第11話 森での日々
「父上、森に行ってきます」
「熊や狼には気をつけるんだぞ」
この前、初めてホロホロ鳥を仕留めてから一週間が経った。
いつものように森へと出かける俺に、えらく上機嫌な父の姿があった。
まだ六歳で役立たずだと思っていた末っ子が、家族の食卓を豊かにするのに貢献していたからだ。
元々員数外で、開墾の手伝いもまだ無理だと思っていた俺が、プロの猟師でも狩るのが難しいホロホロ鳥を毎日狩って来るようになったからだ。
他にも、野苺や山菜や自然薯など。
食べられる食材を的確に採集して持ち帰るので、最近では家族の受けもよくなっていた。
やはり、黒パンと塩野菜スープだけの食事には皆が辟易していたのだ。
だが、この村の生活はさして余裕があるわけではない。
人手の多くを、次第に増える人口に対応すべく新規の開墾と農作業に割り振っている影響で、狩猟と採集を行える人と時間が少なくなっていたからだ。
人を食わせる基本食材は、あくまでもパンの材料である小麦。
その基本に則り、父は人手を動かしていた。
子供を回すというのは危険かもしれないが、俺は所詮は八男で、もし死んでも大きな影響があるわけでもない。
同じ子供でも、領民の子供たちは農作業や稼業の手伝いに忙しい。
さらにその貴重な労働力に死なれると困るので、現在子供で森に入っているのは俺だけであった。
六歳の子供の稼ぎに期待する貴族ってどうなのかと思うが、これがこの世界の貧しい下級貴族家ばかりか、この世界の多くの人たちの現実なのであろう。
俺が成人してから行く予定の都市部が、これよりもマシな状況であることに期待するのみであった。
それでも俺は、己の食生活向上のために狩猟採集活動を続ける。
食事にホロホロ鳥や山菜を使ったおかずや、あの味気ないボソボソの黒パンに、野苺を使ったジャムが好きに塗れるからだ。
他にも色々と手に入るものは多いし、なにしろ森の中ならば自由に魔法の練習ができるのだから。
「一般的なその名を『報告』という魔法は……」
あまり派手な攻撃魔法の練習ができない分、俺は身体機能を一時的に強化する補助魔法や、普段の生活で役立つ魔法の練習を主に行っていた。
『探知』で大型の野生動物が近くにいないことを確認しながら森の奥まで進み、今度は魔法書の新しいページに書かれた魔法を試すことにした。
その新しい魔法とは『報告』であったが、これは文字どおり使用者になにかを報告する魔法だ。
試しに使ってみると、視界に入った数箇所にぼんやりと薄い光が光っている。
よく見ると、それは木の根元から地面に伸びている自然薯の蔓だったり、自生しているトリカブトだったりした。
なるほど、確かになにかの居場所をぼんやりと光ることで報告してくれるのか。
だが自然薯は食料として役に立つが、トリカブトはこの世界ではあまり使い道がない。
こちらの世界でも毒草なので、暗殺に使われることが多いからだ。
貴族が毒殺を恐れて銀の皿を食事で使う……うちの実家に銀の食器があるのか疑わしいし、暗殺が頻発するわけもない。
使いようによっては薬になるという知識は前の世界でも聞いたような気もしたが、その使い方がイマイチ不明なので、今のところは放置することにした。
俺はまず、土系統の魔法を改良した掘削の魔法で自然薯を掘り出す。
前の世界でもそうだが、こんな六歳の子供が自然薯を自力で掘っていたら、それこそ日が暮れてしまうであろう。
そこで、中級の魔法書に記載されている『掘削』の魔法を応用して自然薯を傷付けないように掘っていく。
すると無事に、全長二メートルほどの見事な自然薯を掘り出すことに成功した。
さすがは、普段はあまり人の出入りのない森。
見事な自然薯だが、考えてみたら長すぎてそのまま持ち運ぶには不便だ。
売り物というわけでもないので、半分に折ってから背嚢に括り付けた。
あとは、いつものようにホロホロ鳥を二羽狩り、他にも山菜やアゲビなどを採って背嚢に詰めていく。
「しかし、この森の生態系や植生が理解できないな……」
日本の森ではないので当然とも言えたが、ここには前世では見たことがないような動植物に、松や杉や広葉樹に、ウサギに猪に熊に狼に、そして自然薯や山菜やアケビ、山苺など。
様々な動植物が、まるでカオスのように混在していた。
自然の恵みは、かなり多い方と言えよう。
ただ、普段は人手の多くを農作業に従事させているので、頻繁に狩猟、採集に回す人手は、プロの猟師以外にいないようであった。
熊や狼避けで、基本的には複数の成人男性で森に入るのが普通らしいが、今のバウマイスター騎士爵領では、複数の大人の男性が集まること自体が労働環境的に難しかった。
「しかもそのプロの猟師たちも、自分の家から近い別の森で狩りをしているらしい」
そんなわけで、この森は年に数回の集団狩猟の時期を除いて、普段は滅多に人が入って来ないらしい。
勿体ない話だが、収量が安定しない自然の恵みよりも、税収になり、ある程度収量が計算できる農作物の方が最優先なのは、これは領主として当然の考え方とも言えるのだ。
なにしろここは他の領地との交流がほとんどない僻地なので、自給自足ができないと飢え死にに直結してしまうからだ。
「これも……」
新たにぼんやりと光る場所を探すと、そこにはビワによく似た果実が木になっていた。
確かこの世界でもビワと呼ばれていたはずだ。
俺は、一応毒を探知する魔法をかけてから皮を剥いて果肉を齧ってみる。
すると、ビワよりも甘い果汁の味が口の中に広まっていく。
他にも、アケビに似た果物や、柿に似た実も採取していく。
果物が採れるので今は季節でいうと秋なのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。
今は季節でいうと春と夏の間くらいらしいが、なぜ果物がなっているのかを本で調べると、『果実の成る時期は、その木の個体それぞれで違う』と書かれていた。
つまり、春に実を付ける木も、夏に実を付ける木もあり。
さらにここは、冬でも雪などは降らずに一部の樹木が枯れる程度で、冬に実をつける個体もあるそうだ。
さすがは、リンガイア大陸の南部に相応しい気候であった。
気候が温暖なわりには、食生活が貧困なような気もするのだが……。
とはいえ、今は子供の身なのでどうにもならない。
多くの魔法を使い、規定の収量を確保した俺は家路へと急ぐ。
「ご苦労様」
母に収穫の成果を渡し、二品ほどおかずが増えた夕食を堪能していると、父が突然とんでもないことを言い始めた。
「猟師のエベンスが、『語り死人』を目撃したらしい」
「本当ですか? 父上!」
長兄クルトが驚きの声をあげる。
『語り死人』とは、それほどの存在……字面からしていい印象は受けないか。
「ああ、五年前の犠牲者だろうな」
五年前。
先代のブライヒレーダー辺境伯からの願いを断れず、それなら多くの魔物たち棲む魔の森の一部でも開放を、と願った父は大きな犠牲を出してしまった。
幸いと言おうか、二千人もの他領の軍勢を領内に入れたので治安維持のために忙しかった父は魔の森に行かずに済んだそうだ。
だが、父の家臣であった大叔父が率いた軍勢百名は、僅か二十三名しか戻って来なかったらしい。
そして生存者の中に、その大叔父もいなかった。
せっかく人口が少しずつ増えていたバウマイスター騎士爵領において、七十七名もの成人男性の戦死が大きかったことは想像に容易い。
今の極端な農作業への人員の配分や、俺が森で危険と隣り合わせで狩猟と採集を行ってもなにも言わないのは、その辺の事情が大きいのだから。
なお当のブライヒレーダー辺境伯家諸侯軍も、先代当主を含めて千九百二十五名が戻って来なかったそうだ。
誰に聞いても全滅したと答える犠牲者の数であり、軍人としては無能と言われても仕方のない犠牲者の数だな。
その前に撤退しろよと言われるのが普通だ。
「これから暫くは、死霊系の魔物に悩まされますか……」
「まだ、語り死人なのでマシとも言えるな。ゾンビだと討伐が面倒だ」
一切自分のテリトリーからは出てこないのが常識である魔物であったが、唯一の例外はこの死霊系の魔物であろう。
元が人間なので、魔物になっても本能で故郷へと戻ろうとする個体がどうしても一定数発生してしまうからだ。
図鑑によると、本能のみで動くゾンビのような魔物は人間に害をなす厄介な存在らしい。
これは早急に討伐が必要なようだ。
ただ動きも鈍いし、もの凄く火に弱いので、油をかけて焼いてしまえばいいらしい。
そして肝心の語り死人であったが、これは対応がケースバイケースになる。
死の恐怖で凶暴化していてゾンビのように焼くしかないケースや、普通の人間のように話しかけてきて、話しかけられた人がお願いを聞くと成仏してしまうケースなど。
話しかけられるのは神父など聖職者が多いようだが、波長が合えば普通の人でもコンタクトは可能であり、願いを叶えれば成仏させることも可能なようだ。
「神父様に頼みますか?」
「マイスター殿は年のせいで腰が悪くてな。どこにいるのかもわからない語り死人を探すことなど不可能だよ」
こんな辺鄙な土地ではあるが、ちゃんと王都にある教会の総本部から神父の派遣は行われている。
ただ八十歳を超えた老人が一人だけであり、シスターもいないので、教会の雑務は領内のお婆さんたち数名が手伝っている有様であった。
しかも、このバウマイスター騎士爵領には信心深い人間などほとんど存在せず、俺も数回だけ嫌々ミサに参加したのみであった。
この老神父が天に召されない限りは、王都から新しい神父は来ないであろう。
いや、もしかしたら赴任を拒否されるか可能性もなくはないのか。
「そういうわけなので、ヴェルも森に入る時には気をつけるように。そのうち領地から出て行く可能性もあるしな」
「(そんなに都合よく行くのかな?)」
なんとも無責任な父の話を聞きながら、不謹慎にも俺は、その語り死人に対し興味を持ってしまうのであった。
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