第3話 ベックマンの真名のこと


 話は以上と締めくくられ秘密部屋を出た俺たちは、帰る先が全員ヒュースローズ寮なので、なんとなく距離をとりつつもまとまって歩いた。

 頭の後ろで手を組んだトラクが「あーあ」と溜め息をつく。


「とんだ星降祭になったね。……まあ、感傷に浸っている暇なんてないけどさ」


 わざと明るい声でそう言ったトラクにはアデルが同意した。


「そうだね。もうすぐ学年末考査だ」

「…………ああああっ!?」


「リディア、さては忘れてたな?」と悪戯っぽく笑うトラク、

「残念ながら学年末考査は待ってくれないからね」と冷静なアデル。

 傷つきながらも日常を取り戻そうとする三人の後ろで、一人沈痛な面持ちのエウの肩をそっと抱き寄せ、俺もまた静かに目を伏せた。


「ロウくん、ベックマンさん」


 アキ先生の声に振り返る。

 俺たちが出てきたばかりの隠し部屋の扉から顔を覗かせた彼は、ちょいちょいっと小さく手招きをしていた。


「イルザーク先生から、二人にお話があるそうです。ちょっと戻ってもらえますか」


 再び隠し部屋に戻った俺とエウが着席すると、アキ先生は退室し、押し黙ったまま窓際で腕を組むイルザーク先生が残された。

 呼び戻したわりに口火を切らずにいるイルザーク先生に、エウは困惑したような表情で首を傾げる。


 そう口数の多い人ではないので、話の内容を自分で整理しているのかもしれない。政宗がそういうタイプだった。頭の回転が速くて人の何倍も色んなことを考えている、ゆえにその思考の内容が口から吐き出されるまで時間がかかる。


 ややあって、先生はフゥと息を吐いた。


「……ベックマンの真名のことだ」


 それだけで大体察した。俺はうなずき、目が覚めたときから頭の隅にあった危惧を口にする。


「ロロフィリカがおまじないと称してエウフェーミアの真名を盗み聞きした。魔王軍に彼女の真名が知られている今、早急に手を打つ必要があります」


「そうだ。……方法は二つ」


「ベルティーナ王国極東部、〈わすらるる峡谷〉にて新しい真名の祝福を受ける。あるいは婚姻に伴う真名の交換、ですね」


 祝福の神、というものがいる。

 以前アキ先生の魔法史で習った、ベルティーナ皇国第三皇女メイ、俗に言う『救国の聖女』が聖なる力で〈災禍〉の心臓を封印したとされる〈わすらるる峡谷〉。その古代遺跡の守護を拝命した一匹の使い魔が、後年、その篤実な働きぶりを認められ天海のくじらから祝福を賜った。

 魔素マナという概念がこの祝福と同時期に確立されたこともあり、神格を得た使い魔は魔素すなわち真名を司るものとして祀られている。やがては真名に祝福を与える神に転じた。


 ベルティーナ王国において、ほとんどの国民は生まれたときに親から真名をつけられる。

 国王陛下はひと月に一度この〈わすらるる峡谷〉を訪れ、生まれた赤子たちに代わって、新たな真名への祝福を賜る儀式を行っているのだ。


「真名を軽々と口に出してはならぬという常識を自分たちで犯した生徒たちは放っておく。いずれ不利益をこうむることがあっても自業自得である。ただしベックマンだけはそうはいかない」


 言わずもがな。エウの生死がこの世界の未来を左右するからだ。

 魔法は『よりよい生活のための智慧』であるこのご時世、普通に生きていれば真名が知られたとしても支障はない。他の生徒に関しては放置で構わないだろうし、真名の改名には制限があるわけでもないので、いつかまずいと感じた生徒は自分で手続きをすればいい。

 ただエウだけは早めの改名が望ましい。



「本来であれば改名の手続きをするところだが、ロウという婚約者がいるのであれば真名の交換のほうが手っ取り早いし手間もない。どうする」



「……えっ?」



 思わず間抜けな声が出てしまった。

 どうする、って、ここで結婚するかどうか決めろってこと?


 イルザーク先生はこてりと首を傾げた。

 まるで「おまえら婚約者なんだろ、そんなに驚くことか」とでも言いたげだ。いっそ無垢な小動物のような仕草にすら見える。いや、そんな純粋な眸で見つめられましても!


「改名の場合は公的手続きが必要になるが、婚姻ならば口約束でも事足りる。どうする」

「え───っと……」


 こっそり横目にエウを窺うと、呆気に取られたような表情だった。デスヨネー。


 いやそもそも色々なぁなぁで誤魔化してきたけど、俺たちよく考えたら城下町で「ニコきらい」って言われたあと、腹割って話してないんだった。


 まずい。非常にまずい。

 魔王復活を阻止してすっかり忘れていたが最近の俺の印象は最悪だ。『いよいよ庶民を見下す本性を露わにした鼻持ちならない貴族のボンボン』ポジを獲得して、エウに「あんな婚約者でかわいそう」という同情票が入るよう印象操作したままである。

 無事に星降祭の夜を越したおかげでチャラになったような気になっていたけど、エウが俺との婚約にほとほと嫌気が差している可能性、無きにしも非ず……!



「イルザーク先生」



 自分でも意味がわからんくらい冷静な声が出た。

 人間、パニックが天元突破すると頭が真っ白になって却って落ち着くものらしい。スンッと澄まし顔になった俺は、隣で固まっているエウの肩をぽんと叩いた。



「少し時間をください。僕にも彼女にも、考える時間が必要です」


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