝えておく。……リディアの魔石に関してもそうだけど、あの日ぼくがたいした怪我もなかったのは、きみのおかげだと聞いてる。ありがとう」
「あの場でおまえを庇ったのは使い魔の判断だ。僕じゃない」
前の俺の死因ともなった猫神さま。星降祭で俺やアデルを庇って負傷したので、「ちょっとしばらく療養する」と最近めっきり姿を現さなくなった。
シズルを召喚したのはそもそもリディアの動向をストーキングしてもらいたかったからだし、一応目的も果たしたので契約完了でもいいのだが、いないとなるとちょっと寂しい。だってやっぱ使い魔(神さまだけど)がいるって魔法使いっぽくてイイじゃん。
セーターとスヌードを畳み直して紙袋に突っ込むと、アデルが「それと」と口を開いた。
「……ベックマンさんの真名は、どうするの」
「…………おまえが興味を示すとは思えないな。トラクの差し金か?」
「だからバレるって言ったのに……」
色んなやつに使われて、アデルも大変だなぁ。
ちょっと同情しちまったので、素直に応えることにした。
「悩んでいるところだ。……手っ取り早くて都合がいいのは婚姻による真名の交換だろうが、エウの気持ちにもよるしな」
真名と真名を預け合うことで、互いの魔力を追いやすくなるというメリットがある。
そうはいってもやはり大切な魂の問題なので、真名の交換は婚姻関係か主従関係にある二人のみで行うことが望ましいとされていた。俺はシリウスの真名を一方的に知っている状況だ。
「ぼくとリディア、色々と事情があって真名を交換している状態にあるんだけど、たまに便利だよ」
「……おまえら夫婦なのか」
「わかってて言ってるよね。違うよ」
俺の渾身のボケを、アデルはすたんと切り捨てた。
「ぼくらはこことは違う世界で生まれて、真名と仮名の概念がなかったから、最初から真名しか持っていなかった。『リディア』と『アデル』は、ぼくらを拾ったイルザーク先生がつけてくれた仮名」
あー、成る程。
じゃあ日本名がこいつらの真名に当たるわけか。内心納得していると、アデルがビン底眼鏡の奥で怜悧な双眸を細める。
「あまり驚かないね。違う世界が存在するという話は、魔法教会でも上層部しか知らない話のはずだけれど」
俺は莫迦正直に黙り込んだ。やっちまった。
色んな世界が隣り合っているという話はシズルに聞いたし、リディアたちが〈異邦の迷い子〉だという話はトラクから聞いた。あいつらそんな重要な機密をベラベラ喋りやがって。トラクが身分詐称しているのも使い魔が神格なのも他言できないやつだ、どう誤魔化したものか。何を口にしたって墓穴を掘るような気がする!
そもそも俺は学校の勉強ができるほうなだけであって基本バカだし、難しいこと考えるのも苦手だし、打算的な立ち回りは向いていない。そのまま大人になった俺がニコラに生まれ直したところで、いきなり腹芸が巧くなるはずもないし。
その点、アデルは多分根っから頭の回転が速いほうだ。
ぶっきらぼうに細まったままの純日本人らしい焦げ茶色の眸が、こんなに恐ろしいと思えたのは初めてのことだった。
見破られる。全て、この〈精霊の眼〉に。
知らず知らずのうちに全身が緊張していた。
──が、アデルは突然、途方に暮れたような表情になり、海より深い溜め息を吐き出す。
「……きみといつも一緒にいる日本人の女の子と、何か関係があるのかな」
「……ハ? 日本人の女の子?」
それってまさか。
心当たりの大いにあった俺がまた莫迦正直に訊き返すと、アデルは両の掌を下に向けて、肩の左右で振って見せる。
「肩の辺りできれいな黒髪を切り揃えて、二重瞼の大きな目をしていて、やたらと動作が大きくて、ちょっと言動とテンションがリディアっぽいっていうか……」
アー、あいつですね。間違いない。
思わず顔を引き攣らせて背後を振り返る俺に、アデルは疲れたように「知り合い?」と訊いてきた。
「知り合い……というか何というか。いつも一緒にって、まさかずっと視えていたのか?」
「入学式の日から、ずっと。基本的に人のそういうのは喋らないようにしているんだけど、ここ最近やたら夢枕に立たれてきみへの伝言を頼まれるものだから不眠気味で」
なんかゴメン。
でも、そっか。
やっぱりあいつ、ずっと一緒にいてくれたんだな。瀕死のときに夢で会えただけだから、実は全部恥ずかしい俺の思い込みだろうかとも思っていたけど。
……てかずっと一緒にってどのくらい『ずっと』?
トイレとか風呂とか見張られてんの? 俺の恥ずかしい独り言も脳内会議も全部聞かれてたらどうしよう、死にたい──と脳裡を過ぎったが、ここは美談っぽくしておこう、そうしよう。
「……あいつはなんて?」
アデルはものすごく言いにくそうに視線を逸らした。
なんか美談にならなそうな予感すんだけど。
「……言っておくけどこれ原文ママだからね」
「いい。やっぱ聞きたくない」
「『チキッてねーでとっととチューしてプロポーズしてゴールインしちゃいなさいよ、総ちゃん』」
「ああああああ聞くんじゃなかったァァァ」
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