第二十九話 母

「うぬぬっ……まるでゴキブリのような人間どもめ! こちらが懸命に配置している魔物たちをぉーーー! どうしてくれようか!」



 わずか数ヵ月にして、これほどの魔物たちが人間たちによって狩られてしまうとは……。

 いまだ人間が制圧した領域は狭いが、このままではなし崩し的に人間によって土地を奪われてしまう。

 一万年以上昔と同じく、奴らは大地を汚し、他の生き物たちを殺してしまうであろう。

 始祖様より命じられたこの大陸の自然を保つことができなくなってしまう。


「さて、どうするか……」


 すでに人間によって解放された土地に、新たに魔物を送り込むことはできない。

 なぜなら膨大な労力を使ってしまうからだ。

 さらに強い個体を送り込むか?

 これまで、人間の中でも多くの戦闘力を有する『魔法使い』たちによってその多くが殺されてしまった。

 同じ結果になる可能性が高いか。


「手駒の魔物たちだけでは……そうか! ワシ自身が、優れた魔法使いたちを倒せばいいのだ!」


 創造主様より授かったこの力を用い、あの忌々しい軍勢と、暴れまわっている魔法使いたちを殺すのだ!

 さすれば、人間たちも恐怖のあまりこれ以上の進撃を控えるはずだ。


「それがいい。創造主様よりワシが授かった力をとくと味わうがよいわ!」


 今のうちならば、連続して領域を開放していい気になっている人間たちの肝を冷やすことができよう。

 人間の魔法使いどもめ!

 必ずや、この大陸の環境を守るために殺してくれよう!

 首を洗って待っておれ!




「お父様、ただいま戻りました」


「おかえり、アーシャ。今日もバウマイスター辺境伯殿はお元気だったかい?」


「はい。今日もバウマイスター辺境伯様から色々と教わりました」


「そうか。それはよかった」




 今日も先生と魔法の訓練を……じゃなかった。

 魔法を教わっている時以外は、バウマイスター辺境伯様とお呼びしなければ……。

 魔法の訓練は順調だと思う。

 結局私は放出魔法を素手や杖を用いて放てなかったけど、杖を弓と同じ形状のものに切り替えたら、矢を中心点として広範囲に作用する放出攻撃魔法を使えるようになった。

 魔力量も上がり、これはバウマイスター辺境伯様のおかげであった。 

 これまでの魔法使いとしての私は、魔力量の伸び悩みと、他に魔法使いがいないゆえの独学に限界を感じていたからだ。

 でもそれは、バウマイスター辺境伯様のおかげで無事に解決されたのだ。

 ザンス子爵領の経済状態もよくなり、あの方には返しきれない恩がある。

 これからもずっと一緒にいたかったのだけど、もうすぐバウマイスター辺境伯様の魔法の訓練がなくなってしまう。

 あの方はお忙しいから仕方がないのだけど、それを思うととても寂しい気持ちになってしまった。

 私はまだまだ、バウマイスター辺境伯様から魔法を習いたい。

 いえ、魔法のみならず、バウマイスター辺境伯様は私をバウルブルクの町に連れて行ってくれたり、観光案内をしてくれたり、美味しい料理やデザートを出すお店に案内してくれたりした。

 ザンス子爵領にはお店なんてないし、同年代のみんなは私が族長の一人娘なのでどうしても遠慮してしまう。

 そのせいで私には一人も友達がおらず、結局私の立場をあまり気にしないのは、私よりも偉いバウマイスター辺境伯様だけであった。

 私を、普通の女性扱いしてくれたのだ。

 でも、バウマイスター辺境伯様は私のお婿さんを探しているのだという。

 それはとても大切な大貴族の責務だと理解はしているけれど、私は嫌だった。

 私が他のお婿さんを迎える準備を、バウマイスター辺境伯様が……。 

 他の人ではなく、バウマイスター辺境伯様が私の旦那様なら……でも、バウマイスター辺境伯様には、エリーゼ様を始めとするとてもお美しい奥様たちが……。

 私のような女が、バウマイスター辺境伯様の奥さんになれるわけがない。


「アーシャ、ミスマの様子を見に行ってくれないか?」


「お父様も一緒に行かないのですか?」


「私は……」


「いい加減、仲直りされたらどうなのです?」


 一年ほど前、お父様とお母様は喧嘩をして別居となってしまった。

 世界樹のかなり高い場所でお父様の名代として猿酒を造っているのだけれど、いまだバウマイスター辺境伯様に挨拶すらしていないし、みんなは二人が離婚したのだと思っていたし。

 一人娘である私としては……私に兄弟がいれば……そこまで夢見ていないけれど、せめて仲良くしてほしいのだ。


「そのうちにな。ミスマによろしく」


「わかりました」


 私は、バウマイスター辺境伯様からいただいたお菓子や化粧品、小物などを持って世界樹を駆け上がって行った。

 お母様の住居の前に到着すると、彼女は古酒が入ったウロの様子を見ていた。


「お母様」


「アーシャ、久しぶりね。エルフ族ではなくザンス子爵家になってから、私はまだ一度も屋敷に降りていないから」


 お母様は、一言で言えば職人気質であった。

 特に猿酒の古酒造りには一家言あり、今も住居の横にある古酒が入ったウロの様子を見ている。


「最近、猿酒の注文が多いみたいね」


「はい」


 とはいえ、大半が一年間発酵させた新しいお酒であった。

 古酒は造るのに時間と手間がかかるし、あまり一度に多く売ると希少性が下がってしまうと、バウマイスター辺境伯様からアドバイスされたのだ。

 その貴重な古酒造りに母は貢献しており、お母様はお父様との喧嘩がなくても、かなりの時間この別宅に詰めて古酒の様子を見ていた。

 それはいいのだけど、いい加減仲直りをして戻って来てほしいものだ。


「アーシャに婿を取るって話だけど、外の軟弱な男に猿酒の管理ができるのかしら? アーシャが継げばいいのよ」


「前に説明したとおり、ヘルムート王国では女性の当主就任は認められていないのです」


「子爵夫人で誤魔化せるって聞いたわよ」


「どちらにしても、私と将来の旦那様がザンス子爵家の後継者を産まなければ問題になるのですから」


「古臭い連中だね」


 そうは言っても、私たちはエルフ族のみんなに責任があるのだから。

 お母様は猿酒造りは上手だけど、族長一族としての自覚がかなり薄いから困ってしまう。

 せめてもう一人兄弟がいれば、私は……。


「私が男子を産んでいれば、アーシャはバウマイスター辺境伯様に嫁げるって思っているのかしら?」


「っ!」


 なぜお母様に私の本当の気持ちが?

 いつもお父様と喧嘩ばかりしているくせに!


「甘い甘い。夫婦がいつも喧嘩をしているから仲が悪いと考えるのは、あなたが子供だからよ」


 その割にはこの一年間ほとんどお父様と会っていないし、エルフ族が大変だった時も、バウマイスター辺境伯様に顔見せすらしなかった。

 今も相変わらず顔を合わせないで、猿酒の管理ばかり。


「だからアーシャはまだ子供なのよ。我らエルフ族あらため、ザンス子爵領がこうして無事に栄えているのは、猿酒があってのこと。私は猿酒の製造に集中して、あの人には外部との折衝を一任する。お互いに信頼し合っているからこそ、私たちは今別居していられるのだから」


 一年前の二人の大喧嘩を見ている私としては、あまりお母様の言っていることが信用できなかった。


「この一年、若手の育成で忙しかったのよ。そういえば、まだバウマイスター辺境伯様にお会いできてないから、今度来る時までに屋敷に戻るとしましょうか」


「本当ですか? お母様」


「片づけなければいけない課題ができたから当然よ。バウマイスター辺境伯様ってどんな人なのかしらね?」


「お優しい方ですよ。素晴らしい魔法使いでもあります」


「アーシャはとても気に入ったわけね。いいわ、私が母としてフォローしましょう」


 それは、ますます事態を悪化させるかもしれないのでやめてほしい。

 でも、母が一度決めたらそれを引っ込めるような人ではないし……。

 きっと、バウマイスター辺境伯様がお母様を見たら驚くであろう。


「じゃあ、戻るわよ」


「もうですか?」


「当たり前じゃない」


 このフットワークの軽さは、貴族の妻としてどうなのであろうか?

 でも、生粋の貴族ではないから仕方がないのかも。

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