第289話 兄と弟、弟と兄(後編)

「なっ……完全に手切れですか……」


「ローデリヒ、ある意味面白い奴を紹介してくれてありがとう」


「……」




 俺が事の顛末をみんなに伝えると、まずはローデリヒが絶句した。

 俺への苦情を言うよりも先に、想定を上回るアルバンのバカさ加減に言葉も出ないようだ。


「そんなわけで、石細工はもう売ってくれないってさ」


「それは困りましたな」


「そうか?」


 俺は思うのだけど、別に橋の欄干や街道の標識の先に石細工が付いていなくても、誰も困らないはずだ。

 それが付いていないと橋が落ちてしまう、魔法的な効果などがあれば話は別だけど。

 どうやらこの世界では、教会がその手の効果のお墨付きを出すなんてこともないみたいだ。

 もし橋が落ちると責任問題に発展するかもしれないから、おまじないの類に教会のお墨付きを出したくないのかも。

 ホーエンハイム枢機卿に聞いてみたことがないから、よくはわからないけど。 

 でももしかしたら、大昔にはそんな効果のある石細工があったかもしれないなぁ。


「拙者もそうは思うのですが……」


 ローデリヒをして、この世界の常識から脱するのは困難なようだ。

 うちほどの大物貴族ともなると、建設した橋や街道の標識に綺麗な石細工がついていないとおかしいという常識に縛られている。

 

「とにかくだ。リサやアマーリエ義姉さんの代わりに、あいつの妹二人を愛人にしろなんて平気で言う奴だ。二度と顔を合わせるのはゴメンだね」


 人が貴族の柵で苦労しているってのに、新たなキング・オブ・バカの相手は御免被りたい。

 余計なストレスの元を増やさないでほしいのだ。


「そもそも、そんなお話を受け入れられるはずもないのですが……」


 もし俺がその条件を呑んだら、次々と同じ提案をしてくる貴族が出てくるだろう。

 ローデリヒは、改めてアルバンのバカさ加減に呆れていた。


「ところで、石細工をどうしましょうか?」


「他から買えないのか?」


 確かに綺麗な石細工だけど、マッテゾン子爵領にしか生産地がないわけでもあるまい。

 向こうから売らないと言われた以上は、他から買うしかない。

 もしくは、バウマイスター伯爵領内で職人を育てるとか。


「あるにはあるのですが、そんなに大量に売ってもらえませんよ」


 その理由は、王国では常にどこかで橋や街道の建設工事が続けられているからだ。

 既存の街道標識や橋の修理もある。

 数十年、数百年も経てば、石細工も壊れたり風化してしまうものだからだ。


「今の王国は、バウマイスター伯爵領開発の影響で経済が上向いております。この機会にと、領内で新しい街道や橋の建設を計画している貴族も多いのです」


 石細工の需要は増えているが、他の石細工を作る産地も、そう簡単に生産量は増やせない。

 いきなり増産するのは難しいはずだ。


「マッテゾン子爵領以外から仕入れられるだけ仕入れて、あとはそのうちに石細工をつけます、で誤魔化そう」


 うん、いかにも日本人的ないいアイデアである。

 大した意味もない石細工は廃止すると言うと、俺は石細工職人たちから仕事を奪う悪人になってしまうからだ。

 石細工以外が完成したら、未完成でも街道や橋を開通させてしまい、石細工は手に入ったら取り付けます、という案で行こう。

 

「あらかじめ言っておくけど、俺は絶対に向こうと妥協しないからな」


 俺が妻に迎えたリサとアマーリエ義姉さんを年増扱いで、人の過去の傷までえぐり出しやがって。

 そこまで言っておいてから、自分も俺と同じだと言えるアルバンの性根が凄いというか、根本的に合わないので二度と顔を見たくない。


「ここで一時的に妥協しても、これから数十年もあの男とつき合うのかと考えると、とにかく嫌になる。典型的な貴族のバカ息子だな」


 俺も貴族だから同朋を批判したくないのだけど、あいつは色々と酷すぎると感じてしまったのだ。

 謝罪に来ると言われても、応対はしたくないなぁ。


「そうですね……ここで下手に妥協すると、あの手のタイプはますますつけ上がりますから……」


 自分の方が上だなんて勘違いでもされたら、これから数十年も上から目線で対応してくるだろうしな。

 長い目で見たら、マッテゾン子爵家とは断絶した方がうちの利益になるだろう。


「お館様の仰るとおりですな。なんとか他領からの仕入れに切り替えて対応します」


 ローデリヒは、マッテゾン子爵家との関係修復を俺に強要しなかった。

 噂でバカだとは知っていたが、アルバンがここまでバカだと見抜けなかった自分に責任があると思っているのであろう。


「しょうがないさ、なあ? エリーゼ」


「はい」


 あそこまで酷いのは、滅多に存在しないからな。

 『貴族の』バカ息子だから目立つのであって、実は子供がバカな割合に身分は関係ない。

 確率で言えば、貴族の息子は教育でマシになるのが多く、むしろ平民よりもバカは少ない。

 ただし貴族なので、少数のバカが悪目立ちするだけである。

 とはいえ、多かろうが少なかろうが、バカとはなるべく接したくないものだ。


「ですが、一応説明に行った方がいいですね」


「説明?」


「はい」


 というわけで翌日、俺は王都へと『瞬間移動』で飛んだ。

 今日のお供は、アマーリエ義姉さんであった。

 リサは妊娠しているから、『瞬間移動』は駄目なんだよなぁ。


「王都は久しぶりね」


 俺と、今日はメイド服姿じゃないアマーリエ義姉さんは、王城に出向いてゲーペル商務卿と面会した。

 彼は、最近商務卿を前任者と交代したばかりだ。

 四十前後の小太りな男性で、商店街の会長のような雰囲気を持つ男性であった。


「というわけです」


「またか……あの若造は……」


 ゲーペル商務卿に事情を説明すると、彼は舌打ちをしながらアルバンへの愚痴を溢した。


「またですか?」


「まただ。あの若造、どれほど自分が偉いと思っているのか知らんが、バウマイスター伯爵殿以前にも、何回か同じ問題を起こしているのさ」


 平気で相手を怒らせるようなことを言い、揉めると『お前の領地には石細工は売ってやらないぞ!』と言って激怒し、席を立ってしまう。

 ゲーペル商務卿の下には、何件かそんな情報が入ってきているそうだ。


「マッテゾン子爵領の石細工は、技術力が圧倒的に優れているからな。農地が少ないから、沢山ある石を細工して食うしかなかったわけだが……」


 マッテゾン子爵領は、昔は飢饉になると必ず飢え死にする者たちが出るほど貧しい領地だった。

 それが富裕な領地になったのは、代々のマッテゾン子爵が懸命に石細工職人を育て、保護してきたからだ。

 決してアルバンの手柄でもなんでもないと、ゲーペル商務卿は説明する。


「だから、デニスに継がせればよかったんだ! あのアホではどうにもならん!」


 デニスって、あの時にアルバンの後ろにいた異母兄だよな。

 あの兄貴の方が評価は高いのか。


「お詳しいのですね」


「私は商務閥の重鎮だからな。それよりも、問題はマッテゾン子爵領のことだ」


 いくら技術があるとはいえ、肝心の新マッテゾン子爵がこの調子では石細工を買う客がいなくなってしまう。

 石細工業が死ねば、マッテゾン子爵領は以前の貧乏領地に戻ってしまうのだと、ゲーペル商務卿が説明した。


「飢饉になって、周辺の領地に流民が押し寄せでもしたら目も当てられん。大体、石細工は食料とは違って生活必需品じゃないんだぞ!」


 なぜ、橋の欄干や街道の標識に石細工を載せるのか?

 それは、王国や大物貴族が考えた経済のためのものだからだ。

 いらないと言って付けなければ、そこに需要と金の流れが発生しない。

 王国や大物貴族が工事費用を増やしてでも石細工を橋や街道に使い、それで石細工職人が生活できるようにする。

 無駄だからといって削ってしまっていいものではないが、向こうが殿様商売で嫌われれば、客がいなくなっても仕方がないという話になってしまう。


「バウマイスター伯爵領の開発は王国政府の肝入りだ。石細工は橋や街道の完成時に付いていればいいが、いつ完成したかなんてバウマイスター伯爵殿次第。気長に待って、他の領地から輸入したものを取りつければいい。こんなことを続けていると、マッテゾン子爵領の石細工職人たちは仕事を失うぞ!」


 そう。

 無理にマッテゾン子爵領から石細工を買わなくても、他の領地から入ってくるのを気長に待てばいいのだ。

 完成してはいないが一応使える橋や街道が沢山あっても、それは大規模開発中であるバウマイスター伯爵領内だから問題にならない。

 石細工がなくても、他が完成していればなにも問題はないからな。


「バウマイスター伯爵殿が必ず石細工を付けると約束した以上、私からはなにも言えん。注文して届かないものにケチをつけるわけにいかないのだから。それよりも、マッテゾン子爵領のことだな」


「ゲーペル商務卿の寄子なのですか?」


「だったらどんなに楽か……圧力をかけて、デニスを次期当主にできるからな。他の手を考えるしかあるまい……」


「マッテゾン子爵領の石細工職人たちが、仕事を失わない方法はなくもないです」


「その方法は容易に思いつくが、表立って手を打つのは感心しないな」


 その方法とは、マッテゾン子爵領から腕のいい石細工職人たちを引き抜くであった。

 ただ、その方法は他の貴族たちからいい顔をされないのは確実であった。

 貴族なら誰しも、自分の領民を他の貴族に引き抜かれたら、気分はよくないのだから。


「ただ、いよいよ石細工職人たちが困窮した結果、将来うちに逃げ込むという可能性もありますよ」


 バウマイスター伯爵領にも石は沢山あるし、しばらく建設重要は減らないので、目端が利く石細工職人たちがバウマイスター伯爵領に逃げ込む可能性も十分にあり得た。


「その場合、彼らが飢え死にしても、マッテゾン子爵領に送り返す必要がありますかね?」


 念のためだが、ゲーペル商務卿に確認を取っておこうと思ったのだ。

 まさかそうなった時に、石細工職人たちを送り返すわけにいかないが、先にその可能性を示唆しておいて、ゲーペル商務卿の許可を取っておけば、他の貴族たちからの攻撃が減るからだ。

 ゼロにならないのは……無条件に領民の移動を嫌う貴族ってのが存在するからだ。

 一種のアレルギー反応というか、領民に逃げられたと噂されるだけで嫌な貴族というのは存在する。

 アルバンと同レベルのバカもいるという、悲しい現実もあるけど。


「その場合は、緊急避難的な意味で黙認するしかない。腕のいい職人たちが仕事がなくて飢え死にするなんて、そんな損失を商務卿としては容認できないのでな。ただし、あくまでも黙認だ」


「黙認でもありがたいです」


 ゲーペル商務卿も貴族なので、領民の逃散を公式に許可するわけにいかないからであろう。

 だが、そのせいで領民たちが飢え死にしてしまったら目覚めが悪い。

 だから、統治状態が酷い領地からの逃走を黙認するわけだ。

 黙認というのが、在地貴族たちへの配慮なのであろう。


「大変、有意義な時間を過ごせました」


「私もだが……はあ……どうしたものかな……」


 会見は短時間で終わり、ゲーペル商務卿は深刻そうな表情で考え事をしながら俺たちの下を去った。

 アルバンに対し、なんらかの処置を取らなければいけないと思っているのであろう。


「アマーリエ義姉さん、行きますか?」


「ええ」


 次は、エーリッヒ兄さんと彼の屋敷で会う約束なのだが、仕事を終えた彼が帰宅するまでにはまだ時間があった。

 そこで、久しぶりに二人だけで喫茶店に入ってみる。

 服装を庶民向けのものに着替え、俺がバウマイスター伯爵だとバレないようにしてだ。


「マテ茶とケーキのセットで」


「私も同じものでいいわ」


 俺とアマーリエ義姉さんは、すぐにウェイトレスを呼んでお茶とケーキを注文した。

 するとすぐに、注文した品がテーブルの上に置かれる。


「私たちって、周囲から見るとどういう風に見えるのかしら?」


 どうなのだろう?

 別に日本だと、このくらいの年齢差のカップルや夫婦もいなくはないよな。

 この世界だと……弟と姉が妥当な線かな?


「弟と姉、もしくは、私が大貴族の正妻だとしたら、若いツバメとか?」


 子供を産んで役割を終えた大貴族の正妻の中には、若い男性を囲う人も一定数いると聞く。

 たまに、年配の貴族女性が若いイケメンの男性を連れているのがそれだ。

 ホストに嵌るようなものなのだろうな。

 夫である貴族も、若い側室や愛人しか相手にしないケースが多いから、浮気相手の子供さえ産まなければ夫公認なんて人も多いらしい。

 俺の周りにはいないけどね。

 特にエリーゼの実家は教会関連だから、そんなことをしていたら非難されてしまうのだから。


「アマーリエ義姉さん、そこまでの年齢差はないですよ」


「それもそうか、なら普通に弟と姉よね」


 そんな感じだよな。

 ふと思い起こせば、実の兄であるクルトよりもアマーリエ義姉さんとの会話の方が多かったくらいなので、クルトよりも姉弟(きょうだい)ぽいかもしれない。

 

「ヴェル君、気にしては駄目よ」


「いや、俺は別に……」


 アマーリエ義姉さんが、優しく諭すように俺に言う。


「ならいいけど、所詮は他人の無責任な意見だものね」


「ええ……」


 アマーリエ義姉さんは、俺がアルバンの暴言を気にしているのではないかと心配してくれたようだ。

 俺は気にしているのだろうか?

 アルバンの奴は、俺と自分が同じだと言って仲良くなろうとしたけど、色々と違いすぎて同調できなかった。

 俺は、結果的に実の兄を排除した。

 アルバンも、異母兄を排除しようとしてるのだろうか?

 でも、全然前提条件が違うんだけどな。

 落ち込むほど気にしているわけではないが、言われてしまったせいで心の片隅に引っかかっている。

 そんな感じだ。


「つい色々と考えてしまうけど、きっと考えてもなにも解決しないのよ。全部過去のことだから。人は過去には戻れないもの」


「そうですね」


 アマーリエ義姉さんの言うとおりだ。

 アルバンの暴言のせいで、過去のことまで色々と考えてしまうけど、考えてもなにかが変わるわけじゃないんだよな。

 もうすでに終わったことなので、結末を書き直したりはできないのだから。


「だから、気にしては駄目よ」


「はい」


 アマーリエ義姉さんにそう言われて、気が楽になったような気がする。

 すると、段々とあのアルバンとかいうバカに仕返してやりたくなった。

 あいつ、アマーリエ義姉さんのことを年増扱いしたからな。


「ああ、でも……」


「なに?」


「俺は、アマーリエ義姉さんとカール、オスカーにしか悪いと思っていないかも……」


 なんとなくそんな感じはしたのだけど、実際に口にしてみると、俺はかなり酷いことを言っているな


「私たちに?」


「結果的に、一つの家族を壊してしまいましたから」


 今、アマーリエ義姉さんが母子で別れて暮らしているのは、俺が原因なのだから。

 

「そんな風に思っていたんだ……でも、気にしなくていいわよ」


「どうしてですか?」


「たとえ実の子でも、カールとオスカーが心の底でどう思っているのかはわからないわ。表面上は、あなたを慕っていてもね。でも、私は酷い女で、この生活を気に入っているのよ」


「気に入っているのですか……」


「周囲は私を酷い女だと思うかもしれないけど、私は今の生活が気に入っているの。だから、気にしないで」


「はい」


 アマーリエ義姉さんにそう言われて、俺はまた少し救われたような気がした。


「アマーリエ義姉さん、そろそろ行きましょうか?」


「そうね」


 俺たちは喫茶店を出てから、今度は王都のあるお店へと向かう。

 実は、エリーゼたちにあるものを取ってきてくれと頼まれたのだ。


「妊婦用の下着なんだよなぁ……アマーリエ義姉さんがいなかったら、恥ずかしくて取りに行けなかったかも……」


 俺しか取りに行けないとはいえ、ランジェリーショップにはあまり入りたくないものだ。

 アマーリエ義姉さんがいるから、なんとか格好がつくのだけは救いだな。


「そう恥ずかしがることはないぞ。バウマイスター伯爵殿」


「えっ!」


 王都でも有名な高級下着店に入ると、そこにはあの魔導ギルドの研究部門のトップ、ルーカス・ゲッツ・ベッケンバウアー氏の姿があった。

 彼は魔法陣でイーナとルイーゼの下着を召喚した変態である……ああ、魔法で下着を召喚したのは俺か……。


「そういえば、前に実家はランジェリーショップだと言っていましたね」


 妙に下着にも詳しかったからな。


「そうだ、ここはワシの兄貴が継いでいたのだ」


「それで、今日はなぜここに?」


「手伝いだよ」


 このランジェリーショップは、ベッケンバウアー氏の兄が継いでいた。

 過去形なのは、つい先日そのお兄さんが急死してしまったらしい。

 さらに彼には子供がおらず、跡取りとしてベッケンバウアー氏の次男が養子として入ったのだそうだ。


「急遽新しいオーナーが跡を継いだのはいいが、まだ若造で色々と問題が発生しておってな。ワシや妻も、休みの日に手伝っておるのだ」


「そうなんですか……」


 この人、下着への知識には素晴らしいものがあるのだけど、少し変態だからなぁ……。


「奥方たちが注文した妊婦用の下着であろう? 勿論出来上がっておるぞ」


 というかこの人、よく俺の奥さんたちが注文した品まで把握しているよな。


「注文してくれた数が多かったからな。たまたま覚えていただけだよ」


 そう言ってから、ベッケンバウアー氏は俺に完成した下着を確認するようにと一枚一枚広げて見せてくれた。

 さすがはというべきであろうか?

 下着の扱いは上手なのだが、やはり変態ジジイにしか見えない。

 人間、第一印象が重要というわけだ。


「以上だな。あとは、そちらの奥方の分も買って行くのであろう?」


「はい」


 変態だけど、ベッケンバウアー氏は商売が上手だ。

 他の奥さんの分の下着を購入して、アマーリエ義姉さんの分だけなしというのは不公平だものな。


「えっ……私はいいわよ」


「いいじゃないですか。今日のお礼ですよ」


 あとで、その下着姿を見る俺にも得があるので誰も損はしない。

 俺はベッケンバウアー氏に、お勧めの下着を尋ねた。


「試着等があるので、ワシよりもワシの妻に任せよう。おーーーい!」


「はあーーーい。バウマイスター伯爵様でいらっしゃいますね。いつもありがとうございます」


 俺も試着姿を見るわけにはいかないので、あとはベッケンバウアー氏の奥さんが対応してくれた。

 試着室があるので、そこで俺たちに見えないようにアマーリエ義姉さんに色々な下着を試着させてくれたのだ。


「少し大胆じゃありませんか?」


「このくらい派手な方が、旦那様も喜びますわよ」


「布地が少ないのですが……」


「奥様、これが今の王都の流行なんです。色も今年は黒が流行しています」


「黒ですか? 私は白が好きなんですけど……」


「同じ色ばかりだと、旦那様も飽きてしまいますよ」


 話を聞くだけでも楽しみ……じゃなかった。

 随分と大胆な下着を勧められているようだ。


「バウマイスター伯爵様、お済になられましたが」


「手数をおかけしました、勘定をお願いします」


「はい、毎度ありがとうございます」


 どんな下着かはあとのお楽しみということにして、俺はベッケンバウアー氏の奥さんに下着の代金を支払った。


「バウマイスター伯爵様、もっと多くの奥さんを貰って、沢山の下着を買いに来てくださいね」


 そして、ベッケンバウアー氏の奥さんの発言に目を丸くさせる。

 さすがにそれはない……と思いたかった。


「バウマイスター伯爵殿、お買い上げ感謝する」


「それはいいのですけど、例の魔法陣ってどうなりました?」


 俺の魔力で色々なものを遠方から召喚した、あの魔法陣の研究が進んだのかをベッケンバウアー氏に尋ねてみた。

 というか、あんたの本業はそっちじゃないか。


「ああいう魔法陣の改良は、天文学的な試行回数を繰り返さないと駄目だからな。全然進んでおらぬ」


 研究が進んでいないのに、ベッケンバウアー氏はそれを気にする様子もない。

 その状態でランジェリーショップの手伝いとは、この人はかなりいい性格をしていると思う。


「それよりもだ、奥方殿、今日の下着は加齢による胸やお尻のタレを補正してくれる機能があるのです。是非ご活用を……」


「まだそこまで垂れていません!」


「あんたは、どうしていつも一言多いのよ!」


 またもベッケンバウアー氏が余計なひと言を言ってしまい、アマーリエ義姉さんと奥さんからダブルビンタを食らっていた。

 やはり、この人がランジェリーショップを継がないで正解のようであった。




 


「ヴェル、待っていたよ。アマーリエ義姉さんもお久しぶりですね」


 下着屋を出ると、ちょうどエーリッヒ兄さんの終業の時刻となった。

 彼の屋敷に向かうと、玄関先で俺たちを出迎えてくれる。


「エーリッヒ様も立派になられましたね」


「そうですかね? 本人は実感がないのですけど」


 アマーリエ義姉さんはバウマイスター家の籍を抜けていないので、エーリッヒ兄さんから見てもいまだに義姉であった。

 女性受けではチートな才能を持つエーリッヒ兄さんなので、久しぶりでもアマーリエ義姉さんと楽しそうに話をしている。

 そう、エーリッヒ兄さんは本物のリア充なのだ

 二人は仲良く会話を続けていた。


「アマーリエ義姉さん、またバカが出たと聞きましたが……」


「はい」


 エーリッヒ兄さんの言うバカとは、勿論アルバンのことだ。


「エーリッヒ兄さん、どうして俺の下にはバカな貴族たちが集まるのでしょうか?」


「ヴェル、それに対する正式な返答がほしいのかい?」


「いいえ、ただの愚痴です」


 バカの相手をさせられた後に、必ずそう思うだけだ。

 どうして俺を目指してやってくるのかと。


「愚痴かぁ……念のために言っておくけど、私とヴェルの下を訪ねる貴族でバカな奴の確率に変わりはないよ」


「確率ですか?」


「そう、今のヴェルには私の百倍以上の客が押し寄せているからね。例えば十人一人の割合でバカがいた場合、私のところには一人バカが来て、ヴェルのところには百人が来るというわけさ」


 大半はローデリヒたちが弾いていると思うけど、それでもたまに混じるからなぁ。


「マッテゾン子爵家の次男はバカで有名だからね。長男の方はよくできた人だと評判だ」


 アルバンの後ろにいたデニスという青年、やはり優秀な人らしい。


「でも、血筋が悪いのでは? アルバン本人が下賤な血だと言っていましたよ」


「別にそこまで悪くないよ」


 あとは、エーリッヒ兄さんが夕食を用意してくれたので、それを食べながらの話になった。

 

「今のマッテゾン子爵は、ホーラッド男爵家から正妻を迎え入れたのさ」


 ところが、その正妻が三十歳近くになっても子供ができなかった。

 この時代だと、当たり前のように側室が迎え入れられる。


「王都の貧乏騎士の八女、それがデニス殿と二人の妹たちの母親さ」


「八女という部分にシンパシーを感じますね……」


 俺は八男だからな。

 こういう場合、その側室が産んだ嫡男を正妻の養子に入れるなどする。

 ところが側室がデニスを産んでからすぐ、これまで子供ができなかった正妻に子供できてしまったらしい。


「うわっ、面倒な話」


 当然正妻としては、自分が腹を痛めて産んだ子供に跡を継いでほしいわけだ。

 その瞬間から、マッテゾン子爵家は御家騒動に巻き込まれることとなる。

 家臣や領民たちも、彼らが成人するまでにアルバン派とデニス派に分かれてしまった。


「八女でも騎士の娘なら、青い血なので下賤扱いされるのはおかしいのでは?」


「そうだね、でも血筋くらいしかアルバンには有利な点がないんだ」


 こうして一歳違いの兄弟が誕生したわけだが、兄のデニスはなにをしても優秀なのに、弟のアルバンはご察しのとおりだ。

 次第に、デニスの方が跡取りに相応しいという意見が増えてくる。

 これにアルバンの母親である正妻と一部家臣たちが反発し、当主の病気と重なって、大きな問題になっているというわけだ。


「どこにでもありそうな御家騒動ですか……」


「アルバンは自分が優位に立つために、デニスを下賤の血だと批判するようになったわけだね。それしか手がないとも言えるけど……」


 能力は、完全にデニスの方が上だからだ。

 自分が正妻の子だという部分しか、有利な点がないのが辛い。


「なるほど、大変ですね」


「ヴェルはやっぱり放置するかい?」


「向こうから、石細工を売ってやらないと言われましたからね」


「そうだね、ヴェルの方から歩み寄ると舐められる可能性があるね。やめた方がいい」


 マッテゾン子爵家の話についてはそれで終わり、あとは楽しく世間話をしながら夕食を取ってバウルブルクの屋敷へと戻った。

 こういう時には、『瞬間移動』はとても便利である。

 自分の屋敷に戻るとエリーゼたちに頼まれた妊婦用の下着を渡し、その日はアマーリエ義姉さんが購入した下着をちゃんと確認してから……その先もあるけど……就寝するのであった。






「ヴェル君、お客様よ」


 そして翌日。

 再びメイド服姿のアマーリエ義姉さんが、俺に来客があると伝えてくれた。

 

「アマーリエ義姉さん、別に今日はメイド服姿でなくてもいいのでは?」


「なんか、気に入ってしまったのよ」

 

 アマーリエ義姉さんが着ているメイド服は、帝国内戦中に試作した現代風のものだ。

 バウマイスター伯爵家で採用する時にはスカートの丈を長めにしたけど、従来のものよりも可愛いデザインになっている。


「それよりも、客って誰です?」


「例のマッテゾン子爵家の長男さんよ」


 あれからアルバンは激怒して領地に戻ってしまったそうだが、長男の方は残っていたらしい。

 しかし、俺になんの用事なのだろうか?


「時間はあるし、少しくらいは話を聞くか……」


 石細工の仕入れの件もある。

 一応、話くらいは聞いておくべきであろう。


「デニスと申します」


「バウマイスター伯爵だ。時間がないので、手短に話をしてくれ」


 話くらいは聞くつもりだが、他の予定もあるのでそう長々と話は聞いていられない。

 それに、こういう時はこちらが強気に出ないと駄目なので、俺は早く話せと彼を急かした。


「バウマイスター伯爵様、再び我がマッテゾン子爵領の石細工を購入していただきたく」


「お前はバカか?」


 俺は、このデニスという男が、今回の問題の本質をちゃんと理解しているのか不安になってしまった。

 別にうちは購入してもいいのに、向こうが売らないと言ってきたのだから。


「俺よりも、先にアルバンの方を説得してこいよ」


「それは……」


 できないんだろうな。

 デニスからすればアルバンは弟だが、正妻の嫡男でもある。

 注意しようとにも、血筋的にできないと思っているのであろう。

 もし下手に異母弟に注意などしたら、彼を支持する家臣たちの攻撃を受けてしまう。

 その結果、領内が御家騒動で割れてしまい、それはよくないと思っているはず。


「なんとか、バウマイスター伯爵様に御助力をいただきたく……」


「どうして俺が?」


 そちらが会見を望み、勝手にわけのわからん提案をして俺を怒らせ、挙句に石細工は売らないと言われたのだ。

 こちらがなにを協力するというのだ。


「こちらの妻の序列に口を出し、挙句に妹たちを愛人として押し込もうとしたよな?」


「それは……」


「その時点ですでに手切れなんだよ。石細工は他の領地から買うし、多少石細工の設置が遅れても王国はなにも言わないってさ。じゃあ、そういうことで」


 これ以上話を聞いても、時間の無駄だ。

 向こうに妥協する理由がないので、俺は急ぎ席を立った。


「待ってください! このままだと、我がマッテゾン子爵領の石細工業は……」


「俺のせいじゃないだろう」


 それに、バウマイスター伯爵家との取引がなくなっても、他にいくらでも顧客がいるじゃないか。

 アルバンのせいで、それも徐々に減っているようだけど……。


「そこをなんとか……」


「デニス殿、あんたは基本的に間違っている。間違っている人に手は貸せないな。貸しても無駄だから」


「バウマイスター伯爵様、それはどういう?」


「デニス殿は優秀らしいが、自分の身が汚れるのは嫌らしいな。いや、優秀だからこそ、身が汚れるのが嫌なのかな?」


 デニスが今しなければならないことは、家臣や領民たちと協力してアルバンを廃嫡し、自分が新しいマッテゾン子爵家の当主になって、俺と関係改善をすることだ。

 ところが、デニスはそれをしたくないらしい。

 

「デニス殿は、駄目な弟領主を支える優秀な兄という世間の評価を捨てたくないんだろう?」


「……」


 もしここでデニスが弟を廃嫡すると、いくら駄目な弟でも本来の嫡男を追い落とした怖い兄だと非難する者が必ず出てくる。

 デニスは、そういう評価を受けるのが嫌なのであろう。


「デニス殿に残された道は二つ。弟を追い落として次期当主になるか、領地を出ることだね」


「領地を出る、ですか?」


「これからも弟の補佐ができると思っているのなら、甘いんじゃないか? いくら上手く補佐しても、アルバンはデニス殿に憎悪を燃やすだけだ」


 アルバンは、デニスが自分を追い落とそうとしていると危険視している。

 このままだと、デニスの暗殺を目論むかもしれなかった。


「アルバンとデニス殿、どちらが家臣の支持が多い?」


「……」


「沈黙したということは、デニス殿の方だと俺は思うからな」


「……」


 デニスは反論しなかったので、家臣たちの支持は彼の方が厚いのであろう。


「なら、心を鬼にしてアルバンを廃嫡するしかないな。もしこのまま彼が次期領主として活動すると、デニス殿の妹たちはもっと苦境に追いやられるぞ」


 マッテゾン子爵家が困窮すればするほど、妹たちは条件の悪い家に送り出されるであろう。

 なにしろアルバンは、異母妹たちも好きではない。

 道具として使うのに、なんの躊躇いもないのだから。


「覚悟を決めるしかないな。少なくとも、俺はアルバンと交渉する気にはならない」


「アルバン様とは交渉しないですか……」


「悪いけど、顔を見るのも嫌」


「……わかりました。妹たちのためにも泥を被りましょう」


 覚悟を決めたデニスは、俺の下を辞して領地へと戻っていく。

 そして一週間後、魔導携帯通信機にブライヒレーダー辺境伯から通信が入った。


『アルバンが廃嫡ですか』


『元から駄目な跡取りだと評判でしたからね。家臣や領民たちが兄の方を次期当主にしろと、病床の現当主に迫ったそうですよ』


『現当主は、受け入れたのですか?』


『アルバンが色々と問題を起こしていましたからね。あっさりと受け入れたようです』


『そうですか』


 さらに一週間後。

 無事に病床の父親から、当主の座を受け継いだデニスが挨拶に訪れた。


「アルバンとその母親は、教会行きにしました」


 情けをかけて領地に残すと、またなにかしでかすかもしれない。

 デニスは、二人を教会に送り込んだか。


「これでよろしいですか?」


「満足です」


 普通に会見をするだけだったはずなのに、えらく時間がかかったものだ。

 

「つきましては、しばらくは石細工の値引きを。こちらも生活もあるので、大幅には値引きできませんが……」


「それはありがたい」


 会見は無事に進むが、最後にデニスは一通の手紙を俺に渡した。

 今も病床にある前マッテゾン子爵からのものだ。


「なになに……『デニスの背中を押していただき感謝いたします』か……」


「父にアルバンの廃嫡を迫った時、『ようやく決心したか』と言われました」


 なんのことはない。

 デニスの父親も、アルバンは次期当主に相応しくないと思っていたようだ。

 正妻の子供だし、いい補佐があれば……そう思っていたのに、予想以上に彼が酷いので、デニスに継いでほしいと願うようになったというわけだ。


「父は、安心して死ねると」


 こうして、会見は無事に終了した。

 私室に戻ると、そこにマテ茶を持ったアマーリエ義姉さんが姿を見せた。


「ヴェル君は優しいわね」


「そうですか? 結構厳しいことを言いましたけど」


 実の弟を追い落とせ、だものな。

 とても優しいとは言えないはず。


「結果的には上手くいったじゃない。私が勝手にそう思っているだけだから、ヴェル君がそう思っていなくてもいいのよ」


「俺は優しいですかね?」


「ええ、優しいわよ」


 アマーリエ義姉さんからそんな風に言われてしまうと、段々とそんな気がしてきた。

 これも、俺がもうすぐ父親になるからかな?


「エリーゼさんたち、もうすぐね」


「楽しみです」


「そうね」


 俺は、アマーリエ義姉さんとマテ茶を飲みながら話を続ける。

 エリーゼの出産予定日まで、すでに二ヵ月を切っていた。

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