第221話 新たな仲間?と、意外な人たちとの再会(その3)
「お代り!」
「私も!」
野戦陣地に押し寄せた山賊のような汚い集団は、本当に敵中を突破してきた王国軍の生き残りであった。
念のため、反乱軍の密偵がいないか慎重に確認してから彼らは無事収容され、髪を切り、髭を剃り、風呂に入ってから、出された食事をマナーも忘れて貪るように食べている。
他の兵士たちも、他の場所で食事の最中であった。
「まさか、元ブロワ兄弟とは……」
「バウマイスター伯爵。過去の因縁はともかく、その呼び名はやめてくれ」
「私たちの今の家名は、フレーリヒなので」
辺境伯の次期当主候補から、王都の名ばかり法衣騎士家の当主と家臣へと転落した兄弟は、あまり貴族同士の交流にも呼ばれず、エドガー軍務卿などのツテで軍人や役人の仕事をしていたはずだ。
「なるほど……。帝国の内乱に乗じて領地を得ようと、軍を出したと」
「バウマイスター伯爵は、なにか勘違いをしているようだな」
「今のうちに、これだけの兵力を出せる余裕などありません」
フィリップとクリストフに指摘され、俺はこの二人の財力では軍勢など出せるはずがないという事実に気がついた。
「では、なぜ兵を?」
「レーガー侯爵家だ」
「レーガー侯爵家?」
「軍系法衣貴族の名家です。あなた」
相変わらずなかなか貴族の名前が思い出せない俺に、エリーゼがそっと教えてくれる。
「バイマイスター伯爵よ。奥方が聖女殿でよかったな」
フィリップは、なかなか貴族の名前と顔を覚えない俺に呆れたような表情を向けていた。
覚えられないから仕方がないじゃないか!
エリーゼが頼りになるからいいんだよ。
「その件については賛同する」
「話を戻すぞ」
このレーガー侯爵家は、対帝国強硬派で有名なのだそうだ。
なんでも、過去に当主を戦争で七名も戦死させているらしい。
帝国への恨み骨髄というわけだが、すでに最後の戦死者が出てから二百年以上も経っているので、恨みの実情は怪しいところだ。
「今は仇討ちというよりは、停戦維持派であるエドガー軍務卿やアームストロング伯爵家へのアンチテーゼだろうな」
これは俺も知っていたが、実はこの両家、見た目とは違って停戦を保持したい穏健派であった。
いつあるかわからない戦争に向けて準備は怠らないが、できれば戦争などしたくないと思っているのだ。
「軍上層部の本音としては、戦争なんて本当は嫌だからな」
フィリップの言うとおりで、実は軍の偉い人ほど戦争を嫌がる傾向にある。
戦争がなければ、決まった年数今の地位が安泰なのに、もし戦争になって負けでもしたら、責任を取らされてその地位を追われてしまうからだ。
あまりに負けが酷いと、改易、処刑だってあり得るのだから当然だ。
「戦争を望むのは、一部の野心的な中堅とか、今は主流派から外れているレーガー侯爵家とかだな」
「もう一つ。レーガー侯爵家を追い詰めたのは、バウマイスター伯爵ですよ」
「俺?」
クリストフが話に加わってきて、レーガー侯爵家が暴走した原因は俺だと言い始めた。
「なぜ俺が?」
「軍はこのところ軍縮傾向にありました。王国政府としては当たり前の選択でしたが、軍の幹部たちは面白くなくて当然です」
陛下は、徐々に軍縮を行っていた。
だが、ポストなどのパイが減れば当然軍系貴族たちは不満を述べる。
「その不満が、対帝国出兵論に化ける未来も可能性としてはありました」
それを防いだのが俺だと、クリストフは言うのだ。
「わかりませんか? パルケニア草原とヘルタニア渓谷ですよ」
治安維持を行ったり警備をする場所が増えたので、軍縮は中止となり、軍の予算とポストは増えている。
帝国と戦争をしなくても予算が増えたので、軍系貴族たちの大半が停戦派になってしまったのか。
「レーガー侯爵家が嬉しいはずもありません」
そこで、賛同者をある程度集めてから陛下に出兵案を提案したらしい。
「普通ならば突っぱねて終わりですが、北部の魔導飛行船や通信の停止に、親善訪問団の消息不明がありました」
いくら帝国に問い合わせても、ろくに返答すら来ないのだ。
国家の威信を考えると、様子を見るために兵を出さざるを得なかったというのが真相のようであった。
「それで?」
「レーガー侯爵家が総大将になって、八千人の先遣隊がギガントの断裂を渡りました」
様子見なので、偵察部隊を出しながら慎重にやればよかったのだが、無能にもレーガー侯爵は、ロープウェーを守る部隊と偵察で見つけた町などを占領する部隊に軍を分けてしまった。
「自ら陣頭に立って、嬉々として略奪をしていたそうです」
「それで、あなたたちも兄弟して略奪に勤しんでいたと?」
「言ってくれますね。バウマイスター伯爵殿」
クリストフの目が釣り上った。
俺とこの兄弟の過去の因縁を考えると、いくら遠い帝国の地で再会したにしても、それを素直に喜べるはずがない。
いくら落ちぶれてもフィリップは法衣騎士ではあるし、クリストフも俺に謙りたくないのであろう。
「俺たちは、エドガー軍務卿に言われて従軍したのさ。バカなレーガー侯爵のお守りのためにな」
そういえば、前にエドガー軍務卿から聞いたことがある。
フィリップは、軍人としては優れていると。
厳しい条件ではあるが、上手くやれば功績は大で、昇爵の可能性もある。
弟のクリストフも、功績稼ぎのために軍官僚として従軍したのだそうだ。
「そんな事情もあって、いきなりレーガー侯爵に煙たがられてな」
「レーガー侯爵は噂どおりの無能でした。そんな彼からしたら、私たちの過去の経歴を知って大いに安心したのでしょうね」
「エドガー軍務卿からのお守り役が、過去にやらかした無能だったからな」
『家と領地を失った無能兄弟は本陣でも守っていろ』とバカにした口調で言われ、後方の本陣で王国軍五百名ほどを率いて待機していたらしい。
後方にいたからこそ、ニュルンベルク公爵の夜襲を防げたのは皮肉としか言いようがなかった。
「それで、レーガー侯爵は?」
「ニュルンベルク公爵自身に斬られたそうだ。逃げて来た兵士たちがそう言っていた」
馬に乗ったニュルンベルク公爵自らの剣による一閃で、その首がポンと上空に飛んだらしい。
総大将の討ち死にで、派遣軍は大混乱に陥る。
しかもご丁寧に、他の参軍した貴族たちも軍勢を割って略奪に勤しんでいたようで、彼らも各個撃破の対象になった。
「俺たちは、生き残りの敗残兵たちを収容しながら北方に逃げたわけだ」
南方のロープウェーは臨時で作った貧弱なもので、一度に数名ずつしか渡れない。
しかも、すぐにニュルンベルク公爵によって落とされてしまったそうだ。
敗走ルートの予測も簡単であろうから、ロープウェーに逃げた将兵は、討たれるか降伏して捕虜になったはずだとフィリップは説明した。
「それにしても、どうして北方に逃げるかね?」
「帝国が内乱状態だからだ。なんとか中央を押さえている反乱勢力の対抗勢力と合流できないかなと思った」
「ギガントの断裂のどこかで、またロープウェーを張って逃げるという手は?」
「誰がロープを張るんだ?」
最初に帝国領に侵攻する時に張ったロープウェーのロープは、帝都で活動している貴重な諜報員たちが、張るのに協力してくれたそうだ。
だが、帝国側にいる敗残兵たちのみで王国側にロープを張る手段がない。
叫んで対岸にいる王国の人間に頼もうにも、ギガントの断裂周辺にあまり人は住んでいない。
さらに大勢で集まって騒げば、敗残兵がいると、帝国の住民たちに通報されてしまうであろう。
「あれ? 北方千五百キロ縦断は意外と好判断?」
「魔道具や魔法の通信が阻害されていたからな。補足されにくいと考えたんだ」
フィリップはクリストフと共に、半ば本能的に軍勢を北上させた。
途中で味方の敗残兵を収容し、時には小規模な捜索隊や地元貴族の指揮する捜索隊を撃破する。
食料は、王国軍に所属している魔法使いたちが魔法の袋を持っていたので、それを細く食い繋ぎながら、なるべく人気のない山道などを進んだ。
鎧や盾には王国の紋章があるので途中で廃棄し、道がわからなければ見つけた地元住民を拉致して道案内をさせる。
可哀想ではあったが、案内を終えたら報酬として金貨などを渡して解放したそうだ。
「通信魔法の阻害のおかげで助かったな。あれがなければ、途中で捕まるか全滅したと思う」
反乱軍の動きの遅さを見るに、自分たちも通信魔法の阻害で被害を受けているようだ。
フィリップたちを補足できなかったのだから。
「さてと、どうしようかな?」
「おい、どういうことだ? バウマイスター伯爵」
遠く孤立した帝国領での再会であったが、その相手は過去に因縁のある相手であった。
解放軍の貴族や兵士たちから見ても、内乱のドサクサに紛れて自国に侵攻した敵軍の敗残兵など温かく迎え入れる理由が存在しない。
まず味方ではないし、自分たちは直接戦闘はしていないものの誰がどう見ても侵略者なので、このままフィリップたちを処刑したい心情もあるであろう。
「交戦したのは反乱軍とはいえ、あんたらは侵略者だから」
助け舟を出した結果、出した俺たちまで恨まれてしまう可能性がある。
今、風呂に入れて飯を食わせているが、解放軍の兵士や貴族で、彼らに厳しい視線を向けている人は多かった。
「バウマイスター伯爵たちも、同じ王国人だがな」
それでも、傭兵扱いとはいえ解放軍に所属して戦功をあげた。
名誉爵位も貰っており、少なくとも表面上は受け入れられている。
「あんたらは、扱いが難しい」
「まさか、俺たちを見捨てるつもりか?」
「それもできないから面倒なのに……」
もしそれをすると、今度は王国に戻った時に問題になってしまう。
気に入らない相手でも、どうにかして保護しないといけないのだ。
「食事を終えたら、俺について来てもらおうか」
「フィリップ公爵閣下との面会か?」
「そうだ。テレーゼ様の判断一つで、あんたたちの待遇が決まる」
俺は、その辺をプラプラしていた導師を捕まえてから、兄弟を連れてテレーゼの元に向かった。
なぜ導師なのかといえば、これでもこの人は王国ではもの凄く偉い人だからだ。
色々と事情があって今は傭兵扱いだが、普段解放軍の兵士たちに混ざって訓練に参加したり、陣地の構築工事などに参加していても違和感がないのが不思議だ。
『一応、魔法使いってのは知的なイメージがあるんだが、導師はその対極にいるな。実力は大陸有数なのに』
これがブランタークさんの、導師への印象であった。
「おう、久々なのである! バウマイスター伯爵にボロ負けして没落した、元ブロワ兄弟ではないか」
導師は兄弟を見るやいなや、俺でも言わないような言葉を彼らに投げつけた。
「導師は容赦ないですね」
「言葉を偽っても意味がないのである! 事実なのだから」
こう見えて、導師は陛下への忠誠心が厚い。
王国の足を引っ張りまくった兄弟への言葉が辛辣なのには、そういう理由もあるのであろう。
「フィリップ公爵様の下に行かなくてもいいのですか?」
言い返そうにも事実なのでなにも言えないらしく、クリストフが顔を引き攣らせながらテレーゼの所に早く行こうと急かした。
「それもそうである! 早く行くとしよう」
合計四人でテレーゼの元を訪ねると、すでに事情を知っている彼女は笑顔で二人を出迎えた。
「色々と大変であったようじゃの。しかし、北に逃げるとは大胆な考えじゃな」
「王国北部地域も魔導飛行船が動きませんので、ギガントの断裂を渡るには簡易ロープウェーが必須なのです」
ただし、ギガントの断裂の幅の関係でそう簡単には張れない。
お目溢しの密貿易に使っていたものは反乱軍によって切られてしまい、フィリップたちが帝国在留の諜報員と共に苦労して張ったものも、とっくにニュルンベルク公爵によって切られてしまっている。
「敗走時点で二千名ほどはいたのですが、敵軍の探索を逃れながらロープウェーを張り直し、そこから全員でロープウェーを渡って戻るなど不可能です」
降伏や玉砕も考えたそうだが、どうせ死ぬなら最後まで足掻いてみようと思ったらしい。
彼らの場合、失敗するとあとがないというのもあるのか。
「王国側が得た帝国内乱に関する情報は非常に少ないのですが、北部に反乱勢力と対立している勢力があるとは聞いていました」
合流できれば、受け入れてもらえて戦えるかもしれない。
駄目ならそこで全員玉砕だと、決死の北上を続けたのだそうだ。
「フィリップ殿、そなたは優秀な指揮官のようじゃの」
テレーゼは、合計千五百六十七名を率いて敵領地を千五百キロも突破したフィリップの指揮官としての手腕を褒めた。
確かに、誰にでもできることではないと、俺も思うのだ。
「その割には、酷い没落劇だったけど」
「ヴェンデリンは辛辣よな」
「被害者ですからね」
「巨大な領地などというものは、新米の領主や次期領主が簡単にすべてを御せるものではないからの。フィリップ殿もクリストフ殿も結果的には大失敗したが、妾にもその可能性はあったはず。すでに罰は受けておるし、今回はとんだ貧乏クジじゃ。ヴェンデリンも、あまり苛めてやるな」
人の集まる組織とは本当に難しい。
優れたリーダーが率先して引っ張る組織はその時にはいいが、そのリーダーがいなくなると一気に崩壊することがある。
逆に周囲の意見を調整しながら物事を進めるリーダーは、大切な決断ができなくて失敗することもあるし、成果をあげても中途半端になってしまうケースが多い。
組織の崩壊を防ぐため、時には周囲の意見を尊重する必要もあった。
リーダーシップが弱いからこそ、リーダーが入れ替わっても特に混乱することもなく組織が続くというパターンもあるので、どちらが正しいとはいえないのだ。
テレーゼからすると、この兄弟はブロワ辺境伯家という巨大な組織に引き摺られて失敗した被害者という見方もできるらしい。
「はあ……」
「そなたの子や孫が、同じことをせぬ保証はないのじゃぞ」
「それは本人の責任ですから。もし能力がないのなら、領主にならない方が多くの人たちが幸せになります」
「ヴェンデリンは相変わらず辛辣じゃの。まあ、過去の因縁などはどうでもいいのじゃ。フィリップ殿たちへの待遇が問題であっての。身分が王国軍人のままではまずいのじゃ」
帝国の内乱なのに、王国軍の軍人が参戦している。
しかも解放軍の方にしかいないとなれば、反乱軍から『解放軍は、ヘルムート王国に国を売った!』と宣伝される危険があった。
「傭兵扱いで、王国軍組はすべてヴェンデリンの指揮下に置く」
「軍の指揮なんて未経験ですが……」
いきなり、未経験の俺に千五百名以上の軍勢を指揮できるはずがなかった。
「なんのためにフィリップ殿がいる。任せておけ。そもそも、ヴェンデリンは妾の傍で控えてもらわないと困る」
決戦になれば、双方の魔法使いが魔法を撃ち合うことになる。
下手をすると一瞬で総大将を吹き飛ばされて敗北というケースもあるようで、テレーゼは俺たちを傍に置いておきたいらしい。
これは決して自分の身ばかりを案じているわけではなく、テレーゼが死んでしまえば、解放軍は一気に瓦解してしまうからだ。
「ニュルンベルク公爵も、傍に高位の魔法使いを複数置くはずじゃ」
「高位の魔法使いねぇ……」
「ブラッドソンとあの四兄弟が宮仕えでは最高峰であったが、中級レベルの魔法使いはまだ層が厚い。在野にも優れた魔法使いはおるし、彼らを高額でスカウトしている可能性もあるからの」
また、魔法使いの殺害をお互いに図らないといけない。
勝つためには仕方がないが、共に帝国の魔法使いなので、内乱後のダメージを考えると頭が痛いのであろう。
テレーゼはつまらなそうな表情を浮かべていた。
「元王国軍も妾の中央軍に置く。千五百名ほどで練度も高いから大いに役に立つが、帝国人で彼らの指揮を受けたい者はいないであろうし、逆にすると使い潰そうとするやもしれぬ。そなたの下なら、いらぬ騒動も少ないであろう」
「そういうのを、押しつけとも言いますがね」
「能力のある指揮官に精鋭じゃ。貴族ならば、上手く使いこなしてみせよ」
「わかりました」
どうせ断れないし、最悪盾にすればいい。
酷い言い方だが、今は戦争なので、自分の身は自分で守らなければいけないのだから。
「では、これで……」
俺と導師は、兄弟を連れてテレーゼの下を辞する。
結局俺は、中央軍の一軍となった王国軍の指揮官も兼任することになってしまった。
傭兵扱いながらも、帝国名誉貴族で参謀でもあり、同じく傭兵扱いの王国軍残余兵たちを指揮することにもなったのだ。
実際の指揮はフィリップに任せ、クリストフは王国軍に関わる雑事を担当する軍政官兼参謀や副将扱いとなる。
間違いなく俺のことなど大嫌いであろうが、その辺は大人なのでなんとか対応してほしいどころだ。
「バウマイスター伯爵様だ!」
「導師様もいらっしゃるぞ!」
「俺たちはまだ戦えるぞ」
王国軍兵士たちは、俺や導師の姿を見ると大きな歓声をあげた。
なんとか苦労して生き延びたとはいえ、ここは敵地であり不安があったが、そこに有名な味方がいたので心強かったのであろう。
ただ一番の問題は、俺と指揮官である二人の仲が最悪という点にあった。
「ところで、装備の件なのですが……」
それを公にすると兵士たちが不安がるので、クリストフはお飾りとはいえトップの俺に丁寧な口調でお願いをしてきた。
「防具か……」
「確か、王国軍の装備品なので捨ててきたのであったな」
導師は、みずぼらしい格好をしている兵士たちを見て溜息をついた。
武器はさすがに手放していなかったが、王国の紋章入りの鎧や盾などは脱ぎ捨てており、全員が薄汚れた普段着姿であった。
この一ヵ月半、着替えも洗濯もしていないので服はボロボロだ。
一部鎧を着けている者たちもいたが、彼らは諸侯軍の兵士や騎士らしい。
どうせ王国貴族の紋章など帝国軍は知らないであろうと、そのまま装備しているようだ。
「数が少ないのは、盾になったからであるか」
導師の問いに、フィリップは首を縦に振る。
諸侯軍の敗走兵とはあまり合流できなかったし、防具があるので矢面に立つ場面が多く、戦死した者も多くて生き残りが少ない。
急ぎ、千五百名分の防具や予備の武器が必要だとクリストフは説明した。
金がかかるので、担当者である彼が俺にお伺いを立てているのだ。
「新品は無理だが、鹵獲品を補修したものがかなりある。担当者に言っておく」
「助かります」
帝国の紋章が入ったものが多いが、どうせ王国軍人と名乗れない以上は問題ない。
戦死者のものなので嫌だと言うかと思ったが、それはあまり感じていないようだ。
もしかすると、日本人特有の感覚なのかもしれない。
他にも、着た切り雀の者が多いので下着や服も必要である。
寝泊まりするテントの確保も必要であった。
俺の隣でクリストフが経費の計算をしながら、顔を青くさせていた。
気持ちはよくわかる。
戦争とは、とにかくお金がかかるものなのだ。
「最低でも、これくらいはかかります」
「だろうね」
かなり大きな金額が書かれていたが、俺は見積もりに不備がないことを確認してから、そこにサインを入れた。
「補給担当者に見せれば、準備してくれるはずだ。他の業務の邪魔にならないように、サイズ合わせをしてから受領してくれ。下着などはサイズを言えば在庫から出してくれるはず。他のが欲しければ、商人たちが市を作っているから、そこで買うしかないな」
「私たちは多少持っていますが、兵士たちには無一文の者が多いです」
国内の任務ならば末端の兵士でもサイフくらい持って行くが、敵地への侵攻だったので、フィリップとクリストフが少額の公金くらいしか持っていなかったそうだ。
「逃走途中にいかにもな値段で食料を売ってくれた村などがあったのですが、ワケありの食料は高額でしたので」
道案内への謝礼などもあって、今はあまり残っていないそうだ。
「支度金を、一人につき金貨二枚出す。適度に節度を守って羽を伸ばし、決戦時に恥ずかしくないように格好を整えさせてくれ」
「わかりました」
「王国の金貨でも、商人は受け取るから」
金の含有量も重さも条約で同じなので、俺たちも普通に王国の貨幣で買い物をしていた。
俺はクリストフに人数分の金貨を渡す。
兄弟には別口で多目に金貨を渡しておいた。
「バウマイスター伯爵、また金がかかるのである!」
「テレーゼは渋いからなぁ……」
解放軍の一番の弱点は、とにかく金がないことである。
参加している貴族たちは全員が自前で戦争に参加しており、報酬は勝利後の出世払いとなっていた。
総大将であるテレーゼはまだ皇帝ではないので、この方法は特に間違っているわけでもない。
ただし口約束の要素がある分、戦後に色をつけて報酬を出す必要はあった。
俺もこれまでに、相当な額を立て替えている。
だからこそ、テレーゼは俺への報酬を体で支払おうと意図しているのかもしれない。
「色々とすみません」
「すまん」
俺のことなど嫌いであろうに、二人は頭を下げた。
ブロワ辺境伯家の後継者候補の時にはこんなことはできなかったのであろうが、優秀な指揮官としてなら頭は下げられる。
もしかすると、立場や地位とは、俺が思っている以上に重いのかもしれない。
「しかし、意外にも兄弟の仲がいい」
「ここまで落ちぶれれば、争うのも疲れてしまいますので……」
「煽る家臣たちもいないからな」
本人たちだけなら、あの不毛な兄弟喧嘩はなかったのかもしれない。
今の二人は特にいがみ合うこともなく、普通に仕事をしているのだから。
「お礼に、バウマイスター伯爵のところのエルヴィンを貸してくれ。あいつは、指揮官としてものになるはずだ」
フィリップは、エルを預かって指揮官としての心得を実地経験込みで教えることを提案してきた。
今、彼ができる唯一のお礼なのであろう。
「エルヴィンには、後方で大御所に立って冷静に大軍を指揮するような才能はない。だが、前線や少し後方で自分も汗をかいて一万人くらいまでの軍勢なら上手く動かせる将になれるはずだ。バウマイスター伯爵の護衛なら王国軍から出す」
フィリップは、エルを俺の護衛としてではなく指揮官見習いとして教育する案を出した。
彼なりに、俺に恩を返そうとしているのだ。
「それなら、お願いしようかな」
「どのくらいの期間になるかはわからないが、できる限り教えよう」
こうして、エルがフィリップつきとなり、彼から軍勢の指揮の仕方を実践形式で習うことになった。
「突然な感じもするけど、いい機会ではあるな」
エルはフィリップの傍で、彼から軍勢の指揮について学び始める。
新しい武器や防具の支給が終わり、貰った慰労金で必要なものを購入したり英気を養った王国軍兵士たちは、俺たちの屋敷の周囲にテントを張ってそこで寝泊まりするようになった。
俺をトップとする部隊なので、その中心に纏まったわけだ。
「装備が整えば精鋭かぁ……」
「一部諸侯軍の残存兵を除くと、普段から訓練を続けていた王国軍ですから。エルヴィンさんにも動かしやすいと思いますよ」
そのまま王国軍を名乗れないので、今は俺が指揮官の傭兵軍という扱いになっている。
千五百名もの人たちが部隊として機能すると、その瞬間から大量の書類が発生するのが常で、クリストフはそれをもの凄いスピードで処理していた。
「エル、俺はテレーゼ様の傍を離れられない。フィリップ殿と上手く協力して王国軍組を指揮してくれ」
「フィリップ殿がいるから、なんとかなるかな」
「エルさん、私もお手伝いしますから」
ハルカも、エルを手伝うことを志願した。
「綺麗な女性だな。エルヴィンの婚約者か?」
「はい、そうです」
「そうか……。少しカルラに似ているか?」
「おい……」
「兄さん、さすがにそれは……」
当たり障りのない自己紹介でもしていればいいのに、ここでフィリップが余計なことを口にしてしまった。
慌てたクリストフが、自分の兄に注意をする。
「エルさん、カルラさんとは?」
「ええと……」
前に好きになったがフラれた女性だとは、エルも男の意地として言いたくなかったようで口を濁らせてしまう。
だが、逆にその態度がハルカの疑念を抱かせた。
「エルさんには、他にも婚約者がいるのですか?」
「勿論いないよ」
この世界にも嫉妬深い女性は一定数いるが、貴族の妻はそれを表に出すと恥ずかしいという風潮がある。
他の婚約者の有無も、妻としての序列の問題や、結婚生活の条件などに関わるから聞いてくるだけ。
のはずなのだが、ハルカの背後から初めて感じるドス黒いオーラに、俺たちは顔を青ざめさせた。
もし彼女を怒らせれば、今のエルでも刀では勝てないのだから。
そして、エルが浮気をした可能性にあの人物も反応した。
「エルヴィン! 私の可愛い妹を差し置いて浮気かね?」
疾風の如き風が舞うのと同時に、タケオミさんが刀を抜いてその刀身を一瞬でエルの首筋に当てた。
元々達人なのに、妹のことになるとさらに強くなるようだ。
「君は独身だと聞いているが、うちのハルカ以外に愛人や婚約者がいるのを隠しているのは不義理だよねぇ? 普通、先に言うよねぇ?」
「タケオミさん! 少し切れているから!」
興奮のあまり、タケオミさんがエルの首に当てた刀身を動かしてしまい、エルの首筋から少し血が流れていた。
「フィリップ殿」
「兄さん、責任をもって説明を……」
「口が滑ってすまないとは思うが、この男はなんなのだ?」
フィリップは、いきなり刀を抜いてエルの首筋に当てたタケオミさんに驚いていた。
エルの剣の腕前を知っていたので、余計に驚いたのであろう。
「ミズホ伯国の剣士、タケオミ・フジバヤシ」
「俺の義兄になる人です」
「そうか、なんか色々と大変そうだな……」
それからフィリップがカルラの事情を説明したので、タケオミさんはようやく刀を引いた。
「そういうことでしたか」
ハルカも安堵の表情を浮かべていたが、俺たちはみんなそれに気がついた。
実は彼女が意外とヤキモチ焼きで、もうエルは浮気や女遊びができないのだと。
「可哀想にな」
ブランタークさんは、エルの肩にポンと手を置いて慰めた。
「ブランタークさん。結婚してから一度もそういう店に行っていないでしょう? 噂だと、奥さんの尻に敷かれていると……」
「無責任な噂だな。俺は結婚しても自由人だからなぁ」
「ブライヒレーダー辺境伯家のお抱えで、結婚までしていて。そんな自由人いませんよ」
「他人事みたいに言うな。エルの坊主だって、結婚すれば今までどおりにはいかないんだから」
なぜかしょうもない言い争いを始めてしまう二人であったが、もう少し周りの状況を考えてそういう発言はした方がいいと思う。
ふとハルカを見ると、また背後からドス黒いオーラが復活していた。
「エルさんは、そういうお店に頻繁に行くと?」
「いえ。そんなことはありません」
必至に否定していたが、ハルカは信じてくれなかったようだ。
「エルさん、私たちは夫婦になるのです。お互いに秘密を抱え合うのはよくありませんので」
「すいません! 今は絶対に行っていませんから! ブランタークさんとは違って!」
「俺も行っていないぞ!」
エルは必死に言い訳をしていたが、ハルカは話があると言って彼を引き摺って行ってしまった。
エルのあまりの哀れさに、誰も声を出せない。
ブランタークさんだけは己の無実を主張していたが、本当に人は結婚すると変わるようだ。
これが独身時代なら、平気で色町に遊びに行った話をしていたのに。
「完全にとばっちり。フィリップ殿は残酷だなぁ。いくら妹に追い落とされたからといって」
カルラは自分が自由の身になるため、兄たちを追い落とす工作に全面協力した。
多分その件で、二人に恨まれているのであろう。
「バウマイスター伯爵。兄さんは知りませんが、私はカルラをもう恨んでいませんけど」
最初は酷い妹で恩知らずだと思ったそうだが、自分がカルラと似たような立場になってみると、ようやく彼女の苦悩がよくわかったのだそうだ。
「ブロワ辺境伯家に恩などないのに、ただ利用されていましたからね。私も利用していましたので人のことは言えませんが……。あの才覚を、ただ私たちを叩き潰す時にだけに利用し、今は慎ましい生活を文句を言わずに喜んで受け入れている。私たちの没落には因果があったというわけです」
最近、手紙を貰ったそうだ。
「ホールミア辺境伯家の弓術指南役の妻として一生を終えるそうです。そのために色々と画策して申し訳なかったと。この点に関しても、私たちが無能だったのが悪いのでなにも言えません」
「クリストフ。俺ももう、カルラにどうこう言う気はないんだがな……。それよりも、ここで功績を挙げて褒美でも貰った方がいいに決まっている」
「その褒美のタネが、フィリップ殿のせいで婚約者に引き摺られて行ったけど……」
「バウマイスター伯爵、それは心配ない」
「なんで?」
「いい指揮官とは、人に指揮されても優秀だ。エルヴィンも、すぐに嫁に上手く指揮される男になれるさ」
「もの凄く強引な持論だなぁ……」
変なトラブルはあったが、王国軍は衣食住を整えると翌日から訓練を開始した。
実戦形式の教育だそうで、エルにも百名ほどの部隊が預けられ、慣れない仕事に四苦八苦しているようだ。
「今回は触りくらいでいい」
「今回は?」
「ああ。時間がないからな。この一回でケリが着くか不明だが、決戦が近い……」
優秀な軍人であるフィリップは、自分の部隊の訓練を見ながら、ニュルンベルク公爵との決戦が近いと予想していた。
「そんなにすぐなんですか?」
「王国軍残党の捕縛と排除は終わっているはずだ。だからそう遠くはないさ」
「……」
「まだ教え始めたばかりだ。今度の戦でエルヴィンに求めるものは少ない。ちゃんと所定の位置に立って、戦死しなければいいんだ」
「はい」
「今から緊張していても仕方がない。今は預けた百人と仲良くしておけ」
そうフィリップが予想してから三日後。
彼の予言どおり、ソビット大荒地を埋め尽くすかのような反乱軍の大軍が姿を見せる。
クーデター後初めて、直接総大将同士が戦う大会戦が始まることになるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます