第307話
「『穿て』、『抜きされ』」
カナリアが閉じ込められた光の繭に向かい、クラリスは目を血走らせていくつもの魔術を展開しては叩き付けていった。
その数、凡そ百。
一つ一つが並大抵の魔術師では扱うことすら叶わぬ緻密で精巧な術式を、たった一人の人間を屠る為に彼女は操り続ける。
ただ次元の狭間へと落しただけでは生き延びてしまうのなら、術を展開する余裕もないほど暴力的な魔力の渦へと叩き込めばいい。
結界内部の魔力を徹底的に抜き取った上、狭間に落とし同時に結界を解放すれば、内部と外部の圧力差から魔力の強烈な流れが発生する。
水の中ですら呼吸が出来る魚であろうと、渦潮の中では衝撃に耐え切れず気絶するように、流石のカナリアであってもこれほど一方的な暴力には耐え切れまい。
『私はあの方と未来を拓くの……この認められた知識で、才で、国の栄華を導くの!』
昂る感情から言語を取り繕う余裕を失い、先ほどまでとは異なり母国語で盲目的な夢を叫ぶクラリス。
『だから過去の怪物、もう消えなさい! 貴女が発見した狭間に抱かれてっ!』
光の繭へと閉じ込めたカナリアを、この狭間に敷かれた結界上の通路、その一部ごと切り離し狭間へと直接叩き落す。
それが長い時を掛け緻密に練り上げられたクラリスの理論、対カナリアの必殺ともいうべき対抗策。
最後の鍵とでもいうべき、自分の首に下げられていた
「枯れた技術をあまり侮るなよ」
ガラスが割れるように甲高く派手な音を立て、繭から飛び出したカナリアによって中空で掴み取られた。
「なっ!? げぇ……ッ!」
一瞬の停止した思考。
その隙を逃すまいと、宙をくるりと舞いクラリスの背後へと降り立ったカナリア。
鮮やかな移動に目で追うことも叶わぬまま、クラリスは背後から襲い掛かった強烈な衝撃波によって正面へと吹き飛ばされる。
「く……積層結界の理論……そして粉粒魔結晶による衝撃と魔術の拡散を上手く噛み合わせ、見事に昇華されていた。流石だ……」
カナリアがふらつき地面へと降り立った瞬間、ガラスを打ったかのような音が微かに鳴る。
彼女の右足首より先は透明な氷の結晶に覆われ、更に先は赤黒く変色していた。
カナリアは着地の衝撃と共に、抉り取られた足裏から伝わる激痛を奥歯で噛み殺し、しかし旧友の創り出した魔術への欠点を淡々と告げる。
「だが貴様の魔術式は綺麗が過ぎる。分かりやすく整理され、美しい」
――だがそれ故に、解析も容易い。
クラリスの頬が引き攣る。
暴論だ。
どれだけ綺麗に整えようと、どれだけ見やすく整備された式であろうと、僅かこの一瞬で全てを読み解いたなどと、到底信じることは出来ない。
だが目の前はいつもそうであった。
エルフの小さな村で生まれ育ち、自我が芽生えた頃からずっと、ずっと。
一を聞き十を知る。知った十から百を知る。分化に分化を重ねた知識は、いつの間にか過去の人類が至ったそれを遥かに超え……クラリスは決して超えることは叶わなかった。
「結局のところ、全ての知識は過去の発展形だ。単純なものが寄り固まって巨を成しているのであれば、紐解き、己の知識と照らし合わせればいいだけのこと」
「――そう、なら今度からは気を付けるわ! 貴女を始末した後でねっ!」
カナリアの語りを聞きはたと気を取り直したクラリス。
最大の手が潰されたとして、そもそもこの二人では魔術におけるリソースに隔絶した差がある。
たとえカナリアが守りに回ったとして、その上から叩き潰すことが出来る程の準備は終えてきた。
彼女は自分へ言い聞かせるように頷き、背後へと飛びずさり――
「こ、れはっ!」
不可視の壁によって阻まれたことで目を見開いた。
それは先ほどクラリスが展開した、通路を切り離すための隔離結界。
当然、狭間のエネルギーに耐えきれるよう、頑丈無比に練り上げられたもの。
「生憎と、今の私は少しも魔力を無駄にできなくてな。借りたよ、お前のを」
木の乾いた音を立て、結界を挟んでクラリスの目前へと垂らされるペンダント。
瓜二つのペンダントを首から下げたカナリアは、どこか皮肉気に口元を歪め、眉間に小さな皺をよせ呟いた。
「魔力に宿る記憶は同じ記憶に引かれ合う。拡散した物であろうと、何かのきっかけと他の引力を超えた引力さえ創り出してやれば、再度収束し、現象や物質を発生させることが可能だ」
彼女の握りしめた、先ほどクラリスが投げたペンダントから、まるで逆再生の様に輝きが溢れ出し無数の文字を紡ぐ。
それは結界内へと潜り込むと、妖精が戯れる様にクラリスを取り囲み始めた。
その一つ一つの文字がクラリスにとって見知ったもの。
当然だ。
すべて、全て、全て目の前のこの金髪の小さなエルフを滅却するため、己が必死に練り上げた術式なのだから。
「どう……して……っ」
「『開け』」
「どうして……どうして勝てないっ! どうして追いつけないっ! どうしてッ! なんでっ!?」
虚空へと突き出されたクラリスの右腕だけが、あまりに容易く断ち切られた。
魔術が展開される刹那、その血走った瞳だけが純白の中で赤黒く主張する。
「カナリアアアアァァァァァァッ!!!!!!!!!!!」
右腕が落ちる瞬間、悲鳴も、いや、その刺激が神経を突き抜け脳が許容するよりも早く、クラリスの身体は輝く無数の障壁によって世界から隔絶された。
「『ネーリアス・ジャッジメント』」
そして空間から切り離された純白の繭は、受けた垂直のエネルギーに従い、下へ、下へと加速も減速もすることのないままに進み続け……やがて、カナリアの視界からも消えた。
「地獄で待っていろ……次会った時は、互いにもう少し理解出来ればいいがな」
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