第192話 騒がしい夜(後編)

「お主ら、クーデターに参加しておったのか」


「こんな夜分にごきげんよう、テレーゼ様」




 俺たちの前に立ち塞がるアインスを見ながら、テレーゼ様は苦々しいような表情を浮かべていた。


「ニュルンベルク公爵様は、俺を筆頭魔導師にしてくれるってよ! なら、裏切って当然だろうよ!」


 いきなりアインスの口調が変わる。

 いや、多分こちらの方が素なのであろう。

 子供の頃から皇宮にいたくせに、かなり下衆な奴に育ってしまったな。

 教育ミスだと思うぞ。


「筆頭魔導師は、ブラットソン殿が相応しいと思うがね」


 魔力は多少アインスの方が上であろうが、知識、経験、人格と、比べるだけ無駄なくらいブラットソンさんの方が上であったからだ。

 俺はわざと挑発するように、アインスに語りかける。

 自分よりもブラットソンさんの方が筆頭魔導師に相応しいと言われて、アインスは一瞬だけ顔に怒気を浮かべた。


「そうだな。ブラットソンの方が相応しいかもな。だが、もう死んだ奴は役職に就けないだろう?」


 アインスはヘラヘラと笑いながら、俺たちに前に何かを放り投げた。


「ひっ!」

 

「まさか……」

 

 エリーゼたちから短い悲鳴があがる。

 アインスが放り投げたものとは、なんとブラットソンさんの首であった。


「お前が討ったのか?」


「ああ、俺が殺したのさ! 魔法使いが減れば、それだけ俺たちの価値も上がるからな! 今の俺は筆頭魔導師様というわけだ!」


「お前如きに、ブラットソンがだと……」


 ブランタークさんは、今まで見たことがないほど顔を真っ青にさせながらアインスに問いかけた。

 熟練の魔法使いであるブラットソンさんが、魔力量は多いが、まだ未熟なアインスに不覚を取るわけがないと思ったのであろう。


「俺の方が少しだけ魔力が多いけどな。そこまで差があるわけでもない。だからちょっと、策を弄しただけさ」


「そう、四人で報告に行ってな。ニュルンベルク公爵が反乱を起こしましたと」


「驚いている間に、死角からナイフでズブリ」


「魔法を使わなければ、あんなジジイ。僕たちの敵じゃないね。ジジイは引退できなきゃ、将来有望な僕たちの噛ませ犬役で十分さ」


 アインスの後ろから、青、黄、緑のローブを着たツヴァイ、ドライ、フィーアの四人が姿を現す。

 イメージ的には某戦隊ヒーローみたいであったが、その言動は悪役そのものでしかなかった。

 彼らに対しては、ただ嫌悪感しか浮かばない。


「テメェら!」


「ジジイ、あんまり怒ると卒中になって倒れるぜ」


「あのジジイは、弱いから殺されたんだよ」


「どうせジジイも、すぐにあとを追うから安心しろよ」


「一緒に地獄で茶でも啜ってろ! ジジイ同士でな」


 激高したブランタークさんをフィーアが小ばかにした口調でからかい、他の三人もそれに同調して下品な笑い声をあげていた。


「ブランタークさん、落ち着いて」


 俺はブランタークさんに静かに声をかける。


「すまない、一瞬我を忘れた」


 俺に声をかけられて我に返ったブランタークさんは、すぐにまた冷静な表情に戻った。


「それに、もうすぐ死ぬ奴らの言葉です。せいぜい遺言だと思って聞いてあげましょう」


「なにか言ったかな? バウマイスター伯爵」


「言ったよ。まだ若いのに難聴か? お前たちはもうすぐ無様に死ぬんだよ」


 優秀な魔法使いだから、殺すと惜しいという感情すら湧いてこない。

 どうせ他国の魔法使いだし、なによりこいつらは性根が最悪である。

 ここで殺しておかないと、俺の人生にまた邪魔をしてきそうな予感しかしない。 

 その前に、手を抜いて戦闘不能にするのも難しいというか、俺が不覚を取りかねないので殺すしかないのだ。


「面白い冗談だな!」


「テメェの方が死ね!」


「女連れでイチャイチャしやがってよ」


「テメェを殺したら、みんなで死ぬまで犯してやるから安心して死ねや」


「やれやれ……本当にちゃんと皇宮で教育を受けていたのか?」

 

 怒るのを通り越して、ただ呆れるしかない。

 才能があるせいなのか、よほど甘やかされてきたのであろう。


「まあどうでもいいや。下衆の方が殺しても罪悪感が少ないし」


「はんっ! 俺たち四人に勝てると思っているのか!」

 

 アインスがそう吼えた瞬間、状況が動いた。

 まずは、導師が瞬時に魔法で身体機能を強化してから、青いローブのツヴァイの前に移動して、その首を一撃で圧し折る。

 あまりの早業とパワーのせいで、ツヴァイは魔法で防御する時間もなかったようだ。

 続けてほぼ同時に、ルイーゼも黄色いローブのドライの前に移動して大量の魔力を込めた正拳突きを放つ。

 これにドライはなんとか対応して『魔法障壁』で防ぐが、ルイーゼによる一点集中突破による拳の威力により、ドライの『魔法障壁』がガラスが割れるようなパリンという音と共に砕け、『魔法障壁』を張るために前に出していた両手の平も砕き、対魔法防御力が高いローブすら打ち破ってその腹に大きな穴を開けてしまった。


「ひぃ!」


「化け物!」


「ボクはこんなに可愛いのに、化け物はないと思うんだ」


 ドライは、自分の後方に内臓と背骨の破片と血を大量にぶちまけながら即死する。

 ルイーゼの一撃の威力が強すぎて、彼女はまったく返り血を浴びていなかったのは驚異的だと思う。

 ドライの後方にいた兵士たちは、彼の血と肉片によって血塗れになると同時に恐怖で悲鳴をあげた。

 だが、彼らが声をあげていられる時間は短かった。

 まるでブーメランのように飛んで来た複数の『ウィンドカッター』が、彼らを容赦なく切り割いていたからだ。


「私は淑女ですので、ヴェンデリンさん以外の男性のお相手はゴメンですわ」


 一秒も経たない内に、アインスの手駒は無残にも壊滅した。

 慌てた彼は、唯一生き残っているフィーアに縋るような視線を向けるが、すでに彼もこの世にはいなかった。

 緑色のローブを着た彼にはすでに首がなく、その切り口から血が噴水のように吹き上がっていたのだ。

 そしてそれを成したのは……。


「ざまあねえな」


 大半の魔力を使い果たしたブランタークさんであった。


「そんな! フィーアもお前よりも魔力が上で!」


「確かにそうだな。だが、俺はここで魔力を使い果たしても困らないからな。全力で魔法が放てたわけだ」


 残り少ない予備の魔晶石でわずかな魔力を補充しながら、ブランタークさんはアインスに対し勝ち誇った表情を浮かべていた。


「ブラットソンを不意打ちしたくせに、ゴタゴタと御託が長かったな」


 いくら魔法に優れていても、放つ前に殺されれば意味がない。

 導師とルイーゼの魔法使いとしての特性も忘れ、偉そうに御託を並べていたアインスたちには、最初から負ける未来しかなかったのだ。


「さてと、残るはお前だけだな」


「ひぃーーー!」


「仲がよかった兄弟が死んだんだ。お前も地獄につき合ってやれ」


「ひぃーーー!」


 俺が一歩前に出ると、アインスは恐怖で足が攣ったのか?

 尻餅をつき、後退さるようにして逃げ出そうとする。

 だが、すぐになにかに当たったので後ろを振り返り、その正体を知って恐怖で顔を引き攣らせた。

 それは、自分の殺された兄弟たちと兵士たちの無残な死体であり、それでも逃げようと後退りを続けると、彼の特別製の真っ赤なローブが血や血のせいでできた泥によって汚れていく。

 さらに、股間の部分に染みが広がっていき、どうやら彼は恐怖のあまり失禁してしまったようだ。


「一人でも逃がすと面倒だな。それとアインスよ。お前が死ぬ間際に恐怖で失禁した事実は秘密にしておいてやる。安心して死ね」


「ざけるなぁーーー!」


 勇気を振り絞ってアインスは、頭上に直径一メートルほどの巨大な『火の玉』を形成する。


「みんな、燃えて死ねぇーーー!」


「無駄だ!」


 この期に及んで、まだ魔力の配分を検討して魔法を作っている。

 この場面で起死回生を狙うのであれば、ブランタークさんのように魔力というチップを一気に張る必要があるのに。

 俺は、すぐに『水の玉』を魔法で作ってアインスの『火の玉』を相殺して消し、瞬時に直径三メートルほどの『火の玉』を作ってアインスの頭上から落とした。


「俺の火魔法よりも威力が! なんでだよぉーーー!?」


「俺に聞くなよ、あの世で神様にでも聞け!」


 アインスが最後の抵抗で『魔法障壁』を張るが、俺はさらに魔力を込めて力技で破壊。

 自分の身を守るものがなくなったアインスは『火の玉』に飲み込まれ、断末魔の悲鳴と共に焼け死んでいく。

 同時に他の死体も焼け崩れていき、『火の玉』が消えた頃にはなにも残っていなかった。


「ふう……。では、行きましょうか」


 今日は散々な一日である。

 大量殺人をしないと生き残れない、最悪の日なのだから。

 人を殺した事実を振り返ると精神的にドツボに嵌る可能性があるので、今はとにかく逃げるのを優先にしよう。


「みんな、空いている馬車に!」


 すぐ傍に一台、十数名乗りの大型の馬車があるので、それに全員で乗り込む。

 御者席にテレーゼ様の家臣が座り、その隣に前方の敵を排除するために俺が、あとはカタリーナが後方の警戒に当たることになった。

 走りながら敵を排除するので、ルイーゼや導師よりも向いているからだ。

 ブランタークさんは残りの魔力が少ないので、それを回復させながら予備戦力となっている。


「では、行きましょう」


「その前に……」


 俺は再び巨大な『火の玉』を作り、それを駅馬車の待機場や、馬小屋へと放った。

 大小数十台の馬車や、それを引く馬たちが焼けていく。

 馬は可哀想な気もするが、追跡の足として使われては、俺たちが逃走に失敗する可能性もあるからだ。


「バウマイスター伯爵、あなたは!」


 ところが、御者の若い家臣はそれが気に入らなかったようだ。

 俺に食ってかかってきた。


「なにか不都合でも?」


「馬車も馬も、帝国の大切な資産なのですぞ!」


 馬車も馬もそれほど安い物ではないし、魔導飛行船以外では大切な庶民や商人の足でもある。

 それをすべて焼くなど、あなたは所詮は敵国の人間だと。

 他国の貴族相手だからか、随分と偉そうに人に説教を始めたが、俺は彼の胸倉を掴んで静かに問い質す。


「一つ聞いてもいいか? 俺たちは脱出に成功したが、フィリップ公爵一行はここで死んだことにしてもいいのか?」


「どうして、そういうことになるのですか!」


 俺と家臣の雰囲気が変だと気がついたようで、すぐにテレーゼ様とブランタークさんが馬車の中から顔を出した。


「何事じゃ?」


「テレーゼ様! バウマイスター伯爵は!」


 御者役の家臣は、待機場に置かれたすべての馬車と馬小屋の馬が焼かれている光景を見るようにと、テレーゼ様に促す。


「鉄道馬車は帝国の貴重な資産なのにあまりに酷い! これは、ヘルムート王国の我が国にダメージを与える策略なのでは?」


 俺は、追撃部隊が使うかもしれない足を潰しただけなのだが、彼から言わせると俺はアーカート神聖帝国に害をなす存在のようだ。

 腹が立ってくるが、テレーゼ様はなにも言わない。

 それよりも、俺の対応を待っているような節がある。


「(やってやれるか!)」

 

 さすがに少しキレてしまう。

 他国の貴族とはいえ、公爵で選帝侯だからと下手に出ていれば、露骨な誘惑をしてエリーゼたちを怒らせるは、今は俺たちのおかげで助かっているのに家臣がケチをつけてくる。

 もう遠慮はやめることにする。

 いくら相手が女性でも、彼女は他国の大貴族なのだから。


「では、その可哀想な馬車と馬に殉じて死ね」


 俺は、御者役の家臣を馬車から突き落とす。

 それと同時に、テレーゼに宣言した。


「降りていただきましょう、テレーゼ殿」


「いきなり無体な話じゃの」


 テレーゼは、特に動揺するでもなく俺を興味深そうに見つめていた。


「あなたたちが邪魔になりました」


「フィリップ公爵領で匿うつもりじゃがの」


 一見いい考えに思えるが、これには罠もある。

 もしこの窮地を脱すれば、テレーゼはニュルンベルク公爵を討つ兵を挙げるはずで、俺たちはその戦力として期待されているはず。

 中央政府に雇われている高位の魔法使いたちは、あの四兄弟を見るにクーデター軍に合流している者が多いはずだからだ。

 彼らに対抗するため、俺たちをフィリップ公爵領に引き摺り込もうとしているのだ。


「偶然とはいえ、他国の貴族であるあなたたちを助けたはずなのですが、それが気に入らない方がいるようで」


 馬車から突き落とした家臣を見ると、彼は俺に対し反抗的な視線を向け続けていた。

 そんなに俺が嫌いかね。


「そこまで行かなくても、普通にニュルンベルク公爵領を避けて南下すれば脱出は可能ですから」


 ニュルンベルク公爵はクーデターを成功させるために、なんらかの魔道具で移動と通信の魔法を使えなくしている。

 新皇帝が決まった直後なので、バルデッシュに滞在している貴族たちは多く、彼らを抑えていれば、多くの貴族領はトップの不在と連絡不能な状態が重なって機能不全に陥っているはず。

 ニュルンベルク公爵はクーデターを成功させるため、なんらかの魔道具で移動と通信の魔法を使えなくしており、その状況を生かして、素早く帝国全土の平定作戦を行なうつもりであろう。

 ならば俺たちだけで南に逃げた方が、ヘルムート王国に逃げられる確率は上がる。

 平定作戦を考えると、ニュルンベルク公爵もそう俺たちにだけ兵は割けないし、多少の兵力であれば力技で排除可能である。

 むしろ、テレーゼたちがいる難しさの方が大きいであろう。


「俺たちは、自力で領地に戻りますので悪しからず。フィリップ公爵殿は、自らの実力で領地に戻られるがよかろう。迎賓館の裏門から出られた件と、あの四兄弟の始末については祝儀だと思ってくれればいい」


 俺とテレーゼの間に緊張が走る。

 導師もブランタークさんも、とめには入れないと思っているようだ。

 口を閉じたままであった。


「聞いたか? エッボ」


 テレーゼは、馬車から落とされたままの家臣に声をかける。

 エッボとは、俺をテロリスト扱いした家臣の名前のようだ。


「この緊急事態に、帝国の資産がどうこうとは瑣末な問題じゃ。見よ。我らが無能なせいで、ニュルンベルク公爵とそれに賛同するバカたちがクーデターゴッコで大騒ぎじゃぞ」


 クーデター軍は、兵力を分散して重要拠点の占拠や、貴族たちの捕縛か殺害を行なっているようであったが、すでに各所から火災の炎が立ち上っているのが確認できた。

 

「妾たちだけでは、裏門の前で殺されていたの。どうやら、ニュルンベルク公爵は新皇帝の権力が大きい国を作りたいようじゃ」

 

 きたる南進に備えて、強大な軍備と、それを皇帝が一手に指揮する国家を造る。

 そのためには皇帝を選挙で選ぶなど無駄であるし、大きな力を持つ選帝侯などは潰して中央の力を増したい。

 だから、テレーゼは命を狙われていたというわけだ。


「ここまで助けてもらった恩人に、お門違いも甚だしい発言じゃぞ」


「テレーゼ様! 他国の貴族に借りなど作ってはいけません!」


 作るというか、それを表明するなということのようだ。

 その借り一つで、あとからどれだけ利息が付いて圧し掛かってくるか?

 わからなくはなかったが、彼は今の状況を理解しているのであろうか?


「平時ならともかく、今は非常時である。いいか? 妾たちはバウマイスター伯爵たちに縋らねば、領地に戻れないのじゃぞ」


「我らがいれば!」


「気合や忠誠心だけで、それができるかどうかの判断をするでない。今、妾たちが一番になさねばならないことはなにか? どれほど無様でみっともなくても、生きて領地まで逃げ帰ることである」


「テレーゼ様……」


「わからねば、バルトルトに代われ。時間が惜しい」


「いえ……私が御者を務めます」


 正直代わってほしいが、今は無事にバルデッシュを脱出することが最優先だ。

 我慢するか。

 またおかしなことを言ったら、馬車から叩き落してやるけど。


「家臣が無礼な口を利いてすまぬ。妾たちを領地まで連れて行ってもらえぬか。お礼はいくらでもしよう」


 テレーゼに頭まで下げられてしまったので、ここで断るのも難しいと思ってしまうのは、やはり俺が甘いからなのであろうか?


「帝国の資産に道を塞がれたら、保全するのが当たり前なのでしょうか?」


 一応釘を刺しておく。

 俺は敵を排除しているのに、帝国のインフラや資産を破壊するテロリスト扱いでは気分がよくないばかりか、あとで因縁でもつけられかねないからだ。


「そんな余裕はないの。それどころか全滅させないと駄目じゃ」


「どうしてですか?」


「逃走ルートが知られると、追っ手が厳しくなるからの」


 北方の大街道は、フィリップ公爵領へと直通するルートだけではないらしい。

 途中でいくつもの支線に分かれており、他の都市や貴族領を経由してフィリップ公爵領へと続く。 

 中央のルートを使えば一番距離は短いが、当然追手はかかるであろう。

 それならば、どこかの支線に入った方が追手は少なくなる。

 いくらニュルンベルク公爵でも、どの支線経由でフィリップ公爵領に戻るかはそう簡単に予想がつかないからだ。

 支線ならば、自然と追手の数が減るというわけだ。


「だそうだ、エッボ。お前の無駄な話で、前を塞ぐ国家資産が増えていないことを祈れ」


「ぐっ!」


「ムカついて裏切りたくなったらいつでも言えよ。その場で焼き殺してやるから」


「そう虐めてくれるな。エッボは、少し正義感が強い男なのじゃ。しかし、実戦のせいか高ぶっておるの」


「こういうテンションにでも持っていかないと、人なんて殺せないでしょう?」


 前世の俺は、軍人や傭兵ではなかったのだ。

 人を殺すのに普通でいられるわけがない。

 自分でも、相当心が荒れ、気分が高ぶってるのはわかるが、今はそれを鎮めている余裕がなかった。

 どうやら俺は、こういう気分にしておけば人を殺せるようだ。


「そうじゃの。では、沈静化と報酬の前払いじゃ。受け取るがいい」


 そう言うや否や、テレーゼは自分の唇を俺の唇に重ねる。

 突然のキスに、俺はまったく対応できなかった。

 エッボもブランタークさんも、驚きのあまりなにも言えないようだ。


「では、早く行くぞ」


「俺はなにも見ていない。俺はなにも見ていない……」


 とんでもないものを見てしまったと思ったのであろう。

 小声で繰り返し呟きながら、エッボは馬車を発進させる。

 しばらく街道を進むと、やはり検問をしている部隊が存在するようだ。

 すぐに俺たちの馬車を見つけて、阻止行動を開始する。


「国家の資産だけどどうする?」


「テレーゼ様の命令がすべてに優先する!」


 どうやら虐めすぎたらしい。

 エッボという家臣は馬に鞭を強く入れて馬車のスピードを増し、強硬突破を図るようだ。


「止まれ!」


 完全武装の兵士たちが前を塞ぐが、抵抗を排除しつつ、逃走ルートを特定される危険を残すわけにはいかない。

 彼らが立っている範囲すべてから、魔法の『火柱』を噴きあげさせる。

 人間では生き残れない威力と温度に設定したために、兵士たちはすぐに体に火がつき、全員が悲鳴をあげながら地面を転げ回った。

 熱された金属製の鎧を脱ごうと暴れる者たちもいたが、すぐに静かになり、炭のように真っ黒になって体から炎をあげた。

 あそこまで黒焦げになってしまったら、確実に焼け死んだであろう。


「生き残りはなしだ」


「……」


 続けて馬車の通行の邪魔にならないよう、炭のようになった兵士たちの死体を風魔法で道の外へと吹き飛ばし、馬車はそのままのスピードで進んでいく。

 エッボはまたなにか言いたいようであったが、今度は口を閉じたまま、馬車を走らせることに専念しているようだ。


「文句があるなら、皇帝になれないからと言ってクーデターを起こす狂犬に言え」


 狂犬とは、言うまでもなくニュルンベルク公爵のことである。

 あの男が俺に睨みつけるような視線を向けたので嫌な予感はしていたが、こういう予感は当たってしまうものだな。

 本当に嫌になってしまう。


「それで、どのルートで行くんだ?」


「『ミズホ伯国』経由です」


「『ミズホ伯国』?」


「独自の文化を持つ、古の民族が治める自治領です。過去に何度も帝国の侵攻に対抗して大打撃を与え、敵に回すと厄介なことから、領主に上級伯爵の爵位が与えられた経緯があります。外交権のみを帝国に委ねた自治領の扱いですね」


 俺に含むものがあるエッボであったが、ミズホ伯国については丁寧に説明をしてくれた。

 仕事だと割り切っているのであろう。


「そこで一旦休憩をしてから、フィリップ公爵領を目指します。あの国は半独立国なので、まだニュルンベルク公爵も手を出さないはずです」


 無事に帝都バルデッシュを脱出した俺たちは、一路馬車で北方のミズホ伯国を目指すのであった。

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