閑話15 スライムイモ(後編)
「不味っ!」
「味がしませんね。これは厳しいです」
ファイトさんをオイレンベルク騎士爵領に送り届けてから屋敷に戻った俺とカチヤは、他のお土産と共に試しにエステルさんから購入したスライムイモの試食を行っていた。
どうしてこんなに不味いイモを買ったのかって?
人間、出先でもの凄く不味い食べ物を見つけると、つい買って帰りたくならないか?
そしてそれを、親しい人たちに食べさせて、その反応を楽しみたくもなる。
早速蒸かしたスライムイモを試食したエルとエリーゼは、これまで生きてきてこんなに不味いイモは食べたことがない、という表情を浮かべていた。
「究極の選択だな。これ食って生き延びるか、諦めて餓死するか」
「あなた、これを食べなければならない状況まで追い込まれないようにするのが正しいと思います」
「エリーゼの言うとおりだ。飢饉に備えて食料を備蓄すればいいだろうに」
「まあ、実はこのイモを飢饉に備えて作らなくても問題ないんだけど……」
エステルさんが話をしていた大昔の飢饉、その時にはもっと王国領内の交通や流通が乏しく、他の地域から食料をあまり持って来れなかった。
今は栽培技術も進んでおり、そう簡単にすべての農作物が全滅ということもないはず。
水不足は深刻だが、魔族から海水をろ過する魔道具も大量に輸入されるようになったから、最悪王国政府がろ過した水を運んでくれば、人が餓死する可能性は低い。
「じゃあ、いらないじゃん」
「エルでも駄目な食べ物があるのね」
「イーナも食ってみろよ。これは、美味い不味い以前の問題だから」
エルは、残ったスライムイモをイーナにも勧めた。
「うわっ、凄い味というか味がないわね。水?」
そう、俺も食べてみたのだが、このスライムイモ。
味はまるで、蒸留水で作ったゼリーでも食べているかのようだ。
きっと、イモが水を蓄えやすいのでそういう味がするのであろう。
「食味も最低ですわね」
カタリーナもスライムイモを試食したが、口に入れた途端顔を顰めた。
「飢饉に備えてこれを栽培ですか? どのくらい保つのか知りませんが、栽培して収穫した以上、腐る前にちゃんと食べて備蓄用の倉庫を空ける必要がありますわね」
つまり栽培した以上は、責任を持って食べないといけないわけか。
それは辛いな。
「ヴェル様、この世には必要がない食べ物も存在する」
「酷い言い方だな、ヴィルマは」
「じゃあ、カチヤが食べる?」
「いらねえ、あたいはマロイモが好物だから」
エステルさんには悪いけど、このスライムイモを栽培する価値はないよなぁ……。
「旦那様、言われたとおりに調理してみましたけど」
生で食べるのは論外、水分補給はできるのか?
水筒の水を飲んだ方がマシだけど……。
一縷の望みをかけて煮物をリサに作ってもらったのだが、これで不味かったら終わりだな。
「……ヴェル君、どう?」
リサと一緒にスライムイモも煮ていたアマーリエ義姉さんが味を聞いてきたが……。
「駄目だ。水っぽくて余計に不味い!」
水の味しかしないイモを醤油、酒、ミリン、砂糖で煮ても、ただ味が薄まって不味いだけだな。
「煮ても繊維が微妙に口に当たるし、こんな不味いイモ、よく今の今まで残っていたな。品種改良でもしていたのかな?」
「これをどう品種改良すると食えるようになるんだ?」
「それは俺もわからない」
ちょっとやそっとの努力でスライムイモが普通に食べられるようになるとは、エルも俺も思わなかった。
「ただちょっとエステルさんには言いにくいな、旦那」
「ああ……」
「なにか事情があるのですか?」
「そうなんだよ、エリーゼ」
こう言うと失礼だが、エステルさんはベルクシュタイン男爵の十三女だ。
いかに男爵家とはいえ、さらに政略結婚に使える娘とはいえ、十三女ではあまり利用価値がなかった。
エステルさんは実家でもあまり居場所がないうえに、娘なので労働力として期待されているわけでもない。
普通はいくら王都で開催される品評会でも、貴族の娘に売り子役なんてさせない。
どうでもいい娘だから、そういうことをしていてもベルクシュタイン男爵は気にしないというわけだ。
『私は、このスライムイモみたいな存在なんです。ベルクシュタイン男爵領にはあるけど、なんの役にも立ちません。でも、こんなスライムイモでも、誰か価値があると認めてくれたら嬉しいですね』
そんな状況でも彼女はスライムイモを畑で作り、王都の品評会に持ってきて有効な使い道はないか、と懸命に模索していた。
「きっと、自分とスライムイモを重ねているのですね」
エリーゼは優しいので、彼女の境遇に同情していた。
もしスライムイモの利用方法が見つかれば、それを栽培していたエステルさんにも価値があったと評価される。
十三女という境遇にあり、父親からもあまり気にされていない娘なりの足掻きに見えてしまうのだ。
「だから、なにかスライムイモに使い道があればと思うんだ」
「でもさ、ヴェル。バカダイコンなら家畜が食うけど、スライムイモは家畜も食わないんじゃあ……」
水分補給でも嫌がるであろうか?
「試しに食わせてみるか……」
屋敷の敷地内にある馬小屋まで移動し、蒸かしていないスライムイモを俺の愛馬に食べさせてみようとしたが……。
「あれ? 食わないな?」
「お館様、馬は繊細な生き物なんで、変なものは与えんでくだせえ」
愛馬にスライムイモをあげようとしたら、馬の管理をしているノベッタ爺さんから注意されてしまった。
彼の馬の管理術は達人の域だが、馬に害がある行動をしようとすると貴族にでも直言してしまうため、前に仕えていた貴族からクビにされ、バウマイスター辺境伯領にやって来たという事情があった。
俺は注意されても気にならないけど、この程度で怒る貴族もいるってわけだ。
「馬も食わないなんて、バカダイコン以下だな」
「これは困った」
結局スライムイモの利用方法が思いつかず、俺は珍しく思い悩んでしまうのであった。
「お館様、もっと他のことで悩んでください」
「ローデリヒは容赦ないな!」
人が珍しく色々と考えているというのに、ローデリヒは俺が領地のことで悩んでいないと知ると、途端に冷たくなった。
「そのエステルというご令嬢を奥様にするのですか?」
「するか!」
だから!
俺の嫁を勝手に増やすな!
「ローデリヒさん、ヴェンデリン様はエステルさんの境遇を昔の自分と重ね合わせているようなのです」
「なるほど。そういうことですか。いくら男爵家でも十三女ですからね……富農に嫁いでも、誰も不思議に思いませんか。それにしても……味がしませんな」
エリーゼから蒸かしたスライムイモを渡されたローデリヒが試食してみたが、すぐにその顔を顰めさせた。
本当に味がないので、食べるのが辛いイモなのだ。
「飢饉の時にみんな食べたらしいのですが……」
「奥方様、拙者は飢饉に巻き込まれた経験はありませんが、飢え死にするくらいならと、我慢して食べたのだと思います。もしくは、あまりに空腹すぎてスライムイモでも美味しく感じられたとかでしょうか?」
「空腹は最高の調味料なのですね。味がしないのに栄養があるのでしょうか?」
「イモなら少しは甘いような気もしないでもないのですが……なにかしら無味の栄養があるのでしょう。栄養がなければ、いくら食べても飢え死にしてしまいますからな」
イモだから炭水化物や糖質が入っている……よな?
炭水化物って味がしないわけがないと思うから、スライムイモはそれを感じないほど水で薄まっているのであろう。
どちらにしても、調理しても不味いのには困ってしまった。
「旦那、兄貴もスライムイモを持ち帰ったけど、どうかな? なにかいい利用方法を思いついたかな?」
「どうだろう?」
あの場にいたファイトさんも、スライムイモを購入してオイレンベルク騎士爵領に持ち帰った。
研究用だと思われる。
マロイモみたいに上手く栽培すると、スライムイモも甘くなると考えたのであろうか?
「スライムイモは、どう上手く栽培しても美味しくならないような……」
「肥料をやると逆によくないって、エステルも言っていたからな」
スライムイモの厄介な部分は、痩せた土地じゃないと栽培できない。
土地の条件が悪ければ悪いほどいいという点にあった。
逆に水と肥料をたっぷりと与えたりすると、実が異常に小さくなったり、最悪地下茎の部分が腐ってしまうのだそうだ。
「いくら兄貴でも、スライムイモはどうにもならないだろう」
「そうだよなぁ……」
と、思っていたのだが、それから数ヵ月後。
珍しくファイトさんから連絡があった。
なんと、あのスライムイモの利用方法を思いついたそうだ。
「マジでか? 旦那、あの水の味しかしないイモに使い道なんてあるのか?」
「俺も驚いている」
急ぎオイレンベルク騎士爵領に向かうと、ファイトさんは領地移転に伴って新築された屋敷の隣にある作業場で、大鍋に入れたなにかを煮ていた。
「バウマイスター辺境伯殿、スライムイモの使い道を見つけましたよ」
「本当に? この大鍋の中で煮ているのがそうですか?」
「はい」
ファイトさんによると、スライムイモは痩せた土地に植えておけばなんの世話をしなくても育つそうだ。
そうやって増やしたスライムイモを皮ごと擦り降ろし、水と一緒に大鍋で煮る。
煮えたら、熱い間に布で濾して筋や皮の部分を取り去ってしまう。
「綺麗な型に入れて冷ますと、このように……」
水を大量に含んだゼリー状のものが完成した。
「つまり、これでお菓子や料理を作ると」
ゼラチンや寒天みたいなものだ。
リンガイア大陸には、魔物と家畜由来の膠やゼラチンが存在し、ミズホにはというか、北方の海に天草に似た海藻が生えていたので、寒天も存在した。
ただ寒天は、ミズホから輸入するしかなく、これも貴族の健康志向に支えられてゼラチンよりも高価であった。
そしてここに、スライムイモ由来のゲル材料が開発されたというわけだ。
それにしても、スライムイモの味見までしておいて、俺がこれに気がつかないとは……。
「それにしては、少し柔らかいか?」
「バウマイスター辺境伯殿、これは食材にも使えますけど、私は別の用途で使い方を発見したのです」
「そうなの?」
「はい、実際に見てみますか」
ファイトさんの案内で、俺たちはマロイモ畑まで移動した。
マロイモのツルが出ている場所のすぐ近くの土を掘ると、そこに先ほどのスライムイモのゼリーの塊が埋まっていた。
「畑の土の保水に使っているのか」
「はい。マロイモを甘くするには、難しい水分量の調整があるのですが、これがあると大分作業が楽になりました」
水分を抱えてなかなか離さないスライムイモのゼリーであるが、加熱して加工したゼリーは保水力が弱められている。
周辺の土の水分が減ると浸透圧の関係で外に水分が排出され、逆に水が多すぎると、それを蓄えて土が必要以上に湿らないようにするのだと、ファイトさんが説明してくれた。
「これまで、大雨が降ると対策で一苦労だったのですが、これを埋めておけばその手間も省けますよ」
スライムイモのゼリーは、高吸水性高分子と同じ働きをするわけか。
地球では紙オムツの材料であったり、砂漠の緑地化で保水性を上げるのに使っていると聞いたことがある。
そういうものが、まさかスライムイモから作れるとは……そして、それに気がつくファイトさんって……。
「カチヤのお兄さんって、実はもの凄く優秀なんじゃないか?」
「そう言われると、そんな気がしてきた」
荒れ地や砂漠でも簡単に作れるイモから、その荒れ地を緑地や畑にできる高吸水性高分子に似た物が作れる。
ファイトさんの発明は歴史を変えるかもしれないが、それを見つけた本人はマロイモの水やりが楽になったと喜んでいた。
案外、大発明をした本人というのは、あまり大げさに考えていないのかもしれない。
「そうだ。このスライムイモを売ってくれたエステルさんにお礼を言わないといけませんね」
「「はあ……」」
俺とカチヤは、一斉にため息をついた。
俺も人のことは言えないが、ファイトさんはどうも貴族的な駆け引きとか、利権を確保するとか、そういうことに向いていないようだ。
ここで、ただエステルさんにお礼を言いに行かれても困ってしまう。
「(しばらくは、スライムイモなんて役に立たないということにしてもらわないと。特に、ベルクシュタイン男爵には)」
多分、現時点でスライムイモなんて栽培しているのはエステルさんくらいだ。
探せば他にもいるかもしれないが、いても問題ではない。
ようは、スライムイモから高吸水性高分子モドキが作れることを他人に知られなければいいのだから。
どうせ時が経てば知られてしまうが、それはなるべく遅い方がいい。
それなのに、ファイトさんが堂々とお礼を言いに行けば、ベルクシュタイン男爵にバレてしまう。
「兄貴、お礼を言いに行くのはよくないと思うな」
「そうなのかい? カチヤ」
「相手は女性、それも貴族令嬢じゃないか。お礼を言いに行くにしても、身形とかに気を使わないと。プレゼントもいるな」
「そう言われるとそうだね」
基本的に人がいいファイトさんは、冒険者稼業でよくも悪くも人間を理解しているカチヤに上手く丸め込まれていた。
「第一、ベルクシュタイン男爵領がどこにあるか知っているのか?」
「調べていないね。これは不勉強だったよ」
「兄貴も忙しいからな。あたいと旦那に任せてくれよ」
「いいのかい? カチヤも忙しいだろうに悪いね」
いえいえ、全然悪くなんてありませんよ。
むしろ悪いのは、俺たちの方なんだから。
「じゃあ、早速」
「えっ! もう? でも、畑の視察が……」
「そんなの、今日くらい家臣に任せておけって」
そのまま有無を言わさず、俺たちはファイトさんと『瞬間移動』で王都へと向かった。
まずは、身嗜みを整えるとしよう。
「あらあ、服装はダサイけど、意外といい体をした男発見!」
「カチヤ? バウマイスター辺境伯殿?」
まずは、農作業ばかりしているので野良着姿の彼を、貴族の嫡男らしい服装にする。
コーディネートを頼むのは、見た目は筋肉大男、心は乙女であるキャンディーさんだ。
彼は……彼女は、ファイトさんの体を見てニンマリとしていた。
農作業で鍛えられている彼は以外と筋肉質で、キャンディーさんも大いに気に入ったようだ。
彼女にロックオンされたファイトさんは、肉食獣に睨まれた小動物のように怯えていたけど。
「とって食われるわけじゃないから大丈夫ですよ」
「兄貴、この人に服を合わせてもらうから」
「そうなんだ……」
まあ、オイレンベルク騎士爵領に住んでいたら、キャンディーさんみたいな人に会える機会はほぼないからな。
動揺が大きかったのであろう。
「この人、下半身がよく鍛えられているわね。持久力がありそう」
さすがはキャンディーさん。
男性の体を見て、その特徴を言い当てるのが上手だった。
ただし、その熱い視線はファイトさんの締まったお尻に向いている。
ファイトさんは毎日、領内の山の斜面にある畑を見回っているので、自然と脚力などがついたのであろう。
足腰の強さは妹であるカチヤも同じだが、彼女も実家を出る前は畑仕事をよく手伝っていたそうだから、斜面での畑仕事はいい鍛錬になるようだ。
「あらぁ、いい体」
キャンディーさんが、ワクワクしながら彼が普段着ている野良着を脱がせているが、上半身もかなり鍛えられていた。
「毎日じゃないですけど、鍬も振るうので」
「俺も農作業とかした方がいいのかな?」
そうしたら、細マッチョになれるかな?
できたら、明日にでもなりたいわ。
「旦那、バウマイスター辺境伯が農業するのはどうかと思うな」
「だよなぁ……」
毎日ちゃんと鍛錬している俺よりも、ファイトさんの方が脱ぐと筋肉質だった。
この人、えらく着痩せするので今まで全然気がつかなかった。
互いの筋肉を比較してから、俺はちょっと凹んでしまう。
「あのぅ……キャンディーさん。ファイトさんを脱がせたのはいいんですけど、頼んでいた服はあるのですか?」
キャンディーさんの洋裁店は、どちらかというとカジュアルな服を取り扱うことが多い。
貴族の嫡男が着るのに相応しい服が置いてあるのであろうか?
「大丈夫よ。私、そういうお洋服も作れるから。前にいい感じの服を縫っていたから、これをサイズ合せしてみようと思うの」
「ふーーーん、ただ男の裸が見たくて兄貴を脱がせた……「あははっ! じゃあ早速お願いします!」」
カチヤが失礼なことを言おうとしたので、俺は慌てて彼女の口を塞いだ。
そりゃあ、俺もそう思わなくはなかったけど……。
「あらぁ、これならそんなに大きくサイズを変える必要はないわね。とても似合っているわ」
確かに、いい服に着替えたらファイトさんは貴族の若様らしくなった。
元から貴族の嫡男なんだが、いつもの服装だと、よく言って若い農業研究者、悪くいうと農民にしか見えなかったのだ。
「兄貴も、普段からこういう格好をすればいいのに……」
「でも、カチヤ。この服で畑の見回りをしたらみんな驚いてしまうよ。汚れてしまうし、普段は汚れてもいい動きやすい服装がいいね」
ファイトさんは、どこまでもマロイモ畑が生活の中心なんだな。
ここまで拘られると、もはや尊敬の域に達しつつあった。
「こんなものでいいかしら。あとは、花束と、なにかプレゼントね」
これも、センスが抜群であるキャンディーさんがチョイスしてくれた。
というか、俺、カチヤ、ファイトさんが束になっても、キャンディーさんのファッションセンスには歯が立たないというのが現実だ。
「これで貴族の若様に見えるようになったな」
人は見た目が九割という。
これで、ベルクシュタイン男爵領に向かって大丈夫だ。
「バウマイスター辺境伯殿、ベルクシュタイン男爵領の場所は?」
「実は、王都からそんなに遠くないですよ」
王都で開催された品評会に、エステルさんが売り子として参加できるくらいだからな。
もし交通費がかかるような場所にあったら、ベルクシュタイン男爵がエステルさんの参加にいい顔をしなかったであろう。
「とはいえ……」
「あの子、あたいや兄貴と同じで足腰が頑丈なんだな」
ベルクシュタイン男爵領は、昔所用で行った王都近郊にある貴族領から、さらに徒歩で一日ほどの距離にあった。
俺は二人を抱えて『飛翔』で現地に到着したが、この距離を若い娘が馬車や徒歩で往復したのだから凄い。
そういえば彼女、結構重たいスライムイモを楽々持っていたな。
ヴィルマほどじゃないけど、健康優良児で力もあるのであろう。
「田舎だなぁ。あまり他人の領地のことは言えないけど……」
到着したベルクシュタイン男爵領は、農業が主産業でのどかな農村地帯といった感じであった。
そんな場所に空から降り立つ貴族二人とカチヤ。
きっと珍しかったのであろう、すぐに領民たちが近寄ってきた。
「あんのぉ……お貴族様はどのようなご用件で?」
「ベルクシュタイン男爵のご令嬢エステル殿はいらっしゃるかな? 実は、ここにいるオイレンベルク卿の嫡男ファイト殿が是非お会いしたいそうだ」
「エステル様なら、いつものように農作業をしていると思いますだ」
「すぐに呼んできます」
魔法使いの格好をした俺もいたが、やはりファイトさんの服装は役に立ったな。
そしてもう一つ、若い貴族がわざわざベルクシュタイン男爵の十三女であるエステルさんを指名して呼び出したのだ。
この効果は徐実に現れるはず。
「(ここは田舎だからなぁ……)」
「(噂になるよな、旦那)」
そう、領民たちは勝手に噂してくれる。
ファイトさんが、惚れたエステルさんを迎えに来たのだと。
完全に勘違いんなんだが、それこそが俺とカチヤの狙いなので、訂正するわけがない。
「どうかしたのですか? 二人とも」
「「いいや、なんでも!」」
「そうですか」
「それよりも、兄貴。さっき打ち合わせたとおりに頼むぜ」
「そうだったね」
こういう時、若い女性にどう声をかけたらいいものか。
俺に聞かれても経験不足なような気もするが、ファイトさんよりはマシなのか。
でも、マリタさんと一緒になると断言した時の彼は格好よかったな。
大貴族の娘であるエリーゼですら、貴族と名主の娘という不釣り合いな二人の結婚を祝福したほどなのだから。
そう考えると、実はファイトさんってかなり凄い人なのか?
「いいか、兄貴。さり気なく誘うんだぜ」
「あれ? お礼は?」
「あとでいいから!」
ここで、スライムイモの有効な使い道がわかったからお礼を言いに来ましたなんて言ってみろ。
領民たちが、すぐに噂を流してしまうじゃないか。
前世で、まだ生きているはずのお祖母さんが言っていた。
『田舎の情報拡散能力を舐めるな』と。
とにかく、なにもわからないままファイトさんがエステルさんを引き抜けばいいのだ。
どうせベルクシュタイン男爵としても、十三女に有効な政略結婚先があるとは思っていないはず。
そこで、『オイレンベルク騎士爵領で働きませんか?』、『お婿さんなら、俺が紹介しますので』とファイトさんにスカウトさせるわけだ。
「(エステルさんのお婿さんは紹介するよ。俺がファイトさんを)」
オイレンベルク騎士爵領にも、バウマイスター辺境伯領にも痩せた土地なんていくらでもある。
スライムイモの大量生産計画はベルクシュタイン男爵には黙っていて、エステルさんはファイトさんの側室となり、完全に囲い込んでしまう。
ベルクシュタイン男爵も、十三女が貴族の正妻になれるとは思っていないであろう。
文句は言わないはずだ。
「お久しぶりです。バウマイスター辺境伯様にカチヤさんに、ファイト様」
農作業を中断してこちらに来たエステルさんは、男爵令嬢とは思えない、まるで農婦のような格好をしていた。
父親であるベルクシュタイン男爵も、十三女なので農作業をしてもなにも言わない……こういう田舎領地って、普通に農作業をする貴族の子供もいるらしいけど。
「ちょっと畑で作業していまして。本当は貴族の娘がすることではありませんけどね」
「お好きなのですか?」
「はい、こういう場所に生れましたから。父から、屋敷の隣の家庭菜園くらいで止めておけとよく言われますけど……」
どうやらエステルさん、実家が貧しいからではなく、好きで農作業やスライムイモ栽培の実験をしていたみたいだ。
それがわかった途端、ファイトさんは笑顔になり、珍しく饒舌な口調で話しかけていた。
趣味が合うと思ったのであろう。
二人は、農業の話などをしばらくしていた。
「そうでした、これをどうぞ」
「これを私にですか?」
「はい」
「ありがとうございます、ファイト様」
そしてファイトさんが準備していた花束とプレゼントをエステルさんに渡し、彼女も嬉しそうに受け取った。
傍から見ると、着飾った貴族の貴公子が、惚れた女性にプレゼントを贈っているようにしか見えなかった。
周囲で様子を窺っている領民たちもそう思っているようだ。
『よかった』と、みんな笑顔を浮かべている。
知らぬはファイトさんばかり、というわけだ。
「農作業が好きな方というのが確認できてよかった。今日は、エステルさんにお願いがあってきました」
「はい、なんでしょうか?」
「私の領地に来ませんか?」
「「「「「おおっ!」」」」」
領民たちは、いよいよプロポーズの言葉が出たと歓声をあげた。
その言葉を発したファイトさん自身は、彼女を働き手としてスカウトしているだけだと思っているようだが。
「(兄貴、いい加減に気がつけよ……)」
「(事情説明はあとでいいじゃないか)」
たとえ本人がなにもわかっていなくても、今はエステルさんがオイレンベルク騎士爵領に来てくれればそれでいい。
彼女がファイトさんの側室となり、スライムイモ作りに協力する。
ファイトさんも深窓の令嬢なんて奥さんに欲しくないだろうが、エステルさんなら農業ガールなので趣味も合う。
彼女がいれば、バウマイスター辺境伯領の荒地でスライムイモの栽培をファイトさんに委託することもできるであろう。
ファイトさんを騙しているようで悪いが、彼も貴族の一員だ。
きっと俺の考えを理解してくれるはず。
「ベルクシュタイン男爵殿への説得は任せてください」
「(まあ、旦那がいるからな)」
その辺、ファイトさんは気が弱い部分があるのだが、意外にも本人が積極的だった。
趣味が合う女性、ってのがよかったのかもしれない。
「ファイト様、お話を受けようと思います。末永くお願いします」
「「「「「エステル様、おめでとうございます!」」」」」
「ありがとう、みんな」
エステルさんは、領民たちから『結婚おめでとう』という意味で祝福を受けていた。
そしてそれは間違っていない。
なにしろ、そう思っていないのはファイトさんだけなのだから。
「じゃあ、早速交渉を」
「そうですね」
あとは、ベルクシュタイン男爵の許可を貰うだけだ。
実は一つ懸念があるのだが、さすがにベルクシュタイン男爵も気がつくはず。
もし気がつかなかったら、今後、ベルクシュタイン男爵家とのつき合いは社交辞令的なところから逸脱できないな。
俺たちはベルクシュタイン男爵邸へと移動し、そこでエステルさんをオイレンベルク騎士爵領に行かせてくれと要請をした。
「バウマイスター辺境伯殿、うちのエステルがオイレンベルク騎士爵家にですか?」
屋敷で応対したベルクシュタイン男爵は、まさか十三女が貴族に嫁げるなんて思っていなかったのであろう。
えらく驚いたが、すぐになにかを企むような笑みを浮かべた。
「(旦那、これは駄目っぽいな)」
「(みたいだな)」
残念、もうちょっと思慮が足りていたら、少しつき合いを考えたのに……。
そして俺たちの予想どおりの発言をベルクシュタイン男爵はした。
「オイレンベルク騎士爵家は、トンネルの事件などでその名を存じております。我が領のように、農業が主体の領地だとか……。そして、その跡継ぎであるファイト殿の正妻は名主の娘だとか? 我が娘が嫁ぐのであれば、当然正妻は我が娘エステルなのでしょうね? 跡継ぎも、うちの娘が産んだ子になるのが正しいですな」
「お父様! 私は側室で構いませんが……」
「エステルは黙っていなさい!」
ベルクシュタイン男爵は、大声で娘の発言を遮った。
人間、欲望をコントロールするのは難しい。
いらない子扱いされた娘がいい条件で嫁げると知ったら、欲が出て要求を釣り上げたというわけだ。
「えっ? どういうことですか? エステルさんが? 彼女にはスラ……」
「兄貴、ちょっと大人しくしてな」
「うぐぐっ……」
この状況に至っても、いまだファイトさんは俺たちの企みに気がついておらず、ベルクシュタイン男爵の話を聞いて一人動揺していた。
エステルさんを領内で働かせるためにスカウトするという話が、自分の奥さんになるという話に切り替わったからであろう。
だが、未婚の貴族女性に花束とプレゼントを贈っているのだから、いい加減気がついてもいいと思う。
この人、気は弱いが同時にえらく抜けている部分もあり、ある意味大物なのかもしれない。
「つまり、要求があると?」
「当たり前ではないですか。それが貴族というものでしょう」
ベルクシュタイン男爵は、ドヤ顔で勝ち誇っていた。
まあ、それは確かにそうだ。
貴族家の跡取りに奥さんが一人しかおらず、しかも出自が平民。
いくら自分の娘が十三女でも、平民の娘よりは序列が上になって当然だと。
だが、ベルクシュタイン男爵はもっとよく考えてほしかった。
バウマイスター辺境伯がオイレンブルク騎士爵家を寄子にする時、そんな他の貴族に攻撃されそうな弱点を、いつまでも俺やローデリヒが放置していると思うか?
「ファイト殿の奥方であるマリタ殿ですが、分家筋とはいえ我が兄バウマイスター準男爵家の養女ですが、それになにか文句でも?」
「えっ?」
そりゃあ、そういう対策は打つさ。
ブライヒレーダー辺境伯とローデリヒがすぐにそうした方がいいと言ってきたので、マリタさんは形式上だけだが、パウル兄さんの養女になっている。
お互い領地も近いので、婚姻関係を結んで仲良くすることは悪くない。
そのお礼で、ファイトさんはたまにパウル兄さんの領地で農業指導も行っており、これで貸し借りはナシということになっていた。
「俺の聞き間違いだと思うのですが、ファイト殿の正妻は義理とはいえ俺の姪なのに、正妻に相応しくないと仰るので?」
「いえ、そんなことは……」
残念、ちょっと考えて聞き流せばよかったのに。
人間、欲のかきすぎはよくないな。
「それで、許可はいただけるのでしょうか?」
「勿論ですよ」
ヘマをしたベルクシュタイン男爵は、えらく卑屈な態度で婚姻の許可を出した。
こうしてファイトさんは、エステルさんという側室を迎えるのであった。
スライムイモの秘密と共に……。
「バウマイスター辺境伯殿、見てくださいよ。このスライムイモの畑を」
ファイトさんとエステルさんが結婚してから二ヵ月後。
久しぶりにオイレンベルク騎士爵領に行くと、そこには広大なスライムイモ畑が広がっていた。
「成長が早いなぁ……」
「スライムイモは、種芋を植えてから二ヵ月もすれば収穫ですから」
その昔、飢饉対策で栽培されていただけのことはあるのか。
その代わり、栄養はほとんどないみたいだけど。
「この土地は、痩せすぎていて農作物を作れるまで土を育てるのが面倒な場所なんです。水場からも離れているので、スライムイモにはちょうどいいですね」
「こういう土の方がよく育つんですよ」
ファイトさんと結婚したエステルさんも、彼と一緒に農作業を手伝っていた。
スライムイモはそれほど手間がかからないので、マロイモの栽培も手伝っているそうだ。
「マリタと一緒に頑張ってくれていますね。覚えもいいですから」
「私なんてまだまだですよ」
「そんなことはないよ。私はエステルに来てもらってよかったと思っているんだ」
「私も、ファイト様と結婚できてよかったです」
最初は俺たちに謀られて結婚したくせに、この二人はこちらが引くくらい常にイチャイチャしていた。
カチヤは自分の兄の恥かしい姿を見て、自分が顔を赤くさせている。
「栽培が順調でよかった」
「スライムイモも、近年では誰も食べなくなったので数が減り、今は種イモを増やしているところです。近隣のバウマイスター辺境伯領にある荒れ地で栽培するには、もう少し時間がかかりますね」
「それは焦らないから」
スライムイモ自体はともかく、それから作れるものの情報をなるべく流したくない。
秘密保持のため、慎重に作業をする人間を集める必要がある。
「成長が早いスライムイモは、こんなに大きくなりましたよ」
試しにエステルさんが、栽培中のスライムイモを掘り出してくれたが、その中には直径五十センチを超える巨大なイモもあった。
「育つのが早いなぁ……」
でも、栄養が少なくて味もない。
俺は、もし食料がなくてもこのスライムイモは食べないかもしれない。
「栄養を与えて育てるとどうなるの?」
「イモが大きくならないんですよ。肥料なんてかえって害ですね」
「やっぱり変わったイモだな」
そんな話をしていたら、そこに一つの弾丸が土埃をあげながら着陸した。
そう、今日も王宮筆頭魔導師なのに暇な導師が姿を見せたのだ。
「美味そうなイモである!」
到着するなり、導師はエステルさんが持っているスライムイモを見て美味しそうだと言い始めた。
確かに、見た目だけならイモっぽいので美味しそうに見えなくはない。
「早速、試食するのである!」
そういうと、導師はスライムイモをそのまま火も通さずに食べ始めた。
加熱しても味がないのに、よくスライムイモを生で食べられるな。
「導師?」
「味がしない、水っぽいだけである! 水筒代わりにはいいのである!」
「それなら素直に水筒を持っていきますよ」
「それはそうなのである!」
後世、天然由来で食べられる高吸水性高分子の材料として知られるようになるスライムイモであったが、誰がどのように栽培しても、品種改良をしても味をつけることはできなかった。
荒廃地の土壌改良、水分保湿に使う高吸水性高分子、紙オムツの材料などとして長らく使われていくのだが、食品としての需要はゼリーを固める材料として、ダイエット食品の材料として広く世間に普及していくのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます