【シークレットナイト】 推理小説好きな女子大生の一晩限りの冒険談
TERRA
第1話
そこは、壁の薄い部屋だった。
都心からは少し離れている。
駅に行くにも私の足で三十分以上はかかる。直線距離なんて当てにならない。
周りの景色は、川。
川の先には大きな橋。
防波堤、道、道、道、高速道路。
古い家屋やプレハブ小屋。
倉庫に小さな工場。
少し先にコンビニと、ドラッグストアがある。
パチンコ屋と飲食店もあったっけ。
有名チェーンのファーストフードとファミレスもある。
スーパーは結構遠いから使ってない。
レンタルショップは遠いから、大学の近くの方を使ってる。
準工業区域だろうか?多分、ちょっと曖昧。
少し歩けば大きなマンションもあるのに、ここはなんだか都会とは言い難い。
だってマンションの裏手には田んぼがある。
治安だって良くはないだろう。この辺りの夜は暗い。
車やバイクがあれば住みやすいかもしれない。だけど奨学金という名の借金まで抱えている貧乏大学生の私は、基本的に徒歩と自転車移動である。
このマンションは敷金礼金もなく家賃も安い。だからこんなものだろう。
マンションは楠んだ白い二階建てで、階段は剥き出しの鉄骨。
ダークグレーのドアが1、2、3。全部で8つ。
私の部屋は2階の左から2番目。202号室。
1Kの狭い部屋。
壁は真っ白床はアイボリーの、これはフローリング風のクッションマットか何かだったか。
木ではない。フローリング柄の何かに見える。
玄関を開けると左手に白い小さな下駄箱。
上には電話を置けるのだろう。電話線を挿せるのはそこしかない。
だけどそこから伸びたケーブルはスタイリッシュとは言い難いモデムやルーターに繋がっているし、大学生に固定電話は必要ない。
モデムは今もグリーンやオレンジに点滅している。
たまに全部グリーンじゃないのは何故なのだろうと思う。
だけどネットは使えているから問題ないのだろう。だからわざわざ聞いたり調べたりはしない。そこまでモノのしくみに詳しくなりたいとも思わない。
だから今日コンビニで買ってきた、このカルボナーラの中身が何かなんて気にならない。この炭酸飲料がどうやって作られていたって気にしない。
腹が満たされればいいや。それなりに美味しければいいや。賞味期限が切れてても全然平気。
だけど、ちょっと気になるのは隣の201号室の住人。
もうここに1年以上住んでいるけど、あの部屋はなんだか不気味で仕方がない。
だって、見るたびに違う人間が出入りしている。大抵ガラの悪い男。そして娼婦みたいに着飾った女。家出少女みたいなのも居た。
まるでプッシャーや薬中のたまり場。
まるでラブホテルみたいだった。
大抵は誰もいない。静かなものだ。
珍しく人の声がして物音がすると思ったら、喘ぎ声が夜通し聞こえる。
複数の時もある。サマーオブラブの時代は過ぎたというのに。
だけど、203の住人よりはマシかもしれない。
見た目は普通の大学生に見える。うねった黒髪。デニムにTシャツかパーカー。毎朝どこかへ出かけ、毎晩8時頃に帰宅する。
普通のモブだ。あれ以外は。
隣人は、毎晩ヘッドホンをして下手くそな歌を熱唱する。
どうせなら爆音で音楽をかけてくれた方がマシだと思った。
それなら煩くとも、一応はBGMになる。私が騒音とは感じないレベル。
今だって歌っている。
廊下の開いた窓から熱々のカルボナーラを投げつけてやりたいくらいだ。
それに引き換え角部屋は今日は静かで大変よろしい。
私はコンビニ袋を床と同じ色をした安物のパソコンデスクの上に置く。
食事用のテーブルなんて無い。
勉強もレポートも読書もネットも食事も全部ここ。
他にはシングルベッドと本棚代わりのカラーボックスと小さなテレビラックがあるだけだ。
それでも、小さな部屋は圧迫されている。
タンスを置けるスペースが無いから、備え付けの小さなクローゼットの中は今にも雪崩を起こしそうだ。これでも服や持ち物は最小限な筈なのに。
本棚の中には大学の教科書、そして大好きな推理小説が山積みだ。
明日は午前が休講だから、バイトでくたくただが夜更かししようと決めていた。
お菓子は買った。コーヒーも煎れよう。カルボナーラは少し冷めているかもしれない。
勉強なんてしない。バイトに遅れそうだったからDVDを借りる時間は無かった。ネットでダウンロードしてもいいけど、テレビと連動させていないから、パソコンの画面で映画を見る気にはなれない。
だけどまだ手をつけていない小説がある。だからオーケー。
ベッドで毛布を被ってお菓子を食べながら推理大会だ。最高の夜になる。
1章ごとにコーヒーブレイク。うん、最高。
私は廊下に面した窓の下にあるカラーボックスに歩み寄る。
確かここに置いた筈。
先週出たばかりの大好きな作家の新刊。
大学が忙しくて読む暇がなかった。
私は本を手に取り、雨の音をBGMにするのも悪くないと窓を開けた。
もう耳障りな歌は聞こえない。
しかし、窓の鉄格子の先を誰かが通りすぎて行くのが見えた。
せっかく最高の夜だと思ったのに、角部屋の住人達が現れたようだ。
だけど、何かがおかしい。
何だろう。歩き方がゾンビのようだ。
長い金髪。
アッシュがかった褪せた色。
身長は窓より高いかもしれない。だから女ではないと思う。
私は少し移動して、格子の隙間から必死に廊下の先を覗く。
ゾンビは玄関の前に居る。
あれ、血痕。
拳が血塗れ。あは、いい夜だ。
私は灰色の脳細胞をフル回転させる。
長い髪が邪魔で顔は見えない。
だけど男なのは確かだ。
歳は私と同じくらい?
いってたとしても20代半ば。
雨で全身びしょ濡れで、なのに拳の血はとれない。
全身血塗れなのかもしれない。
赤と黒の不気味な男。
そんな小説があった。
軍人と聖職者。
ゾンビがドアノブに手をかける。
ふらふらと中へ消えていく。
勢いよく閉まるドア。
そして人が倒れる音。
推理小説より楽しい事が起きそうだ。
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