閑話31 アナゴ、ハモ、ドジョウ(その1)
「ヴェル、こんな夜になにを釣ろうとしているんだ?」
「俺にはちゃんと目的としている魚がいて、ここにいるのか実際に釣って確認しようというわけだ。事前の調査で、昔よく似た特徴の魚が釣れたと、近くの村の長老が教えてくれた。今は、餌を付けた仕掛けを下ろして天に祈ろうではないか」
「そんな不確実な情報で、俺はつき合わされているのかよ……」
「エルは俺の護衛だから諦めろ」
「へいへい……。しかし随分と沢山の竿を出すんだな。でもどうして、竿の先にミズホで購入した鈴をつけておくんだ?」
「今は暗いから、アタリが出て竿が曲がるのを視認しにくい。鈴をつけておけば、アタリがあると鳴って知らせてくれるというわけさ。魔道具のヘッドライトも用意しているが、出している竿の数が多いから、全部の竿に気を配るなんてできないしな」
「なるほどな」
急にアナゴが食べたくなったので、近くに大きな川の河口もある海岸でアナゴ釣りを始めた。
白焼き、天ぷら、煮アナゴ、蒲焼き、アナゴの出汁巻玉子、アナゴの茶碗蒸し、アナゴとキュウリの酢の物、アナゴ寿司等々……。
前世に食べたアナゴ料理の数々を思い出し、これを再現しなければと気合を入れる。
この世界では、海に繋がった河川でなら、比較的簡単にウナギは獲れる。
だが、アナゴは海に出ないと獲れない生き物だ。
そしてアナゴの生息域は、温帯から熱帯が主とされる。
古き日本に類似しているミズホ人が漁をする北の海ではそれほど獲れないうえに、他のメジャー級の海産物に比べると人気がないそうで、ミズホ人はあまりアナゴを食べなかった。
ウナギの下位種という評価だ。
あまり獲れないのに値段も安い。
もう一つ。
北の海で獲れるアナゴは大型でその身は少し水っぽく、骨が多いので食べるにはハモのように骨切りが必要であり、皮が分厚く噛み切るのにも苦労するという。
俺は見たことも食べたこともないが、その特徴から察するに、日本にも生息しているクロアナゴに似たアナゴなのだと思う。
確かにクロアナゴでは、アナゴの評価が落ちてしまっても仕方がない。
やはり、アナゴと言えばマアナゴだと思う。
もしくはそれに似たアナゴを探すべく、俺は情報を集めていた。
そして今夜、早速王国西部の海岸で何本もの竿を下ろして実際に釣れるか試しているわけだ。
これまで何度か同じように仕掛けを下ろしているが、マアナゴが日本各所の海に生息しているので、この世界でも広範囲に分布しているものだとばかり思っていたら、釣れるのはクロアナゴ、ヨーロッパアナゴに似た大型のアナゴばかりで、これならわざわざ釣って食べる価値はない。
『この世界には、マアナゴがいないのか?』と諦めかけていたその時、バウマイスター辺境伯家と取引きがあった西部の商人が、西部にある小さな村の長老がマアナゴに特徴がよく似た魚を釣ったことがあるという情報を覚えていた。
たまたま世間話で聞いたそうだ。
なんという偶然!
これは神様が、俺にマアナゴを食せと言っているに違いない。
というわけで、俺とエル、そしてフィリーネとアグネスたちは夜釣りをしているわけだ。
「先生、竿をセットして、竿先に鈴をつけておきました」
「釣れるといいですね」
「どんな魚が釣れるんだろう」
「楽しみですね」
アグネスたちとフィリーネは、早くマアナゴがかからないかワクワクしながら、折り畳み式の椅子に座り、お茶とお菓子をつまみながらその時を待っていた。
三十本もの竿を使っているが、アタリがなければ、たまに仕掛けの餌が落ちていないか確認するのみ。
暇なので、自然とこうなってしまう。
「ヴェンデリン様が塗ってくれた忌避剤の効果で、本当に蚊に刺されませんね」
「近くで蚊取り線香も炊いてあるから、滅多なことで蚊に刺されないさ」
「昔、故郷の村にいた時は、よく蚊に刺されていましたから。蚊に刺されると、あとで痒くて痒くて大変なんです」
「蚊は鬱陶しいよなぁ」
「気がつかないうちに刺されていると、とにかく腹が立ちますよね」
「本当、『いつの間に!』ってなるな」
フィリーネは、夜に外にいても蚊に刺されないことを喜んでいた。
夜に人気のない自然だらけの海岸で釣りをしていたら、ほぼ間違いなく蚊に刺されてしまう。
釣りのみならず、この自然だらけの世界において、農民も、猟師も、冒険者も、村や町の住民ですら、蚊に悩んでいる人は多かった。
特に女性は、お肌が蚊に刺された跡ばかりになってしまうと、色々と辛いものがある。
バウマイスター騎士爵領でも蚊の被害は深刻であり、俺は子供の頃から、蚊が近寄ってこなくなる忌避剤を独自に調合していた。
ただ、転生したばかりの俺では殺虫成分がある薬草がわからず、 刺激の強いハーブ系の野草を独自に配合して自作していたので、最初はあまり効果がなくて蚊に刺されまくったりと苦労し、何度も作り直してようやく満足できる忌避剤を作れるようになっている。
そして最近、ようやくミズホから除虫菊を材料にした蚊取り線香が輸入できるようになり、忌避剤と組み合わせると、滅多に蚊に刺されなくなった。
蚊取り線香は、狩猟や魔物狩りでは使えないけど、釣りなら使える。
蚊に刺されると痒いだけでなく病原菌を媒介することもあるので、もしフリードリヒたちが病気にでもなると困るから、屋敷や庭でもよく使うようになった。
ミズホに除虫菊があるなんて、本当にミズホは日本によく似ている。
「あっ、先生! 鈴が鳴りました!」
「鈴が鳴った竿はどれかな?」
頭につけた魔力で光るヘッドライトを頼りに、かなりの広範囲に置いた三十本もの竿の中からアタリがあった竿を見つけ出し、それを急ぎ巻き上げる。
すると強い抵抗があり、なにかかかっていることは確実であった。
「ようし、かかってるな」
しかも、なかなかの手応えだ。
バラさないよう慎重に、他の仕掛けとお祭りしないように素早く巻き上げると、針には長い魚がついていた。
そのシルエットから察するに、これは間違いなくアナゴ……だと思ったら……。
「ウナギか……」
この海岸は大きな川の河口にも近いので、ウナギが釣れてもおかしくはないのか。
「先生、よかったですね」
「しかしながら、今日の目的はこの魚じゃないんだ。形はとてもよく似ているんだけど……」
さすがはこの世界の女性というべきか、ベッティが釣ったウナギをバウルブルクの職人に作らせたメゴチバサミで挟みながら、同じく職人に作らせたプライヤーで器用に針を外した。
そして再び、餌である少し古くなった魚の切り身を針につけ、リール竿を振って仕掛けを同じポイントに投げ入れる。
この世界の女の子は実にたくましい。
魚を見ても、『触れなぁーーーい』とか言わない……大貴族の令嬢なら言うのかな?
エリーゼとテレーゼが、そんなことを言っているのを聞いたことがないけど。
「いつもならウナギが釣れれば大喜びなんだけど、今日はそれほどでもないというのが悲しい」
前世の記憶で考えれば、 最近漁獲量が落ちているとはいえ、まだまだ安価なマアナゴよりも高価なウナギなのであろうが、この世界ではウナギの方が簡単に食べられた。
この世界に転生して十年以上。
ようやくマアナゴのヒントを得られたところなので、一刻も早くマアナゴを釣りたかったのだ。
「とはいえ、このウナギも持ち帰るけど」
釣れたウナギを水を張った大きなクーラーボックスに入れ、あらてめてアナゴを待つ。
今日はエル、フィリーネ、アグネス、シンディ、ベッティと人数も多く、投げ入れた仕掛けの数も多い。
必ずマアナゴが釣れるはずだ。
「しかしヴェルよ。この村の近くに住む長老が、釣れるけど誰も食べないって言ってたんだろう? ミズホの同種は、 大きくて、骨が多くて、皮が固いから人気がないってハルカさんも言っていたし、釣る価値あるのか?」
「大丈夫だ。長老が大昔に釣ったと言っていたアナゴは、体は褐色で側線上に白い点線が並んでいたと言っていた。ミズホ人がほとんど食べないと言っていたアナゴとは別種だよ」
「そうなのか。詳しいんだな」
長老が釣ったと言っていたアナゴは、まさにマアナゴの特徴そのものであった。
大きさも小さめで、少なくともミズホ人が北の海で釣っているアナゴとは別種のはず。
「あっ! 鈴が鳴ったぞ!」
「ヴェンデリン様、こっちもです!」
「先生、次々と鈴が鳴り始めましたよ」
「では、教わったとおりに作業を進めてくれ」
鈴が鳴ったリール竿を巻いて、針に獲物がかかったのかを確認。
俺も、駆けつけた竿のリールを巻いて、針に魚がかかっているのかを確認する。
すると、先ほどと同じく細長い魚がかかっていた。
よく見ると、マアナゴにそっくりと言うか、マアナゴそのものがかかっていた。
「やったぜ!」
マアナゴは顎の力がとても強いので、噛まれると大変だ。
必ず軍手をし……これも、バウルブルクで量産させているが、どのような作業にも使えて便利なのでとてもよく売れていた……メゴチバサミで挟みながら、プライヤーで針を外す。
そして水の入った大型クーラーボックスに入れると、マアナゴはすぐに大人しくなった。
他の魚と違って、そこまで積極的には泳がないからだ。
「先生、なんかこの魚、怖くないですか?」
「そうかな? ウナギとそんなに変わらないと思う」
多少凶悪な顔をしているように見えるが、こういう魚の方が美味しいのはお魚あるあるだ。
「先生、釣れました!」
「こっちもです!」
「次々と鈴が鳴ってる! 忙しくなるよぉ」
「うわっとと、ウナギに似ていてヌュルヌュルしてますぅ」
食い気の立つ時間となったのか。
ウナギが釣れてから数分ほどで、次々と竿先につけた鈴が鳴り始めた。
俺たちはリールを巻き、かかっていたマアナゴを外し、クーラーボックスに放り込んでいく。
そして、わざと常温で放置して臭ってきた魚の切り身を針につけて、再び海に投げ込んだ。
アナゴの餌には、臭いの強い餌が効果的だ。
「ヴェンデリン様、いっぱいいるみたですね」
「これまで、誰も釣ってないからだろうな」
近くの村の長老ですら、若い頃に一回しか釣ったことがないと言っていたから、マアナゴは需要がないのであろう。
この海では他の魚が沢山獲れるので、わざわざ見映えの悪いマアナゴを食べようと思わないというのもあるのか。
「先生、このお魚はウナギに似ているので、同じくらい美味しいのですか?」
「ウナギほど脂が多くないけど、サッパリとしていて、別の美味しさがあるのさ」
「へえ、そうなんですね」
アグネスが興味深そうに、クーラーボックス内で泳ぐマアナゴを見ていた。
大型のクーラーボックスの中には、数十匹のマアナゴと、数匹のウナギが元気に泳いでおり、酸欠にならないよう、魔力で動くエアレーションで酸素を補充するのを忘れない。
これも、俺がバウルブルクの職人たちに命じて作らせたのものだが、魚を飼育している貴族や、漁業関係者、鮮魚を扱う商人、飲食店によく売れるようになった。
味は別として、やはり生きている魚をすぐに捌いて調理する商売手法は大人気だからだ。
ちゃんと締めてから冷やせば味は落ちないんだが、お客さんは生きている魚を目の前で調理してくれる方が嬉しいもの。
そういう店舗に、魔力で動くエアレーションはよく売れていた。
「もう一つ生かす理由があって、マアナゴの臭みを取る効果があるんだ」
マアナゴに餌をやらず、綺麗な海水で一日生かしておく。
すると、お腹の中が空になって、調理しても臭みが出ない。
これは、日本のマアナゴ漁師が実際にやっていることであった。
「先生、沢山釣れました」
「これだけ釣れれば、みんなで食べられますね」
シンディとフィリーネも、次々と釣れるマアナゴを見ながら満足げだった
「でも先生、どうしてこの近くの村に住んでいる人たちは、このお魚を食べないのでしょう? 試食くらいしても……」
「それだけ、他の魚が沢山獲れるんだろう。わざわざ細くてニュルニュルな魚に手を出さないくらいには」
現代日本でも、美味しいけどあまり食べる人がいない未利用魚なんて沢山いる。
そしてそれが注目されるようになるのは、これまで食べていた魚が獲れなくなった時とかだ。
残念な話だけど、俺ができるのは貴族として魚が獲れなくならないよう、漁獲制限をかけたり、禁漁期を作ったり、養殖技術の開発を命じたりするのが限界だった。
「誰も食べてないけど、実は美味しいものですか」
「そういう食材が、まだ沢山あるはずなんだ」
俺の場合、前世で食べた美味しい食材を探しているだけだけど。
あと、毒を魔法で探知できるから、少なくとも未知の食材を探す過程で毒で死ぬことはない。
恐ろしく不味い食材を食べて悶絶したことはあるけど。
「先生は、お兄さんよりも圧倒的に飲食店経営者に向いてますよ」
「ベッティのお兄さん、腕はいいんだけどなぁ……。さて、これだけ釣れれば十分だな」
大型のクーラーボックスには、さらに釣れ続けて百匹を越えるマアナゴが泳いでいた。
エアレーションのおかげもあって、みんな元気だ。
「明日、このマアナゴで料理を作ろう」
無事にマアナゴの生息地を発見し、大量に釣ることができた。
まさかこの世界のアナゴはあまり美味しくない大型種が主流で、マアナゴの生息地が限られていたとは……。
ここ以外にも生息地はあるはずなのでそれは探し続けるとして、今はマアナゴ保護のため、このポイントを秘密にしなければならない。
決して、俺がマアナゴを食べられなくなるのが嫌なんて理由じゃないぞ。
俺は環境に優しい男なんだ。
とにかく、無事にマアナゴが釣れてよかった。
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