第204話 テレーゼ様、前線に出る(前編)

「フランク! しっかりするんだ!」


「ううっ……。母さん……」


「いいか! 気をしっかり持つんだぞ!」




 凄惨な戦闘が終わってから数時間後。

 俺は、エリーゼがいる野戦治療所において治療の手伝いをしていた。

 魔力が枯渇していたので数時間の仮眠である程度回復させ、あとは手持ちの魔晶石も用いて、数多くいる負傷者の救護に当たっていたのだ。

 治癒魔法はエリーゼ頼りであまり練習していなかったのと、魔晶石もすべて使うわけにいかない。

 どうしても治療には優先順位ができてしまい、中には間に合わないかもしれない人たちが出てくる。

 今もこうして、重傷者の意識が朦朧とし、戦友たちが励ましの声をかけている場面に遭遇していた。

 俺とあまり年齢も違わない少年が、迫り来る死と戦っていたのだ。


「伯爵様! フランクを助けてください!」


「……」

 

 助けたいのは山々なのだが、すでに仮眠して回復した分の魔力も使いきり、魔晶石もかなり使用してしまった。

 これから先なにがあるかわからないので、アルフォンスからも決められた魔晶石の保持が厳命されている。

 悔しいが、今は彼の生命力にかけるしかないのだ。


「すまないが、魔力が……」


「そんな……。フランク! しっかりするんだ!」


 今にも死にそうな戦友に声をかけている少年を見ていると、ただ罪悪感だけが湧いてくる。

 助けられないこともないが、彼を助けると、他の負傷者たちも助けないと不公平になってしまう。

 魔晶石を消耗し尽したところで、もし再び敵軍の襲来があったとしたら?

 可哀想ではあったが、今は冷酷に彼を見捨てるしかなかった。

 冷たい、戦場における計算だ。


「あなた……」


「すまない」


 隣にいるエリーゼも、すでに魔力が枯渇している。

 魔晶石や、前に俺が贈った指輪の魔力すらすべて使いきっていた。

 よく見ると彼女の修道着は血で汚れており、彼女は今まで懸命に治療に専念していた証拠であった。


「フランク! 気を確かに!」


「ああ……。亡くなった母さんが……」


 フランクという重傷の少年は、すでに母親を亡くしているらしい。

 その幻影が見えるということは、彼が天に召される時が迫ってきたのであろう。

 付き添っている戦友の少年たちが懸命に声をかけ続けるが、彼の意識は徐々に遠のいていく。

 フランク少年の死は、すぐそこにまで迫っていた。


「すみません、私がもっと強力な治癒魔法を使えれば……」


「いや、使える魔法はその人の個性なんだ。カタリーナは悪くない」


「ヴェンデリンさん……」


 こればかりは、向き、不向きがあるので仕方がない。

 カタリーナも魔力が枯渇しており、彼女の治癒魔法では軽傷の治療で精一杯だ。

 どのみち、この重傷の少年は救えない。

 

「あなた……」


「ヴェンデリンさん……」


 三人とも申し訳ない気持ちで一杯になってしまい、俺はただ二人の肩を抱いて慰めるしか術がなかった。


「母さん……」


「フランク!」


 いよいよ駄目だと思ったその時、まるで図ったかのようなタイミングで、あの人物が現れた。

 主人公には見えないが、常に騒動の中心にはいそうなあの人物である。


「負傷者はここであるか!」


 作戦の都合上魔力を温存しており、さらに誰も頼んでいないのに追撃戦に参加した導師が姿を現したのだ。


「導師?」


「伯父様?」


「話はあとである!」


 なぜ導師が追撃戦に参加したのかは不明である。

 だって、彼は魔法使いだから。

 どこかから手に入れた、アームストロング伯爵家の者がよく使う六角棒を片手に、ドサンコ馬に乗って勢いよく飛び出してしまったのだ。

 突然の事態にアルフォンスは唖然としていたが、こうして無事に帰還には成功している。  

 ただしそのローブは血塗れで、エリーゼもカタリーナも素で引いていたが。

 移動魔法の制限により三次元を利用した戦闘が不可能だったので、色々とストレスが溜まっていたのではないかと俺は推察する。


「若者よ! しっかりするのである!」


 導師は『聖』治癒魔法を覚えたが、効果を発揮させるためにその相手に抱きつかないといけない。

 導師は青白い『聖』の光に包まれながら、両手を思いっきり広げていた。

 

「急いでください(なんだろう? もの凄くいい話のはずなのに、その……見た目が……)」

 

「ええと……。お願いします。伯父様」


 同性愛禁止の教会で育ったエリーゼからすると、自分の尊敬すべき伯父が少年に抱き付くなど悪夢のような光景であろう。

 だが、これも少年の命を救うためである。

 彼女も、余計なことは考えずに導師に治療をお願いした。

 導師が『聖』の青白い光を全身から発しながら少年に抱き付くと、徐々にその傷が消えていく。

 相変わらず、抱き付かないと治癒魔法が発動しないが、元の魔力が凄まじいのでその効果は素晴らしかった。


「ううっ……。母さん」


 今にも死にそうであった少年は導師からの治療の甲斐もあって、次第に意識も戻ってきたようだ。

 ただ、一つだけ可哀想な現実がある。


「フランクさん、あなたに抱き付いているのはお母さんでは……」


「駄目ぇーーー! それは言っては駄目ぇーーー!」


 真面目なエリーゼが事実を語ってしまったが、この場でそれを言っては駄目だと思う。


「あの少年は助かったんだ。それ以上は……」


「わかりました」


 今にも死にそうな少年を、治癒魔法で救う導師。

 エリーゼのような教会関係者から見ると、本に残したくなるような奇跡なのであろうが、絵面からして記憶を封印したくなるような光景である。

 筋肉オヤジが、少年に思いっきり抱き付いているのだから。

 間違いなく本に残そうとすると、教会から禁書扱いされるであろう。


「導師、普通に治癒魔法が使えればいいのに……」


「はい……」


 先ほどの悲しみから一転して、俺とエリーゼからは乾いた笑いしか浮かばない。

 そして、助かったフランク少年にも悲劇が及んでいた。


「母さん?」


「ふむ。母さんではないが、助かってよかったのである!」


「……」


 少年が絶句するのも当然であろう。

 死に掛けて意識が朦朧としている時に亡くなった母親の幻覚まで見ていたのに、目を醒ませば、筋肉の塊でヤクザも真っ青な強面に抱き付かれているのだから。

 導師は回復した少年に満面の笑みを送っていたが、やはり導師なので額面どおりには受け取れない。

 彼からすれば、導師は筋肉質な死神に見えるのかもしれない。

 実際少年は、完全回復したのに硬直したままであった。


「硬いぃーーー! 母さんが硬いぃーーー!」


 どうやら彼は、自分の身に起こった現実に耐えられなかったようだ。

 鼓膜を切り裂くような悲鳴をあげていた。


「あはははっ! これだけ元気ならばもう大丈夫である! よかったのである!」


「ねえ、リヒテル! コンラート! これはどういうことなの?」


 負傷が癒えたフランク少年は周囲の友人たちに尋ねるが、まさか導師の前で妙なことを言うわけにもいかず、彼らは視線を外して下を向いてしまった。


「導師様が助けてくれたのさ」


 ただ一言だけ、小声で事実だけを伝えて。


「フランク、助かったんだからよかったじゃないか」


「そうであるぞ。少年! 生きてさえいれば、人生はまだまだ楽しめるのである!」


 せっかくの感動のシーンも導師のせいで台無しとなり、助かった少年は他の負傷者たちから同情的な視線を送られる。

 だが、彼らはすぐに気がつくこととなる。

 そのあとすぐ、自分たちも導師に抱き付かれ、声にならない悲鳴をあげることになるのだという事実に。


「導師、魔力は大丈夫なのですか?」


「追撃ではほとんど使っておらぬ。後ろから追い付いて、この棒で殴り殺しただけなのである!」


「そうですか……」


 魔法使いが追撃に出て、敵兵を六角棒で殴り殺す事の是非はともかくとして、導師のおかげで多くの負傷兵たちが助かったのは事実であった。

 みんな導師に抱き付かる度、悲鳴があがって救護所がしばらくうるさかったけど。





「そのまま死ぬか、導師に抱きつかれて助かるか。後者を選んで当然なのに、心情的には迷うよな」


「唯一の救いは、ちゃんと回復する点のみですわね」


「何気に酷いことを言うな、カタリーナの嬢ちゃんは。治癒魔法なんだから、治らないと駄目だろうに。それにいつか、カタリーナの嬢ちゃんだって導師の治癒魔法の世話になるかもしれないぜ」


「お師匠様、私はもう人妻なのですが……」


「たとえ人妻でも、死ぬかもしれない大怪我をしたら、導師に抱きつかれる必要があるからな。年頃の女性としては、思うところがあるんだろうが」


「なるべく負傷しないようにして、もし負傷しても、エリーゼさんかヴェンデリンさんに任せますわ」


「それで済めばいいけどな」


「お師匠様こそ、気をつけた方がよろしいのでは?」


「俺は年の功があるから、万が一の時は我慢して導師に治療されるさ」


「人に傷を治してもらうのに、酷い会話だ……」




 戦いのあった翌日。

 俺、ブランタークさん、カタリーナの三人は、野戦陣地の修復と増改築を行いながら話を続けていた。

 敵兵を防ぐのに役に立ったものの、戦いの後半では死体が折り重なって高さ不足になったので、増築をアルフォンスに頼まれていたのだ。

 他にも、騎馬隊を防ぐ堀の深さや数を増す工事も頼まれているが、これは明日以降の予定になっている。

 なぜなら、今はそこら中に敵軍の大量の死体が散乱しており、兵士たちと雇われた地元の住民たちによって埋葬されていたからだ。

 今は冬なので腐敗の進行は遅いが、そういつまでも大量の死体を放置できない。

 参戦していた他の魔法使いが穴を掘り、身元が確認できる者はメモを取ってから、使えるものを剥いで穴に放り込む。

 最後に、木材や油を撒いて魔法使いが火を付けて火葬にした。

 火葬にして嵩を減らさないと、万を超える死体の処理などそう簡単に終わるわけがない。

 死体から戦利品を漁る行為も、これも戦費の補填や褒美の一部なので綺麗事では済まず、普通に行われていた。

 正直なところ、見ていてあまりいい光景ではなかったが。

 野戦陣地が築かれた石塀の前では、死体を燃やす臭いが鼻につく。

 これも戦場の現実であった。


「それでも、負けてあの死体の仲間入りだけはゴメンだな」


「新婚ですからね」


「俺も伯爵様もな。ところでエルの坊主は?」


「デートなのかな?」

 

 護衛はアルフォンスが新たに手配してくれたので、エルとハルカはそこまで護衛に徹する必要がなくなっている。

 そこで、早くに刀術を覚えようと鍛錬に没頭していたのだ。

 ハルカは教師役で、一緒に鍛錬に参加している。


「追撃戦に続いてご苦労さんだな」


 フィリップ公爵家軍の精鋭、ミズホ伯国軍の抜刀隊を含めた精鋭によって行われた追撃で、反乱軍四万の内半数の二万人ほどがその屍を曝していた。

 負傷者や捕虜も出たが、これは二千人ほどしかいない。

 負けて戻ると主君が処刑されるかもしれないし、自分だけ降伏すると家族に害があるかもしれないと、最後まで奮戦して戦死する兵士たちがあとを絶たなかったからだ。

 治療も味方優先だったので、昨日のうちに死んでしまった負傷者たちも多い。

 あまりの死体の多さに、みんなゲンナリとしながら処理をしている状態であった。


「味方も結構死んだらしいな」


「ええ」


 味方の戦死傷者は、合計で二千五百六十七名であった。

 キルレートで考えると圧倒的に有利であったが、今回の反乱軍はそこまで精鋭でもなかった。

 使い捨て、こちらの消耗を促す目的程度の軍勢で、だからクラーゼン将軍に指揮させたのであろう。

 それでも、こちらに10パーセントを超える損害を与えており、ニュルンベルク公爵は、決して自分たちが不利だとは思っていないであろう。

 むしろ、計算どおりだと思っているかも。


「アルフォンスさんは頭を抱えていらっしゃると?」


「そういうことだな」


 手を抜けば殺されるので本気で戦わざるを得ないが、殺せば殺すほど帝国の国力は落ちる。

 テレーゼからしても、頭が痛い懸案なのであろう。


「戦うよりも、石塀の増設の方がマシですわね」


「だよなぁ……」


 頼まれた修復と増設工事が終わったので、今度は後方に下がって荒地を耕す。

 屯田兵というわけではないが、ある作物の種を植えるためであった。


「ヴェル!」


「待ってたよ」


 現場の荒地を魔法で掘り返していると、種蒔きを手伝っていたイーナとルイーゼが姿を見せる。


「なんの種を蒔いているんだ?」


「バカダイコンだって」


「これが現物よ」


 イーナが、桜島大根ほどの大きなカブを見せてくれる。

 名前はバカダイコンなのに、実際にはカブの仲間のようだ。


「馬の餌になるそうよ」


 バカダイコンとは、馬の餌用の作物らしい。

 硬くて人間が食べると不味いが、どんな荒地にでも簡単に育つ。

 水はある程度必要であったが、これは井戸を大量に掘って対応していた。

 『どんなバカにでも育てられる』から、バカダイコンという名なのだそうだ。


「原産はミズホ伯国だって。カブの品種改良の過程で生まれたそうだよ」


「ふーーーん」


 俺は、ルイーゼからの説明を静かに聞いていた。

 大根と聞くと、おでんや沢庵が食べたくなってくる。

 焼いたサンマに大根おろしや、シラスとの組み合わせも思い出して、どうやってミズホ伯国から手に入れようかなどと思案に耽っていた。 


「種を蒔くと二ヵ月で収穫できる。寒さにも強い。荒地でも大丈夫。唯一不味いのが欠点かな?」


 馬が食べる分には問題ないようだ。

 荒地でバカダイコンを収穫してから牧草の種を蒔き、今度は馬糞を土に混ぜて稗、粟、蕎麦などを植える。

 こうやって徐々に、麦などが作れる土に改良していくのだそうだ。


「バウマイスター伯爵領でも栽培可能かね?」


「駄目みたい、暑さに弱いそうよ」


 俺の問いに、種を蒔いていたイーナが答える。


「それは残念だな」


「そんな回りくどい手を使うよりも、ヴェルが開墾した方が早いと思うよ」


「いやいや、俺もそう開墾ばかりしてられないから」


 元々兵士の大半が普段は農民などをしているのだから、屯田は彼らに任せるべきであろう。

 俺には、井戸を掘るとか道を舗装するなどの仕事があるのだから。


「バウマイスター伯爵領にいる時と、あまり変わらないわね」 


「プラス人殺しだが、これはしょうがない。長引きそうだな」


「ええ、でも完全に持久戦なのね」


 いきなり四万人の軍勢を磨り潰し、それがダメージだとも思っていない連中と戦うのだ。 

 一日でも内乱を早く終わらせるため、半ば奇襲で帝都侵攻……などという博打は打てないのであろう。

 それで負けてしまえば、テレーゼたちも終わりだからな。


「馬の飼料を栽培している時点で、長期戦対応だよな」


「ですよね」


 少しでも、補給の負担を減らすためなのであろう。

 いきなり麦を栽培するなど不可能なので、バカダイコンで代用している。

 野戦陣地も、一種の防衛要塞としての機能拡大が続いている。

 魔法使いたちが加工した石材と木材を積み上げて、兵舎や見張り用の櫓などが増設中であった。


「ただ、持久戦にも限界があるからね。さすがに、数ヵ月以内にはなんとかする予定だ」


 そこに、ブランタークさんを伴ったアルフォンスが姿を見せる。

 総大将である彼には、常にブランタークさんが護衛につくようになっていた。


「ついにテレーゼが、本軍を率いてここに到着するそうだ」


「ある程度、味方を纏めたのですかね?」


「みたいだな。ねえ、アルフォンス様」


「北部の全諸侯と、北東部と北西部の大半が参加していると聞いた。中には中立を宣言する諸侯もいるけどね。まあ、敵に回らないだけマシかな」


 国を二つに割っての内乱なので、どちらが勝ち組なのかを判断して付く方を決める。

 善悪や大義などの建て前は別として、本音では必ず勝つ方に付かなければならないので、貴族というのも大変だ。

 関が原の合戦と同じで、判断を誤れば最悪改易されてしまうのだから。

 自分の判断ミスで数千年続いた家が消滅してしまうわけで、どちらに付くかの選択では胃が痛いはずであった。


「それで、いつ来られるのです?」


 彼女が総大将として陣頭に立てば、それだけ味方の士気もあがる。

 危険度は増すが、なにも最前線で剣を振るえと言われているのではない。

 ここは覚悟を決めて、前線に出ることも必要であろう。


「明日の早朝だそうだ。結構な大軍だそうだから」


「了解」


 その日は野戦陣地の拡張工事に魔法を駆使し、翌日の朝には無事にテレーゼが率いる軍勢が姿を見せた。

 時間どおり到着したようだ。

 これで双方役者が揃い、内乱はますます激しくなっていきそうだ。


 しかしまぁ……。

 元はただのサラリーマンが、こんな経験をすることになろうとは。

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