閑話31 アナゴ、ハモ、ドジョウ(その3)
「見事な田園風景ですね。ザンス子爵領にはなかったものです」
「アーシャ、ザンス子爵やミスマさんが元気だった?」
「はい。世界樹周辺の土地も得たので、父はその開発で忙しいようです」
「猿酒の製造もあるから大変そうだな」
「猿酒はよく売れますし、父は土地の開発、母は猿酒の製造指揮と、仕事を分担しています」
所用で故郷であるザンス子爵領へと戻っていたアーシャが、バウマイスター辺境伯領へと戻ってきた。
話を聞く限り、ザンス子爵領の開発は順調なようだ。
アーシャは俺の妻になるけど、あまり焦っても仕方がないということで、今日は二人でバウマイスター辺境伯領の名物になりつつある、広大な田園風景を眺めていた。
デートでもあるし、俺は普段は忙しい。
エリーゼが気を利かせてくれたので、二人だけでノンビリ田園風景を眺めたり、小川で釣りをしたりと、楽しい時間を過ごせている。
アーシャは世界樹の上でずっと暮らしていたのでこういう景色は珍しいらしく、ずっと田園風景を眺めていた。
「また釣れました!」
「……」
どういうわけか、俺が他人と釣りをするとなかなか釣れなくなるジンクスが健在のままなのは残念だったけど。
「しかし、のどかだ」
この田園風景を眺めていると、まだ生きているはずの祖父母(前世)の実家を思い出す。
子供の頃は毎年帰省して、田んぼ脇の用水路で小鮒やザリガニを取ったものだ。
「ザリガニっているのかな?」
釣りを中断して近くの用水路を確認するが、実は日本では特定外来生物に指定されているアメリカザリガニはいなかった。
小鮒や小さな鯉、よく見るとナマズもいるな。
他にもどんな生物がいるのか、魔法の袋から網を取り出してガサガサと用水路の底を漁り始める。
すると、泥の他になにかニョロニョロと蠢くものが多数。
泥を用水路の水で洗ってその正体を確認すると、ドジョウによく似た生物が数匹入っていた。
「(ドジョウだけど、結構な大きさだな)」
この世界はどんな生物でも大型になる傾向があるので、二十センチ弱のドジョウくらいだとそこまで珍しくもないか。
「バウマイスター辺境伯様、なにを捕まえたのですか? 不思議なお魚ですね」
ドジョウのようなニュルニュルとした生物を見ても動揺したり悲鳴を上げることもなく、むしろ興味深そうに網の中を覗くアーシャ。
これまで世界樹の上で生活をしていたから、これまで一度も見たことがない魚を見て珍しいのと、この世界の女性はウナギやドジョウを見ても驚かないのが凄いと思う。
でも大貴族のご令嬢なら悲鳴をあげそうな……エリーゼは違うけど、やはり例外なのかな?
テレーゼも大丈夫だからなぁ。
ドジョウを見て悲鳴をあげそうな女性は俺の奥さんになれない、のかもしれないけど。
「これだけ大きいのならイケるか?」
「バウマイスター辺境伯様、このお魚は食べられるのですか?」
「食べられるよ」
念のため、『探知』で毒を探ってみたけど、実は異世界のドジョウは毒ドジョウでした、なんてことはなかった。
「ただ、美味しく食べるには泥抜きをしないといけないから、今日は採取するだけだな」
「お手伝いします。網で掬えばいいんですね」
「泥に潜っているから、泥ごと掬って、この水を張ったバケツに入れてくれ」
「わかりました。沢山獲りますね」
女子はドジョウ獲りなんて嫌がるかと思ったら、本人は水深の浅い用水路に入って、楽しそうにドジョウ獲りを始めた。
「網に入りました。ニョロニョロして不思議な生き物です。世界樹にはいませんでしたから」
世界樹には、ウロに長期間水を湛えた池のような場所も多かったが、そういえば魚は生息していなかったな。
珍しいから、生理的嫌悪感もクソもないのか。
アーシャはドジョウを直に触っても悲鳴をあげるどころか、一度に沢山掬えるととても嬉しそうな表情を浮かべている。
ドジョウを素手で持って、水を張ったバケツに入れるのも苦にならないようだ。
『キャーーー!』とか、『気持ち悪くて触れなぁーーーい』とか、令和日本の女子が言いそうなセリフは吐かなかった。
「俺も負けないように……これは大きいな!」
大きなドジョウも小さなドジョウも獲れるが、どちらも料理には使うので水を張ったバケツに入れていく。
「生かして持ち帰るんですね」
「死ぬと、たちどころに鮮度が落ちて生臭くなってしまうんだ」
「バウマイスター辺境伯様は色々と知っているんですね」
「どうかな? むしろ知らないことの方が多いような気がするけど……」
その後も二人で童心に返って、用水路のドジョウ獲りを続ける。
バウマイスター辺境伯領の田んぼでは農薬なんて撒かないし、他にライバルがいないので、ドジョウは沢山獲れた。
「こんなものかな。これを活かしたまま持ち帰るのさ。アーシャ、屋敷に戻ろうか?」
「はい」
沢山のドジョウが獲れたので、俺たちは『瞬間移動』で屋敷へと戻った。
すぐに中庭にある生け簀へと向かい、獲れたドジョウを籠に入れて、地下水が豊富に湧き出している生け簀に沈める。
綺麗な地下水なので、ドジョウは元気なままだった。
「ドジョウをそのまま生け簀に放つと、また捕まえるのは大変だから、こうやって籠に入れてから生け簀に沈めておく。ウナギも同じだ」
「それで死なないものなんですね」
「生命力が強いからこそ、 ウナギは滋養に富んでいると言われて、王都では人気があるからね」
ウナギの栄養価の高さは昔から知られていたが、調理方法が微妙だったので、年寄りしか食べない、滅びつつある伝統食だった。
今では蒲焼のおかげで、年に一度は『リバー』でウナギの蒲焼を食べたいと、王都の住民たちが話をするくらいには人気になっているけど。
「ウナギなら食べさせてもらいましたがとても美味しいですよね。ドジョウは小さいけど、ウナギに似ているから栄養があるんですね」
確か、昔の日本ではウナギ一匹とドジョウ一匹の栄養は同じなんて言われていたとか。
事実だとは思わないが、そのぐらいドジョウには栄養があるという証拠だろう。
江戸時代、ドジョウは庶民の味だったらしいから。
「なにより、ドジョウはウナギに比べると脂が少ない。太るのを気にする女性には、絶好の食材というわけだ」
カロリーが低くて、ウナギと同じような効果があるのだから。
「ただ、そのまますぐに食べると泥臭いので、こうやって三日ほど、他の川魚と同じく綺麗な地下水に晒して泥抜きをするのさ」
屋敷の中庭にある生け簀では、ウナギ、コヌル(鯉)、ナマサ(ナマズ)、フーハ(フナ)、ポンカメ(スッポン)、川エビ、ヌマチチブに似たハゼ等々が、常に入れられて泥抜きをされていた。
いつでも食べられるよう、俺が魔法で地下水を掘り、生け簀を作っておいたのだ。
俺たちは毎日食べるわけではないけど、屋敷の使用人たちや、屋敷に詰めている家臣たちの食事の材料として消費されている。
「ドジョウの料理は三日後ですね。楽しみです」
そして三日後。
無事に泥抜きを終えたドジョウを調理することにする。
「鍋にします」
昔、会社の接待で食べたことがあるドジョウ鍋にしようと思う。
「まずは、ドジョウをそのまま煮込む丸鍋だ」
ドジョウが名物の浅草では、ただ単に『まる』とか、『男鍋』とも呼ぶらしい。
ウンチク上司から聞いたことがある。
ウナギのようにドジョウを開かず、骨や内臓ごと煮込んでしまう。
骨が口に当たらないよう、柔らかくなるまで煮込まないといけないし、ウナギと同じくドジョウのヌルヌルは生臭さの原因になるので、これは下処理をして取り除かないといけない。
「大きなドジョウは骨がなかなか柔らかくならないから、丸鍋は小さなドジョウのみで作るけど、まずは活きたままのドジョウをお酒に浸して酔わせます」
お酒でさらに泥抜きをしつつ、酔わせて動きを鈍らせ、調理しやすくするためだ。
「大きめの鍋に小さなドジョウを活きたまま入れて、ここにドバドバと酒を注ぐ!」
ちょっと勿体ない気もするが、これも美味しいドジョウ鍋のためだ。
「もの凄く暴れますね」
「蓋をしてしばらく待てば、すぐに酔っ払って動けなくなるさ」
導師みたいなドジョウがいたらなかなか酔っ払わないかもしれないけど、さすがにそんなドジョウはいないだろう。
しばらく大量のお酒を入れた鍋の中で大暴れしていたドジョウたちだが、すぐに酔っ払って大人しくなった。
「これをザルにあげてから、塩を振ってよく揉みます。そして水でよく洗い流してヌメリを取る」
これは、残りのヌメリを取るためだ。
ヌメリ由来の生臭さというか風味を好むツウもいると聞くが、初心者はちゃんと下処理をして食べた方がいいと思う。
「次に、綺麗になったドジョウを味噌で下茹でします」
これも生臭さを取るためと、一番の目的はドジョウの骨を柔らかくすることだ。
「バウマイスター辺境伯様、それは?」
「ミリンだよ。ミズホ産の調味料さ」
本当は下茹でには甘い江戸味噌を使うのがいいらしいが、この世界でそう簡単に手に入るものではなく……今度ミズホで探してみようかな……普通の味噌にミリンで甘さを足して煮ていく。
「弱火でコトコトと一時間ほど。グラグラ沸かし過ぎると、 柔らかく煮えたドジョウの身が崩れてしまうから注意して」
そして一時間後。
ドジョウは柔らかく煮えた。
「底の浅い鍋に下茹でしたドジョウを並べ……身が柔らかくなっているから、崩さないように注意して……ここに、昆布出汁、醤油、酒、砂糖で作った割り下を注ぐ。さらにその上に、刻んだネギをたっぷりと載せてから煮ていく」
ネギは臭み消しの目的もあるので、水にはさらしていない。
いつも使っている中庭のテーブルの上で、魔導コンロに載せたまる鍋がグツグツと煮えていく光景を見ると、昔接待の席で食べたのを思い出す。
「元々十分に下茹でしてあるから、ネギにある程度火が通ったら完成だ」
アーシャと二人で椅子に座りながら、ドジョウの丸鍋を囲む。
なんというか、大人のデートって感じだな。
「まずは、そのまま味を見てくれ」
「美味しそうですね。はふはふっ、骨まで柔らかくてとても美味しいです。全然生臭くないですね」
「どれどれ……。この味だ!」
会社の接待で食べた浅草の老舗に比べるともう少しかもしれないが、再現度はかなり高いと思う。
やはり丸鍋は、小さなドジョウを使った方が骨が当たらなくていいな。
「お好みで、山椒と七味唐辛子を入れてくれ。ああ、あと」
「事前に炊いておいたご飯と、ドジョウ汁もあるよ」
ドジョウ汁だが、お酒に酔わせたドジョウを水と味噌とミリンで煮て、ドジョウの身と骨が柔らかくなったら、ここにささがきゴボウを入れてさらに煮込んで完成だ。
「ドジョウの旨味が出ていて美味しいです」
ドジョウの丸鍋とドジョウ汁でご飯を食べると、実に美味しい。
ウナギに比べると脂が少なくてサッパリしているから、ハモと同じく女性や老人にウケるかもしれない。
「次は、同じく酒で酔わせた大きなドジョウを開いて、中骨と頭、内蔵を取り除きます」
小さなドジョウを裂くのは大変だけど、バウルブルクの職人が作ってくれた小さなナイフの切れ味のおかげでなんとかなった。
「やはり底の浅い鍋に、まずはささがきゴボウを敷き、その上に開いたドジョウの身をのせる。割り下を注いでから、さらに刻みねぎをタップリとのせ、ドジョウの身の赤さがなくなったら完成だ」
開いたドジョウの身を使う『ぬき鍋』は、骨が柔らかくなるまで長時間煮る必要がないのですぐに完成した。
浅草では、『 抜き』、『裂き』、『女鍋』などとも呼ばれているそうだ。
「こちらは、ドジョウの身の歯ごたえが残っていて別の美味しさですね。どうして同じドジョウ鍋なのに二つも作るんだろうと思いましたが、これなら両方楽しめます」
どじょう鍋って、丸鍋とぬき鍋でかなり食感が違う。
やはりツウは、両方楽しんでこそだろう。
と、一度しかどじょう鍋を食べたことがない俺が言ってみる。
「ぬき鍋には、こんな楽しみ方もあるから」
やはりドジョウ鍋を食べるなら、柳川鍋を食べなければ。
残ったどじょうの身と煮えたささがきゴボウを、ホロホロ鳥の卵でとじる。
これをご飯の上にのせて食べると、実に美味しいのだ。
「ホロホロ鳥の卵を使ったドジョウ鍋は、万人にウケそうな気がします」
「それはあるかも」
丸鍋の場合、どうしてもそのまま煮えているドジョウが気になってしまう人が出てしまうだろうからだ。
その点『柳川鍋』なら、ゴボウと卵でドジョウが隠せるのだから。
「とても美味しかったです」
「じゃあ、今度はみんなでドジョウを獲って、それを調理して食べよう。ドジョウは、蒲焼き、唐揚げなんかも美味しいから」
「楽しみですね」
二人だけで過ごしてアーシャとも仲良くなり、後日、みんなで同じ田んぼに出向いてドジョウを獲って遊び、料理して食べたけどとても好評だった。
カタリーナはウナギの脂を気にしていた口なので、ドジョウ派に転向したくらいだ。
「ドジョウなら、食べ過ぎても太らないので問題ありませんわ」
「いや、どんな食べ物でも食べ過ぎれば太るだろう……」
残念ながら、エルの正論はカタリーナに聞こえなかった。
まあ、同じ量のウナギを食べるよりは……。
「しかしまぁ、辺境伯様もオツな料理を思いつくじゃないか。煮えているこいつを突きながら、酒を飲むと最高だぜ」
「〆で、ご飯にのせて食べても美味しいのである!」
ブランタークさんと導師のオジサン組にも好評なので、今度リバーの店主にも教えてあげようかな。
「父上ぇーーー、ドジョウが獲れました」
「ニュルニュルぅ」
「沢山捕まえるぞぉ」
フリードリヒたちもドジョウ獲りを楽しんでいるので、田んぼでドジョウを見つけることができてよかったと思う。
さらに、リバーの店主に教えたのがよかったのだろう。
リバーでもドジョウ料理が名物となり、俺もそうそう自分で調理できないので、食べに行けるお店が増えてよかった。
「ヴェンデリンよ。なにをしておるのだ?」
「お鍋に水と豆腐と生きたドジョウを入れて徐々に熱していくと、お湯の熱さに耐えられなくなったドジョウが豆腐に潜り込んで力尽き、煮える、という料理をなにかの書籍で見たので試しているんだけど、ドジョウは豆腐に潜る前に煮えてしまうな」
どじょう豆腐、地獄鍋と呼ばれているものだ。
気になったので試しているんだが、どうも上手くいかない。
「その情報は事実なのか? そう都合よく、ドジョウが豆腐に潜る込むとは思えぬが……」
「だよなぁ」
ドジョウ豆腐という料理は普通に成立するが、ドジョウが豆腐に潜り込むことはない。
残念ながら、この料理だけは再現できなかった。
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