第26話 嫁姑の会話

「あの、お義母様。一つ聞いてよろしいでしょうか?」


「なんですか? アマーリエさん」


「義弟の、ヴェル君のことなんですけど……」


 私の名前は、アマーリエ・フォン・ベンノ・バウマイスターといい、少し前まではアマーリエ・フォン・マインバッハと名乗っていました。

 ようするに、生家であるマインバッハ騎士爵家からバウマイスター騎士爵家に嫁いだ身なのです。

 マインバッハ騎士爵家は小さいながらも代々領地を治める貴族であり、当然婚姻は親同士が決めた政略結婚で、それは同じような立場にあるバウマイスター騎士爵家側も同じ。

 顔を見たことがない男性に嫁ぐ。

 これも貴族の家に生まれた女性の定めと覚悟しつつも、やはり女性としてはなぜか生家の書斎に置いてあった本に書かれた恋愛結婚にも憧れもするというもの。

 憧れるくらいなら、別に罪ではありませんし。

 それに、この結婚自体に文句があるわけではないのです。

 僻地の騎士爵家とはいえ、同じ騎士爵家の次女が跡取り息子に嫁げるのだから、これは悪い話ではありません。

 私は次女なので、普通は貴族の跡取りになど嫁げないのですから。

 よくて、寄親である大貴族の大物陪臣の跡取りくらいが妥当というもの。

 もしくは、同格の貴族の家臣になる次男より下の妻とか。

 下手をすると、大物貴族の妾や後妻、半ば身売り目的で大物商人に降嫁させられることだって珍しくないのですから。

 旦那様になるクルト様はどう考えていらっしゃるのか?

 私は女性なので、男性が内心でどう考えているのか理解しにくいですが、大切にはされていると思います。

 このように、生まれた時から嫁ぎ先の身分が決まっているという雁字搦めな世界において、貴族の跡取りに嫁げただけ、私は幸せだと思うしかありません。

 とはいえさすがに、義理の母になる人が縄を綯っているのを見た時には、少し驚いてしまいましたが、人はすぐに慣れてしまうもの。

 貴族の男性たちが開墾や狩猟に精を出す光景に至っては、地方の貴族領では特に珍しい光景でもなかったのですから。


「あの子は……」


 ただ、その中で一人。

 普段の行動がよく見えない子がいました。


 バウマイスター騎士爵家の末子である、ヴェンデリンという名の少年のことです。

 お義母様が四十歳を超えてから生まれた末子なのに、彼は義母様本人が産んだ子供であり、これはかなり珍しいこと。

 正妻が産んだことにしているけど、実は若い妾が生んでいました……なんてことは貴族の間では珍しくもなかったのですから。

 実際、お義父様にはレイラさんというお妾さんがいらっしゃいますし。

 生家の父にも妾はいるので、別に珍しいことでもありません。

 お義父のお妾さんは名主の娘だそうで、彼女自身とは結婚式で顔を合わせた程度。

 彼女の息子二人と娘二人もそれは同じで、これからもそう顔を合わせる機会は少ないはず。

 身分が違う……私個人としては色々と思うところもありますが、そういうものとしか言いようがないのです。

 四人の子供たちに継承権はなく、将来は名主の家を継いだり、他の名主の家に嫁いだりする。

 血は半分繋がっているが身分が違っている。

 貴族とは、このように面倒くさいものなのですから。


「お腹を痛めて生んだ子ですが、放置するしかないのです」


 お義母様は、重い口を開らきました。

 まさか、生まれるとは思っていなかった八男ヴェンデリン君について。


 生まれてからも大人しくて手がかからず、さらにちょうどその頃は、バウマイスター騎士爵家が魔の森遠征で受けた損害を補うべく、毎日開墾などで忙しい日々を送っていたため、自然と放置してしまうことが多かったのだと。

 ところがそれに不満一つ漏らすでもなく、一人で書斎に篭って本ばかり読んでいたそうです。

 そして気がつけば、子供なのに自分たちよりも字の読み書きが得意になっていた。


「先ほど独立した、エーリッヒさんのような子なのですね」


 あの人とは少ししか話をしていないけれど、かなり頭がキレる人だ。

 これは口に出せないが、自分の旦那様よりも領主に相応しいかもしれません。

 そのせいか、旦那様とはその関係に距離感があるようにも感じていたが、エーリッヒさん自身はあっさりと家を出てしまいました。

 王都に向かい、そこで下級官吏の試験に合格したと、のちに手紙が届きました。

 お義母様はそれを見て安堵していましたが、あの人ならば余裕で合格したであろうと、私などは思うのです。


「それだけはないのです」


 お義母様によると、ヴェンデリン君は六歳の頃には十歳年上のエーリッヒさんと対等に話ができ、文字の読み書きから計算まで完璧に行えるようになっていたそうです。


「それに加えて、魔法も使えますからね」


 どの程度使えるのかは、敢えて聞いていないそうです。

 魔法が使えるのなら、成人後に家を出て独立しても生活には困らないですからね。

 お義父様も旦那様も、同じように思っているそうですし。


「どうしてそんな優秀な人材を放置するのですか?」


 そこが不思議なのです。

 せっかくの魔法の才能なのだから、あの子を領地の開発に使えばどれだけ作業が捗るか。

 バウマイスター騎士爵家大躍進のチャンスなのに。


「普通に考えれば、誰でもそう思いますよね」


 ところが、そう簡単にいく話でもないそうです。

 

「バウマイスター騎士爵領は、僻地にあって小さいのです」


 食べられないということはないけれど、不便であり、みんなで協力し合って生きていかなければならない土地であり、だからこそ私たちの結婚式にはほぼすべて領民たちが参加していました。

 普段は質素な食生活を送っているのに、この日ばかりは大量のご馳走とお酒が領民たちに振舞われる。

 冠婚葬祭とはよく言ったもので、生家もそうですが、結婚式は娯楽の少ない領民たちからすればお祭であり、それに領民全員参加できるということは、その人間関係が非常に濃密だということ。

 大きな領地を持つ貴族や、王都で役職に就く法衣貴族ではまずあり得ません。


「そのような小さな共同体において、ヴェンデリンのような存在は目立たない方がいのです」


 小さな子供が魔法を使えるからといって目立つのはよくない。

 確かにそうかもしれません。


「そういえば、結婚式のパーティーで大量にお肉が出ていましたが、これもヴェルの成果ですよね?」


「ええ、エーリッヒが頑張ったことにはしています」


 表向きは、弓の名手でもあるエーリッヒさんの功績になっているけど、実際には魔法が使えるヴェル君が奮闘したというのが真相のようです。


「色々と軋轢が起こるかもしれませんが、それならばますます協力してもらった方が……」


 みんなの生活がよくなるでしょうし、ヴェンデリン君も今の宙ぶらりんの立場を脱することができるはずです。


「抗いにくい誘惑ですが、それをすると御家騒動になりますからね。領民たちが騒ぎ始めるでしょう」


 領民と領主との距離が近い、閉鎖的な田舎の領地で魔法が使える息子がいると知られたら。

 しかもその子が跡継ぎでなかったとしたら……。

 当然、お義父様に次期当主の交代を直訴する領民が増えるはずだと、お義母様が言葉を続けます。

 ただの農民たちは遠慮するかもしれけれど、名主たちが直訴する可能性があり、それをされると無視できない影響が出てしまう。

 なぜなら、彼らは領内の有力者なのですから。


「もしそうなれば、どんな混乱が起こるのか想像もつきません」


 100%全員が賛成ならばいいのですが、当然そんなはずはなく。

 もし、旦那様派とヴェンデリン派で後継者争いが起これば。

 しかも、こんな僻地で混乱が起こっても外部からの援軍は期待できない。

 なにしろ、お隣へはリーグ大山脈を越えないと行けないのですから。


「それにもしそうなれば、あなたは次期当主夫人から転落ですよ」


 そういえば、そうでした。

 せっかく次期当主の正妻になれたのに、それを自分で捨ててどうしようと言うのか。


「…………」


 醜い考えだけど、世間はそんなに甘くない。

 ヴェンデリン君が当主になって発展するバウマイスター騎士爵家よりも、旦那様が当主になって今の生活を維持するバウマイスター騎士爵家。

 私は、絶対にそちらを選ばないといけないのですから。


「幸いにして、ヴェルはこの領地に興味はないそうです」


 それはそうであろう。

 彼は魔法が使えるのだから、冒険者としてでも、他の貴族のお抱えになってもいいのだから。

 むしろそちらの方が、確実に実入りはいいはずだ。


「そんなわけで、ヴェルには自由にさせていいのです。むしろ、そちらの方が双方にとって幸せでしょう」


 少し冷たいようにも感じるけど、これこそがお義母様なりの息子に対する愛情なのであろう。

 下手に領地に欲を持ってしまい、己の腹を痛めた子同士が争う。

 実際によく聞く話で、争いが本格的に起こればこれほどの悪夢も存在しないのですから。


「わかりました。でも、世の中とは侭成らぬものなのですね」


「ええ、侭成らぬものなのです」


 共に溜息をつき、私はまた少しお義母様と仲良くなれたような気がしました。

 一生を共にする家であり、家族なのですから。

 たとえ義理の両親とはいえ、いえ義理の両親だからこそ、なるべく仲良くなった方がいいのですから。

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