第6話 バウマイスター騎士爵家の人々

「じゃあ、僕はこれから剣の稽古があるから」


「ありがとう、エーリッヒ兄さん」


「なあに、可愛い弟のためさ」


 朝食後、俺に詳しく自分の家についての説明をしてくれた五男エーリッヒであったが、彼は剣の稽古があると言って屋敷を出て行ってしまう。

 昨日の夢の内容から、エーリッヒ兄さんはあまり剣が得意ではないようで、下級とはいえ貴族の嗜みとして、早く剣を覚えようと自主的に訓練を重ねているようであった。

 とはいえ、実はこのバウマイスター騎士爵家に優れた資質を持つ剣の使い手など存在しないらしい。

 こんな未開の大自然と魔物の棲み処に四方を囲まれた領地なのでみんなリアル・○ンハン状態なのかと思えば、実はそうでもないようだ。

 ここ数千年間ただ一例の例外もなく、魔物が絶対に自分のテリトリーから出て来なかったという事実が大きかった。

 たとえすぐ近くに魔物の住まう領域があったとしても、そこに踏み込まなければ魔物の脅威には曝されない。

 そうでなければ、とっくにバウマイスター騎士爵領は自然に戻っているはずだ。

 言っては悪いが、このバウマイスター騎士爵領は貧しい農村であり、当主である父アルトゥルや跡取りである長男クルトを除けば、全員がなにかしらの仕事を割り当てられているのだ。

 さすがに畑を耕すことはなかったが、徐々に人口が増えるバウマイスター騎士爵領のため、いまだ手付かずの魔物が住まない未開地の開拓を積極的に行い、野生動物しか住まない草原や森で肉を得るために狩りを行い、川で魚などを獲りと。

 あまり貴族の仕事には見えないが、この子沢山貧乏騎士家では一番正しい行動であろう。

 わざわざ危険な魔物の棲み処に、自ら入るなどあり得なかった。

 それをして生き残れる実力も……ないことは確実だ。


 民たちのため、自ら魔物の棲み処に入って剣を振るう……ことはない。

 もっともどこの地方下級貴族家も、大半はうちと似たような感じらしいが。

 日々の生活を保つのが忙しいので、せいぜい空いた時間に剣や弓矢などの武芸や、乗馬などの稽古をするのが精一杯であった。


「あれ? 貴族としての礼儀作法や、字の読み書きや計算などは習わないのですか?」


「私たちのような辺境の下級貴族が、礼儀など習ってどうするのです? 叙任以外で、王都に用事などないというのに」


 意外と稽古の内容が少ないので、俺は貴族の正妻なのに縄作りに精を出している母に聞いてみるのだが、彼女は訝しげな表情をしながら俺に答えていた。

 ようするに、このバウマイスター騎士爵領が続く限りは、当主が代替わりをする際には遠路遥々王都に行きそこで叙勲を受けるが、あとは貴族としての礼儀作法などほとんど必要はないということのようだ。


 それにその叙勲の儀も、代々バウマイスター騎士爵家に伝わる鎧を着て謁見の間へと向かい。


『我、ヘルムート王国国王ヘルムート○○世は、汝、○○に第七位騎士爵を授けることとする』


『我が剣は、陛下のため、王国のため、民のために振るわれる』


 このやり取りだけで終わってしまうらしい。

 ヘルムート王国には騎士など山ほどいるので、忙しい王様が長時間相手などしないのであろう。

 俺の新しい母は、器用に縄を結いながら説明してくれた。

 確かに、一生に一回このやり取りをするだけなら、礼儀作法も必要ないであろう。

 大貴族や、中央で官職に就く法衣貴族は別としてだ。


「それで、文字の読み書きや計算なのですが……」


 これも、あまり必要性がないらしい。

 貴族なのにと思ってしまう俺であったが、そういえば中世ヨーロッパでも、文字が書けない貴族というのはかなり存在していたそうだ。

 自分の名前くらいはサインできたが、領地の税の計算などを村長や名主連中に任せきりにしていたので、まったく必要性を感じなかったようだと、以前なにかの本で読んだ記憶があった。

 中央の王宮にいる貴族がそれでは駄目だが、治安維持や戦争で活躍できればさして問題にもならなかったらしい。

 どうせ普段は自分の領地に篭っているので、そのスキルを披露する機会もないのだから。

 礼儀作法も、中世欧州でも肉を手掴みで食べるような人もいたようであったし。

 話を戻すが、うちも全員名前くらいは書けるが、あとは人によっては簡単な文章を読み書きできる。

 その程度であるらしい。


「そういえば、ヴェンデリンは簡単な文章を読み書きできたわよね?」


 俺は八男で味噌っかすではあるが、領民たちのように幼い頃から労働力として数えられているわけでもない。

 そんなわけで、俺が乗り移る前のヴェンデリンは、一人静かに書斎に篭って本を読んでいるような子供であった。

 味噌っかす八男の一番の仕事は、仕事をしている家族の邪魔にならないことであった。


「はい、少しですけど」


「もっと頑張らないといけませんよ」


 母にせっ突かれてしまうが、考えてみれば俺は八男なので当然家は継げないし、この領地に残れるかすら疑問でもある。

 兄エーリッヒが懸命に苦手な剣を習っているのも、きっと将来を見越してのことなのであろう。

 それと、兄エーリッヒはこの家では例外的にかなり文字の読み書きや計算ができるようだ。


「書斎で本を読んできます」


「そうね。それが一番いいわ。あなたは、エーリッヒに似ているようだから」


 母との話を終えた俺は、急いで書斎へと向かっていた。

 みんなそれぞれに忙しく、しかも俺は恥かきっ子で味噌っかすでもある。

 兄たちとは年齢も離れていて、特に長男・次男とはまるで会話すらなかった。

 食事の際に顔を合わせても、ろくに声すらかけられたことがないのだ。

 これは別に俺を嫌っているということではなく、あまりに年齢が離れ過ぎているので接点がない、というのが正解なのであろう。

 夢の記憶の中では、ようやく最近少しずつ剣や弓の稽古を始めていたが、まだ六歳の子供に無理は禁物であり、残りの時間は他の大人たちの迷惑にならないようにする。

 これが、俺に課せられた使命とも言えた。


「全然期待していなかったけど、思っていた以上に蔵書の数が多いな」


 貧乏貴族家でもそれなりに歴史があるので、父の書斎にある蔵書の数は多かった。

 分野も、歴史や地学から、文学、数学、鉱物、生物、魔物学などの平成日本で言うところの高校卒業レベルから、簡単な童話や絵本に、料理の本まで。

 料理の本があるのに、なぜかうちの食事がえらく貧粗であったが、その料理に使う材料が確保できないからだと諦めることとする。


「普通に読めるな。というか、日本語」


 家族と日本語での会話が成り立っているでそんな予感はしていたが、この世界は日本語が共通言語になっている。

 ただ若干の違いはあるようであった。

 まず、庶民や中央の王宮に縁のない下級貴族などが少しは読み書きができるという文章。

 これには、まったく漢字が使われていなかった。

 漢字部分がひらがなで、ひらがなの部分がカタカナで記載されているのだ。

 この世界に普及している大半の文章がこの形態らしく、俺にはかえって読み難いと感じてしまう。

 次に、このヘルムート王国や隣にあるというアーカート神聖帝国でも、王族や皇族、大貴族、中央政府で発行される公文書や、教会や各種ギルドの上層部、各分野の学者や学会など。

 ようするに偉い人たちが使用しているのが、普通の日本語の形態に近い文章であった。

 俺には、もの凄く読みやすかった。

 というか見慣れたものであったが、一部に意味不明な部分も存在している。

 なぜか、一部名詞に英単語が混じっているのだ。

 他にも、日本語をわざわざローマ字表記したものもあった。

 とはいえ、英単語は難しくても高校レベルだし、大半の文章は日本語なので意味がわからないということはなかったが、ある本では漢字表記であった名詞が、別の本ではローマ字表記だったりと、その法則がいまいちよくわからなかった。

 さらに美しい失礼のない公文書とは、ひらがなとカタカナが七割、漢字が二割、その他が一割というのが黄金比率らしい。

 正直どうでもいいような気がするが、そんなことを気にするのが、世界が違えど官僚や役人という生き物なのかもしれない。

 俺は見た目六歳の子供なので、今はできる限りの体力作りや武芸の訓練に励み、あとはこの書斎の本から、この世界で生きていくのに必要な知識を蓄えるのがいいであろう。

 そんな風に考えながら本棚の端に目を向けると、そこには俺が今一番知りたいと思っていたジャンルの本が並んでいた。


「初めての魔術、中級魔術、上級魔術、魔法薬製造の基礎、初めての魔導具作り。おおっ! 魔法って本当にあるんだ!」


 俺は、もしかしたら魔法が使えるかもと心躍らせながら本を手に取るのであった。

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