第127話 追い詰められたクルト(前編)
『このままだと、バウマイスター騎士爵領はヴェンデリンに乗っ取られるぞ!』
あの忌々しいヴェンデリンが、我がバウマイスター騎士爵領内に生活の拠点を移してから、およそ三ヵ月が経った。
最初は、例の魔の森でアンデッド化している遠征の犠牲者たちの浄化と、その遺品収拾のためにだけ来たと言っていた癖に、すぐに発言を翻して領内で居候を始めやがった。
しかも、次期当主である俺を無視し、親父とだけ交渉して好き勝手にやっていやがる。
いまだ開発が始まっていない未開地の使用許可を親父から取り、そこに勝手に自分の屋敷を移築しやがった。
しかもその屋敷は、うちの本屋敷と比べるだけ虚しくなるほどの豪華な造りで、その時点で領主である我々バウマイスター騎士爵家の人間を虚仮にしている。
どこの世界に、領主屋敷よりも豪華な屋敷を移築するバカがいるというのだ。
さすがに問題なので親父に抗議したが、その反応は芳しいものではなかった。
『期間限定だと聞いている。しばらく我慢しろ』
肝心の親父の回答はつれないものであった。
竜をも殺す魔法の使い手とやらである、優秀な息子様の圧力に屈したらしい。
ここまで老いると、もはや老害の類としか思えなかった。
『領内の開発は順調に進んでいるではないか。ここで文句を言って、我らになんの得がある?』
確かに、領内の開発は進んでいる。
だが、そこに俺たちは一切関われていない。
現在のヴェンデリンは、時間の半分を例の魔の森の探索にあて、もう残り半分を未開地の開墾、開発に費やしていた。
とてつもない威力の魔法で土地を平らにし、小山ほどもある岩や掘り返すのが面倒な巨木の根っこをなどの障害物を、容易く取り除いてしまう。
農作業がしやすい真四角の田んぼ、道、用水路なども次々と魔法で整備していた。
人手のみであったら、どれだけの人員、費用、時間がかかることか。
加えて新しい田畑の土も、魔法で栽培する作物に適したものに変化させているのだそうだ。
『くそっ! 俺たちをバカにしやがって!』
開墾したばかりの土地からまともに作物が収穫できるようになるまで、何年もかかるはずなのに……。
まずは馬が食べる草の種を蒔くが、その前に畑の土からなるべく石を取り除かなければならない。
腰への負担が大きいが、石が土に大量に混じった畑の収量は増えない。
次の年に雑穀を植えられるよう、今持っている畑の農作業と並行して行うので大変だった。
土に力がないので、初めは多くの肥料が費用となり、肥料は発酵させるのに時間がかかるから、事前に開墾に備えて肥料と材料となる草や森の落ち葉を集めなければならなかった。
金になる小麦が作れるようになるまで、数年から下手をすれば十年単位で時間がかかるのだ。
それが、開墾した初めの年からある程度の収穫を得られるとは……。
ヴェンデリンは、真面目に開墾している俺たちをバカにしているとしか思えない。
この三ヵ月で、ヴェンデリンが『開発特区』とかいうふざけた名前をつけた未開地には広大な水田と用水路網が広がり、水が湛えられた水田では、先日植えられた稲が順調に育っていた。
ヴェンデリンが使用人だと言って集めた移民希望者たちは、同じく雇われた老農夫たちから稲の世話の仕方を習ったり、あぜ道や用水路の補強工事などに余念がなかった。
そしてその様子を、領民たちが興味深そうに、羨ましそうに見ていたのだ。
『親父、このままではヴェンデリンに領地を乗っ取られるぞ!』
『じきに、あの開発特区はうちの領地になるんだがな。クルトは覚えているか?』
『なにをだ?』
『昔に言っていたではないか。ヴェンデリンに魔法で畑を作らせれば、バウマイスター騎士爵領は豊になると。それが実現しているのだが』
確かにそれは言ったが……。
『あの時と今では、状況がまるで違う! 親父は、本当にヴェンデリンが約束を守ると思っているのか!』
『双方合意の元に交わした契約だ。破れば、バウマイスター男爵の評判がが落ちるばかりだ。破るとは思えないな』
『くっ!』
『開発特区』は、名目上バウマイスター騎士爵領の土地だが、現実はヴェンデリンの支配地でしかない。
現在では、戸数は約百戸、人口は三百五十人を超えているはずだ。
すでにバウマイスター騎士爵領内において、ヴェンデリンの独立勢力が生まれてしまったのだ。
親父は、もう少し危機感を持たなければいけないのに!
『開発特区は、本村落よりも大きくなってしまったんだぞ!』
『それも時代の流れであろう。本村落とは言うが、領地の規模が発展していけば領地の中心など変わるものだ』
親父は、ただ領内の耕作地と人口が増えれば満足なようだ。
しかし、そんなただ膨らんだだけの領地など。
領主のコントロールから外れた、ただの人が集まっている場所でしかない。
領地の安全のためには、俺たち貴族が適切に支配しなければいけないのだ。
そのために俺は、領民たちから嫌われてまで税を集めているのだから。
『しかも、あの連中は税を払っていない!』
『払っているではないか。お前はあの契約の中身をちゃんと見たのか?』
契約の時には人を除け者にしておいて、随分な言いようだな。
ヴェンデリンとの契約によると、奴の冒険者としての稼ぎと、未開地開発の収支は連動しているのだそうだ。
魔の森での狩猟、採集で得た利益と、未開地開発で使った経費を合計して。
全体の収支から、利益の二割を税として納める。
わざと複雑な契約にして、俺に詳細を解らせないようにしているのだ。
間違いなく、奴は税を誤魔化してやがる。
なのに、親父もクラウスもなにも言いやがらない。
そんなにヴェンデリンが怖いか?
俺はただ、腹が立つだけであった。
『親父、絶対に連中は税を誤魔化しているぞ!』
『それはない。クラウスがちゃんと確認している』
確かにクラウスは、金の計算などでは有能な男だ。
だが、現状で奴など信用できるはずもない。
あの男からすれば、このバウマイスター騎士爵領の領主がヴェンデリンでも一向に構わないのだから。
いや、むしろその方が望ましいと思っているはずだ。
『信用できるものか!』
『なら、自分で確認しろ』
『……』
できるはずがない。
そんな教育は受けていないし、汚れた金の勘定など、青い血には必要ないと言ったのはあんただろうが。
『ならば、他村落の名主たちに任せるか?』
それもできるわけがない。
あの連中は、領地の発展のために遺品から鉄を徴収する決断をした俺の苦悩をわからず、ヴェンデリンにチクって邪魔をしやがったのだから。
『あの連中は、裏切り者だろうが!』
例の親父との契約の中には、ヴェンデリンが領内で雑用を引き受けるというものもあった。
嫌な予感はしたのだが、今それは現実のものとなっている。
『エリーゼ様、最近は体の調子がいいんですよ』
『それはよかったですね』
『本当にありがたいです』
バウマイスター騎士爵領の司祭が腰を痛めて動けなくなった時、ヴェンデリンは自分の婚約者を代理として派遣した。
中央の生臭坊主の孫娘で、いかにも聖女面した女だ。
年の割に胸がデカく、それを利用してヴェンデリンを誑し込んだ淫売め!
得意の治癒魔法で領民たちを治しつつ、ヴェンデリンに媚を売りやがって!
あの小娘、邪魔なので排除しようと思ったが、治癒魔法のおかげで領民たちの反発も大きいであろうから、ここは自重するしかない。
まったく、忌々しい話だ。
『では、我らは開発特区の方に居を移すので』
『向こうは稲作ができるのかぁ。その内、こちらでもできるようになるといいんだが……』
教会乗っ取りの次は、領内の再開発に手を出してきた。
さすがに本村落には及んでいなかったが、他の村落ではこれに積極的に手を貸している。
巨石や森林、丘陵地帯で分断・変形している畑を区画整理し、用水路の支路を新たに整備して、領民たちの家を自分の畑に近い場所に移築する。
これまで約百年間、我が領地は畑の開墾に力を注いできた。
ところが様々な事情により、耕作地が歪になってしまって農作業が面倒だったり、近場では無理なので、家から遠くにある新しい畑を与えられてしまった領民たちなど。
とにかく色々と問題が多かったのだ。
同じ日に、自分の家の前の畑を手入れしたあと、歩いて一時間ほどの場所にある新しい畑で作業を始める。
そんな不便さを一気に解決したのが、ヴェンデリンであった。
ちゃんと自分の農地が、自分の家の近くにある。
しかも、農耕用の牛馬や農機具が入れやすいよう、畑が真四角になるように魔法で区画整理をしやがったのだ。
これを喜ばない領民はいないが……。
『あのバカが!』
せっかく麦が育っている最中に、その土地を区画整理するなど。
収穫を台無しにするつもりかと、急ぎ現場に乗り込むと、そこでは奇妙な光景が展開されていた。
『この畑の麦は、こちらに土ごと移しますよ』
『すいませんねぇ。ヴェンデリン様』
『仕事だから』
奴は、育成中の麦に全く影響がないよう、慎重に作業を進めていやがった。
魔法の精度の訓練になるとか抜かしやがって!
とある畑から、植わった麦が土ごと魔法で宙に浮かび、新しい畑まで動くのを見た俺はなにも言えなくなってしまった。
『ありゃま。これは神の仕業かねぇ』
『隣の新しい畑に移動させた麦の苗は、大丈夫ですよね?』
『土ごと移動したから問題ねえです。冬植えの麦では、広がった畑と新しい畑にも麦が植えられて万々歳ですわ』
『土壌もある程度は改良してあるけど、二~三年は念入りに面倒を見ないと駄目かな』
『経験があるから大丈夫でさぁ。一から開墾したら倍以上の年数がかかるところを、魔法ってのは便利ですなぁ』
ヴェンデリンは、この仕事を村落の名主たちから受けたのだと言って、二つの村落の新規開墾と区画整理を一週間ほどで終わらせてしまった。
その結果、彼ら二つの村落の住民たちが持つ畑の広さは、本村落の住民の平均を超えてしまう。
他にも、開墾を邪魔していた巨石や巨木が消え、平らにするのに何年かかるかわからない丘が一瞬で平らな畑になり、移動に便利なように農道が整備され、水やりが楽なように用水路も延長される。
『親父! 俺は今の状況を危ういと思っているぞ!』
『領民たちの畑が増え、農作業も楽になり、税収も上がる。なにか文句でもあるのか?』
この件も親父に報告に行ったが、相変わらず親父はなにも手を下さない。
ヴェンデリンの奴がこの領地の分断を謀っているというのに、なぜ親父はそれに気がつかないのだ?
『ヴェンデリンは、本村落と残り二つの村落の分断を謀っています!』
『クルト……お前……』
『いえ……』
続けて、思わず禁句を口にしてしまうところであった。
この領地では、本村落と他の二つの村落との対立が存在する。
だが、代々の領主からの申し送り事項で、それを表立って口にしてはいけないのだ。
『とにかく! ヴェンデリンは危険だ!』
二つの村落の再開発のみならず、奴は例の開発特区に、以前に領地を出た元領民たちで希望した者を帰郷させていた。
領民たちの三男や四男なども、次々と里帰りして稲作を始めていたのだから。
『二つの村落の人口が減ったんだぞ! 人頭税の税収が減る!』
微々たるものであったが、それでも減収になるはず。
しかも引っ越し先の開発特区は、かかった経費を利益から引いて計算できるので、ヴェンデリンの脱税を手助けしているようなものなのに……。
『親父は甘い! ヴェンデリンなどあれだけ稼いでいるのだから、搾りに搾り取ればいいんだ!』
この機会を逃すことはない。
ヴェンデリンから取った税を用い、俺たちが、いやバウマイスター騎士爵家が独自に未開地の開発を行うのだ。
すでに余所者であるヴェンデリンになど、これ以上の開発を許してはいけないのだ。
『なぜヴェンデリンから搾取する必要があるのだ?』
『お金があるところから税を集めてなにが悪い?』
『今、ヴェンデリンが開発している開発特区だが、うちでやると経費がいくらかかるかの計算したことがあるのか?』
『ヴェンデリンの魔法で無料だろうが!』
『クルト、お前はバカか?』
『バカとはなんだ!』
人をコケにしやがって、俺は親父を睨みつけた。
だが、まるで親父は動揺していなかった。
『確かに、開墾の費用はヴェンデリンの食事代くらいであろうよ。だが、他にも色々と経費がかかっているのだぞ』
続けて親父は、小難しい説明を始めやがった。
『中古とはいえ、王都から大量の家を持って来て移築専門の魔法使いに仕事をさせている。あの方は、法衣男爵でもある高名な移築魔法の名人だそうだ』
当然、その依頼費用はヴェンデリンが出しているはず。
他にも、ブライヒレーダー辺境伯領からスカウトした老農夫たちに支払う給金と、稲作を始めるために必要な農機具などの購入費も。
一番凄いのは、移民希望者にも初年度は給金が出るという話であった。
『わかったか? クルト。今は少しの減収になっても、あの特区は何年かすればうちのものになるし、住民たちもうちの領民になるのだ。そもそも、バウマイスター騎士爵領では減収などしておらんぞ。お前はちゃんと報告書を見ているのか?』
また人をバカにしやがって。
税収に関する報告書くらい、俺だって目を通している。
開発特区の費用を差し引いても、我が領地初の商店の売り上げ益と、魔の森探索で得た成果をブライヒブルクで販売した利益もあり、ここ三ヵ月ほどで六十万セント以上納めていた。
だが、それだけでは足りないのだ。
というか、ヴェンデリンはあれほどの大金持ちなのだ。
親父は領主権限に用い、奴が持っている総資産の半分ほどを税金として徴収すればいい。
それだけあれば、俺たちにだって未開地の開発が可能なのだから。
『とにかくだ! もっと、ヴェンデリンから搾り取ればいい。このバウマイスター騎士爵領におけるトップは親父で、領地の中では陛下とて口出しなどできぬのだから!』
『お前は、少し頭を冷やせ』
人が懸命にバウマイスター騎士爵領の将来について心配しているのに、肝心の親父はこの有様であった。
いや、親父からすれば、ただこの領地が存続すればいいわけであって、次期領主が俺でもヴェンデリンでも構わないのだろう。
『俺は、俺の道を行く!』
『好きにするがいい』
もう親父は当てにならない。
逆に、俺の潜在的な敵でもある。
ならば、もう親父の意見に耳を貸す必要などない。
『クルト、どこに行くのだ?』
『今日は、会合の日だ』
バウマイスター騎士爵領では、たまに領民たちから意見を聞く会合のようなものが定期的に行われている。
これには、三つの村落から数名ずつの代表者が出るのだが。
それとは別に、本村落の有力者だけが出席可能な会合も存在した。
一応の建て前では、三つの村落は平等ということになっている。
だが本音では、親父も祖父も曾祖父も。
別の会合を開いてまで、支持基盤である彼らの意見を余計に聞くことを決してやめなかった。
なにしろ彼らは、バウマイスター騎士爵家によるこの地の支配を強く容認する存在なのだから。
『本村落の住民には、ヴェンデリンが気に入らない連中も多い。彼らの賛成を得られれば、奴にもっと税を支払わせることも可能なはずだ』
そう思いながら、俺は急ぎ会合が行われる予定のエックハルトの家へと向かうのであった。
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