第4話


 王家の谷の窓をそっとのぞきこむが、中はブラインドで見えなかった。


 私は細心の注意を払い、ドアノブに手をかける。

 鍵は、開いていた。

 音を出さないように、そっとドアを開けてみた。

 中は暗い。タバコの香りが微かにする。

 自分の部屋とは鏡に写したように左右が逆。

 ここからでは玄関とキッチンしか見えないが、見える範囲には生活感なんてまるで無かった。


 心臓の音が煩い。だけど自分は生者だと実感できた。


 長い時が過ぎたように感じた。

 一歩踏み出すごとに心臓が止まりそうになった。

 狭い廊下を抜け、部屋に入ると、ゆっくりと体勢を低くする。

 ミイラは棺桶ではなく、ソファーに転がっているように見えた。

 私はゆっくりと匍匐で近寄ったが、ミイラ男は私の存在に気付いてはいないようだった。


 やはり死んでいるのだと確信し、近くでミイラを凝視した。

 黒のフェイクレザーのソファーはびしょ濡れで、ミイラの死体もびしょ濡れだった。

 やはり死体だ。動かない。

 私の心臓も止まりそうだ。


 私は、ミイラの屍の胸と腹を凝視した。

 上下に動いているようには見えない。

 だから今度は、その口許に手をかざす。

 しかし、息をしているのか分からない。


 私は覚悟を決めて、ミイラの首筋に触れてみた。


 ミイラは酷く冷たかった。

 だけど、硬直はしていない。


 シルバーが、月の光を反射する。

 その首には、絞められたような痣がある。そして、紫色の指の跡。


 だらりと垂れ下がった腕。僅かに覗く手首には、痣があった。

 痣というより擦りきれた跡。痛々し過ぎて直視できない。

 シャツのボタンは胸辺りまで開いている。肌は少ししか見えないが、そこにも数ヶ所の痣や傷。

 まるで拷問でもされたみたいだ。きっと、傷は全身にあるのだろう。


 私は、ミイラの前髪へ手を伸ばす。

 顔が見たい。いつか、警察で人相を教える事になるかもしれない。


 何人だろう。日本人ではないかもしれない。

 年は私と同じくらいか。外人だとしたら、もう少し若いかもしれない。

 しかし、目を閉じている相手の人相なんて分からない。

 外人みたいな・・ガリガリの若いミイラ男?

 そんなんじゃ、モンタージュも作れやしない。


 何者だろう。この死体は。

 死体になる以前は何者だったのだろう。


 ずぶ濡れなせいで、ちゃんとした色はわからないが、恐らく、黒いシャツに、黒いパンツ。

 黒いベルトは穴を増やした方が良さそうなくらい浮いている。

 ガリガリ過ぎて、まるでサイズが合っていない。

 服は至ってシンプルだ。スーツに近い。もしかしたら、返り討ちに遭った囮捜査官なのかもしれない。

 この部屋は、確かに怪しい。

 囮捜査官だとしたら、このミイラ男の顔についているコレは、悪ぶっただけのマグネットピアスだったりするのだろうか。


 私は死体の眉毛の上下にくっついている、銀色のボールを引っ張った。


 死体が微かに動いた。一瞬、私の心臓は止まる。


 嗚呼、やばい。足がガクガクしてきたようだ。

 心臓が痛い。汗がひく。なのに手汗が凄くて不快だった。

 だけど、死体はまた動かなくなった。


 嗚呼、なんだ。

 少し落ち着いて考えてみると・・・・動いたと言う事は、このミイラ男は死体ではないと言う事だ。

 私は、ほっと胸を撫でおろす。


 しかし突如、ドアが開く音がして、私の心臓が飛び跳ねた。

 どうやらゾンビのお出ましだ。

 ミイラ取りがミイラになってしまうのは、全くもって笑えない。

 私は、叫びたいのを必死で堪えた。


 考えろ、考えろ。

 クローゼット・・

 ベッドの下・・・

 トイレ・・・・

 それともバスルーム?

 だめだ、いい場所はゾンビからも見える位置。

 この部屋が私の部屋と同じようなつくりなら、トイレにもバスルームにも窓はない。

 隠れられないなら逃げなければ。

 だけど、窓には鉄格子がはまっている。玄関からしか逃げられないのに、その玄関にはゾンビが私をミイラにしようと待っている。


 足音はしない。だけど水の音がする。

 考えてあぐねて辺りをキョロキョロと見渡しているうちに、ゾンビとの距離は近付いていく。

 これが映画かゲームなら、ミイラ男を盾にして、サブマシンガン片手に正面突破するに違いない。

 いや、もっと私の身体能力が高ければ、天井に張り付いてやり過ごせたのかもしれない。

 しかし、どんな時でも頭を上手く使ってやれば、突破口は必ず見つかるものなのだ。


 私は存在し得ない大いなる何かに感謝しながら、ソファーの下の僅かな隙間に潜り込んだ。



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