第309話
「私は別に君たちを苦しめたり、或いは快楽目的等の私的な理由で殺しているわけじゃない。悲しいが、残念だが、仕方のない事なんだよ」
事実を、誇張など一切ない様に語るクレストの顔は、しかし悲哀に満ちた表情を浮かべていた。
「我が国は……いや、我が世界は最早エネルギーを始めとした一切を、魔天楼からの供給によって補っている。飢饉、深刻な干ばつ、数多の災害や人災に対する対抗手段を失う。もし君たちの言うように魔天楼を止めるなどとしてしまえば、大規模な死者が出ることは免れないだろう」
それは私の知る情報とも一致する、事実だった。
膨大な魔力を狭間から吸い上げる魔天楼、その本来の目的は当然魔力だ。
空間を作り、疑似的ではあるが生命を作り出し、日の暖かさや木々のざわめきすら再現できたダンジョンシステム、その根幹を成すのも狭間に存在する無尽蔵の魔力があるからこそ。
そして私達はダンジョンの存在を恐れながらも、その内部に存在する資源を求めて探索をしていた。
魔力からダンジョンという資源の泉を生み出せたのなら、魔力そのものが資源となるのも当然の話。
何なら私達は『魔石』という、魔力そのものを電気の代用品として使っていたのだから。
事実だ……が、事実だからこそ、何かが私の中で引っかかった。
「人が死ぬことは耐え難く悲しいことだ。しかしながら我々の世界とて、我々の世界が最も重要なのだ。他の世界、ましてや豊かさを差し止めようと試みる存在など、許容できるわけがないじゃあないか」
「それは……」
「君たちだってそうだろう? 苦しむ存在の為、私財を投げ打ってでも手を差し伸べる人間がどれだけいる? そう多くはないだろう。なあ、多くは口で憐れむだけだ。生活水準を下げてまで、或いは人生を捧げる程の人物がどれだけいる? そう、多くはないからこそ、当然ではないからこそ、彼らは聖人君子として畏敬の念を注がれる」
多くの人は出来ない、それを良しとはしない。
ただ眺めるだけだ。
「許してくれ、とは言わない。けれど私達には私たちの生活がある、守らなければいけないことがある。そして私は王だ、国民を守るために生まれた王なのだ。私は責務を果たしているに過ぎず、これからも果たさなければならぬのだ」
そうして彼は口を閉じた。
語るべきことは全て語ったとでも言わんばかりに瞼を下ろし、苦悩と自己嫌悪の入り混じった表情に歯を食いしばり、静かに元の席へと腰を下ろした。
「それにしても君、確か探索者になって一年だったかな? あの偏屈なカナリア君を納得させ、よくここへと足を踏み入れる実力を身に着けたね。実に素晴らしい」
先程私の名前すら知らなかったような態度を取っておきながら、しかし『一年』という経歴を知っていたことに驚愕し喉を鳴らす。
「――っ!? ……何が言いたいの」
だが彼は探索者協会のトップを張っていた人物。
もし探索者そのもの自体が彼の警戒対象であった場合、有望な芽が出ていたらマーキングしていた可能性はある。
はっきり言って私の感情は彼に筒抜けなのだろう。
けれども、無駄と分かっていても、出来る限りの感情を消した声で返事を返す。
「いや、額面通りに受け取ってくれたまえ。はっきり言って不可能に近い、少なくとも私の知る限りではね。きっと苦労も多かっただろう……そう、例えば人から離れた身体能力、それに付随する侮蔑などね」
奥歯が軋む。
彼の言葉は、まるで全てを見てきたかのように正確だった。
だが彼にとっては言い当てる、などといった大層なものではないのだろう。
そう、協会のトップを設立時より張っており、探索者の実情を知り尽くしていた彼からすれば。
「皮肉なものだ。苦痛が多い仕事程必要性は増す。しかし従事する者は他者から汚い、粗野だと軽蔑されてしまう。何よりも恩恵を得ているのは自分達だというのに、ね」
血に塗れて帰った日。
大通りを行く私を、誰も気にもかけてなどくれなかった。
それどころか奇異の目、汚物でも見るような目でちらりと見て、嫌そうに顔をしかめる人すらいた。
それが世間からの扱い。
それが探索者の日常。
輝かしい扱いを受けている人間なんてごく一部、ほとんどは最底辺のセーフティネットに縋りつく存在。
ああ、全て彼の言う通りだ。
「率直に話そう、私は君の努力と才能を高く評価している。私についてこないか? 我が王国でその力を振るってみたくはないか?」
「は?」
だが今まであまりに順当な会話をしていた彼の、唐突な提案だけは理解し難かった。
「馬鹿にしないで。貴方みたいな人に付いていくわけがない」
「もう、誰にも差別されずに済む」
「君を汚らわしいものの様に扱う人はいないだろう、怪物として恐怖されることもない。それどころか若く美しい君は国の力の象徴となり、今までの苦労は美しい英雄譚となり、人々から羨望の眼差しを注がれることになるだろう。貧困に喘ぐこともなく、勿論愛が欲しいならば全力で援助しようじゃないか」
甘言、とはまさにこのことか。
彼の持つ権力は、一国の王という力は彼の言葉全てを成し遂げることが可能だという裏付けがあった。
そしてその徹底的に敵意を消した口調、穏やかで容易く心の隙間に滑り込む声音は、誰しもが簡単に頷いてしまう蠱惑的な魅力があった。
「何も難しい話じゃあないんだ、ただ一つだけ。私と対等な立場で、必要な時にその力を貸してくれさえば良い。年齢や性別などの問題はない、ただ対等な友人であってくれれば良いのだ」
いつの間にか、彼は私の背後にいた。
耳元に息がかかるほど近い距離、クレストの呼吸すらもが聞こえた。
「自分を犠牲にしてまで他人を救う、素晴らしいことだ。しかし本当に彼ら、彼女らは、君が救う価値のある人間なのだろうか? 醜くも他人へ日常のストレスや不満を、正義の名の元に押し付けようとし、いざとなれば浅ましく自分の命乞いをする人間を」
そっと双肩へと彼の両手がかけられる。
「だが私は違う、私は君を評価し、尊重しよう。君の努力を、才能の結晶を、よりよい国を創る為に振るってくれ」
クレストの言葉は全てが心地よかった。
初めて出会う人間に、ここまで心を許してしまえるのかと思うほどに、どれもが甘く引き込まれてしまいそうだった。
どうしようもなく誘惑されてしまいそうで、一切が素晴らしいものの様に聞こえて……だからこそ、彼が隠している物が吐き気のする程不愉快で気持ちが悪かった。
「――だから嫌だって言ってるじゃん、しつこいよ」
私の手のひらの中で男の右手は、案外小枝の様にあっさりと握り潰された。
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