第246話 政治闘争で魔法は役に立たない(後編)

「問題は、いつどのようにテレーゼ殿の兄たちが動くかですね」




 俺たちも急ぎ迎賓館へと戻るが、そこでクリストフがテレーゼたちとペーターとの会見の種明かしをしていた。


「あの兄たちからすれば、テレーゼ殿が次期皇帝になってくれないと困るのですから」


 そうすればフィリップ公爵位が空き、そこに自分の子供を押し上げることができる。

 公爵になれるのは自分ではないが、子供は成人するまではお飾りでしかない。

 その間は、父親である自分たちが実質的なフィリップ公爵家の支配者というわけだ。

 だが、テレーゼが皇帝になってくれないとその芽が潰えてしまう。

 彼らからすれば、なにがなんでも、テレーゼに皇帝になってもらわなければいけないのだ。


「おわかりでしょう? テレーゼ殿は、本心では皇帝になんてなりたくない。ですが、親族や北部諸侯たちの手前それを口にできない。貴族が一人でなんでも自由に決められたらどんなに楽か。ところが失敗してしまうと、自分一人に責任が圧し掛かりますけど。だから、王だの、皇帝だの、貴族なんてそんなにいいものではないのです。でも、それを切実に求める人たちは絶えない。テレーゼ殿の兄たちは、自分の親や妹の苦労を見ていても、それを欲しがる。私もフィリップ兄さんも、人のことは言えませんけどね」


 やはり、経験者の発言には重みがある。

 それも失敗した経験なので、余計に説得力があった。


「ところで、明日のお昼に珍しい方からお茶のお誘いがあったとか?」


「珍しいというか、なぜこの人がという感じかな?」


 それは、北部諸侯ではないがテレーゼの支持者であったバーデン公爵公子であった。

 表向きの理由は、久しぶりなので色々と募る話がしたいのと、少し私的な相談があるということになっている。

 過去の経緯から考えると、彼とはそこまで仲がいいわけでもないのだが、断るのもどうかと思うので行くことにした。


「それで、奥方たちを連れて行くのですね」


「できれば、クリストフ殿もついて来てほしいけど」


 貴族的な話になってしまうと思うので、エリーゼ以外はその手の話に弱いし、彼女一人だけだと思わぬ不覚を取る危険がある。

 そこで、『立っている者は親でも使え』の言葉どおり、昔に争っていたクリストフを使うというわけだ。


「エルヴィン君とハルカさんは軍の訓練があるでしょうからね。私なら途中で適当に抜けられるから適任ですか」


 クリストフはすんなりと俺の要請を受け入れ、翌日の午後、帝都バーデン公爵家邸へと向かう。

 ニュルンベルク公爵が帝都にいた頃には色々とあったバーデン公爵家邸も、今では前と同じように正門には門番が立ち、使用人やメイドが多数いて、俺たちを客間へと案内してくれた。

 昼食後ということもあり、軽く食べられるお菓子とマテ茶が出され、それを楽しんでいるとバーデン公爵公子が入ってくる。


「噂は聞いたよ。ほぼ独力で万を超える兵力を養ってペーター殿に献上してしまったと」


「献上は言いすぎですよ。経費と褒美は全額請求しますから」


「貴殿らしいな」


 それからは、バーデン公爵公子が一方的に色々と話を始める。


「あの殿下が、突然ああいう動きに出るとはね。だが、それがあったからこそ帝都は守れたし、ニュルンベルク公爵は結構な犠牲を出した。世間ではそういう風に見ている」


「北部諸侯の中には、今度はペーターに擦り寄りたい者たちもいるとか?」


「いるだろうね。みんな、テレーゼ殿に絶対の忠誠心があるわけでもない。利に敏くないと、家臣や領民たちを食べさせられないとなれば……。話に聞いているが、殿下とテレーゼ殿の会見は、しないわけにいかないが、テレーゼ殿は大きく損をしたな。彼女は殿下に強く出られなかった」


 バーデン公爵公子は、先の会見のせいで北部諸侯の間に亀裂が入り始めたことを認めた。

 彼も東部の諸侯なので、なにがなんでもテレーゼ支持というわけでもないのであろう。


「ところでバーデン公爵公子殿は、正式バーデン公爵位を襲爵なされないので?」


 ここでクリストフがわざと話を反らしたかのように見えたが、それを聞いたバーデン公爵公子は渋い顔を浮かべた。


「クリストフ殿、貴殿は結構鋭く突いてきますね」


「どういうこと?」


「あなた、正式に襲爵するにしても、それを認めるのは……」


「ああ、そうか」


 エリーゼからの指摘で、この件が次期皇帝を巡る争いに関係しているのだということに気がついた。


「前皇帝が生きている時に襲爵しなかったのですか?」


「さすがに、あの陛下に承認してもらうのはなぁ……」


 当時のバーデン公爵公子は、テレーゼ派につく姿勢を隠していなかった。

 だから死んだ皇帝からは嫌われ、襲爵の儀式をまだ行っていない。

 討伐軍の準備と統治で双方共に忙しかったので、自然とそれを行わない空気ができてしまったそうだ。


「だから、今になってそれを行うと?」


「それで、問題はないようだな。実際に多くの貴族たちの、襲爵、昇爵、降爵、改易と。すべて帝国宰相の名で行われているのだから」


 本当であれば、皇帝が不在なのでそれはできないはず。

 なのに大半の人たちは、ペーターが出した許可や命令を元に家を継いだり、新しい貴族になっている。 

 それに異議を唱える人は少なく、いずれは皇帝になる人だからという理由で、それらは公の効果を発揮していた。

 実はみんな、ペーターの権威と権力をほぼ認めているのだ。


「あの殿下は、実際に勝ってしまったからな」


 誰もがいまいち勝ち切れなかったニュルンベルク公爵の顔に、ペーターだけが誰もがわかる形で初めて土をつけた。

 帝都は守られ、今度は逆襲に転じようとしている。

 となれば、テレーゼ派の中でもペーターに寝返る貴族は多いはず。


「どうせ次はないバーデン公爵公子殿は、別にどちらが次の皇帝でも構わないと?」


 ここで先手を打って、ペーターに寝返って次期政権下で優遇されるようにする。

 卑怯だと思う人がいるかもしれないが、そんなことは百も承知であるし、元から貴族とはそういう生き物だと言われれば、それまでとも言えた。


「私もいい加減に襲爵しないとまずいだろうからな。バウマイスター伯爵殿、帝都も色々とあって品不足の感も強いが、ようやくいい茶葉を手に入れてね。遠慮なくどうぞ」


「それはありがたい」


 それからは、一言も政治臭い話は出なかった。

 一時間ほど世間話をして終わり、この場で初めて彼の奥さんたちの紹介もされている。

 まさに貴族のお茶会という感じで、バーデン公爵公子との会合は終わった。


「でも、私たちの動きを双方が気がつかないわけないわよね」


「イーナさん、双方ですか?」


「殿下とテレーゼ様の双方よ。どこかで私たちの動きを探っているはずよ」


「そうなんでしょうけど……エレガントではありませんわね」


 さほど仲がよくない俺とバーデン公爵公子が、なぜかお茶会をした。

 色々と邪推する貴族たちも多かろうと、イーナも、カタリーナも溜息をついていた。

 俺たちも同じだけど。




「バーデン公爵公子の正式な襲爵の儀ですか?」


「そうだ、一日でも早くだ」


「直ちに殿下にお知らせします」


 屋敷に戻ると、俺はエメラを呼び出し、バーデン公爵公子とした話の内容を彼女に伝えた。

 ここまで教えたのだから、あとはどう判断するかはペーター自身が決めることだ。


「殿下に、バーデン公爵の襲爵の儀を仕切らせるってこと?」


「マフィアの手打ちのようなものだな」


「だよねぇ」


 俺のジョークにルイーゼも賛同してしまい、ジョークにならなかったという。

 ペーターが襲爵の儀を仕切れば、その瞬間からバーデン公爵公子とその一派は、彼の派閥に鞍替えをするというわけだ。

 テレーゼが知れば、裏切ったと思って激怒するかもしれない。

 たとえ、それが権力闘争の一環であったとしてもだ。


「こんなことをしている場合じゃないと思うけど……」


 イーナの言うことは正論だと思うが、人間とは貴族とはこういう生き物である。

 

「皇帝の座は二つない」


「ヴィルマはズバっと言うな。でも、テレーゼ様は本当は皇帝にはなりたくないのでは?」


「そうは思っても、今回は兄たちまでついて来ているからな。油断できないぞ」


 俺の護衛をしているエルとしては、起こるかもしれない新たな騒乱に警戒しているのであろう。

 そして二日後、バーデン公爵公子を正式に公爵に襲爵させる儀式を行うという連絡が入ってきた。

 当然儀式を仕切るのはペーターで、このことの意味に気がつかない貴族はいない。


「明後日に行うか……。予想よりも早いな」


 よほど気合を入れて準備を行っているようだ。

 当日には俺たちも顔を出し、バーデン公爵公子はようやく正式に公爵になった。


「テレーゼ様や、彼女を支持する貴族たちは顔を出していないのである」


 選帝侯の正式な襲爵の儀なのに、ここで顔を出さないというのは本来あり得ない。

 つまり今回の処置を、ペーターによる引き抜き工作の一環だと知って抗議しているのだ。


「導師は、やはりテレーゼの味方をしたいですか?」


「本音では。だが、某たちもいい加減王国に戻りたいのである! 帝国の内乱が続けば、いつまでも縛られたままになってしまうのである」


 長引く内乱に、導師もいい加減に疲れているのかもしれない。

 

「バウマイスター伯爵は、ペーター殿の方が皇帝に相応しいと思っているのであろう?」


「そうですね」


 テレーゼを支持する貴族たちの内情はバラバラだ。

 初の女帝であり、歴史的な快挙だと、ただそれだけを理由に支持している者。

 力のない女皇だから、自分たちが裏で好きに操れるかもと考えている者。

 彼女の兄たちのように、自分の子供をフィリップ公爵にしたいから、などといういい加減なものもあった。

 俺たちへの褒美に対する姿勢もある。

 ペーターは自分が借金王になったと言いながらも、必ず全額支払うと明言した。

 テレーゼも支払うとは言っているのだが、帝国の財政規律に気を使いすぎており、その結果が例の誘惑に繋がっているという疑念が払拭できない。


「大物とは、大きく借りてそれを返してしまうのですよ」


「返せずに、稀代の詐欺師と言われるかもしれないのである!」


「その時はその時でしょう」


 判断材料は勘のみであったが、俺はペーターの方が皇帝に向いていると感じた。

 だから協力もするし、その過程でテレーゼを追い落とすことになっても仕方がないと思っている。

 ただそれだけなのだ。


「ブランタークさんは不満かもしれませんが……」


「いや、そうでもない。少しヤバイ情報が入ってきた」


「ヤバイ情報?」


「ああ。テレーゼ様たちが、前皇帝の皇后や役職を辞めた大物貴族たちと接触しているそうだ」


「よくそんな情報を集められましたね」


「嫌な予感がしたからだ。俺は別に、テレーゼ様に皇帝になってもらいたいわけじゃないからな」


 ブランタークさんがその情報を入手したとなれば、もうとっくにペーターの耳にも入っているのであろう。

 バーデン公爵とその一派の離脱した穴を、ペーターの義母や、前皇帝の死で動揺して役職を放棄した大物貴族たちで埋める。

 数を補うにはいい手かもしれないが、今の状況だと悪手としか言いようがない。


「テレーゼめ! 一体なになに考えているんだ? 一緒に潰されるぞ」


 そうでなくても、フィリップ公爵家に対しては、以前にペーターが埋伏の毒を行っている。

 アルフォンスは迷っていたが、もしテレーゼが愚かなことをすれば、最悪の状況を防ぐために彼が立つ可能性だってあるのだから。


「問題は、すでに死に体の義母を焚きつけ、なにをするかだね」


 襲爵の儀が終わった日の夕方。

 なに食わぬ顔で夕食を食べに来たペーターは、笑顔でテレーゼの悪巧みについて語り始めた。

 やはり、とっくに気がついていたか。


「もしかすると、殿下の義母様に後ろ盾となり、テレーゼ様が宰相に就任できるように工作しているとか?」


 エリーゼの予想は、権力闘争ではよくある事例であった。

 テレーゼの宰相就任を支持する代わりに、自分たちの復権を約束する。

 前皇帝の死後。

 帝都にニュルンベルク公爵の軍勢が押し寄せて来ることがわかると、すぐに役職を放棄して逃げたくせに、ペーターが彼を退けると、なに食わぬ顔で元の役職に戻せと言う大物貴族が多く、彼は辟易していた。

 その地位は、すでに爵位や家柄が低くても能力がある者に代わっており、さらに彼らは帝都防衛戦で活躍している。

 失敗したならいざ知らず、なぜ功績があった者から役職を取り上げなければならないのだと、ペーターは激怒していたのだ。

 それも、ただ爵位が高いだけで卑怯で無能な者たちのためにだ。

 さらに腹が立つことに、彼らは教会に押し込めたはずのペーターの義母を神輿として、新しい派閥を形成しつつあるらしい。

 

「僕の帝国宰相への就任は議会が認めたものなのだけどね。その前に、あのクソ女にそんな権限はない!」


「それはさ。ペーターが緊急避難的な方法で政権を握ったから、自分たちもありだと思っているとか?」


「だとしたら、僕はテレーぜ殿を過大評価しすぎたのかね?」


「ええと……。それは……」


 これこそが、フィリップとクリストフが言うところの『自分一人ではどうにもならない』というやつなのかもしれない。

 

「テレーゼ殿の兄二人、クソババア、使い物にならないバカ法衣貴族たち。このくらいで済ませるか……。あとは、クソババアの監視を怠った教会の連中にも責任を取らせないとね」


 ペーターはそこまで呟くと、あとはエリーゼが作った料理を美味しそうに食べてから皇宮へと戻って行った。

 

「ヴェル、殿下って結構物騒なことを言っていたような……」


「イーナ、俺たちはバーデン公爵の件で、もうペーターに十分に協力したんだ。あとは静観するだけだな」


 もはやテレーゼは、自分でこの次期皇帝レースから降りれなくなっている。

 いくら嫌だと言っても、周りがそれを許さない状態なのだ。

 そして、その止まらないジェットコースターの動力源には、帝都防衛で戦うのを嫌がった貴族たちも入っている。

 味方にするだけ損な連中であったが、彼女の兄たちが数は力だと信じて引き入れたのであろう。

 勿論その行為は、ペーターの怒りを買っただけなのだが。


「お茶を一杯頼む」


「どうぞ」


 その日の夜中、アルフォンスが突然迎賓館を訪ねて来た。

 すぐにエリーゼがお茶を淹れると、それを飲みながら俺に言う。


「ヴェンデリン、恨むよ」


「俺のせいか?」


「バーデン公爵公子……もう正式に公爵になったか……。彼の裏切りで、テレーゼの兄たちは壊れたようなものだ。今も殿下から政権奪取をするクーデターに関する密談なんてしているし、そこには喪に服しているはずの前皇后もいる。こうなれば、秘密裏に始末することもできない。とにかく、兵を挙げられたら手遅れだ。私も動かないといけない」


「そうか、すまんな」


 俺は、魔法の袋から一本の高級ワインを取り出してアルフォンスに渡す。

 

「なるべく穏便に処理しないと、またニュルンベルク公爵につけ込まれるかもしれないからなぁ……」


 お茶を飲み干したアルフォンスは、ワインの瓶を抱えながら迎賓館をあとにした。


「とりあえず、もう寝ようか?」


「そうだな。もう俺たちにできることはない」


「ところで、バウマイスター伯爵」


「なんですか?」


「アルフォンス殿に渡した高級ワイン。某の分はないであるか?」


「ありますけど……」


 なぜか導師にも高級ワインを進呈する羽目になってしまったが、翌朝目を覚ましてから食堂で朝食を食べていると、外が大分騒がしい。

 窓の外から見ると、帝都各地に帝国軍が分散して配備されているようだ。


「なにがあったのかな?」


 などと思っていると、そこにエメラが顔を出した。

 そして、とんでもないことを報告し始める。


「フィリップ公爵は健康上の都合を理由に引退。後継はアルフォンス様になります。あと、テレーゼ様のお兄様お二人と前皇后様が病死なされたそうです」


「ペーターは決断が早いな」


 テレーゼを神輿にした北部諸侯たちと、前皇后を神輿にした役職を失った中央の貴族たち。

 彼らが組んでクーデターを起こす前に、ペーターが先に手を打ったのであろう。

 

「テレーゼは、公爵からの引退か……」


「功績があるお方なので、殿下から名誉伯爵位が贈られます」


 さすがにテレーゼを殺すと世論に影響が出そうなので、彼女は当主からの引退だけで済ませたようだ。

 その代わり、ペーターのバカな義母と、裏の主犯であるテレーゼの兄たちには容赦しなかったようだが。

 そんなに都合よく三人同時に病死するわけがないので、まあそういうことなのであろう。


「他の貴族たちは?」


「全員が引退となり、後継者は爵位を一つ落としての相続となります」


 それ以上の血の粛清は周囲に与える動揺が大きいので、爵位の降格と引退だけで済ませたらしい。

 神輿にするテレーゼと前皇后が消えたので、すでに役職もない彼らはなにもできないというわけだ。


「これで、帝国軍は一本化できました」


「そうか」


 エメラの冷静な声による報告を聞きながら、俺はテレーゼのことを考えていた。 

 果たして、彼女はこの結果をどう思っているのであろうかと。

 なににしても、これでようやくニュルンベルク公爵領に攻め入る体制ができたことだけは確かであった。

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