閑話35 家宰の夜食

「ふう……今日はこのぐらいにしておくかな。さて、屋敷に戻るか……」



 拙者の名はローデリヒ。

 バウマイスター辺境伯家の家宰を務めさせていただいております。

 この仕事は激務ですが、同時に非常にやりがいのある仕事。

 以前の拙者はなかなか仕官も叶わずに様々なアルバイトをして糊口を凌いでおりましたが、今では十分すぎる報酬をいただき、バウマイスター辺境伯家家宰として恥ずかしくない大きさの屋敷まで与えられている身となりました。

 この忙しさも、バウマイスター辺境伯領が目に見えて発展する様子を直接目にすれば気にならない程度のデメリットと言えましょう。

 バウマイスター辺境伯家に仕官する前、ただ食べるためだけに様々な仕事に手を出していた頃と比べれば、今の拙者ははるかに充実しているのですから。


「さて、屋敷に戻るとしようか」


 明日も朝早くから仕事なので、しっかりと睡眠を取らなければ。

 バウマイスター辺境伯家の館と隣接する政庁を出た拙者は、徒歩一~二分で到着する自分の屋敷に向かって歩いて行く。


「これでは運動にもならないから、明日は早く起きて槍の稽古をし、このところの運動不足を解消しなければ」


 ただ残念ながら、それだけでは槍の腕前を抜かれてしまったイーナ様を再び追い抜くのは難しい。

 だが拙者はバウマイスター辺境伯家の家宰なので、その仕事を最優先しなければならないのが悩ましい。


「このままのペースで、お館様が領地開発のために魔法を駆使してくれれば、槍の鍛錬の時間も取れるはず。それまではなるべく腕を落とさないようにしなければ……」


 そんなことを考えながら、屋敷までの夜道を歩いていると、視界に一軒の手押し屋台が見えてきた。

 この手押し屋台は、なぜかお館様が考案して職人たちに作らせ、バウマイスター辺境伯領はおろか、他の土地でも普及しつつある。

 これを作っている職人たちはかなり忙しいと報告が上がっていた。

 飲食業で独立したいが、店舗を購入したり借りれない人がまずこの手押し屋台をローンで購入するか、バウマイスター辺境伯領では屋台の貸し出し制度も整備されている。

 手持ちの資金はないが飲食業を始めたい人がこれを借り、商売をしてお金を貯め、店舗運営のための資金を貯めるという流れで、しかしお館様はよくそんなやり方を思いつくものだ。


「お館様が商人に生まれていたら、きっと大商人になれたはず。……いい匂いが漂っている」


 夜遅くまで仕事をして、昼食以降はマテ茶くらいしか飲んでいないのでお腹はとても減っている。

 屋敷に戻れば妻たちが……あの子は我が伯父には似ず、大貴族の孫娘なのに拙者のために料理を習っている最中であるし、料理を教えてくれているエリーゼ様曰く『とても覚えがいい』そうなので、彼女の作る夕食を食べるのが拙者の毎晩の日課ではあるが、その前に軽くこの屋台でなにか食べたくなってしまった。

 この感覚は子供の頃、母に貰ったお小遣いを握りしめて王都の商業街の端にある屋台まで走り、あまり甘くもないクッキーやパンなどを買い食いした時の感覚によく似ている。


「たまにはこんなこともあるのだろう。どんな食べ物を出す屋台なのかな?」


 普通移動式の屋台には、なにを販売しているのか食べ物や料理の名前が書いてあるものだが、この屋台にはそれがない。

 ただ周囲に漂ういい匂いのみが、なにかしら食べるものを売っていると証明していた。


「さてと、休憩時間はもう少しで終わるから、持ち場に戻らないとな。ご馳走様」


「ふう、 美味かった。夜番は休憩時間に、穴場の屋台を見つける楽しみがあるよな」


「おや? 俺たち以外にも客が? えっ? ローデリヒ様?」


 屋台には先客が三名おり、彼らは夜番中に休憩に入った者たちであった。

 夜番でなにも食べないとお腹が空いて仕方がないので、この屋台で夜食を食べていたようだ。


「ローデリヒ様は、この屋台に興味があるのですか?」


「屋敷に帰る途中でたまたま見かけて、ちょっと興味があったから覗いてみたのだ。この屋台は夜番をする者たちの間で有名なのかな?」


「……いえ、実は今夜初めて見かけまして……」


「館と重臣たちの屋敷が連なるこのエリアに屋台があるのはまずらしく、つい興味があったので入ってみたんです」


「我々はとても美味しいと思いましたが、ローデリヒ様が利用されるような屋台ではありませんよ」


「……」


 拙者も昔はこの三人と大して変わらない立場だったのに、思えば遠くにきたものだ。

 この三人は決められた休憩時間に休んでいるだけなのに、拙者の姿を確認すると、まるでサボっているところを見つけられたかのように緊張しているのだから。

 そんな彼らを見ていると、昔の自分を思い出す。


「そんなに緊張しないでくれ。拙者もバウマイスター辺境伯家に仕官する前は夜の仕事をしていたこともあって、休憩時間にこのような屋台を利用したことがあるのだから。で、どんな料理なのかな?」


「そうだったんですね。このお店は汁がない麺料理を出しています。汁がない麺料理は夜番の休憩時間に気軽に食べられるので人気なんですけど、この屋台は今日初めて見ました」


「昨日はここになかったんですよ」


「でも、他の屋台では味わえない美味しい麺料理なので感心していたところです」


「なるほど」


 今日、ここに初めて出店した屋台とは……。

 興味が出てきたし、汁のない麺料理なら『フォン』のようなものだろう。

 大きなハズレはないはずだ。


「(そのぐらいなら食べても、屋敷で夕食が食べられなくなるということはないか)」


 せっかく妻たちが作ってくれる夕食を食べないわけにはいかないが、たまには昔を思い出して買い食いするのも悪くない。

 お館様も暇があれば、そうやって色々なものを買い食いししているから、その気持ちはわからなくもないというのが拙者の本音だった。


「屋敷に戻る前に軽く食べるとするかな」


「では、我々は夜番に戻ります」


「……えっ? ろ……」


「店主、どうかしたのかな?」


「ああ、いえ。へい、いらっしゃい」


 三人は仕事に戻り、拙者はこの屋台でなにか食べて帰ろうと、いくつか置かれた椅子に座った。

 拙者の他に客はいない。

 すると店主らしき若い男性……どういうわけか頭を布巾で覆い、お館様がアグネス様の実家に作らせて大人気となっているサングラスをしていて、口にはマスクをしているが間違いなく若い男性のはず……が、拙者の顔を見て驚きの表情を見せた。

 しかしながら拙者はこの店主に覚えがなく、拙者がバウマイスター辺境伯家の家宰であることに気がついたからであろうか?


「このお店はなにを食べさせてくれるのかな?」


「ごほん! ごほん! すみません、ちょっと喉の調子が……」


 声がおかしいと思ったら、だから店主はマスクをしているのか。

 このマスクも、お館様が考案、製造させて特に治療をする教会で大人気となっていた。

 こちらは作りが簡単なので、すぐに真似されてしまったが。


「汁がない麺なんですけど、他のお店のとは違ってちょっと量が多いんです。それでも大丈夫ですか?」


「そうなのか」


 お館様が、エルヴィンの妻ハルカの親戚であるアキラ殿と組んだ結果、バウルブルクでは簡単に作れるパスタ、ソバ、ウドン、ラーメンなどの屋台が激増していた。

 麺を茹でられる移動式の屋台と、保存が効いて廃棄が少ない乾麺。

 ミズホ風ソバとうどんの屋台は、ツユの出汁を取るのに使うコンブ、カツオブシ、ツユの材料であるショウユなどの食材がフジバヤシ商店経由で簡単に仕入れられるようになったのと、ミズホ料理であるソバとうどんの珍しさもあって増えていた。

 勿論失敗してしまう者も少なくなかったが、成功した者の中にはお金を貯めて店舗経営を始めた者もいる。

 それはどんな仕事でもよくある光景なのだけど、屋台を引く人が成功しようと失敗しようと、しっかりと利益を稼げる仕組みを考えたアキラ殿は凄いと思う。

 彼に入れ知恵したお館様も相当なものだが


「(お館様の場合、冒険者になっても、商売人になっても成功できるから逆に困ることもあるのだが……)」


 たまに土木工事の仕事をサボって遊んでしまうので、拙者もお館様を計画通り働かせるのに苦労しているのだ。


「(ゆえにストレスも溜まるわけで、、だからたまにはいいだろう) せっかくなのでその麺料理をいただこうではないか」


「ありがとうございます。では、準備しますね」


 注文が入ると、若い男性店主は素早く調理を開始した。

 生麺を茹で……。


「生麺なのか? 屋台は乾麺が主流と聞くが……」


「それが最近はそうでもなくて、麺を売る屋台が増えたでしょう? 差別化を図るために、自分で麺を打ったり、生麺を仕入れる店主が増えたんですよ」


 そう言いながら店主は、随分と太くて縮れた麺を茹で始めた。

 その間に、大き目の丼に黒い液体やら調味料やらを入れる。

 フォンと比べると、大分手間がかかっているな。

 そして、大きな塊肉をサイコロ状に切り始めた。


「その肉は?」


「具材ですよ。猪の肉を低温調理しました。あっ、うちの麺はかなり太いので、茹で上がるのに時間がかかりますが大丈夫ですか?」


「大丈夫だ」


 確かに麺は、これまでに食べたどこのお店よりも太く、幅もあった。

 小麦粉が使われているはずだが、麺が少し黒っぽいので全粒粉……平民は麺の量が増えるので好んで食べているものだ。

 お館様も、全粒粉を使うと麺もパンも香りが強くなって好きだとおっしゃっていた。

 同時に、料理によっては白い小麦粉を使った方がいいのでこちらを否定するわけではないともおっしゃっていたが。

 そして肉は低温調理か……。

 お館様が考案した、肉の赤身を残したままなのに、お腹を壊さず肉のジューシー感とレア感を味わえる究極の技法か。

 そういえば、最初みんな上辺だけ真似するからお腹を壊すバウルブルクの住民が急増し、急ぎお館様が『低温調理に関する法』を発令したものだ。

 パっと見た感じ、この店主の低温調理は完璧だ。

 肉の塊の切り口は、見事なピンク色で食欲をそそる。

 他にも、やはりミズホからの輸入品である『メンマ』、最近バウマイスター辺境伯領で多く栽培されるようになった『ネギ』を刻んだもの。

 ミズホ産の海苔を刻んだもの、あの赤いペースト状のものは『豆板醬』か。


「店主、それは?」


「タマネギを油で揚げたフライドオニオンですよ。ニンニクを揚げたニンニクチップもあるんですが、お客さんはよした方がいいでしょうね」


「そうだな」


 このあと屋敷に帰って妻たちと夕食を共にするというのに、ニンニクの臭いをさせるわけにいかないのだから。

 お館様はたまに、『ごめん、ついニンニクを食べすぎてニンニク臭くなっちゃった。あのパーティーには参加しない方がいいよね?』などと言って他の貴族から誘われたパーティーをサボろうとするから困ってしまう。


「しかし色々とのせるものだな」


 店主は慣れた手つきで茹であがった幅広の麺のお湯をよく切ってから、あらかじめ丼に入れてあったタレと調味料とよく混ぜていく。

 すると麺がとても美味しそうな茶色に変色し、視覚でも食欲を誘うので、フォンとは別物なのだな。

 店主はタレと調味料をよく絡めた麺の上に先ほど用意していた具材を綺麗に飾り付け、最後に真ん中に鳥の卵を割り入れた。


「店主、生卵は危険ではないのか?」


 お館様は興味を持てばどのような食材も試されるが、生卵だけは『お腹を壊す危険がある! 安全な方法を確立するまでは我慢だ』とおっしゃられているぐらいなのだから。


「卵も低温調理をして、極限までお腹を壊すリスクを減らすことに成功したんです」


 確かによく見ると、玉子には火が通っていたが、黄身も白身も半熟なのがとても美味しそうに見える。


「温泉卵と言います」


「(……ああっ! 前にお館様が作っていた料理だ)」


 一見半生だけど、実はちゃんと火が通っていてお腹を壊さない卵だとお館様はおっしゃっていたな。

 どうして『温泉卵』というのか聞いたら、沸騰していない温泉で作ってもこうなると、拙者に教えてくれたのを思い出す。


「茹で卵では麺に絡められず、生卵だとお腹を壊すので、この温泉卵を使うことにしたんです。『特性油そば』の完成です。全体をよく混ぜてから召し上がってください」


 アブラソバという料理なのか。

 似たような麺料理を、お館様とリネンハイム殿が王都に作った飲食店街で見かけたことがあるような気がするが、それに比べると麺が太く、幅が広くて食べ応えがあるように感じる。

 箸も置いてあったが拙者は苦手なので、店主に言われた通りフォークで麺とタレ、具材をよく混ぜると、美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる。

 まだ夕食を食べていなかった拙者には、大変暴力的な香りであった。


「お好みで、卓上のゴマ、紅ショウガ、お酢などを入れてお楽しみください」


「いただきます」


 店主の指示に従ってよく混ぜたアブラソバを食べると、ショウユとベースとした濃いタレと、全粒粉の極太、幅広麺が実によく合う。

 ショウユの他にも濃厚でコクのある味を感じるのだが、動物や魔物の骨や肉から取った味ではないはず。

 むしろ動物系の味は、タレと一緒に丼に入れた脂から感じた。


「脂は猪の脂を丁寧に処理したもの。タレの主な材料は、ショウユと……これは、オイスターソースか」


「正解です。よくわかりましたね」


 オイスターソースは、お館様がミズホの人たちと開発、生産、発売している調味料で、これを使うと簡単に料理が美味しくなるので王都でもよく売れていた。

 しかしながら、どうして牡蠣を使ったソースがオイスターソースなのか。

 命名者はお館様なのだが謎は多い。


「小麦の風味が香る極太、幅広麺、それに濃厚なタレと脂と温泉卵がよく絡まって実に美味しい。ネギとカリカリのオニオンフライがいいアクセントになっていて、同じ味のアブラソバを食べ続けても飽きにくくなっている。メンマと低温調理した肉も美味しくて、さらにここに……」


 酢を少し入れたら、味に奥行きが出たような気がする。

 紅ショウガまであるとは……。

 お館様がミズホから製法を教わって、今ではバウマイスター辺境伯領でも販売されるようになったものだ。


「紅ショウガが入れると、これもさっぱりした味を感じて美味しい」


 なかなかの麺量なのでお腹がいっぱいになってしまう危険もあったが、意外とスルスルと食べられてしまった。


「実に美味しかった。ご馳走さま……」


「あっ、追い飯しますか?」


「オイメシ?」


「ええ、 丼の底にまだタレや具材が残っているじゃないですか。ここに、ご飯を入れて食べるんですよ。タレを食べ尽くしてこそ、油そばの美味しさをすべて味わったことになるんです」


「是非貰おうか」


 これ以上食べるとお腹がいっぱいになってしまうだろうが、この美味しいタレや残った具材を食べずに見捨てるのはもったいないような気がしてきたので、本能でオイメシを頼んでしまった。


「じゃあ、入れますね。このくらいでいいですか?」


「ああ」


「はい、追い飯はスプーンで食べるといいですよ」


 店主はアブラソバを食べきった丼に、炊き立てのご飯をかなりの量入れてくれた。

 なるほど。

 追加でご飯を入れるから、追い飯なのか。


「トッピングで、粉チーズもありますよ。入れるとリゾットみたいになって美味しいですよ」


「是非貰おう」


 追加料金が発生するが、ご飯が熱々のうちに粉チーズを入れると、粉チーズがご飯の熱で溶けてリゾットのようになるのか。

 粉チーズも丼に入れてもらってからよく混ぜると、粉チーズが溶けてご飯に絡み、これが美味しくないわけがない。

 拙者は溶けた粉チーズとタレ、具材がよく混じったご飯をスプーンですくって口に入れる。

 すると……。


「残ったタレと具材と、熱々のご飯と、溶けたチーズが絡まって、この美味しさは!」


 あまりの美味しさに、拙者は一心不乱にどんぶりの中の追い飯をスプーンで掬って口の中に放り込み続けた。


「まさにタレまですべて食べ尽くすだ。この追い飯の美味しさは、永遠になくなってほしくないと思ってしまうほどだ」


 拙者は、ただ一心不乱に追い飯を食べ続けていく。

 そして名残惜しいことだが、ついにすべてを食べ尽くしてしまった。

 まだ食べたいような気もするが、もう丼にはタレや具材が残っていない。

 残念だが、これで楽しい夜食の時間は終わりだ。


「実に美味しかった。ところで、今日この場所で初めて屋台をやっていると聞いたが……」


「ええ、いつか店舗を持ちたいと思って、自分で考えた麺料理を、今日初めてこの屋台で出してみたんですよ」


「店主はどこの出身かな?」


「ブライヒブルクです。このバウルブルクなら、まだ市場が飽和していないので新しいお店が出せると思ったんです」


「なかなかに目の付け所がいいと思う。麺料理も素晴らしい美味しさで完成度も高い。ところでこの麺料理とよく似たものを王都でも見かけたのだが、それを参考にしているのかな?」


「そうだったんですか? たまたま偶然じゃないですかねぇ……」


 拙者の質問に、あきらかに動揺する店主。

 普通のブライヒブルクから出てきたばかりの若者が、いきなりこれだけの美味しい麺料理は作れないはずだ。

 しかもこの麺料理、使われている食材や調味料が特殊で、これから屋台を開いてお金を貯めて飲食店を開こうと考えている若者が用意できるはずがない。

 なにより、さすがにこれだけの時間店主と話をしていると、いくら布巾で髪を隠そうともサングラスとマスクで顔を隠そうとも、その正体は容易に知れるというもの。


「ところでお館様、こんな時間に一人でなにをやっていらっしゃるのですか?」


「えっ? 僕はバウマイスター辺境伯様じゃないよ」


「いや、さすがにもうバレてますよ」


「………なぜだぁーーー!」


 布巾、サングラス、マスクを外すと、やはり店主の正体はお館様だった。


「お館様。いつの間に移動式の屋台やら、提供する料理まで用意していたんです?」


 このところあまり休みもなかったというのに、まさか拙者に知られないよう、これほど本格的な料理を屋台で提供する準備をしていたとは……。

 

「よくぞ聞いてくれました。ローデリヒよ。人間には万が一の時の備えが必要だと思わないか?」


「まあミズホでも、 備えあれば憂いなしと言うそうですからな」


 前に、エルヴィンの妻であるハルカに教えてもらった、ミズホの格言だ。


「だからだよ。俺はバウマイスター辺境伯として今のところは上手くやっているけど、この世は栄枯必衰。将来なにがあるかわからない。いつヘルムート王国の政治状況が変わり、邪魔者扱いされた俺が爵位と領地を失うかもしれない。そこで俺は考えました。その時はこうやって飲食店を開業すれば良いのではないかと。そこでまずは、屋台で俺が考えた料理を提供してその反応を見てみようと思ったわけだ」


「はぁ……」


「えっ? どうしてそんなため息つかれるの? 俺」


「お館様、あなたが領地も爵位を失って、屋台を引いて生活する可能性なんてほぼゼロです! まずあり得ませんから」


 ヘルムート王家と二重で婚姻関係を結ぶ予定のお館様が、領地と爵位を失う可能性などまずあり得ないし、仮にもしそうなったとしても、すぐにアーカート神聖帝国がお館様を引き抜くでしょうから。

 なにより、ヴァルド殿下はお館様を親友だと思っていますし……あの人は他に友達がいませんからねぇ……。

 余計にお館様を手放さないでしょう。


「というわけなので、明日も予定がびっしりと詰まっていますから、あまり夜更かしをされませんように。では拙者はこれで」


 まさか館の近くとはいえ、お館様が夜の町中で屋台を引いて麺料理を売るなんて想定外だった。

 エリーゼ様たちは止めなかったのか?

 いや、こっそりとやっているんだろうな。

 しかもその理由が……考えすぎだと思うのだ。


「本当はもっと凝った料理を出したかったんだけど、なかなか時間が取れないから簡単に作れる油そばにしたのに……。実はこの料理、汁がある麺よりもコストも手間もかからずに出すことができるから利益率が高いんだぜ」


「そうなのですか……」


 それにしても、たまにお館様は訳のわからないことをなさる。

 万が一領地と爵位を失ったのなら、魔法使いとして稼げばいいような気がするのだが、飲食店の開業に拘りがあるのだろうか?

 拙者がお館様に屋敷に戻るように頼むと、すぐに屋台を閉めて自分の屋敷に戻って行った。

 明日も大切な仕事があるので、早く休んでいただかないと。

 お館様の魔法があればこそ、バウマイスター辺境伯領の開発は順調に進んでいるのだから。

 

「拙者も屋敷に戻るか」


 思わぬアクシデントがあったが、美味しい物が食べられたのだからよしと考えた拙者であったが、実はこのあと思わぬトラブルに見舞われることとなった。





「旦那様、おかえりなさいませ」


「ローデリヒ様、今日もエリーゼ様から教わった料理を作ってみました。是非召し上がってくださいね」


「ありがたくいただくよ……」


「旦那様、どうかされましたか?」


「ああいや。お腹が空いたので、早く食べたいなと思っただけだ(まずい、もうお腹が……)」


 ただ唯一の誤算は、お館様が作った油そばまでならよかったのに、追い飯を頼んでしまった結果、お腹がいっぱいになってしまったことだ。

 さて、どうやって妻たちの作った夕食を完食しようか。

 これは胃薬が必要かも。

 しかしながら、あの油そばはとても美味しかったな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る