第227話 南進開始、軽い神輿に人は集まる(前編)

 結局、テレーゼとニュルンベルク公爵による初の決戦は、完全な決着がつかないまま終了した。

 ニュルンベルク公爵が子飼いの魔法使いターラントを使って俺を殺そうとしたのだが、それに失敗し、その卑劣な方法に激怒した俺が後方の物資集積所を魔法で焼き払ったので撤退してしまったのだ。

 『腹が減っては戦ができない』の言葉どおりに、ニュルンベルク公爵は捨て駒の前衛部隊を残して速やかに撤退している。

 その判断の早さのおかげで、彼の頼れる精鋭十一万人は、督戦隊数千人以外それほど犠牲を出していない。

 見捨てられた前線部隊およそ四万人は、テレーゼの追撃により一万五千人ほどが戦死し、二万人ほどが捕虜になった。

 残りの五千人は逃走したようだが、解放軍も二千人を超える戦死者を出している。

 損害比でいえば解放軍の完全勝利であろうが、ニュルンベルク公爵の頼れる軍勢に致命的なダメージを与えたとは言い難い。

 果たして、これが勝ちと言えるのかは疑問なところであった。

 無傷のニュルンベルク公爵とその軍勢が残っている限り、内乱は続くのだ。


「アルは、再び逝ったな……」


「もう死んでいるので、また元の場所に戻されたというのが正解であろうか? 謎多き魔法なのである!」


「どうなのでしょうかね」


 正門上にある土塁の上に築かれた本陣にて、俺とブランタークさんと導師は、戦闘の後片付けをしている味方を眺めながら話をしていた。

 本当は手伝わないといけないのだろうが、今回は負担が大きかったので免除されていたのだ。


「『英霊召喚』か。妙な魔法があるんだな。伯爵様の嫌な予感も当たるしよ」


「たまには、そういうこともありますよ」


 あのターラントという男は、とにかく不気味であった。

 会食の時から、名前をニュルンベルク公爵から紹介され食事をしているのに、なぜか彼からなにも感じないのだ。

 そこにいるのに、実際に目にして名前すら聞いているのに、少ししたら完全に忘れ去ってしまいそうな……。

 優れた魔法使いなのに、存在感が希薄すぎる。

 暗殺には使えそうだなと考えるのと同時に、そういえば急死した先代陛下のことを思い出し、俺はただターラントという男が怖かった。

 その勘が当たり、俺は彼の魔法のせいで一日に何度も負傷する羽目になってしまった。

 その方法は予想外だったが、なるほど他人の存在を自分の身体に下ろせるから、存在感が希薄だったのか。

 正直、あの後方からの一撃はヤバかった。

 師匠の可能な限りの抵抗と、俺が無意識に急所や内臓を避けたことで助かったみたいだが、それは導師の指導が役に立ったのであろう。

 嫌々ながらも、訓練を受けておいてよかったというものだ。


「師匠は、本当に強いですね」


「今となっては、魔力は伯爵様の方が圧倒的だがな。それでも、アルにはああいう怖さがあった。俺なんかよりも、圧倒的に強いわけだ」


 師匠の木偶にすら苦戦してしまったブランタークさんは、己の魔法使いとしての限界を完全に悟り、少し寂しそうだった。

 魔法使いは心のどこかで、もっと強くなれるかもしれない、という気持ちを持ち続けるものだ。

 そのわずかに残った希望を、師匠が完全に打ち砕いてしまった。

 ただ、ブランタークさんは、指導者としては世界でもトップクラスだと思う。

 教え方も上手で、今では帝国にも多数の弟子がいるのだから、そんなに落ち込むことはないと思うのだけど。


「某の近接戦闘とはまた別の、巧妙な戦い方であろう? 自分の方が魔力は多いなどと安心していられないのである!」


 三人で椅子に座って話をしているが、テーブルの上には師匠の遺品である杖と、コップに注いだ王国産高級ワインが置かれている。

 師匠をあの世に送るのは二度目なので、辛気臭いのはやめて、お酒だけお供えをしていたのだ。

 ブランタークさんと導師に聞くと、師匠はワイン派であったらしい。

 そういえば、あの屋敷の地下にも大きめのワインセラーがあった。


「死者の眠りを冒涜するとはな」


「皇帝に相応しくない男である! バウマイスター伯爵はどう思う?」


「無理が祟っての、こういう戦い方でしょうね」


「無理か……。伯爵様の言い方は言い得て妙だな」


 もし彼が皇帝選挙に勝っていれば、こうはならなかったはずだ。

 もっと穏便に、真綿で首を絞めるような方法でラン族とミズホ人の力を殺ぎつつ、帝国の中央主権化を進めていたであろう。

 ところが彼は、クーデターで政権を獲得している。


「ニュルンベルク公爵にとって、ニュルンベルク公爵家諸侯軍と、支持を表明してくれている帝国軍は有力な支持母体なのです」


 だからこそ、常に彼らに対する配慮が必要となる。

 無駄に犠牲を出せないので、他の面従腹背な貴族たちや、仕方なしに従っている非主流派の帝国軍を利用して解放軍を減らすような、嫌らしい作戦を多用する羽目になってしまった。


「政敵が討ち死にすれば、その貴族の領地を子飼いにでも与えて支持基盤を増やせると思ったのでしょうね」


 鬼畜、外道の戦法だと未来の歴史書には書かれるであろうが、上手くいけばそれが正義であろう。

 あくまでも、上手く行けばであるが。


「降伏した兵士が二万人か……」


「テレーゼ様が、管理に頭を抱えていたな」


 使い捨て要員にされたので、ニュルンベルク公爵が軍を退いたら簡単に降伏してしまったのだ。

 ニュルンベルク公爵に怒っている貴族たちも多かったが、だからといって彼らをそのまま味方扱いするのも難しい。

 領地や家族を人質に取られているので、いざ戦闘になると再び裏切る可能性があるからだ。


「捕虜すら罠なのか……」


「あまりの悪辣ぶりに、ある意味感心するのである」


 確かに、導師の言うとおりであった。


「ですが、これからどうするのでしょうか? また睨み合いとか?」


「さすがにそれはないの。勿論撃って出るぞ」


 三人の話に、今度はテレーゼも加わってくる。

 政務を処理しながら戦闘後の後片付けを督戦していた彼女は、ようやく書類の処理にひと段落をつけたようだ。


「弔いか?」


 続けてテレーゼは、テーブルの上に載った師匠の遺品とグラスに注がれたワインを見つける。


「師匠は、十年前に無事に成仏しているはずです。だから……」


 たまたま顔を見せにきて、俺に厳しい訓練を課したのだという考え方で三人は一致している。

 そして、それを終えてまた天に戻って行ったのだと。

 

「すでに死んでいる者に葬儀は不要ですから。お供えですな」


 導師の発言に、ブランタークさんも頷いて賛同した。


「妾は遠くから姿を見ただけであったが、素晴らしい人物であったようじゃな。『英霊召喚』で呼ばれるに相応しい人物であったと」


「長生きしておれば、王宮筆頭魔導士はアルフレッドが任命されていたでしょうな。しかし、某のご先祖様まで呼び出すとは……。あまり活躍はできなかったようですが……」


「ターラントとやらの素養や戦闘スタイルとかけ離れておったから、実力を存分に発揮できなかったのでは?」


 いくら無に近い自分に死者を召喚して被せるとはいえ、身長ニメートル超えのパワーファイターと、身長百七十五センチほどの痩せ型の魔法使いでは、相性が悪かったのであろう。

 だから、俺程度にも簡単に撃退できてしまったのだ。

 逆に師匠のようなタイプとは相性がよかったらしく、俺は大苦戦した。


「かもしれませぬな。ところで、あのターラントとかいう魔法使いですが……」


「あれほどの魔法使いじゃ。世間に知られていて当然だと思うのじゃが……」


 解放軍にも、降伏して捕虜になった貴族や魔法使いの中にも彼を知っている者は少なかった。


「『そういう名前の者はいた』、『いたのは覚えているが、どういう魔法使いだったのか記憶にない』。こう証言する者ばかりでの……」


「ニュルンベルク公爵が、どうやってターラントを見出して雇用したのかが、一番の疑問だな」


 ブランタークさんの言うとおりだ。

 存在が希薄な高名な魔法使いを雇うのは、かなりの難事であったからだ。


「自分で売り込みに行ったのであろう」


「でしょうね」


 他人に気がつかれない以上、自分でニュルンベルク公爵に売り込みに行ったと考えるのが正しいのか。

 ターラントの才能を正確に把握して重用したニュルンベルク公爵は、優れた人物ではあるのだ。


「すでに死んでいる者のことを考えても仕方があるまい。それよりもじゃ」


 ターラントの話を切ると、テレーゼは俺の前で両腕を広げてとんでもないことを言い始める。


「師匠と相打つ羽目になって色々と心に負担がかかったであろう。妾の胸に飛び込んでくるといいぞ」


「はあ?」


「さあ、妾の胸に遠慮なく飛び込んでくるのじゃ」


 師匠を討って落ち込んでいる俺を慰めて、そのハートをキャッチという作戦のようだ。

 俺は勿論、ブランタークさんと導師ですらどうしていいのかわからないで、無言のままであった。


「周囲の目を気にしておるのか? そんなことは遠慮せずに、ほれ」


 テレーゼは両手を広げて、俺に早く胸に飛び込んでくるようにと促し続ける。

 一体どこから得た知識か知らないが、周囲にいるテレーゼの家臣たちの表情は暗い。

 俺のことを縋るような目で見つめている。


「(拒否し続けてほしいんだろう? お前たちの思うとおりにしてやるよ!)」


 家臣たちからすれば、俺がテレーゼの婿になるなどあってはならないのだ。

 彼らも帝国人なので、上手く同じ帝国貴族から婿を探してほしいと願っているのだから。


「あなた、そろそろお食事の時間ですか……」

 

 両手を広げているテレーゼに困惑していると、そこに昼食の準備が終えたエリーゼが姿を見せた。

 俺はチャンスとばかりに、彼女の胸に飛び込んでいた。


「師匠!」


「えっ? えっ?」


 エリーゼはわけがわからないらしく、俺に抱き付かれたまま周囲を見回していた。


「ヴェンデリンよ、なぜ近くにいる妾に抱きつかぬ?」


「奥さんじゃないから」


「ほほう……。正論よな」


 俺とテレーゼとのやり取りで、エリーゼはようやく事情を察したようだ。

 テレーゼに冷たい視線を向ける。


「テレーゼ様もしつこいですね」


「妾の人生訓は『諦めない』じゃからの。この言葉により、妾はフィリップ公爵として一本立ちしたのじゃ」


 傀儡にされまいと、諦めないで奮闘して独裁権を得たというわけだ。

 素晴らしい資質かもしれないが、俺はそのせいで色々と被害を蒙っていた。


「とにかく、食事なので失礼します」


 俺たちは、昼食を取るために自分の家へと向かう。

 テーブルの上の杖を魔法の袋に入れ、ワインは導師が一気飲みしてから空のグラスを俺に渡す。


「いいワインであるな」


「お供えを飲むなよ、導師」


「このまま捨てては、ワイン好きのアルフレッドも悲しむである!」


「俺も飲みたかったんだぞ」


 ブランタークさんは、自分が飲もうと思っていたワインを導師に先に飲まれて、それが不満なようだ。


「苦情の内容はそっちであったか。しかしブランターク殿よ。こういうことは早い者勝ちである!」


「次は油断しないからな!」


 人は、健康のためにも食事の時間は守らないといけない。

 エリーゼが知らせにきたので、俺たちは話をしながら家へと向かった。

 

「あなた。テレーゼ様は、なにか別の用事があったのでは?」


「そういえば、あったような……」


 『打って出る』とか言っていたような気がしたが、今は食事の方が大切である。

 あとで聞くことにして、俺はエリーゼと手を繋ぎながら家へと戻るのであった。





「ヴェンデリンよ。そなたは最近冷たいぞ」


「そうですか?」


 家に戻った俺たちは、揃って昼食を食べていた。

 メニューは、前にミズホ伯国で購入したウドンの乾麺を茹でて釜揚げ風にし、おかずに天ぷら、他にもおにぎりも用意している。

 女性陣が握ってくれたのだ。

 具は梅干しで、これは戦場なのでお腹を壊さないための処置だ。

 みんなで大量に茹でたウドンを食べていると、なぜかテレーゼが姿を見せ、自分もウドンをフォークで掬って食べていた。

 普通に麺を啜れるので、テレーゼはウドンやソバを食べたことがあるようだ。

 箸はまだ使えないようだけど。


「妾が諦めない性質で、放置されても人様よりも心が少しだけ強いから問題になってはおらぬが」


 いや、テレーゼの心は少し強いどころじゃない。

 オリハルコンのように固く、神経はワイヤーロープのように頑丈であろう。


「やはり、年上なのがよくないのか?」


「そういうことではなくてですね……」


 身分や立場が問題だと何度も言っているのに、いい加減徒労感も出てくるというものだ。


「よし! 今日から妾は十五歳だということにしよう。『テレーゼ永遠の十五歳作戦』じゃ」


「(なんだよ? その芸能人の年齢サバ読みみたいな作戦……)エリーゼ、もっとウドンが欲しい」


「すぐに追加で茹でますね」


 あまりにバカバカしいので、俺は無視してエリーゼにウドンのお替りを頼んだ。

 エリーゼも聞いていないフリをし、逃げるように台所へと向かう。

 彼女も、テレーゼに対しなんと返答したらいいのか困ったのであろう。


「十五歳はないわぁ……」


「ボクなんて逆に、『ルイーゼ、永遠の二十歳作戦』とかにしてほしいよ」


「返答に困る」


「私、実年齢よりも少し上に見られるのですが、テレーゼ様よりも年上には見られませんわよ」


 イーナ、ルイーゼ、ヴィルマ、カタリーナからも、散々に言われてしまう。

 ブランタークさんも顔の表情が固まったまま無言で、導師は我関せずと大量のウドンを豪快に啜っていた。


「これ、そこで真面目に反応するでない! 冗談くらい解せる余裕を持て!」


「いや、冗談なのか本気なのか判断に迷いまして……」


「冗談に決まっておろうが!」


 それから十数分後。

 昼食も終わったので全員でお茶を飲んでいると、ようやくテレーゼが作戦の話を始めた。

 そういえば、攻勢に出ると言っていたのを、ようやく全員が思い出したからだ。


「アルハンスを落とす」


「重要拠点ではないですか」


 一応俺も、帝国の地図くらいは確認していたので知っている。

 このソビット大荒地と帝都との中間地点くらいにある、帝国軍の重要軍事拠点だ。

 巨大な城塞と軍事基地に、人口が三十万人を超える都市も隣接していた。

 公式ではないが帝国人は副都扱いしている重要都市で、ここを取れば帝都を窺えるようになる。


「戦力が足りないのでは?」


「その戦力を増やすためでもある」


 先日の無理な攻勢で犠牲も出ているので、兵力差を考えても、勝ち目があるとは思えない。

 俺の心配を、テレーゼは例の捕虜たちで補うのだと語った。


「アルハンス以北の、貴族たちの離反を誘うのですか?」


「ニュルンベルク公爵のやり方に反感を覚えているからの。彼らの領地が解放軍の勢力圏に入れば、裏切りを心配する必要がなくなる。こちらも後方から、新しい援軍が来ておる。数の不利も縮小したはずじゃ」


「それはそうでしょうが……」 


「ニュルンベルク公爵は大量の食料や物資を失った。しばらくは、全軍で攻勢というわけにはいかぬ」


 俺が先の戦いで、反乱軍の大規模補給所を焼き払ったせいらしい。

 

「再び、十万人以上の軍勢が長期間動けるほどの物資を集めるのには時間がかかる。補給切れを考慮して、帝都付近に下がっているはずじゃ」


「魔法の袋で補給を行えば大丈夫では?」


「その魔法の袋を焼き払ってしまったのは、ヴェンデリンではないか」


 軍は消費する物資の量が多いので、魔法の袋と通常の荷駄を並行して利用する。

 片方だけに依存しないのは、単純に安全保障のためである。

 あの集積所には、通常の方法で輸送された物資と汎用の魔法の袋も置かれていた。

 それらはすべて、俺の魔法によって焼き払われてしまったのだと。


「かなり後方にあった集積所を焼き払う魔法を使えるヴェンデリンの力に、ニュルンベルク公爵も肝を冷やしておろう」


「そうですか?」


 予想外とは思っているが、別に俺は軍人として優れているわけではない。

 そこまで警戒はしていないのではないかと思ってしまうのだ。


「とにかく、先遣隊と共に出陣をしてほしい」


「わかりました」


 テレーゼの命令を受け、俺たちは六万人規模の軍勢で南下を開始する。

 ただし、俺たち王国軍組千五百名は、遊軍扱いで別行動だ。

 

「エルヴィン隊長殿、今はそんなに緊張しなくても大丈夫ですぜ」


 フィリップに預けたエルは、王国軍組の内五百名ほどを預かり、中隊長として軍勢を指揮していた。 

 数は少ないが、わずか十六歳でこの重責なので、馬上で緊張のためガチガチになっている。

 

「エルさん、リラックスです」


「ハルカさんも緊張でガチガチなので、リラックスしてください」


 婚約者だからというだけではなかったが、ハルカはエルの補佐役のような仕事をしている。

 緊張するエルを解そうとしたのはいいが、自分もそうじゃないかと、副隊長をしている中年の王国軍人に指摘されてしまった。

 彼女も初めてのことなので、同じく緊張しているのであろう。


「緊張を解す……どうやって?」


「自分も若い頃に経験があるので、今は一旦深呼吸をしてから落ち着きましょう。戦闘なんてしばらくないのですから」


「彼は、あんなことを言っているけど……」


 エルを補佐する中年副隊長の予想に疑問を感じた俺は、隣で堂々と馬を進ませるフィリップにその真意を尋ねてみた。

 王国軍組は、どう見ても彼の方が指揮官に見えてしまう。

 若造の俺ではどう頑張っても貫録不足で、まるで配下の魔法使いが上官である将軍にお伺いを立てているように見えた。


「自分の子飼いでない貴族の軍勢にあんな無茶を強いたからな。この辺に領地がある貴族たちは、ニュルンベルク公爵に怒り心頭だろうな」


 それもあって、攻略目標であるアルハンスまではほとんど戦闘は起きないであろうとフィリップは予想していた。

 

「六万の軍勢のうち、かなりをアルハンス以北に領地を持つ貴族たちが占めている。彼らは、領地に戻ってから解放軍への参加を表明するはずだ」


 解放軍に味方を多数殺されたとはいえ、ここでノコノコ反乱軍に合流してもまた使い捨てにされるだけ。

 かといって、これまではニュルンベルク公爵が怖くて従うしかなかった。

 俺は、貴族たちの悲哀を直接感じてしまう。


「その辺の帰属交渉とか占領後の軍政とかはアルフォンス殿に任せて、我らは前進だな。どうせ一番前に出ているわけでもないから、反乱軍の遊軍がいても遭遇はしないはずだ」


「補給路を断つ、ゲリラ戦とかに対応しないのか?」


「それは勿論しているが、千五百名ではできることとできないことがある。それに、この部隊は余所者で傭兵扱いだからな。クリストフ」


「はい、兄さん」


「例の地図を」


「どうぞ」


 クリストフは、俺に一枚の地図を渡す。

 そこには、かなり詳細なこの近辺の道などが記されていた。


「荷駄による補給は一応確保されているが、これは絶たれる可能性を考慮している。バウマイスター伯爵が大量の食料を持っているのはそのせいだ」


 これは、先の戦いの教訓から魔法の袋に入れる食料を増やしていたのだ。

 カタリーナの方も同様に強化している。


「念のため、なにかあった際の逃走ルートは五ヵ所を想定している」


「過去の教訓を生かして、あまり人が通らない山道ルートも調べてあります」


「それなら安心だな」


 フィリップとクリストフの説明に、俺は納得した。

 駄目ならとっとと逃げるという、彼らの方針に大賛成であったからだ。


「その能力を、紛争で生かせたらよかったのにね」


「だからそれを言うな」


 俺の余計なひと言に、フィリップは顔を曇らせた。 

 それからも、俺たちによる進撃は続く。

 だが、途中でいくつかの貴族領や町を通過すると、そこで足を止められてしまった。

 なぜなら、彼らはあまり食料を持っていないので売ってほしいと頼まれてしまったからだ。


「食料がない?」


「はい。先日に行われたと聞いている戦いの前と、そのあとにも、お上の軍勢が買って行ってしまいまして……」


 さすがに略奪はしなかったようだが、相場よりもかなり安い金額で強制的に買い取られてしまったそうだ。


「収穫までかなりギリギリということもありまして、少しでもお持ちならば売ってほしいと……」


「微妙な焦土戦術ですねぇ……」


 内乱で同じ帝国領のため、露骨な略奪は避けたのであろう。

 だが、余剰の食料をすべて買い取っているので、進撃する解放軍への妨害工作としか思えない。

 解放軍が食料を強引に現地調達して、現地住民たちの反発を買うのを狙っているとしか思えなかった。


「すまないな。俺たちも食料に余剰がないんだ」


 要請を断り続けながら、さらに前に進んでいく。

 領主の軍勢が戻り解放軍に参加したところも多いが、戦いで領主が戦死して所在不明となっていたり、この期に及んでニュルンベルク公爵に味方して攻撃を仕掛けてくる貴族も存在した。

 地元なので地の利を利用し、こちらに奇襲をかけようとしたのだ。


「あまり犠牲を出すわけにはいかないな」


 山道の横合いから数十名が奇襲をかけてくるが、すでに察知していたので素早く対応した。


「騎士爵くらいか……。エルヴィン、包囲するから左翼を担当せよ」


「了解」


 潜んで俺たちに奇襲をかけようとしたようであったが、先に見つかって包囲されてしまう。

 エルもハルカと副隊長の補佐を受けて、ちゃんとフィリップの指示どおり部隊を動かしていた。


「一気に押し包むか?」


「いや、『窮鼠猫を噛む』と言うだろう?」


「一回も戦わないで降伏するか?」


「するさ」


 フィリップは懐疑的であったが、俺は前に出て極微弱の『エリアスタン』を潜んでいる敵軍にかける。

 威力は低周波治療器ほどなので、彼らは驚き叫んでその位置を完全に曝してしまった。


「降伏しない場合、俺たちに斬りかかる間もなく全員死んでもらうが」


「降伏する!」


 奇襲が失敗に終わると、指揮官である貴族は、すぐに武器を捨てて降伏した。

 初老の騎士と思われる下級貴族が、領内の農民たちを徴集して諸侯軍を編成したようだ。

 装備が粗末なので、帝国軍やニュルンベルク公爵家諸侯軍ではない。


「戦っているフリくらいはしませんと……」


 初老の貴族は貧乏騎士で、この内乱のせいで右往左往する羽目になった。

 最初は反乱軍に参加を表明したが、あまりに小身なので前線に出られず、ニュルンベルク公爵から街道の警備などを命令されていたそうだ。

 もっとも、そのおかげで解放軍の野戦陣地に攻め入らないで済み、先日の戦いでは犠牲者を出さずに済んでいた。

 戦功を挙げて出世なんてできないが、失敗して多くの領民を失わずに済んだわけか。


「降伏した身でこういうことを言うのはどうかと思うのですが、これから内乱はどうなるのでしょうか?」


「ええと……」


 両勢力の境目にいる、小領主の悲哀というやつなのであろう。

 下手に付く勢力を間違えると、一族のみならず領民たちすら皆殺しにされる可能性もあるのだから。


「まだ南下を続けるから、じきにここも解放軍の勢力圏になるはずだ」


「はあ……アルハンスですか」


「作戦中なので、それは言えない」


 妙に勘のいい老人だ。

 はぐらかしてみたが、普通に考えればアルハンスが当面の目標になるのはニュルンベルク公爵も気がついているはずだ。

 守りきるか、戦力の集中のために放棄してしまうか。

 それはわからないが、俺はアルハンスだけ死守してそれ以外の北部領域は一時放棄すると思っている。

 帝国中央北部から北部領域南部は、細切れの直轄地と小領主が多数モザイクのように混在しており、その管理が非常に面倒だからだ。

 軍勢を連れていけば、すぐに降伏して味方すると言う。

 だが、すぐに裏切るかもしれないし、それを防ぐために警戒を強めれば余計な人員を使ってしまう。

 信頼する子飼いの軍勢を割く必要があるからだ。

 そんな面倒な地域なので、俺は後方の軍政担当者たちに降伏した彼らを任せて、前進を続ける予定であった。


「そういうわけなので、余計なことを考えずに領地で大人しくしていてくれ」


「あの……。連れて行ってはくれないのですか?」


「えっ?」


 俺は、思わずフィリップに視線を向けてしまう。

 降伏したばかりの軍勢を加えて前進する。

 戦記物ではよくあるパターンだが、信用できるかどうかわからない。

 それに、もしさらに南下したところで裏切られでもしたら?

 とにかく判断がつかないので、俺はフィリップに助言を求めた。


「バウマイスター伯爵はどう思っている? 総大将である貴殿が判断しないと話は進まない」


「軍勢が増えるし、道案内役にもなる。アルハンスを確実に落とせばこの辺も安全圏になるので、多分大丈夫かなと」


「俺も同じ考えだ」


「道案内ですな。お任せください。改めて自己紹介をば。ヴェルナー・ギュンター・フォン・ポッペクです、しがない貧乏騎士爵家の当主をしております。ところで、私の随伴の件なのですが……」


 それから数時間後、再び俺たちは南下を続けていた。

 道案内役としてポッペクという騎士の爺さんがついて来たのだけど、一旦領地に戻って再び集めてきた軍勢も、なぜか爺さんばかりであった。


「余剰の食料は、ニュルンベルク公爵に安く買い叩かれてしまいましたし、若い者たちには畑仕事がありますからな」


 先ほどの若者たちは、農作業のため領地に戻ったのか。

 新たにやって来た三十名ほどの軍勢の大半は、すべて老人という編成になっていた。

 

「バウマイスター伯爵殿、私の近所の領主たちも合流させたいのですが」


「フィリップ殿?」


「集めた方が、面倒がなくていい」


 フィリップの賛成により、次々と近辺の領主たちが軍勢を率いて合流してくる。

 

「彼は直轄地の代官です。細切れで狭い土地の代官なので、ほぼ世襲貴族みたいなものですがね」


 見た目は普通の爺さんであるポッペクは、意外と顔が広いようだ。

 彼の参加から一週間で、多くの貴族や直轄地の代官たちが手勢を率いて参加し、軍勢は三倍近くの四千人ほどにまで増えていた。

 しかしながら、兵士の大半は老人であった。

 動けないような者は参加していないので問題はないと思うが、クリストフの予想が実現しつつあったのだ。


『食料がギリギリなので、老人が率先して兵役を務めているようですね』


 体のいい姥捨てのような気がしなくもないが、思ったほど弱そうには見えない。

 みんな若い頃に領地や利権争いで紛争には参加した経験があるそうで、隊列を整えて歩くなどの行動には慣れていたからだ。


「後方からの補給も予定どおり来ていますから、今は問題はないということで」


 軍勢の数が増えると、それが目立ってさらに別の貴族たちの参加を促した。

 ただ、こちらに老人が多いことを見抜くと、新たに参加した貴族たちも老人兵ばかり連れてくるようになってしまった。


「これは……戦闘にならないことを祈るしかないな」


 老人が多数を占める軍隊になってしまった。

 大丈夫なのか?


「戦闘になる可能性がゼロとは言いきれないな。それに、新兵よりはよほど使えるから」


「そうなのか?」


「経験者だからな。見ればわかる」


 フィリップの言うとおりで、老人兵たちは、食事の支度も、寝るためのテント作りにもとても慣れていた。

 二週間ほど南下を続けてアルハンスの東側に到着した時、老人たちのリーダーのようになっているポッペクがとんでもないことを言い始めた。


「サーカットを落としましょう」


「サーカット?」


 俺たちが慌てて地図を広げてサーカットなる拠点を探すと、ここから十キロほど南に、そういう名前の町があるのを見つけた。


「こんな町を落としてどうするんです?」


 エルの疑問ももっともであった。

 むしろ、これ以上の南下をやめてアルハンス攻めに参加した方が楽であろう。

 こちらは老人ばかりなのだから、後方で待機させてくれるはずだ。


「この町の隣には、廃棄された砦がありましてな」


「廃棄された?」


「ほれ、昨今のアレですよ。予算節約のために軍事施設の統廃合を行ったと」


 サーカットの町に隣接する砦は、昔は重要防衛拠点として機能していた。


「大昔、まだ帝国が小国であり、中央北部領域に敵国があった頃、その砦は重要防衛拠点だったのですよ」


 その後、帝国の北伐が無事に進み、サーカットの町に隣接する砦はその価値を大幅に減じてしまう。

 数百年前から破却の話が持ち上がっていたが、それが実現したのは三十年ほど前だそうだ。

 

「帝国軍がコスト削減に反対したのか……」


 それでも時間をかけ、既得権益を持つ帝国軍上層部と粘り強い交渉ののち。

 ようやくサーカットの砦は廃止となった。

 王国でもよくある話であったが、徐々に萎む軍事予算に危機感を覚え、ニュルンベルク公爵の反乱に参加したのではと、個人的には下種な勘繰りをしてしまうのだ。

 

「でも、破却したのでしょう?」


「予算がないとかで、民間に貸していますよ」


 頑丈で防犯性に優れた石造りの倉庫があるので、これを町の商人たちが借りているそうだ。

 浮浪者や犯罪者が入り込まないよう、定期的に警備の人間を動かして管理しているらしい。


「サーカットの町にはたまに買い物に行くので、知っているのですよ」


「一つ質問!」


「なんでしょうか? ルイーゼ殿」


「サーカットの町って、アルハンスのように栄えなかったの?」


「人口が五万人はいるはずですから、中堅の商業都市ですかね。色々と理由があって、アルハンスに繁栄を奪われたと聞きます」


「ヴェル、どうする?」


「イーナはどう思う?」


 俺は地図を見ながら、これからの行動をどうしようかと悩んでいた。

 アルハンス攻めは主力に任せるというテレーゼの話なので、このまま無視してアルハンス攻めを後方から見学しているだけでも手柄は十分であったからだ。

 俺について来ている貴族は五十名近いので、これで十分に功績になるのだから。


「偵察して、駄目ならアルハンスに行けば?」


「それが無難かなぁ……」


 試しに行ってみようということになり、王国軍組とポッペクたちの中から指名した老人兵たちを組ませた偵察部隊を前に出しながら、サーカットの町へと進んでいく。

 三日ほどで偵察部隊が戻って来て現地の状況を伝えるが、反乱軍は百名ほどの駐留部隊を残し、すべて後方に下がってしまったそうだ。


「また食料の買い取りとかしてそうだな」


「しているでしょうが、サーカットの商人なら隠匿も上手でしょうし、無理強いもできませんでしょう?」


「反乱軍が強要するかも」


「不可能じゃないかな?」


 ポッペクの意見に、エルも賛成のようだ。


「どうしてそう思う?」


「確実に食料を引き揚げるために、反乱軍は力がないポッペクさんたちを狙い撃ちしたのだろうけど、サーカットの住民は五万人もいる。千や二千の軍勢で食料を買い取ろうとすると、反抗するんじゃないのか?」


「五万人の半数は男性で、子供や年寄りを除いても万はいるな。どうせ大量に食料を消費をして足を引っ張る存在だし、少数の守備兵だけ置いて放置したんだな」


 フィリップも二人の意見に補強を行い、部隊内の意見はサーカット攻めで一致した。


「サーカットの住民たちが、敵に回らないことを祈るよ」


「バウマイスター伯爵殿。こういう内乱などの時には、庶民は冷静に勝者へつくだけですよ」


 反乱軍が居座っていれば反乱軍につくが、俺たちが追い払えば解放軍につく。

 ただそれだけなのだと、ポッペクは言いきった。


「それを卑怯だと言ってはいけませんよ。彼らには彼らの生活があるのですから」


 別に俺は、嫌悪感は抱いていない。

 『勝てば官軍』だし、わざわざ強者に無謀な挑戦をすることもないのだから。


「つまり、勝てばいいと?」


「サーカットの砦を補修しながら粘れば、アルハンスとのラインで帝都にプレッシャーを与えられますぞ」


「ポッペクさん、あんたは……」


 間抜けな奇襲をかけたかと思えば、降伏してからは有能な参謀に早変わりしている。

 軍のことにも詳しいようだし、田舎の騎士にしてはかなり違和感のある人物だ。


「私はただの貧乏騎士ですよ。昔は帝国軍にいましたけどね」


 次男なので帝国軍に勤めていたが、兄が早死にしたので領地に戻ったのだそうだ。

 

「兄には娘がいたので、私の息子と結婚させて領地を継いだわけです。昔は、これでもエリートコースに乗っていましてね」


 簡単に自分のことを語ってから、ポッペクさんは俺の肩に両手を置く。


「最初は反乱軍に組せざるを得ませんでしたが、ちょうどいい時にバウマイスター伯爵が来てくれました」


「えっ?」


「他の貴族と兵士たちもみんなジジイで、失敗して死んでも跡取りはいますから、頑張ってサーカットを落としましょうか。フィリップ公爵閣下へはいい手土産でしょう?」


 元は帝国軍のエリートであったが、兄の病死のせいで貧乏騎士になった男ポッペクさんは、ここで功績を稼いで最後の一花を咲かせるつもりらしい。

 彼の後ろにいる貴族たちも、すべて同じ気持ちのようだ。

 だから、みんな死んでも惜しくない年寄りばかりなのか……。


「バウマイスター伯爵殿におきましては、公正な手柄の報告をお願いしたい次第でして」


「はあ……わかりました」


 俺は、爺さんたちの迫力に押され、返事をすることしかできなかった。

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