【1章 美しき労働】『全てはおとぎ話的にシンプルなんだよ』

 こじんまりとしたユニットバス。

 広々した手足を伸ばせるはずのバスタブに、佐藤がボストンバッグを抱えて窮屈そうに座ってる。それもパンツ一丁。

「ハロー、愛すべきクソ野郎。メリーくんのお帰りだよ」

 ごきげんな挨拶はムシ。佐藤は顔を上げようともしない。長髪からやせた首筋がのぞく。

 先月からここで働き始めた勇気ある青年なんだけども、付き合い悪いのなんのって。

「放っておいてくれ」

 佐藤は、神経質な震えた声で言った。眼鏡越しに、淀んだ目で見つめてくる。

 生憎おれの性分でさ、そう言われると構いたくなるぜ。

「そうはいかねーのよ。おれもドロシーも、たまには小粋にバスタイム過ごしてぇんだ」

 なだめるように優しく話しかけてやる。今日こそ説得して、温かい湯船につかりてぇよ。

「よくあることだろ? 好きな女が、『させ子ちゃん』だったくらいなんだよ」

 こいつは、キャンディに一目惚れしてたんだ。透き通るほど一途な思いでさ。すげーイイ大学出てエリートコースまっしぐらなのに、女の子と手を繋いだのは小学校のときの腕相撲以来一度もない(しかもボロ負けしたってよ)っていうんだ。応援してやりたいのさ、一応。

 でもキャンディは、さっきみたいな奔放な御様子ってわけ。

 好きな女が、。よくあることだ。なのにこの落胆っっぷり。情けない。

「よくあってたまるか。私は本当に彼女が好きなんだ」

 佐藤は男のくせに自分を「私」なんて呼びやがる。堅苦しいったらありゃしねぇ。

「貴様みたいないいかげんな人間にはわからない。仕事も、会話もいいかげんだ。私たちの仕事は、もっと真摯に取り組まなきゃいけないものなんだ。、世界を変えられる。私はこの仕事に誇りを持っているんだよ」

 間違っちゃいないが、お前は誤解している。

 。うまくいかなかったら、世界はぶっ壊れる。

 頭のいいやつって、どうしてだかこういうことにニブいんだ。ノンキなんだよ。

「メリー。今いる囚人たちが全て労働力になれば、どれだけ世界が変わると思う?」

 問題はそこじゃない。問題は、おれたちが人間の運命を簡単に握らされているこの現状だ。

「さぁ」

「『さぁ』? ふざけているのか!」

「ふざけてねーって。わかってる、そう怒るな。今は、キャンディの話をしようぜ。まったくさぁ、おれがお前ならラッキーととるがね。色んな男と寝てるなら、テクニックもそれなりでスキモノなんだろ? 最高じゃないか」

「貴様には私の気持ちがわからないんだ! 私と貴様じゃ、なにもかもが違う」

 なーに悲しいこと言ってんの。

 おれとお前は違う。あったりまえじゃねーか。だから、悲しいんだけどな。

「お前は高学歴のインテリで、女にもてそうなイケメンくんだ。そら、おれとは違うわな」

 これは本当だ。佐藤は、育ちのよさそうな美青年ってわけ。ただ、このウジウジしたうっとおしい性格だけ、どうにかなりゃあな。

「おれたちは仲間だ。きれいごとじゃない、マジだぜ? おれだってキャンディにはグッときてたけど、お前のためを思って我慢してたんだ。お前と仲良くしたいからさ」

「……本当か?」

 いや、嘘だけど。

 佐藤は明らかに嬉しそうだ。尻尾振ってやがる。

 なるほど。こいつは恋愛経験もなければ、友情ごっこもバージンなわけか。

「もし他に男がいるのが不満なんだったら、お前が王子サマになってさらってやればいい」

「でも、そんなことは……。私にも、彼女にも、生活があるんだ」

「四の五の言うな。惚れた女がいるなら、一途にアプローチしてやれ。それが誠意ってもんだ。ダイナマイトでも体に巻きつけて『結婚してくれなかったら心中してやる』くらいの気持ちでさ。お前に足りないのは、誰かのためになりふり構わずする気持ちなんだ」

 おれは、佐藤の骨ばった肩に手をおいた。

「難しく考えるな。全てはおとぎ話的にシンプルなんだよ。キャンディがせかせかと掃除をしている。そしたらあいつが手にした掃除機をポイとゴミ箱に入れて、『もう、こんな風に働く必要ない。君はぼくとエデンの園に住むのさ。朝はゆっくり起きて昼ドラを見て、他人の運命を気楽に憂いながら、トロピカルジュース片手にぼくが帰ってくるのを待ってておくれ』なんて言ってやるのさ」

「も、もう一回言ってくれ……」

 鞄からボールペンまで取り出して、おれの目をじっと見つめてきやがるんだ。

「メモるな! たとえばだよ、たとえば」

 おれは佐藤が苦手だ。

 でも別に嫌いじゃない。「仲良くしたい」はあながち嘘じゃない。

 仲間なんだ。おれたち3人はこの世界では悪人で、孤独なんだ。

 仲良くやろうぜ、せっかくなんだからさ。

「ありがとう、メリー。お前のことを、勘違いしていたよ。すごくいいやつなんだな」

「そーでもねーって。じゃあ、わかったらもう出てってくれるか?」

「もちろんだ。あはははははは」

 佐藤はシャワーの水勢をマックスにして、高笑いを上げた。

 イカれた噴水が、おれの頬を濡らすんだ。びしょぬれになっちまった。

 あー、まったくお前ってやつは。


 本部に戻るなり、ドロシーは濡れネズミになったおれをバスタオルで拭き始めた。

 最初は優しかったんだけど、徐々に体を拭く力を強めてきやがる。

「メリーさ、ホントにキャンディのこといい女って思ったの? 好きなの?」

 なんだよ、話ちゃっかり聞いてたのな。ちびっこパパラッチだ。

「ちげーって。男ってのはさ、ああいう陳腐な友情ごっこにすこぶる弱いんだ。あぁは言ったけど、実際、佐藤にキャンディは手に負えねーって。あんなアバズレ」

 こうして微妙に話の矛先をそらしているのが、おわかりかな。

「ホれる方が損するだけ。さっきのは佐藤のバカを説得するための方便さ」

「ホント?」

「あぁ」

「本当か?」

 神経質な声。

 ……後ろに立っているのは、佐藤だった。青ざめた顔で、こっちを睨みつけていた。

「さっきのは嘘だったのか?」

「あーいや、だははは」

「ははははははは……。お前なんか信用するんじゃなかった……」

 突如、佐藤は笑い始めた。

 そうさ、だ。

 そのまま踵を返し、バスルームに消えていった。再び、バスルームに「使用中」のランプが灯る。風呂場の中から、佐藤のやけっぱちな笑い声が響いてきた。

 まったく、これじゃあ保育園だぜ。

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