第188話 どこかで聞いたような眠たい政治の話(その1)
「ただいま、イーナ」
「なんか大変なことになったみたいね」
「他国とはいえ、皇帝陛下が崩御したからなぁ……」
情報交換のための会議は、最後にウィルヘルム十四世陛下の崩御という大ニュースで幕を閉じた。
昨日まであんなに元気だった人が突然死んでしまうなど、高齢ではあったとはいえ、年寄りとは本当にわからないものである。
会議を終えて迎賓館に戻るとイーナたちが出迎えてくれるが、館内の使用人やメイドたちも自国の皇帝陛下崩御でかなり動揺しているようだ。
数人で集まって、ヒソヒソと話をしている光景が目につく。
普段ならすぐに上司から叱られるはずだが、叱るはずの偉い人たちまでもが集まってヒソヒソ話をしているので、よほどの大事件というわけだ。
「それで、これからどうなるの?」
「親善訪問団の行事は、来年に延期だそうだ」
魔法使いたちの仕事は終わっているが、他の通商や技術交流部門の仕事は終わっていない。
向こうの担当者も皇帝陛下の葬儀で忙しくなるし、親善訪問団が来ている間、帝都バルデッシュは賑やかになり、景気も上向くはずだった。
ところが今は、亡くなった陛下の喪に服さねばならない。
さらに親善訪問団の大半の人員は、これで帰国という決定が出された。
彼らの無駄遣いに期待していた、バルデッシュの商売人たちは大変だろう。
「それもそうか。ボクたちが観光や買い物で騒いだら不謹慎だものね」
「そういうことを殊更気にする人は一定数いるからな」
「あーーーあ、せっかくの観光が」
新皇帝が決まるまで、バルデッシュ市街で遊べないことに気がついたルイーゼは、とても残念そうだ。
ただし、全員が帰国というわけではない。
両国は皇帝や王が死ぬと互いに弔問団を派遣しているので、一部は残ってそのまま弔問団を形成することになっていた。
すでにバルデッシュにいるので、時間と経費を節約するために親善訪問団の団員から選ばれるのであろう。
今から人選を考えると、時間がかかるという理由もあるのかな。
「他にも、新陛下の即位式典に出る人員も兼ねていると思う。さすがに追加の人員は派遣されてくると思うけど」
新皇帝の即位式典ともなれば、少なくとも公爵級の人が参加しないと駄目だろうからな。
今頃王城では、誰が行くかでもう揉めているかも。
王国の公爵って結構暇だから、こういう時に張り切る人が多いそうだ。
数少ない出番なのであろう。
「時間がかかりそうね」
イーナは、『一体どれくらい拘束されるのやら……』といった表情を浮かべていた。
「長くても、二~三週間くらいだってさ」
「後継者選びに時間がかかれば、ヘルムート王国に隙を見せることになる」
「そう、ヴィルマの言うそれだよ」
ヴィルマの指摘は的確であった。
ここで下手に時間をかけて皇帝不在という権力の空白を作ってしまうと、仮想敵国ではあるヘルムート王国に隙を作ることになってしまう。
いくら今は停戦状態とはいえ、気にしすぎるほど気にしての平和な時代なのだから。
皇帝陛下の葬儀が終われば、すぐに臨時貴族議会が開かれて、新皇帝の決定投票が行なわれると聞いた。
「皇帝を投票で選ぶのね」
「普通の一般庶民は立候補できないから、王国とそう変わらないかも」
貴族議会を構成している議員の九割は貴族である。
残りの一割も政商クラスの大商人だったり、大規模な工房を営んでいる大親方だったりするので、特に波乱もなく皇帝が決まることが多いそうだ。
与野党逆転!
政権交代!
とかはあり得ないのだから。
「中央の皇家当主と、七名の選帝侯からしか立候補できないからなぁ。みんな血筋がいいから同じかも」
「ということは、テレーゼ様も候補者に?」
「前に言っていたじゃない。今回は辞退するって」
イーナに指摘されて思い出した。
短いスパンだったり、続けて同じ家から皇帝が出ると不平等になるそうで、今回、フィリップ公爵家は出馬しないとテレーゼ様が言っていたのを思い出した。
本人がそう言っているので、間違いないのであろう。
それとこれは言いにくい話だけど、女当主なので立候補するとまた別の問題があるのかもしれない。
「出身家のバランスねぇ……」
「完全に談合」
「だよなぁ……」
ヴィルマの指摘どおりであるが、別に自分の国のことではないので、気にしないことにしよう。
閣僚職の就任順序とか、うちの国でも談合っぽいことは普通にあるのだし。
「それで、俺たちは残れるのか? ヴェルを一人置いて行くってわけにもいかないからなぁ」
状況が状況なので、すでに一部の人員は帰国準備を進めている。
特に大物貴族が随伴させた妻や子供たちなどは、帝国中が葬儀の準備で忙しいうえに、喪に服しているバルデッシュでのん気に遊んでいる光景を見せるわけにはいかず、全員が帰国の準備が進めていた。
「護衛だから残れる」
エルは純粋な護衛として、エリーゼたちも冒険者であるので半ば護衛扱いで残れる。
家族や随員を帰すとはいえ、他の貴族たちも同じくらいの人数の家臣や護衛は残すのだから当然の権利であった。
「楽しかった海外旅行が、お葬式と、緊張しかしない新皇帝即位式典に早変わりか……」
エルが溜息をつきながら愚痴を漏らすが、俺も気持ちは同じだ。
旅行先で葬式とか、雨男よりも性質が悪い。
これは偶然で、俺が葬式男ではないことを祈るしかなかった。
「葬儀に使える正装を持ってきておいて助かったね」
「確かに……」
ルイーゼが言うように、出発準備をしている時にローデリヒから言われ、魔法の袋に全員分の葬式にも使える正装を仕舞っておいて助かった。
俺は魔法使いなので別にローブ姿でも構わないのだけど、今の俺は貴族としての性質が強いので、自分たちと服装を揃えてほしいと、残留する貴族たちから言われていた。
「ローデリヒさんて、お母さんみたいね」
「言えてるなぁ」
イーナの意見に俺も賛同した。
そういえば、前世の母親も子供の頃に出かけようとすると、『天気予報だと雨になるかもしれないから、折り畳み傘を持っていけ』とよく言っていた。
それとよく似ているといえば似ている。
「ヴェル様、テレーゼ様が帰って来ない」
「さすがに戻って来れないだろうなぁ」
それは致し方ない。
彼女は選帝侯にも選ばれている公爵なので、葬儀の準備を主導しないといけないのだから。
きっと、夜通しで準備に奔走しているのであろう。
「葬儀はいつなのでしょうか?」
「そう先でもないと思う。なにしろ、皇帝陛下の葬儀だから」
エリーゼは、葬儀の日程が気になるようだ。
とはいえ、日本の葬式のように明日明後日の話ではない。
まさか外に遊びに行くわけにもいかないので、俺たちは迎賓館の庭などで剣や魔法の訓練に時間をかけるが、葬儀の日程は一週間後に決まった。
正式に使者がやって来て、招待状を置いていったのだ。
それとテレーゼ様は、相変わらず迎賓館に戻って来ない。
葬儀の準備で大忙しなのだと思う。
「地方の貴族の方々は間に合うのでしょうか?」
「全員は間に合わないでしょう」
葬儀後、次の皇帝を決める貴族議会の開催もあるので、議員になっている貴族たちは必ず間に合わせるはず。
いや、間に合わないような奴は議員に相応しくないと見なされてしまうはずだ。
だから、一週間後の葬儀でも問題ないのであろう。
俺は、カタリーナに自分の考えを語った。
「貴族議員に選ばれると、屋敷に魔導通信機が置かれるそうである!」
「導師。今までどこに行っていたんです?」
「買い食いである!」
「そうですか……」
他の貴族ならば、遊びに行くと見せかけて実はなにか情報収集を……とか考えられるのだが、俺に会議の報告役まで押し付ける導師にその可能性は低い。
普段は本当に道化に徹するのが、陛下のお気に入りである導師の処世術なのだから。
ただし、本人は心から楽しんでいるので、気を使う必要は一切なかった。
『導師はいつも遊んでいるように見せかけているけど、あれはわざとなんだ』とか、『本当は密かに色々と仕事をしている』とか思っている人は、純粋に騙されているだけである。
「小型の携帯用ではなく、過去に地下遺跡から大量に出土した設置型の魔導通信機で連絡をしていると聞いたのである!」
大型の無線機を魔道具化したようなもので持ち運びには向かないが、貴族議員に選ばれると貸与されて屋敷に設置されるそうだ。
緊急の連絡などはそれで受けられるので、彼らは葬儀や次期皇帝選出のための会議に間に合うというわけだ。
「遅れると、議員の資格なしと判断され、最悪議席剥奪もあるらしいな。国家の一大事に駆け付けられないような奴は当然だけど」
続けて、ブランタークさんも姿を見せる。
彼も、ブライヒレーダー辺境伯の代理として残留組に指名されていた。
「魔導通信機の所有権は帝国にある。議員になると貸与されて、議員から外れれば返還しないといけないからな」
毎年、数名ずつではあるが議員の交代は発生する。
家が繁栄して新たに議員に指名される者と、逆に衰退して議員から外される者。
辞めた議員の屋敷から帝国の役人が魔導通信機を回収する光景は、帝国では本に書かれるほどの物悲しい光景なのだそうだ。
逆に、議員に指名されて自分の屋敷に魔導通信機が設置されると、パーティーやお祭りをする者までいるらしい。
まさに、栄枯盛衰というやつである。
「情報が早いから、議員連中は本葬儀に間に合う。中央の法衣貴族や領地がバルデッシュから近い貴族も間に合うな」
本葬儀に間に合わない人たちは、後日に予備葬儀が行なわれるので、そこに参列したり祈りを捧げに行くそうだ。
「そこで、上と下に分かれるんですね」
「上と下ね。言い得て妙だな」
議員や大物貴族は上で、俺とエルの実家のような零細貴族が下だ。
彼らからすれば、自国の皇帝陛下の崩御ですら、当事者感覚は薄いのかもしれないな。
俺も今となっては上の方だけど、下のままの方が幸せだったかも。
「それで、次の皇帝選出のための臨時議会でしたっけ?」
「議員の投票で決めるわけだな」
議員の定数は、ちょうど五百名だそうだ。
そこから議員でもある皇家当主と七つの公爵家当主から立候補者が出て、彼らは決められた時間の中で所信表明演説を行なう。
決められた時間内に内政、外交の方針を語り、それを聞いて議員たちが一番いいと思った人に投票するというシステムだ。
「過半数を取れば勝ちだな」
票が割れた場合は、最下位の候補者を外してもう一度投票するそうだ。
この辺のルールは、地球でもよくあるものであった。
「とはいえ、今回は四名しか出ないからそう時間もかからないだろうな」
亡くなった陛下は、メッテルニヒ公爵家の出だと聞いた。
彼の先代はテレーゼ様の曽祖父なので、フィリップ公爵家も立候補はしないと言っている。
そうなると、六名が出ていないと駄目なような気もするが。
「二人は老齢だから辞退したのさ」
当主しか立候補できないし、その当主が六十歳を超えていると辞退するという慣例があるらしい。
「すぐに死なれるとまた選定で手間がかかるし、一人の皇帝の統治期間が長い方が治世が安定するという考え方だな」
駄目な人が長期間政権を維持して国が衰退する可能性もあるのだが、それを排除するための投票なのであろう。
必ずしも絶対でないのは、どこの世界でも同じなのだが。
「それ、一日で終わるんですか?」
「さすがに三日はかかる」
演説、質疑応答で一人半日ほど持ち時間があり、四人分なので二日間。
最終日に投票を行なって決めるので、三日間の日程らしい。
「長いなぁ。別に参加するわけじゃないからどうでもいいけど」
どうせ新皇帝が決定するまでは、迎賓館に篭もることになるのだ。
新皇帝が即位するまではアーカート神聖帝国中が喪中となり、身分の上下に関わらず遊び目的の外出は自粛され、劇場や歓楽街なども休業となるのだから。
「いや、俺たちも会議場に行くんだけど」
「どうしてです? 俺たちは関係ないじゃないですか」
「隣国の皇帝が選出されるから、普通に情報収集だろう。伯爵様の大切なお仕事さ」
ブランタークさんが、『なにを当たり前のことを……』と言った表情を浮かべる。
訪問親善団は王国が派遣したものなので、その団員が残る以上は、新皇帝の政策や人となりを調べて報告する義務がある……確かに正論だな。
断りにくい……。
「この国は、そこまで皇帝の力が強いわけではない。落選した他の候補者たちだって、得票数によっては無視できない政治勢力なんだ」
有力野党のようなものだから、彼らの情報収集も必要なのであろう。
「それはわかるんですけど、どうしてそれに俺たちが参加しないといけないんです?」
「親善訪問団の一員だから」
ブランタークさんの当たり前すぎる意見に、俺たちはガックリと肩を落とした。
前世では選挙にすら行ったことがない元無党派層の俺は、これから半月以上は続く退屈さを予想し、早く家に帰りたいと切に願うのであった。
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