第71話 放浪のユタ

 朝支度をすませ越来城ごえくぐすくを出ると、兵士たちは今日のいくさに備えるために城外で集まっていた。

 兵士たちはやはりやつれている。

 それに加え、後方支援の10人ほどのノロたちもひどく疲れた顔をしていて、見ているだけで辛かった。

 琉美も同じ気持ちだったようで、出発直前で尚忠しょうちゅう懇願こんがんした。


「最後に、セジヌカナミセジの要だけ手伝ってもいいですか? せめて、ノロの方たちの負担を軽減してあげたいです」


「それくらいなら、敵に気づかれることもないか……琉美、お願いしてもいいかね?」


「はい、ありがとうございます! ナビーも行こう!」


 琉美とナビーは嬉しそうに兵士の群れに突っ込んでいった。

 それを見ながら、尚忠しょうちゅうが話しかけてくる。


「琉美は本当に優しい娘だね」


「そうですか? ……まあ、そうですね。俺以外には」


「ハッハ……やしがだけど、その優しい娘には、この世界は生き辛く感じるかもしれないねー」


「まあ、俺たちの世界ではいくさなんてありませんでしたからね。だけど、大丈夫だと思いますよ。琉美は優しいけど、強いですから」


 その時、ナビーと琉美は次々とセジヌカナミセジの要を兵士に与えて行った。

 ナビー130人、琉美170人。2人で兵士全員にやってのけてしまった。

 300人分のセジヌカナミセジの要は、十数人のノロで行う人数らしいので、みんな驚いている。

 疲れているはずの兵士たちから歓声が上がった時、尚泰久しょうたいきゅうがやってきた。


「静まれ! その歓声は勝鬨かちどきのために取っておくことにしよう。この方たちは静かに出発しなければならない。感謝したいのなら勝利で答えよう!」


 ナビーと琉美が俺たちの元に戻ってくると、越来ごえく軍は静かに礼をしてくれた。


いちゅんどー行くぞ!」



 越来城ごえくぐすくを出発して3日。

 途中、為朝ためとも軍に占領されている座喜味城ざきみぐすくを素通りしないといけないので、東海岸側から大回りでさらに北上していた。

 ずっと海岸沿いだったので歩きやすかったが、ここからは山を越えなければならない。

 しかし、山に入れば敵に見つかりにくいので、逆に速く進めるという。


 シーサーに乗って走る尚忠しょうちゅうの後ろをついて行く。

 この世界のシーサーが本気で走っているところを始めてみたが、白虎に乗っているせいか、すごく遅く感じる。

 最近は本気で駆けていないからだろう、白虎は物足りなさを感じているように見えた。


 しばらく走って森を抜けた時、見渡しのいい荒野で1匹のヤマシシイノシシマジムンを見つけた。

 沖縄のイノシシは小さいのだが、このマジムンはサイのように大きくて、すごく強そうだ。


「おい、ナビー。あれは倒しておかないと、近くの集落に行ってしまったら大変なことになるんじゃないか?」


「そうだね……やしがだけどよ、もう今帰仁城なきじんぐすくにだいぶ近づいてきたから、もっと慎重にしないといけないわけよ……忠さん、ちゃーすがどうしますか?」


ちむいちゃさん心が痛むが、ここは避けて行こう。この作戦が無駄になってしまえば、もっと被害が大きくなるからね」


 『グウィーン!』


 みんな納得して先を進もうとした時、ヤマシシイノシシマジムンが怒ったように鳴き始めた。

 何事かと木の陰に隠れながら確認してみると、小さな老婆が木の上から石を投げつけていた。

 興奮したヤマシシイノシシマジムンは、老婆の木をめがけて一直線に走ると、そのまま突進してしまった。

 老婆は木ごと上空に打ち上げられている。

 ナビーが焦りながら指示を出す。


「シバ、倒さないでいいから、セジオーラであのおばー助けてこい!」


「わかった。セジオーラ、レベル9!」


 俺は最速で宙に浮いた老婆の元に跳んで、抱きかかえると、近くの茂みに隠れた。


「ケガはないですか?」


「えー! やなわらばーやクソガキ! 邪魔さんけーするな!」


「はい!?」


「あんたもヤマシシイノシシ狙ってるんだろ? あれはおばーのゆーばん夕ご飯だから、絶対に渡さんよ!」


 老婆は俺を押しのけ、木の杖を持ってヤマシシイノシシマジムンに突っ込んでいく。

 その時、背後から若い女性の声で話しかけられた。


「カマドおばーを助けてくれたのですよね? にふぇーでーびたんありがとうございました。それなのに、あんな態度をとってしまってわっさいびーんごめんなさいです」


 15歳くらいだろうか、濃いめの顔で沖縄の美女って感じの、物腰の低い女の子が申し訳なさそうに近づいてきた。


「えっと、あなたは?」


「申し遅れました。わんねー私はチヨやいびんです。あのお方、カマドおばーの弟子で、ユタの見習いをしています」


「俺はシバって言います。あのおばーはユタだったんですね。でも、あのままで大丈夫ですか?」


「いつもの事なので大丈夫だと思いますよ。それにしても、シバさんはどうしてこのような場所に?」


 作戦の事を話すわけにはいかないので、話をはぐらかしたかったが、話題が思いつかない。

 カマドおばーとヤマシシイノシシマジムンの戦いはまだ続きそうだったので、とりあえずチヨをナビーたちの所に連れて来た。



「あれが放浪のユタ、カマドおばーなんだね。私たちノロの間でも一目置かれている、有名人さー」


 カマドおばーは琉球を放浪しており、あのように騒がしいお方なので結構な有名人らしい。

 尚忠しょうちゅうがナビーも知らない裏情報を教えてくれた。


「実は、琉球軍はカマドさんをノロとして迎えようとしているのだが、何度も断られているそうだ。あの方はセジの使い方に長けているらしいからね」


「ユタを表立って頼る人はあまりいないから、信用があるノロになりたいユタはたくさんいるはずなのに。王国のやり方に不満があるのかね?」


 チヨがナビーの誤解を解いてきた。


「それは誤解です! カマドおばーは、誰よりもこの国を思っています。ただ、国全体を見通すノロでは、小さな村の出来事は見落としてしまうからと、ユタのまま自由でいるのです」


 その時、ヤマシシイノシシを担いだカマドおばーが、持っていた杖でチヨの頭を軽く叩いた。


ふらーや馬鹿者! しらんちゅー知らない人にペラペラしゃべるな! で、あんたがたはなんなのか? まーた勧誘か?」


「いいえ。わったー私たちは琉球軍の任務で、今帰仁城なきじんぐすくの偵察に来ました。尚忠しょうちゅうとその一行やいびんです


「尚忠といったら、今帰仁城なきじんぐすくを奪われた張本人じゃないか? はぁ、うんじゅあなたが次の王とは、先が心配になるさー……」


「て、手厳しいですね……」


 カマドおばーは、尚忠しょうちゅうの後ろにいた俺たち3人をジロジロ見てきた。


「あんたはナビーだね。昔、佐司笠さすかさが抱いていた時に見たことあるさー。で、いったーお前たち2人は何か? 不思議な感じがするさー」


「俺はシバで、こっちは琉美です。変に感じるのは、異世界から来たからですかね?」


「そうかそうか。異世界は本当にあるのだな。それより琉美とやら。あんたはユタだったんじゃないか? ノロになってなけりゃ、私が連れて行きたいほどのバケモノみたいだね」


「見ただけでわかるなんてすごいです! 初めて本物のユタに会いました!」


 琉美は偽物のユタに苦しめられた過去があるので、初めて見る本物のユタに感動している様だ。

 今度は俺を見ると、腕に抱きついてきた。


「あい! あんた、いきがなのにティーアンダー手油もちなのか? だったら、このヤマシシイノシシを料理してちょうだい。はい、あんたがたも来なさい」


「でも、俺たちは任務の途中なので……」


 すると、断ると思っていた尚忠しょうちゅうが、カマドおばーの誘いに乗ってきた。


「偵察は夜中になると思う。もう先は近いから、ここで一休みしてもいいかもしれないさー。ご一緒させてもらいます」



 カマドおばーとチヨに案内され、山の隠れ家的な洞窟についた。

 そして、イノシシを押し付けられる。


「つくる物は任せるから、後はゆたしくよろしく


「すみません。イノシシをさばいたことがないのですが……」


「はぁ!? なんでティーアンダー手油持ちが捌けないわけ? チヨ、手伝ってあげなさい」


 チヨは優しく丁寧に捌き方を教えてくれた。

 なんてことない包丁を使い、皮をはぎ、肉をいて、お店で売られているような状態まで捌くことができた。


「教え方が良いからか、うまくできた気がします! ありがとうございました」


「シバさんの飲み込みが早いからですよ。後は、ヤマシシイノシシに限ったことではないですが、臭みの原因は血なので良く洗って下さいね。では、ゆたしくうにげーさびらよろしくお願いします


 鍋と塩だけ渡されて、すべて任されてしまった。

 とりあえず、鍋でお湯を沸かし、肉を3回湯通しして血を綺麗に洗い流す。

 ただ焼いて食べるのはつまらないので、イノシシ鍋にすることにした。

 骨で出汁を取っている間に、チヨから食べられる山菜を教えてもらい、フーチバーヨモギサクナ長命草、タラの芽、オオタニワタリを採ることができた。

 灰汁あくをしっかりとったあと、採ってきた山菜を入れてしんなりしたら完成だ。

 このままでは味があまりないので、塩をお好みで入れて食べてもらう。


くわっちーさびらいただきます!』


 使ったことがない材料で、調味料が塩だけという今までにない環境での料理だったので、美味しくできているかとても不安だ。

 カマドおばーが真っ先に食べ始めた。みんな、反応を待っている。


「うん、まーさんどー美味しいよ! 流石、ティーアンダー手油持ちやっさーだね


 それを聞いて、俺たちも肉を頬張った。


 ……弾力を感じるのに柔らかい。それに、しっかり洗ったおかげか、獣臭くない。


 みんな満足しているようだったが、琉美が食べているかが気になった。琉美はヤギ汁が苦手で、この鍋と雰囲気が似ているので心配だ。


「琉美は食べられるか?」


「うん、美味しいよ。薬膳鍋みたいで健康によさそうだね」


 このタイミングで食べられないものを出せば、これからの作戦に多少響くはずなので、本当によかった。

 6人でイノシシ1匹が入った鍋をすべて平らげた。

 カマドおばーは満足して直ぐに寝てしまったので、俺たちも夜に備えて休むことにする。



 目を覚ますと、日が完全に沈みそうになっている。

 ちょうどみんなも起き始めた様子だったが、カマドおばーとチヨは荷物を持って出発しようとしていた。


「シバの料理まーさむん美味しいものだったさー。それと、助けてもらったのだったな。にふぇーでーびたんありがとうございましたいったーお前たちとはまた会うこともあるだろう。その時に恩は返すからな」


 カマドおばーは、そのままどこかに行ってしまった。

 チヨは懐から3つの石を取り出して、俺とナビーと琉美に1つずつ渡してきた。


「これは私がセジをめたヒヌカン火の神です。まだ見習いだから不完全ですけど、役に立つと思うので持っていてほしいです」


 ナビーは持っている石をじっくりと見て、チヨに礼をした。


にふぇーでーびるありがとう。何か困ったことがあったら、首里城しゅりぐすくを訪ねなさいね。私たちも助けになるからよー」


 チヨは頭を下げてカマドおばーについて行った。


「ナビー、この石は何なんだ? ヒヌカン火の神って言っていたけど」


 ヒヌカン火の神とは、家庭の守護神として台所の一角いっかくに香炉、塩、水などをそなえ、まつる物である。

 俺の実家にも、花香ねーねーのマンションにも沖縄の家には当たり前のようにあったものだが、このような石はなかったはずだ。


「シバが知っているヒヌカン火の神は、時代の流れで変わったもので、本当は石を3つ並べるだけの形だったわけさー。この石はチヨが特別にセジをめたみたいだから、何かあったら助けてくれるかもしれないね」


 その時、支度を終えた尚忠しょうちゅうが気合を入れた。


「準備はできたねー? ここからは敵に見つかった瞬間に作戦失敗になる。気を引き締めて行こうね!」

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