第299話 フジバヤシ家の副業と、謎じゃないけど美少女店長(その2)
「ヴェル、フジバヤシ乾物店は、オープン以来大盛況みたいだよ」
「それはよかった」
数日後。
所用を済ませてバウルブルクの町中から戻ってきたルイーゼが、先日オープンしたばかりのフジバヤシ乾物店について俺に報告した。
お店には沢山のお客さんがいて、お茶や海苔がとてもよく売れていたそうだ。
「オープンしたばかりの頃に客がいないと大変だからな。まずは最初のハードルをクリアーしたな」
新しいお店がオープンすると、物珍しさから最初はお客さんが入る。
たまにオープン当初から駄目なお店もあるが、そういうお店は短期間で潰れてしまうことが多かった。
オープン当初は沢山お客さんがいても、それからすぐに寂れてしまうパターンが一番多いと思う。
いかに固定客を掴むか。
商売とは、とても難しいものなのだ。
「ヴェルってば、厳しい意見だね」
「商売は油断すると、すぐに閉店だからな」
前世では、数年で潰れるお店など珍しくなかった。
この世界でも、商売のパイが少ないので新規店はよく潰れる。
いくら最近人気のミズホ産食材のお店とはいえ、油断は禁物であった。
「でもさぁ、ボクは大丈夫だと思うな」
「随分と自信があるんだな。ルイーゼは」
「だってさ。あのお店、看板娘がいるじゃない」
看板娘ねぇ……。
確かにアキラは女性と見紛うばかりの外見だけど、歴とした男性だからな。
その言い方は失礼だと思うんだ。
「帰りに見て来たけど、お客さんは男性ばかりだよ」
「それはおかしいな」
アキラが店長をしているお店は、いわゆる乾物店だ。
お茶は男性でも買うと思うけど、海苔や乾物は、調理をする女性が主な客層なのはずなのに……。
「プロの調理人が仕入れているとか?」
珍しいミズホ産食品を用いて、自分の飲食店の客を増やそうとしているのかもしれない。
でも、そう男性の飲食店店主ばかりが客として来ないはず。
「そうだとしても、女性客がほとんどいないのはおかしいよ」
「ですよねぇ……」
ちょっと気になったので、俺はルイーゼと近くにいたヴィルマも連れてお店の様子を見に行くことにした。
「いらっしゃいませ。今は新茶がお買い得ですよ」
フジバヤシ商店の前で、店主のアキラがお客さんにミズホ茶の試飲を勧めている。
前世のお茶屋さんのような光景だが、ミズホ服に前掛けをしたアキラが可憐な女性にしか見えないので、男性客たちがまるで花の蜜に群がる蜂のように集まっていた。
「ほら、看板娘が大人気だよ」
「看板娘じゃなくて、店長だから」
「でも、看板娘でも違和感はない」
「それも事実だな」
俺たちは少し離れたところから、アキラの接客の様子を見守っていた。
「ミズホ茶は、マテ茶を淹れるポットでも淹れることもできます。急須もお安くなっていますから、セットでご購入をお勧めします。ミズホ茶は甘くないので、飲むと口の中がスッキリとするんです。お食事にも合いますし、暑い時には冷やして飲むと最高ですよ」
アキラは、商売上手でもあった。
次々とお客さんにミズホ茶を勧め、勧められた客の半数以上がミズホ茶を購入していた。
そのまた半分ほどが、ミズホ茶とセットで買うと安くなる急須も購入していた。
スターターセットを安く売るとは……アキラは商売上手だな。
「男は単純」
「ヴィルマ、可哀想だからそれは言わないであげて……」
アキラは男性だけど、あんな可憐な子にお茶を進められて断れる男性は少なく、少量入ったお試しパックくらいならそこまで高くもない。
大勢が購入して行ってしまうのだ。
「ヴェル、見知った顔が多いよ」
「げっ!」
うちの家臣たちが複数いるな。
トリスタン、モーリッツ、トーマス……他にも何人か……。
というか、バウルブルクの警備は大丈夫なのだろうか?
トーマスに至っては、トンネル担当だったはずだ。
「なあ、お前ら……」
「お館様も、ミズホ茶の購入に?」
「買って帰るけど、お前ら仕事は?」
「ヴェル、買っては帰るんだ」
ルイーゼに鋭く突っ込まれたが、別にアキラの色気に惑わされたわけじゃ……というか、男性のアキラに色気などない!
「新茶の季節だからな」
「そう、新茶の季節は大事」
「お茶なんて、いつ飲んでも同じだと思うけどなぁ……」
フジバヤシ家が経営しているだけあって、ミズホ公爵領内の主要な産地の新茶がタイムリーで揃っている。
オヤツで甘い物を食べる時には、俺はマテ茶よりもミズホ茶派になっていたから、購入して当然であった。
「ヴェル様、ウージの新茶が売っている」
「おおっ! ウージのお茶は美味しいからな」
ミズホ公爵領で一番有名なお茶の産地だ。
微妙に『宇治』と被っているような気もするけど、ウージのお茶はそれだけで飲んでもとても美味しい。
エリーゼたちにも買って帰るとしよう。
「で? 仕事は?」
「ご安心を。ちゃんと所定の休憩時間なので」
「私も同じです」
「報告でバウルブルクまで来たのですが、帰りにニコラウスたちへのお土産を購入しようかと……」
三人とも、仕事をサボっているわけでもないらしい。
休憩時間に新しいお店を見つけたので、つい試飲に参加してしまったというわけだ。
そんな男性が多いようだな……。
みんな、幸せそうな顔でミズホ茶を試飲している。
アキラが男性だって知っているのか?
……ちょっと怖いので、それを聞くのはやめておこうと思う。
「休憩時間になにをしていようと自由だけどな……あっ、そうだ。海苔も買って帰ろう」
「海苔でしたらこちらです」
アキラは、いくつかの種類の海苔を見せてくれた。
海苔もお茶と同じく、その値段がピンキリであった。
「海苔は色が濃くて光沢があるものがいいですよ。あとは……」
一番高級そうな海苔を、アキラが軽く火で炙ってくれた。
すると、濃い緑色になった。
いい海苔の証拠である。
前世で、海苔問屋の社長に教えてもらったのだ。
「オニギリに使うから、いい海苔の方がいいな」
「そうですね。そのまま口に入れますからね。これはお値段に負けない品質のよさですよ」
オニギリといえば海苔だが、実はミズホ公爵領から輸入するまでは海苔なしのオニギリで我慢していた。
昔、高菜オニギリを参考にブライヒブルクで購入した菜っ葉で包んでみたが、悲惨な結末に終ったのを思い出す。
海苔なしオニギリも美味しいのだが、やはり海苔がないオニギリはなにか物足りないのだ。
今はミズホ公爵領との交易が可能で、バウルブルクにお店もできた。
つまり俺は、いつでも自由に海苔オニギリが作れるのだ。
あと、海苔巻き、太巻き、餅を焼いてから砂糖醤油につけて海苔で巻くことも可能だ。
そして、海苔があるということは……。
「フリカケが欲しいな」
「昆布、カツオ、オカカ、梅、ワサビ、シソワカメ、ジャコなどがあります。乾燥していない高級フリカケもありますよ。試食をどうぞ」
なんと、アキラはご飯も用意してくれていた。
そこに乾いたフリカケを順番に載せてから、ご飯と一緒に試食していく。
前世を思い出す、とても素晴らしい味だ。
湿ったままの、具が豪華な高級フリカケも素晴らしい。
どれも、俺の日本人としての精神を揺り起こしてくれる素晴らしい美味しさだ。
ウニや肉のソボロを使ったフリカケもあって……さすがにこれは試食させてくれないか……。
だが、昆布やオカカの美味しさから推察するに、ウニや肉のソボロも美味しくて当然。
これは迷わずに買いだな。
「全種類貰おう」
「ありがとうございます」
俺は、金持ちバウマイスター伯爵だ。
高級海苔とフリカケの大人買いくらい余裕である。
俺はこれまで、なんのために大金を稼いできたのか。
きっと、このお店で大人買いするためだったんだ。
「お餅はあるのか?」
「はい、あります。キナコもいい商品がありますよ。小豆もミズホで一番とされる産地のものが」
餅とキナコと餡子。
この至高の組み合わせを楽しまないわけにはいかない。
王国でも手に入るのだが、やはり一度いいものを知ってしまうとな。
それにお餅は、ブライヒレーダー辺境伯領産のモチ米を自分でつかないと手に入らない。
キナコも、自分で大豆を炒ってから粉にするのだけど、素人の手作りゆえに大豆の粒が残ってしまうことが多かった。
なので俺は、迷わずにお餅とキナコも購入し、小豆は急ぎ水に漬けてからじっくりと煮ないといけないな。
「他にも色々とあるみたいだな。だが、今日は時間が……また来るとしよう」
予想外に大量購入してしまったが、品質のいいミズホ産食品が大量に手に入ってよかった。
これからもちょくちょくと、このお店を見に来ようと俺は深く決意するのであった。
「ヴェル……いくらアキラが可愛いからって……」
「トリスタンたちと一緒にすんな!」
俺は男性に興味はないんだ。
いくら女性に見えても、俺は同性愛者ではない。
「でもさ、試食品を貰う時にもの凄く嬉しそうだったよ。トリスタンたちと同じく」
それも違う。
俺は、新しいお店で素晴らしい商品と沢山出会えて嬉しかっただけなのだ。
試食可能という点も、俺の購買意欲をさらに刺激した。
ただそれだけのことなのに……。
「ヴィルマはわかってくれるよな? あの店はいい品が多いのだと」
「いい食材が沢山置いてあった」
「ほらな、ヴィルマの言うとおりじゃないか」
「でも、アキラに釣られて来る客が多すぎる」
「だから、あいつらと一緒にすんな!」
俺は、あくまでもお店の商品に心引かれただけだ。
決して看板娘であるアキラ……看板娘じゃない! 彼に釣られて商品を購入したわけではないと、声を大にして言い続けるのであった。
「まあ、気持ちはわからなくもないよな。アキラが男性だって言われても、信じない奴がいそうだし」
「うるさい、エル。オニギリをやらんぞ」
「俺は別に、ヴェルがアキラの色香に迷って大量に商品を購入したとは言っていないぞ」
「おおっ! 信じてくれるのか? エル」
「お前、昔からそういう奴じゃん」
夕食に大量の海苔オニギリが出され、それを食べながら俺たちは話を続ける。
ルイーゼの言うとおり、フジバヤシ乾物店はアキラのおかげで大盛況であった。
彼に釣られて店に近づくと、試飲用のお茶が入った茶碗を渡される。
アキラは美少女に見えるので断る者はおらず、お茶を飲んだ一定数の人間が、お茶や急須を購入してしまうのだ。
タケオミさんは随分と上手な商売方法を……あの人が狙ってやったとは思えないな。
自分はあくまでも出資者で、商売の才能なんてまったくないって言っていたのだから。
「みんな、アキラが男性だって知っているみたいよ」
「えっ? そうなの?」
なんと、イーナが衝撃の事実を暴露した。
「アキラは男性だけど、お茶を飲んでお話するだけなら、至福の時間を過ごせるから気にしないんだって」
確かに、アキラが淹れてくれたお茶を飲みながら話をしていると、彼が男性である事実を忘れてしまいそうになるのは事実だ。
「トリスタンたち、アキラが男性だってわかって行ってたのか……」
「そうみたい」
みんな、もしかすると家庭でなにか問題でもあるのだろうか?
癒しを求めるために、男性の元に通うなんて……。
バレたら、奥さんに怒られないのかな?
「でも、それはヴェルも同じじゃないの?」
「おいっ!」
俺は、すかさずイーナにツッコミを入れた。
俺にはその手の趣味はなく、ただ単にあのお店が楽しくて行っているのだから。
たかが乾物店だと思っていたら、新興のフジバヤシ家と親戚の小規模商家の運営だからか、商売の方法が面白い。
行くとワクワクするお店なんて久しぶりだ。
デパートの北海道物産展に行った時と同じ気分だな。
「他のお店と比べると、通う頻度が多くないかしら?」
「イベントがあるからな」
そう、ある日は出汁の取り方教室をやっていた。
カツオブシと昆布、イリコなどで出汁を取り、それを試飲させてくれるのだ。
つい買ってしまったが、それで作った味噌汁は美味しかった。
やはり、プロが作る品は違うな。
俺も自力で味噌製造まで辿りついたが、フジバヤシ乾物店で売っている味噌には及ばない部分も多い。
醤油もだ。
値段は高いが、俺はついそちらを使用してしまうのだ。
このくらいの贅沢は、バウマイスター伯爵なのだから構わないであろう。
「今日も、アキラが佃煮を炊くというから試食に行くのさ」
「そして、買ってくるわけね……」
「だって、俺が自分で作るよりも美味しいから」
佃煮は、難しい料理だ。
誰にでも作れるけど、美味しく作るのは難しい。
微妙な味加減で、あそこまで評価が変わる料理も珍しい。
前世で老舗佃煮店の佃煮を貰って食べたことがあるけど、あれは美味しかった。
俺も昔は自分で作って、オニギリの具にしたりご飯のおかずにしていたけど、フジバヤシ乾物店で売っている品の方が美味しいからな。
なにより種類も豊富だ。
乾物店なんだが、店長であるアキラが独自裁量で佃煮をミズホから仕入れたり、自分で作ったりするのだ。
リンガイア大陸の南方ではお米を食べるから、ご飯に合う佃煮は需要があった。
オニギリの具やご飯のおかずとして一般庶民も食べたが、保存食として冒険者も買いに来るようになったのだ。
魔法の袋を持つ魔法使いが入っていないパーティは、あまり豪勢な食事を用意できない。
オニギリを持参したり、現地でお米を炊いてスープを作りおかずは佃煮というケースが増えていた。
材料がミズホ産の佃煮は高級品で高かったが、アキラがバウルブルクやその周辺で入手した材料を炊いた佃煮は安かったので、これがよく売れている。
「乾物店なのに、佃煮店もしているのね」
「その辺は、臨機応変なんだと思う」
「保存が効いて塩気も多いから、冒険者に最適なのは確かね」
「というわけで、俺はフジバヤシ乾物店に行くのだ。イーナも来るか?」
「面白そうだから行ってみようかしら」
「あっ、あたいも行く!」
イーナとカチヤを連れてフジバヤシ乾物店まで行くと、店先から佃煮を煮るいい匂いが漂ってくる。
商売繁盛で急遽従業員を増やしたと聞いたが、佃煮を炊いているのはアキラ本人であった。
男らしさを目指すとか言っているが、料理が上手で佃煮を炊くことまで得意だとは……。
ますます女性と間違われそうである。
「バウマイスター伯爵様、いらっしゃいませ」
「なにを佃煮にしているんだ?」
「バライソウの新芽です。安く仕入れられたので」
バライソウとは、薬草と野草の中間地点にある植物であった。
食べると胃腸にいいと言われており、これを乾燥させて胃腸薬として用いることがある。
ただ、大陸南方では比較的大量に生えてるので、これを野菜代わりに食べる人は多い。
特に新芽が美味しく、草から新芽を採っても一ヵ月もすればまた新芽が出るので、冒険者は採取して料理に入れたりすることが多かった。
「バライソウの新芽を、佃煮にするのか」
「佃煮は、元々余った食材を長期保存するための料理ですから。試食をどうぞ」
「ありがとう」
「あたいも貰い!」
アキラが試食用の佃煮を配ると、店先は多くの客で賑わい始めた。
「ちょっと苦味も残っていて、大人の味だな」
「成功のようですね。お酒のツマミとしてもいいかもしれません」
今日は佃煮の特売と称して、多くの佃煮が並んでいた。
アナゴ、シラウオ、イカナゴ、ウナギ、カツオ、マグロ、アサリ、ハマグリ、シジミ、カキ、昆布、海苔、シイタケ、土筆などは材料も調理もミズホで行った品なので高価だった。
特に、マグロとウナギは高い。
前世でも、100グラム数千円は普通にしたからな。
まあ、バウマイスター伯爵である俺は全部買うけど。
「ヴェル……あれは大丈夫なの?」
「あれ?」
「旦那、虫じゃないのか? あれ?」
この大陸には、虫を食べる習慣はなかった。
勿論、ミズホ公爵領を除いてだ。
イナゴ、蜂の子、ザザムシ、生糸を取った後のカイコの佃煮もあった。
これは珍味の類なので、それほど量は置いていない。
貴重なので、これらも購入するのを忘れないようにしないと。
「ヴェルぅーーー」
「えっ? 美味しいけど?」
見た目はちょっと女性受けしないが、イナゴの佃煮とか美味しいんだけどなぁ……。
「買ったから、あとで試食してみればいいさ。結構美味しいよ」
「私は遠慮しておくわ……」
「あたいも……」
冒険者として、万が一食料が手に入り難い状況になった時、虫食もできれば生き残れる可能性は高いんだけどなぁ……。
イーナもカチヤも、虫を怖がる普通の女性だったというわけだ。
「ミズホ人でも、虫の佃煮を嫌がる人は多いですからね。逆に、もの凄く好む人もいますね」
ここで、すかさずアキラが女性二人をフォローした。
優しい男性はモテる……と思いたいが、アキラはあまり女性にモテないそうだ。
そりゃあ、自分よりも可愛い男性って、女性からしたらアイデンティティー喪失のピンチだものな。
デートとかで一緒に町を歩いていると、他人に比較されてしまいそうだ。
女性二人で遊んでいるように見えて、デートだと思われない可能性もあるな。
「ここで採れるキノコを佃煮にしてみました。どうぞ」
アキラは、虫ではなくてバウマイスター伯爵領で採れるキノコの佃煮も試食として出してくれた。
「美味い」
「ハミタケの食感もちゃんと残っていて美味しいわ」
「本当だ。ご飯が食べたくなるな」
佃煮は、食材によって調味料の配合や煮方を変えないといけない。
俺たちに出す前に、色々と試作を重ねたようだ。
とてもよく炊けており、イーナとカチヤも美味しそうに食べている。
「魚は、小鮒と泥鰌も試作しましたよ。どうぞ」
「これもいいな」
共にここで仕入れた食材をアキラが自分で炊いた品で、安めなのでよく売れていた。
試食をした客たちが、次々と佃煮を購入していく。
パンに佃煮は合わないが、バウマイスター伯爵領は俺が田んぼを広げた影響で米食が多いから、おかずに購入していく人が多いのだ。
やはり、アキラの商売の才能は凄いと思う。
「奮発してウナギの佃煮を買おうっと」
「俺はアサリの佃煮!」
またも休憩時間にトリスタンたちが姿を見せ、佃煮を試食してから購入して行った。
アキラが男性なのは気にならないというのは本当のようだ。
彼から嬉しそうに試食品を受け取り、律儀に品物を購入していく。
今日は給金の支給日だから、家族へのお土産という名目で、アキラに癒しを与えてもらっているようにしか見えない。
「トリスタンたち……家庭生活になにか問題でもあるのかね?」
まだ新婚なのに、家庭不和は勘弁してほしい。
もし相談とかされても、俺には対処できる経験値がないのだから。
「旦那、結婚して家庭を持って子供が産まれると色々とあるんだと。そっとしておいた方が優しさってもんだぜ」
「かもしれないな……」
カチヤは、両親のそういうのを見ているから詳しいのであろうか?
彼女のアドバイスがあまりに的確なので、俺は素直に従うことにした。
「時雨煮もありますよ」
時雨煮とは佃煮の一種で、生姜を加えたもののことを言う。
ミズホ公爵領にも存在し、ハマグリや魔物の肉を煮た商品が置かれている。
試食してみると、牛肉の時雨煮とよく似た味だった。
牛の肉質に似た魔物の肉を使っているものと思われる。
勿論牛肉の時雨煮もあるが、家畜の肉はとても高い。
一番の高値がついていた。
「とはいえ、これは買わないと損だな」
「結局、全種類買っちゃって……」
「いいじゃないか。長持ちするんだから。冒険者として活動する時の保存食にもなるんだから」
そしてなにより、好きな時に好きな佃煮を食べられる方が大切だ。
「確かに魔法の袋に入れておけば、鮮度の問題はなくなるけど……」
「冒険者として外出している先で、佃煮を煮るわけにもいかないからな。佃煮のストックは必要なんだ。あっそうだ! アキラ」
「はい」
「こういう商品は作れないか?」
「大丈夫だと思いますよ」
俺はアキラに新製品の作製を頼み、それができあがってから数日後、久々に冒険者として魔の森に出かけていた。
エリーゼたち女性陣は全員お休みで、今日はエル、導師、ブランタークさんで臨時パーティを組んでいる。
建て直されて豪華になった冒険者ギルド魔の森支部では、同じく受付をしていた冒険者たちから大いに注目されてしまったが、導師は気にもしないし、あの見た目と雰囲気なので話しかけてくる者もいなかった。
「冒険者の数は増えましたし、その質も上がりました。ですが、いまだ需要を満たしていない肉や素材が多いですね。フルーツや薬草なども少し不足気味です」
「今日は狩猟がメインなのである! 採集の方は、あまり期待しないでほしいのである!」
受付を終えると、四人で魔の森の奥深くまで移動した。
「この森は、相変わらず魔物が沢山いるのである! スレていないのも最高であるな!」
「スレてないって……釣りかよ……」
魔物の数は多かったが、ほとんど導師が一撃で殴り殺してしまうので、俺たちはさほど忙しくなかった。
「これはとんだ盲点だったな。すげえ暇になるとは……」
ブランタークさんもほとんど狩りに参加できず、魔法の袋から取り出した水筒の中身を飲んでいた。
「ブランタークさん、お酒ですか?」
「いいや、俺は狩りの最中に酒は飲まん。嫁さんがお茶を淹れてくれたんだ」
たまに破天荒な冒険者で、飲酒をしながら狩りをする人もいる。
だが、超一流の腕前を持つブランタークさんレベルになると、いかなる隙も作らないというわけだ。
イメージ的には、飲酒しながら狩りをしても不自然じゃないのだけど。
「ただ、このマテ茶は少し甘いのが欠点だな」
「でしたら、こちらはどうです?」
俺は魔法の袋から、冷たくしたミズホ茶を入れた水筒をブランタークさんに差し出した。
「これはほどよい苦味で美味しいな。ミズホ茶か。冷たくできるとは思わなかった」
ブランタークさんは、美味しそうに冷たいミズホ茶を飲み干した。
「ヴェル、こっちに魔物が来ないな」
「まあ、当然だよな」
デストロイヤーな導師が魔物を殴り殺すと、その周囲に死骸と血溜まりができ、血に誘われた魔物たちがさらに集まって来るからだ。
導師の活躍のおかげで、こちらにはほとんど魔物が来ない。
「ギルドの連中が、薬草と果物が不足しているって言っていたな」
「そっちを集めておくか」
俺、エル、ブランタークさんの三名は、フルーツと薬草、キノコなどの採集を行ってお昼までの時間を潰した。
「腹が減ったのである!」
そして、昼食の時間になった。
大暴れをした導師はお腹が空いたと言い……あれだけ暴れれば、お腹も空くであろう。
加えて、俺たちがいるので食事を準備していないようだ。
導師の目が、明らかに飯を出せと言っていた。
「導師、なにがあるかわからないんだから飯くらい用意しておけよ」
「当然非常食などの類は用意しているのである! だが、普段は非常食に手を出さないのが常識である! バウマイスター伯爵、某はオニギリが食べたいのである!」
オニギリが欲しいのか……。
随分と逞しい某画伯のようだ。
「それが目当てですか」
現在、バウマイスター伯爵領で活躍する冒険者たちの間で、オニギリが爆発的にヒットしていた。
美味しく、食べやすく、具材に融通が利き、お腹がいっぱいになりにくいからだ。
なんでも食べすぎればお腹いっぱいになると思うが、オニギリは食べる量の調整がしやすい利点もある。
ノンビリ食事が摂れない時に、片手で食べられるのもよかった。
「沢山作ってあるからいいですよ」
俺たちは、『魔法障壁』の中で昼食をとり始める。
大型の魔物が張られた『魔法障壁』をガリガリと引っかくが、今日はあまり魔力を使っていないので余裕であった。
「オニギリは美味しいのであるが、某にはちょっと小さいのである」
俺は普通サイズのオニギリを握らせたはずなのに、導師には物足りないらしい。
数を食べてお腹を満たそうと必死だ。
「この甘しょっぱい具が美味しいのである!」
導師は、昆布の佃煮が入ったオニギリをえらく気に入ったようだ。
「ミズホの食材ですよ」
「おおっ! 王都でも噂になっていたのである! バウマイスター伯爵が、バウルブルクの乾物店の女主人に執心で、よく通っていると」
「ちょっと待ってください!」
俺がアキラに懸想しているから、よくフジバヤシ乾物店に通っている?
実はアキラが男性なのは、バウマイスター伯爵領内では有名な話なのに、王都ではいまだアキラは女性ということになっているようだ。
「そんな噂になっているのですか?」
「そうである! バウマイスター伯爵も普通の男であったと、みんな噂しているのである!」
普通って……俺は今までどう思われていたのだ?
「導師、フジバヤシ乾物店の店主は男ですよ」
唖然とする俺に代わってエルが導師に事実を伝えるが、まさかそんな噂になっているとは思わなかった。
「なんと!」
エルの説明に驚いた導師は、持っていたオニギリを一口で頬張ると、突然俺の両肩を掴んだ。
「バウマイスター伯爵、男色はよくないのである! ホーエンハイム枢機卿に知られると事である!」
「俺はノーマルですし、フジバヤシ乾物店には商品目当てで通っているんですよ!」
俺が導師の誤解を解き終わる頃には、大量のオニギリはすべて導師の胃の中に納まっていた。
そういえば、俺はまだ一つしかオニギリを食べていなかったことに気がついてしまう。
実は俺をわざと動揺させて、その隙に導師がオニギリをすべて食べてしまう作戦だったのか?
「俺の分のオニギリィーーー!」
「ヴェル、パンならあるけど!」
「パンと味噌汁が合うかぁーーー!」
「そんなことを言われてもなぁ……」
今回は、アキラに試作を頼んだインスタント味噌汁も持参していた。
フリーズドライは難しいので、味噌にイリコと昆布の粉末を入れて出汁代わりに、具材にはワカメ、水抜きした豆腐、ネギ、アサリなどが入っている。
カップにスプーンで必要量を入れてからお湯を注ぐと味噌汁の完成というわけだ。
フリーズドライではないので保存が面倒だが、俺の場合は魔法の袋がある。
生味噌タイプのインスタント味噌汁でも、特に問題なく保存できた。
調理の手間を省き、お湯を注ぐだけで温かい飲み物が作れてしまうなんて。
ただ、この世界にはビニールもレトルトパックも存在しない。
魔法の袋なしでの保存と持ち運びには問題があった。
「クソぉ! このパンを使って味噌汁を豪華にするんだ!」
味噌汁にクルトンは意外と合う。
オニギリという主役を全部導師に食べられてしまった俺は、パンを一センチ角ほどの大きさに『ウィンドカッター』で切り、油にまぶしてから火魔法をバーナーの形にしてこんがりと焼いていった。
パンは美味しそうなクルトンになった。
それを味噌汁に入れれば、美味しい具材となるわけだ。
「カリカリのクルトンに、味噌汁を吸って柔らかくなったクルトンも美味しい」
「伯爵様、俺は料理作りのために、魔法のコントロールを教えたわけじゃないんだがな……」
「ブランタークさん、これも練習のうちですよ。飲むでしょう? 味噌汁」
「ああ、導師の奴、みんなの分までオニギリを食べてしまいやがって!」
俺も、エルも、ブランタークさんも、オニギリ一つだけじゃ足りないので、クルトン入りの味噌汁でお腹を満たした。
「バウマイスター伯爵、某がいる時はもっとオニギリを準備するべきなのである!」
肝心の導師はまるで悪びれた様子もなく、自分の分のクルトン入り味噌汁を豪快に飲み干すのであった。
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