【2章 早ク 人間ニ ナリターイ♪】『人間よりも人間らしい』

 今日の治療の迷える子羊囚人は、結婚詐欺師。ぱっと見は、ブサイクだが要領のいい、買い物上手なオバハンって感じだ。こんなやつに騙されるなんて男として目が腐っている。

 いつもならうきうきうする治療室も、今日はずいぶんとかすんで見えた。

 なにより、無言でおれの背後に立ってるPが、たまんなくプレッシャーってわけ。

 さっさと終わらせろって急かされてる気分さ。

 Pにはとりあえずおれのジャージを着せてみたんだけど、アンバランスでソーマッチ。

 おれはオバハンにさっさと同意書にサインさせちまう。

 本当に、知ったこっちゃねーんだ、このババアがどうなろうとさ。

 おれは女にマウスピースだけはめてやると、Pを残して部屋を出た。

 マムの残したPの説明書によると、『治療開始』の声に反応し、治療椅子に座った人間を感知し、自動で治療するらしい。

 三分で済んじまうらしい。カップ麺と同じ時間で人生を変えられるんだ。

 スタンバイオーケイ。

 好奇心半分、単純な不安半分で部屋を覗き込む。

 そんで、でかい声で「治療開始!」と叫んだ。

 ――がちゃん。

 それまでお人形ちゃんみたく動かなかったPが、急に目を光らせやがった。椅子に座った女の頭に、そうっと優しく右手を置いたんだ。

 ブリキの右手。だ。

《開始シマス》

 ――バリバリバリバリ。

 目に見えてはっきりとわかる電光。電気治療。

 Pの手から、ばち、ばちって電気が走ってやがんだ。

 囚人の女は声もあげず、目を見開き、ビクンビクン痙攣してるだけだ。

 なるほど、Pの右手は治療用なのか。

 しばらく大丈夫そうだったが、とんでもねぇことが起きた。

 女の口からマウスピースが落っこちちまった。普通ならここで治療を中止するんだが、Pのやつ、やめる様子もない。

 あいつ、気付いてないのか?

 おれは慌てて部屋に入って、Pに怒鳴りつけた。

「早く止めろ! 中止だ!」

《早ク 人間ニ ナリターイ♪》

 あぁ、うるせぇうるせぇうるせぇ! このポンコツ!

「冗談いってる場合じゃ……」

 おれは咄嗟にPを靴の裏で蹴り、体を倒した。ゴムの底以外じゃ、おれだってビリビリの餌食だったかもしれない。

 倒れたPはじたばたと動いてやがる。

 急いで女の口の中を確認する。

 血は出ていない。ケガはしてないらしい。ただぐったりとしおれている。意識はかろうじてあるようだが、口を利く気力もねぇみたいだ。

「何やってんだ! 下手したら舌噛んで死んじまうとこだったんだぞ!?」

《早ク 人間ニ ナリターイ♪》

 おれは倒れてジタバタするPを見て、どうしようもない脱力感に襲われた。Pに怒っても何の手ごたえもない。今の気持ちをぶつける相手は、どこにもいなかったんだ。

《早ク 人間ニ ナリターイ♪》

 部屋に、能天気な声が響き渡る。

 ……おいおい。まさか、ずっとこの調子じゃねぇだろうな?


 結果的に、女の治療は成功していた。だが、それはたまたまうまくいったってだけだ。

 おれがいくらPの危険性を訴えても、科学者どもは「Pの治療にはマウスピースが必要ない仕様になってる」しか言いやがらなかった。

 話にならねぇ。まったく、どうしておれの言うことが信じられねぇんだ?

 モヤついた気持ちのまま、夜になった。

 せめて部屋で一人のんびりしたいところだが、それも叶わない。

 Pはおれから離れようとしないんだ。どこにいても追いかけてきやがる。

 まぁ、それだけならいい。黙って立ってるだけだから、別に邪魔にはならない。

 パンを入れてないトースターみてぇなもんだろ?

 問題は、Pじゃねぇんだ。

「私は、人間の愚かさが許せないんだ。お人よしな顔したやつも、薄皮一枚むけば、欲望にまみれ、自分のことしか考えていない……」

 佐藤の野郎だ。

 こいつってばよっぽどお熱なのか(キャンディはもういいのかよ?)おれの部屋に押し掛けて、ずっとPに話しかけてやがんだ。同じ返事しか返ってこねぇってのに、熱心に胸の裡を明かしてやがるんだよ。

「うるせぇんだよ。自分のことをしか考えてねぇのはお前だろ」

「レディに向かってその言い方はないだろう?」

 佐藤は、まるで非常識なのはおれだって言いたげに、こっちを見てきやんがんだ。

「お前に言ってんだよ」

「嫉妬してるのか? 私はお前のライバルになった気はない」

「おれは、ロボットと三角関係やるほどおめでたくねぇ。もう寝ろ!」

 完璧な生活。こんなポンコツに壊されてたまるか。

 ゆっくり深呼吸。こんなことで怒りがおさまるかわかんねぇけど、頭に新鮮な酸素が行きわたった気がするんだ。

「いいかい、色男。そのかわいこちゃんを連れて、出てけ」

「しかし、彼女は貴様から離れたがらない。そんな彼女を離すのは可哀想だ」

「あのな。今こん中で一番カワイソーなのが誰かわかるか?」

 佐藤もさすがにおれの言いたいことが分かったのか、まぁどうだが知らねぇが、Pの腕を強く引っ張って出ていこうとする。

 しかし、Pはドアまで歩くが、その外へは出ようとしない。佐藤はたまりかねた様子で、髪をかきむしった。

「やっぱり私には、Pちゃんが嫌がることはできない!」

《早ク 人間ニ ナリターイ♪》

「それなら、お前が出ていけ!」

 くだらねぇ。くだらねぇ。くだらねぇよ。本当に勘弁してくれ。

 ……もういい。こいつらをどうにかするよりも、無視して寝ちまった方が早い。

 おれは目を閉じた。今日一日の騒ぎに疲れたのか、今度こそ、どうにか寝付けそうだった。

 なにせおれは、ドアがぶっ壊れても起きねぇくらいなんだ。

 羊が1匹。


 おれは人の渦の中にいる。

 野郎ばっかりで、みんな馬鹿みてぇに熱くなってる。

 ステージに向かってペンライトを一心不乱に振ってやがんだ。

 ぜんぶモノクロ。においも、なんにもしないんだ。

 ステージの上には、フリルのついた衣装の女が歌って踊って、オンステージ。

 シフォンっつう名前の、アイドルなんだ。

 愛だの恋だの、素晴らしく退屈なラブソングを歌ってやがる。

『あたしだけのサンタさん あたしの心のエントツから スキの気持ちが上がってく……』

 でも歌の内容はお構いなしに、観客はボルテージを上げていくんだ。

 とんでもなく複雑な気持ちだ。つーのも、みんなが夢中のあの子は

 そのことは世間にはオフレコ。ナイショのイケない熱愛中なんだ。

 しばらくライブを見てっと、スペシャルゲストってのがステージに上がる。そのゲストってのはしょぼくれた冴えないオバサン。シフォンの母親なんだ。

 シフォンは、

 変わった自分の姿を、母親にいつか見て欲しいんだと。

「今まで喧嘩ばっかりだったけど」なんて、寂しそうに笑うシフォン。

 母親も涙を浮かべながらも、でも嬉しそうに、人のよさそうな笑みを浮かべている。大きな拍手の中、胸に抱えた花束をシフォンに差し出すんだ。

 シフォンは涙ぐんで笑ってる。わだかまりがなくなって、和解したんだ。

「よかったな」って声をかけてやりたいけど、今は見てるしかないんだ。

 シフォンは今きっと、自由になれたんだ。

 ……でも、そっからがおかしい。

 ――だばだば。

 腹から血を流すシフォン。母親が花束の中にナイフか何か仕込んでやがったんだ。

 どうしてか?

 おれにはわからない。

 シフォンは叫び声一つあげず倒れる。その母親は、口の端を上げて笑ってんだ。

 口は、「ザマアミロ」って動いてる。

 ――ブツン。

 ここで、映像が切れるんだ。


 これが、おれの頭にいつも浮かんでくる。考えるたび胸糞が悪くなる。

 でも心配はいらないんだ。だって、これはだから。

 みなさん、おれはここで作られたアンドロイドだ。外の世界にカノジョどころか、知り合いだって一人もいないんだよ。にも関わらず、おれには本土で育って、ここにくるまでの記憶だけがある。

 。そう思うだろ?

 なにせ経験したことがないことが、記憶として頭にあるんだから。

 これはマムの仕業だ。マムはおれに、この記憶入りのノーミソをセットしたんだよ。

 これはマムの考えた記憶。

 マムの脚本通りの、ドラマチックな甘酸っぱくてほろ苦い人生なのさ。どうしようもないメロドラマを愛しすぎているんだ。

 ただの嫌がらせみたいに感じるだろうが、こういう意図があるらしい。

『メリーちゃんには、、深い感受性を持って欲しいのよん♪』

 つまり、作りの物であるドラマ上の人間は、波乱万丈、苦難に次ぐ苦難を乗り越えて最高にドラマチックなんだ。現実をナマで生きてる人間より、人間らしい感情豊かな生活をしている。

 考えたくもねぇのに、夜にを振りかえっちまう。

 勝手に再生されちまうんだ。

 なんだか、大嫌いな映画を繰りかえし見ているみたいなんだよ。

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