第6話


 音も振動もない。

 記憶も感覚も、何もかもが曖昧だ。


 きっと私は、泣きながら自分の家のドアを開けた。

 鍵とチェーンをかけただろう。


 家に戻った途端、安堵と喜びを感じたのか、その場で崩れ落ちて泣いていた。

 ただ、震えながら泣いていた。


 寿命が縮まったが、今日はまだ生きている。

 それがたまらなく嬉しかった。


 キッチンの壁の向こうから、小さな物音が聞こえてくる。そして低い声。

 もうひとつ、掠れたような小さな声。


 なんだ。みんな生きてるじゃないか。

 ホッとして、その場に寝そべり、声を出さずに笑ってみた。


 放心状態だったかもしれない。

 私は幸せでたまらなかった。


 しかし、突如ドアの閉まる振動を感じて飛び上がった。


 玄関の除き穴から様子を伺う。

 廊下の向こうに、ゾンビがいた。


 全く落ち着きのないゾンビだ。

 何度私の心臓を飛び跳ねさせれば気が済むのだろう。


 だけど、何故だろう。

 階段を降りていくその後ろ姿は、ゾンビでは無く人間に見えた。


 びしょ濡れのまま、雨の中へ消えていく。

 ゾンビは両生類か何かなのかもしれない。

 いつもいつも、ゾンビは雨の中に居た。


 ゾンビか消えて、私はまたその場に寝転がってみた。


 目を閉じる。雨音が心地良い。


 いつの間にか眠っていた。


 あれから、何度かゾンビを見かけた。

 生き返ったミイラ男も一度見かけた。

 ゾンビもミイラももう居ない。

 あれが、隣の住人だったのだろうか。

 もう、あの部屋からは何の物音も聞こえない。


 相変わらず、今日も反対隣からは下手くそな歌が聞こえてくる。

 だけど、昔よりは不快に聞こえない。

 また平凡な日常を感じられる喜びの方が大きかったからかもしれない。


 今日は雨。

 だけど彼等はもう、ここには来ないのだろう。

 何処から来たのか、何処へ行ったのか。


 結局、ゾンビの顔は見えなかった。

 ミイラ男の顔も忘れてしまった。

 今更警察や探偵が訪ねて来ても、二人のモンタージュは作れやしないだろう。


 思い出せるのはスタンダールの様な色。

 少し煙たい煙草の香り。

 雨の音と、満月の青くて不気味な光。


 あれは、私が唯一傍観者をやめた非日常。

 それは私の、一晩限りの冒険談。

 いつか、それも忘れてしまうのだろう。


 そう思って、私は読んでいたゾンビものの小説を本棚に戻した。




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【シークレットナイト】 推理小説好きな女子大生の一晩限りの冒険談 TERRA @ANARCHYSEVEN

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