第276話 サングラス
「ふと思ったんだが……」
「なにをですか? あなた」
いつもの朝食の時間。
俺は、ふいにあることを思いついた。
そして、それがなんなのかを訪ねてくるエリーゼ。
「俺は、臨時とはいえ先生になったよな?」
「そうだけど、それがどうしたの?」
俺がなにを言いたいのかわからないらしく、イーナも話に加わってきた。
「残念ながら、俺はまだ先生としては若い」
「そうかな? 魔法が使えればいいんじゃないの?」
ルイーゼも話に加わってきた。
「ルイーゼ、確かに魔法が使えないと魔法を教える先生にはなれない。だが、魔法が使えるだけでも先生にはなれないのさ」
「なにそれ? 難しいお話? なら、ボクには無理だよ」
と言って、ルイーゼは食事に戻ってしまった。
妊娠してから段々と食欲が増してきた彼女は、さらに沢山食べるようになった。
今もご飯を丼で食べているが、その割にはいくら食べてもあまり体形に変化がないのは不思議だ。
まさか、体の密度が増して重たくなった、なんてことはないよな?
「それはつまり、先生としての威厳が必要ということですか?」
「そう、それ!」
カタリーナは、俺の考えに気がついてくれた。
『先生』とは、先に生きると書く。
年配の人物が教えるケースが多く、それは知識や経験も然ることながら、年月を経て醸し出される威厳のようなものが、教師には必要だと俺は思うのだ。
「ヴェンデリンさんが、導師様やお師匠様のようになるには時間がかかりますし、今の臨時講師の期間には間に合いませんわよ」
「ヴェル様が実際に年を取らないと、そういうのは身に付かない」
カタリーナとヴィルマの言うことは正論で、俺に威厳が出るには年月が必要だろうな。
「それは確かにそうなんだけど、それをある程度解決する方法がある」
「そんな便利なものがあったかの? 威厳というのは統治者にも必要でな。だから、若い統治者は色々と大変な思いをするわけじゃ。若いとそれだけで舐められるのでな。親や祖父に後見してもらう方法もあるが、それをすると傀儡だと言われてしまう。そう簡単に威厳は身につかぬぞ」
最近は、ほぼ毎日毎食食事をとりにくるテレーゼが、『そんなに都合のいいものが本当にあるのか?』というニュアンスで俺に聞いてきた。
「あるさ」
「ほう、なんなのだ? それは」
「眼鏡です!」
そう、眼鏡だ。
眼鏡とは、不思議なアイテムである。
かけているだけで、その人の知性が何割かアップしたように見えてしまうし、真面目な印象を与える。
学校の先生が眼鏡をかけていると、なんか先生という感じがしてしまうではないか。
俺が若い先生なのは、隠しようもない事実だ。
だが、ここで眼鏡をかけて講義を行えば、俺の威厳や真面目度も上がるはず。
前世も今世も、俺は目がいいのだけが自慢で眼鏡に縁がなかった。
本来必要がないアイテムであったが、伊達眼鏡を購入して講義の時にかければ効果抜群だと思うのだ。
「というわけで、今日は眼鏡を探しに行くぞ」
「行ってらっしゃいませ」
「……」
なんだろう?
エリーゼの対応が、いつもよりも若干冷たいような気がする。
「イーナもそう思うだろう?」
「そうね、ヴェルの自由にすればいいと思うわ」
「……」
あれ?
イーナの対応も、なぜか冷たいな。
「ええと、ルイーゼさん?」
「眼鏡をかけると真面目っていう話がよくわからないよ。そんなの関係ないと思うな」
「真面目に見えないか?」
「全然、『ああ、お金持ちなんだ』と思うね」
「……」
そうであった。
前世とこの世界では、眼鏡に対する評価がまるで違うのだ。
目が悪くても、お金がない人は眼鏡をかけられない。
だから眼鏡とはお金持ちが購入するもので、そこに真面目とか知性的とかは関係ないと思われているようだ。
これはとんだ誤算であった。
「とにかくだ、俺は眼鏡を買うぞ」
「ヴェルって、目が悪かったの?」
「いいや、全然」
前世も今も、俺の視力はとてもよかった。
目が悪くないから眼鏡をかけてはいけないという法もないと、俺は思う。
「まあ、欲しければ別にいいけど……」
イーナに微妙な顔をされてしまうが、俺が眼鏡をかければ、きっと生徒たちは俺を威厳のある素晴らしい先生だと思ってくれるはずだ。
そんなわけで俺は、講義が終わった午後に王都にある老舗の眼鏡屋へと出かけるのであった。
「眼鏡屋があった」
「いかにも高級なイメージだな、旦那」
「それは、金持ちしか買えないからだな。でもさ、目が悪いわけでもないのに金が勿体なくないか?」
今日はエルが付いてきており、他はカチヤとヴィルマの合計四名で、王都にある有名な老舗の眼鏡屋の前に立っていた。
眼鏡は非常に高価で、お金持ちしか購入できないものなので、お店の構えも同じく高級なイメージを感じさせる。
だが、眼鏡を購入する人は少ないようで、お店はこじんまりとしていた。
あまり大店にする必要がないのであろう。
「目が悪い人で、眼鏡が買える金持ちが少ないのか?」
現代社会のように人間の視力が全体的に衰えているという事実もなく、ちょっと目が悪い程度だと眼鏡は必要なく、目が悪くてもお金がなければ眼鏡を購入しない。
ここは、そういう世界というわけだ。
『目が悪くても眼鏡が買えないと、生活に困ってしまうのでは?』と思わなくもないけど。
「じゃあ、入るか」
「いらっしゃいませ」
店に入ると、店主と思われる中年男性が俺たちを出迎えた。
「眼鏡をご要望でしょうか?」
「ああ、そうだ」
偉そうな口調で答えるが、伯爵になると逆にこういう口調にしないと相手の方が困ってしまうケースが多いので仕方がない。
前世では、上司や得意先にペコペコしていたので慣れるのが大変なのだ。
たった三年ほどのサラリーマン生活だったのに、よくぞここまで染みついて離れないものだと。
「あの……バウマイスター伯爵様ですよね?」
「ああ」
「やはりそうでしたか! アグネスがお世話になっております。おいっ! アグネス!」
なんとこの眼鏡屋は、今俺が魔法を教えている委員長キャラアグネスの実家であった。
もしやと思わなくもなかったが、俺は王都にはもっと沢山の眼鏡屋があると思っていたので、違う可能性の方が高いと思っていたのだ。
「お父さん、どうしたの? あっ! 先生だ! こんにちは」
予備校にいる時のローブ姿ではなく、今日のアグネスは私服姿であった。
さすがは都会の女性……こう言うと俺が田舎者のように思われてしまいそうだが、バウマイスター騎士爵領の女性たちに比べると、やはり王都の人間はファッションでは圧倒的に垢ぬけていた。
「先生も、目がお悪いのですか?」
アグネスも眼鏡をかけているので、彼女は俺も目が悪いと思ったようだ。
「いや、あくまでも威厳の確保のためだ」
「ええと……どういう意味でしょうか?」
アグネスは、俺の言い分に首を傾げていた。
「ヴェル、素人のお嬢さんをお前の妙な常識に巻き込むなよ……つまりね……」
エルが、俺が教師として必要な威厳を手に入れるために眼鏡を欲しているのだと説明した。
「俺も意味がわからないんだけど、眼鏡をかけると知的に見えたり、威厳が出たりするのか?」
「そうですね……アカデミーの教授や、書類と睨めっこをしている法衣貴族の方々で眼鏡をかけている人は多いですよ」
本や書類ばかり見ているから目が悪くなり、この世界は親の職を子が引き継ぐことが多いので、代々眼鏡になるテクノクラート階級や貴族が多くなる。
だから自然と、眼鏡をかけている人は知的に見えるのかもと、アグネスは答えた。
どうやら彼女が眼鏡屋の娘だからこそ、俺と同じような価値観を有しているようだ。
エルの場合は……地方には眼鏡をかけている人が少ないからであろう。
「ほら見ろ、だから俺は眼鏡をかけて先生らしくするのさ」
「そんな俄かで大丈夫か?」
「ヴィルマ、あたいにはさっぱりわからないんだけど」
「私にもよくわからない」
エルは、眼鏡をかけたくらいで、そんな急に知性や威厳が出るのか疑問に思っているようだ。
カチヤとヴィルマもどう答えていいのかわからないようで、二人で首を傾げていた。
「先生!」
「どうした? アグネス」
「先生は、もっと自信を持っていいと思います。先生は私たちとそんなに年が変わらないのに、今までに来たどんな先生よりもわかりやすく魔法を教えてくれるのですから」
「アグネス」
「先生に飾りの眼鏡なんて必要ありません! 先生は、眼鏡なんてかけなくても素晴らしい先生です」
「ありがとう!」
俺は嬉しかった。
講義の前日に、二時間ほど睡眠時間を削って師匠の本を読み込み、それを参考に自分の理論と合わせて授業ノートを作ったりとかしてよかった。
俺の努力は、ちゃんと認められていたんだ。
それも、可愛い女子生徒が俺を認めてくれた。
別に男子生徒でも嬉しいけど、女子生徒でしかも可愛いと、その嬉しさも倍増するというものだ。
我ながら、現金な性格をしていると思うけど。
「そうだな! 先生には眼鏡は不要だな!」
「だから、前からそう言っているじゃないか……」
エルがなにか言っているけど、俺には聞こえない。
野郎の意見など、この際は無視である。
「はい! 先生は眼鏡をかけていなくても立派な先生です!」
「ありがとう!」
俺とアグネスは、手を取り合ってその喜びを共感し続けるのであった。
「旦那……」
が、すぐにローブを引っ張られて現実に引き戻されてしまう。
その犯人はカチヤであった。
「その娘の親父さん、ちょっと可哀想じゃないか?」
「いえ、アグネスがお世話になっているのです。眼鏡が売れなくても、私は全然気にしませんよ」
とは言いつつも、見てわかるほどガッカリしているので、俺はアグネスの親父さんに悪い気がしてしまうのであった。
「ならば、狩猟と釣りに使う色付きの眼鏡を購入しよう」
「色付きの眼鏡ですか? 初めて聞く商品ですね」
さすがに店内で勝手に感動してなにも買わないというのは、バウマイスター伯爵としての沽券に係わる。
というわけで、俺は狩猟や釣りに使えるサングラスを購入しようとした。
昼間の直射日光の下で狩りをするのは、なかなかに大変である。
時おり、直射日光が目潰しとなり、野生動物や魔物に不覚を取ってしまう冒険者も毎年発生しているそうだ。
そこで、直射日光を防ぐ遮光レンズを……技術的には難しいのでサングラスでも十分に使えるはずである……を頼もうとしたのだが、アグネスの親父さんは初めて聞く商品だという。
「色付きのレンズはないのか……」
「はい、見え難くなってしまうので」
「いや、色がついている方が逆によく見えるケースもあるんだ」
俺はアグネスの親父さんに、懸命にサングラスと遮光レンズの理論を説明した。
余分な日光を防いで眩しさを軽減するので、逆にものが見えやすくなるのだと。
「そのために、レンズに色を付けるのですか? 技術的には可能だと思いますが……工房に聞いてみますね」
親父さんは、眼鏡屋の近所にある眼鏡工房に俺たちを案内した。
たかが眼鏡と侮ってはいけない。
色々な技術の塊なので、眼鏡屋は専門の工房を抱えている。
しかも、工房の主はアグネスの親父さんの親戚であった。
「我ら一族は、貴族籍から没落して眼鏡屋と工房になったのですよ。技術は秘伝で、まあ眼鏡屋はいくつかありますけどね」
店舗と工房を一族で経営し、従業員や職人も代々同じ家の人を使って技術の漏えいを防いでいるらしい。
魔道具では不可能な芸当だが、通常の工芸品ではよくある経営方法だ。
そのおかげでアグネスの一族は食べて行けるが、逆に言うといきなり新入りが眼鏡工房に就職することができない。
工房に就職しないで一から眼鏡作りを志すのは困難であり、数少ない眼鏡屋と工房が独占状態にあるわけだ。
眼鏡は高価でそれほど数が売れないので、独占していないと生活できなくなるという事情もあるのだけど。
「レンズに色をつけるのですか?」
「ええと……こんな感じです」
俺は、すでにできあがっているレンズに魔法で色をつける。
レンズはガラス製であり、レンズ工房はガラス工房でもあった。
ガラスに着色する染料を借りて、魔法でサングラスっぽい色のレンズに仕上げたのだ。
「俺は目が悪いわけじゃないから、レンズに度は必要ないから薄く……」
できあがったレンズを魔法で削って、適当な眼鏡のフレームと合わせて取りあえず完成した。
試しにかけてみると、サングラスっぽい見え方がした……当たり前だか。
「なるほど、目が悪くない方にも需要があるというわけですね。畏まりました。このままでは商品として販売できませんので、こちらで調整をしておきます」
数日後、改良と調整を施されたサングラスはとてもかけやすく、伊達眼鏡とはいえ見え方なども大幅に改良されていた。
さすがは、技術を抱え込んでいる眼鏡工房というべきか。
俺の即席製造魔法では、やはり限界があるのであろう。
「早速、狩りに行ってみよう」
俺たちは、アグネスの親父さんにサングラスの代金を支払い、その足で王都近郊の草原に狩猟に出かけた。
「おおっ! 眩しくないぞ!」
真昼間の草原でも目が眩しくなく、俺は順調に狩猟の成果をあげることに成功した。
半ば思いつきの提案であったが、アグネスの実家である眼鏡工房の技術力のおかげでサングラスの実用性が高かった。
「なるほど、そういう利点があるんだな。俺も注文しようかな?」
過剰な直射日光を防いでくれるサングラスに、エルは感心していた。
「私も欲しいかも」
「眩しさを軽減してくれるのはいいよな。ここぞという時に眩しくて動きが遅れると困るから。でも、使いどころは限定されるか?」
ヴィルマとカチヤも興味があったようで、試しにもういくつかサングラスを購入して屋敷に戻り、早速自分たちでかけてみることにする。
「似合わないね……」
「ルイーゼ、それは実用性と関係ないじゃないか」
ルイーゼの感想に、カチヤがケチをつける。
でも確かに、サングラスってのは大人の女性じゃないと似合わないわけで、カチヤはこう見えてもう少しで二十歳だけど、可愛らしい容姿のせいでサングラスが全然似合っていなかった。
「似合うようなフレームを注文すべきじゃな」
さすがというべきか、テレーゼのサングラス姿はとても似合っていた。
なんか、大人の女って感じがする。
「テレーゼさん、似合いますね」
「エリーゼも、もう少し年を取れば似合うであろう」
とテレーゼは言うのだが、エリーゼが年を取ってもサングラスは似合わないような気がするのは俺だけであろうか?
エリーゼとサングラスの位置が、とても離れているような気がするのだ。
「イーナさんは、とても似合いますわね」
「カタリーナもね」
イーナとカタリーナにはサングラスが似合いそうな感じがしていたが、実際によく似合っている。
「リサさんは、元のメイクと衣装に戻さないと似合わないかも。私も駄目ね」
アマーリエ義姉さんには、サングラスは似合わない。
リサも、元のメイクと衣装に戻してまでサングラスをつけようとは思わないようだ。
「ハルカさん……怖いっすね……」
「私も駄目なようです……」
たまたま屋敷にいたハルカは、エルからサングラス姿を怖がられてしまい、外しながら溜息をついていた。
こんな感じで、みんなでサングラスをネタに遊んでいたのだが……。
「ヴェル様、みんな、これって狩猟や釣りの時に直射日光を防ぐものでは?」
「そういえば、そうだった」
ヴィルマによって冷静にサングラス本来の使用法を指摘されてしまうが、出来上がった新商品が制作者の意図と違う使用方法をされるケースは多いので仕方がない。
まあ、楽しければ問題ないだろう。
とにかく、サングラスの実用化に目途が立ったので、欲しくなったら買いに行けるようになってよかったと思う。
そんなに頻繁に購入しないと思うけど。
「先生、この前お売りした色付き眼鏡の具合はいかがですか?」
数日後のお昼。
講義が終わると、アグネスからサングラスの調子を聞かれた。
親父さんから聞いてくるように頼まれたのであろう。
「早速釣りで使ったけど、水面からの反射が眩しくなくていいね」
「そうですか、よかったです」
俺は釣りや狩猟の時、アグネスの実家に作ってもらったサングラスを使うようになった。
日本の量販店で買えるような気軽な値段ではないけど、オーダーメイド品なので、かけ心地の良さと言ったら。
量販店の品ではなく、オーダーメイド品を愛用していると、自分が貴族になったのだと実感できるというものであった。
「調整は無料ですから、気軽にお店にいらしてください」
眼鏡の調整は無料なのか……。
まるで、眼鏡○ーパーみたいだと俺は思った。
「かけ心地も悪くない」
「フレームの製造技術も、うちの実家は評判がいいんですよ」
実家で製造、販売した商品なので、それを褒められたアグネスは嬉しいようだ。
技術力を持っている職人たちを複数抱え込んでいるので、眼鏡が高価なのは当たり前なのだと実感できた。
「それでですね、実はお父さんがお願いがあるそうで」
「お願い?」
「はい」
お願いとは、俺用に作ったサングラスであったが、これを冒険者用に量産して販売したいというものであった。
「通常の眼鏡とは違って度は入れませんので、レンズの加工にそれほど手間がかからないから安価で販売できると」
他にも、猟師、漁師、釣りや狩猟を趣味とする貴族を中心とした富裕層、この辺にサングラスを売り込みたいようだ。
「別に構わないけど」
「本当にいいんですか?」
俺はレンズに色をつけろと言っただけで、実際の加工はアグネスの実家に任せてしまった。
この程度で、特許料の徴収をするのもどうかと思うのだ。
「先生、ありがとうございます!」
俺が許可を出すと、あとは話が早かった。
アグネスの工房はサングラスを正式に発売し、その珍しさと用途に魅かれた多くの客が購入していく。
冒険者、漁師、猟師、狩猟で使うためだと貴族も購入していき、今までは普通の度付き眼鏡をかけていた貴族の中にも、度付きのサングラスを注文する人が増えた。
「思わぬ需要も引き出せました。ありがとうございます」
アグネスの親父さんは、俺にいくつかのサングラスを持参してお礼を述べた。
「度付きのサングラスも作れるんですね」
「はい、秘伝のレンズ研磨技術で可能ですよ。ですが、研磨には気が遠くなるほどの時間が必要なので。なるほど、色付きの眼鏡は太陽の光を防ぐからサングラスですか。いいネーミングですね」
製造に手間がかかり、なかなか機械化もできない。
それが、眼鏡が非常に高価な原因でもあった。
そして、サングラスは俺が命名したことになってしまった。
前世の癖で、ついサングラスって言ってしまったただけなのに……。
「度の調整が必要でなければ、圧倒的に安く販売できます」
「なら、ファッション用でも売れるのでは?」
「新しいフレームのデザインでも、うちの加工技術も活かせますね。試しに作ってみます」
その後、アグネスの実家である眼鏡工房は、サングラスとファッション用眼鏡の販売で売り上げを大幅に伸ばすことに成功する。
同じような技術を持つ他の眼鏡工房にもすぐに真似をされてしまったが、眼鏡の需要自体が増えたので売り上げは落ちなかった。
だが……。
「先生、最近怖い人たちがよくサングラスを買いにくるんです」
「怖い人?」
アグネスが言うには、体が大きくて筋骨隆々の大男ばかりが、大量のサングラスを購入していくというのだ。
「(まさか、マフィアが?)」
ちょっと興味があったので放課後に眼鏡屋の前で見張っていると、確かに筋骨隆々の大男が姿を見せた。
彼らはマフィアではなかった……俺の知り合いで、ある意味マフィアよりも性質が悪い人たちだ。
「よう、バウマイスター伯爵。今度狩猟に行くんだが、ここのサングラスが日光の眩しさを防ぐって評判でな。ああ、バウマイスター伯爵が考案したんだっけか?」
エドガー軍務卿が、取り巻きの軍系法衣貴族たちを連れて買い物に来ていたのだ。
つまり、趣味でよく狩猟をする軍系法衣貴族たちが、次々とサングラスの噂を聞きつけ、購入に走っているのであろう。
確かに、誰が見ても怖い人たちだ。
「冒険者予備校で魔法を教えているんだってな。王都にいる機会が多いんなら、今度一緒に狩猟に行こうぜ」
サングラスを購入し、言いたいことだけを言うとエドガー軍務卿は俺たちの前から去って行った。
「アグネス、彼らは侵略や内乱という暴力から国を守る人たちだから、怖くて当たり前なんだ」
「なるほど。とても勉強になりました、先生」
そう、だから彼らがマフィアみたいに見えても気にしてはいけない。
実際に接してみると、そう悪い人たちでもないのだから。
「しかし、意外と売れたな。サングラス」
「そうですね」
俺は眼鏡屋の売り上げが増えてよかったねくらいの感覚であったが、その効果は俺のあずかり知らないところで意外な広がりを見せていた。
「なあ、アグネス」
「なあに? お父さん」
「お前は将来、バウマイスター伯爵様と結婚するのか?」
「えっ! どうしてそうなるの? バウマイスター伯爵様は、私達の先生なんだよ」
お父さんからの想定外の質問に、私は顔を赤く染めながら反論した。
いきなり、先生と結婚するのかと聞かれても……。
「だが、うちの商売を助けてくれたし、お前は可愛いからそういう話もあるのかなと」
「ないない! 先生の奥さんってみんな綺麗だから!」
とは言いつつも、私自身はもしそうなったら嬉しいかもと思い始めてしまい、先生の顔を思い出すと、体の奥が熱くなってきたような……。
先生の奥さんかぁ……。
私も魔法使いだから、きっと相性もいいと思う。
もしなれたらいいのになぁ……。
「なあ婿殿」
「はい、なんでしょうか?」
今日も講義が終わり、たまには一緒に昼食でもとホーエンハイム枢機卿に会いに行ったのだが、彼から予想外の苦情を言われてしまった。
「エドガー軍務卿やアームストログ伯爵などの軍務系法衣貴族たちが、城内で新しい眼鏡を試着しながら自慢しておるのだが、陛下から『不気味で怖い』と文句を言われてな。聞けば、婿殿が考案した眼鏡だという話だが……」
「えっ? それって俺のせいですか?」
「そう言われると、婿殿に苦情を言うのも変か……」
「そもそも、釣りや狩猟用ですよ。城内で着用禁止にしてくださいよ」
「それを城内で着ける方が悪いのか……。確かにそうよな」
俺の提案が受け入れられたのか、以後、王城内ではサングラスの着用が禁止された。
それでもその需要は増え続け、アグネスの実家の眼鏡工房は『サングラスの元祖』として、後世までその名を残すのであった。
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