異物

第41話

 車内に充満する煙と血の匂いは、僕のペン先を鈍らせる。助手席でスマホを確認する"先生"は、鼻から出る血を放置している上、四本目の煙草に火を点け咥えている。

 ふと、コンコンと、右耳に軽い音が届いた。車窓を叩いたのは、僕達が待ち望んでいた一人の刑事だった。彼は後部座席のドアを開いた。


「お久しぶりです、立花さん」

「おう、元気そうだな、嘉内」


 そう言って、立花さんは僕の後ろから顔を乗り出す。僕はメモ帳の新しいページを開いた。


「韮井さん、大丈夫ですか。何があったんです」


 立花さんの声を聴いた先生が、むくりと振り向く。止まりかかっていた血が、鼻から再び流れ出した。急いで立花さんが布を渡すと、先生は無言でそれを受け取った。灰皿に吸いかけの煙草を押し付け、雑に口元を拭う。先生の白い歯が、外から入る街灯の光を反射させる。


「別に、フィールドワークに怪我は付き物だ」


 けろりと当たり前のように、先生は言った。


「インタビューで顔面殴られて鼻折るなんてのは、当たり前の怪我では無いんですよ、先生」

「知るか。必要経費だ」

「取材料に鼻骨とか提示されたんですか?」


 僕が頭を抱えていると、背後からも乾いた笑いが聞こえた。折れた鼻を何度かコキコキと整えつつ、先生は僕のメモ帳を人差し指で撫でた。それはいつもの、助手をしろ、筆記しておけという合図だった。

 先生の目線の先には、紙束を携えた立花さんの姿があった。


「話の擦り合わせ、ということで良かったな」


 先生の言葉に、立花さんが頷く。僕はペン先を紙面に置いた。


「まずはこちらから聞こう。立花の方はどう見てる。"七竈ハラヤ"のことを」

「……"どう"と言うと、難しいです。が、おかしいとは思います。頭の中身も体そのものも、"現実"から"浮いている"というか」


 妙に抽象的だった。それでも、僕よりは具体的に捉えている。二年以上は付き合っている僕でも、未だ彼のことは輪郭を示せない。先生でも、多分、立花さんの認識に毛が生えた程度しかわかっていないだろう。彼はどこか"人"ではないような、"魔"を感じるような――――異物同士が合わさって、互いに何とか整合性を保っているような、そんな怪物染みた青年――――それが七竈ハラヤという存在だった。


「実際そうなんだろうな」


 先生が言った。


「アレは事実、最初から人間を脱しているのだろうよ。そういう血の中から生まれている。アレの父親の言葉を借りれば、アレは"神"になるための血から生まれている」


 "神"という文字を綴る。僕のペン先が止まると同時に、立花さんは口を開いた。


「アンタ、何を調べたんだ。"神"って何だよ」


 先生は立花さんが一言漏らすその間に、五本目の煙草に火を点けた。一呼吸、煙を肺に入れた。立花さんの問いに、先生は一つ解を落とす。


「この世に神がいないことに気づいた馬鹿共をな、追っていたんだ。七竈はアタリだった」


 新しい煙で車内が満たされる。先生の吐く煙は妙に心地よかった。不明瞭な言葉を続けることに、そのまま許しを与えてしまう程に。


「二百年かそこらくらい前にな、一人の女が気付いたんだよ。この世には神も仏もいやしないと。だから女は自分で神になったんだ。親を殺し、他人の子を殺し、聖人を殺し、それら全てを食らって滋養をつけては、兄弟と交じり、産んだ我が子と交じり……禁忌に禁忌を塗り重ね、ついに神になった。千に上る我が子を置いて、一人だけ、神という名の"人の形をした人に理解出来ぬ者"になったのさ」


 童話を読み聞かせるような口調で、先生は語る。その内容は、どこか聞き覚えがある。だが既知のものとは異なる部分も多かった。

 僕が思案しているうちに、先生は続けた。


「置いてけぼりの子供らは母を追って神になろうとした。それはそのうち、を信仰する集団となっていった。それが"夜咲"という血族だ」


 先生は言葉を終えると、一枚の写真を取り出した。写真には、可愛らしい少女が映っていた。少女は左前に白い着物を着て、にっこりと微笑んでいる。それは正しく"母"の容貌だった。

 立花さんはその写真を受け取る。すると先生はまた煙を吸い込んだ。


「本名を夜咲水恋スイレンという。七竈の実母だ。七竈が十二の時に頭を包丁でかち割られて死んだ」


 知っているだろ、と先生は立花さんの目を見る。困惑を見せていた表情が、一転して確信的に変わった。


「七竈は母親を殺していますよね」


 彼は持ち込んだ紙束を見つめる。


「九年前は実母、七年前は同級生四人、六年前には担任の女教師、五年前に男子小学生、三年前はアパートの隣人、そして、新原――――全部、七竈ハラヤによる殺人だ」


 全部、調べたのだろう。過去の全てを、その職務の権限を以って。


「だが公的にはそうじゃない」


 先生は呟いて、また肺に煙をためた。


「全て事故か自殺。好くて別の犯人が捕まっているか、未解決だ」

「どの事件も七竈は捜査中に名前が挙がっています。でも最終的には外されている。とても不自然に、まるで認識を操っているように」


 立花さんの答え合わせをしているうちに、先生の口から灰が零れた。指をトントンと叩くのは、先生が思案する時のクセだった。


「七竈にそんな能力は無い。それが通用するならもっと殺しているし、名前が挙がりもしない」


 煙草の火が消える。ジュ、という音共に、先生は切り出した。


「もう一人ある筈だ。同じ名前が何度も出て来る奴が」


 その一人は、僕にも見当がついていた。七竈と常にいる青年。ただ、その一人を思い浮かべる。

 立花さんの口が緩んだ。


「はい、います。もう一人」


 答えを合わせる。口を合わせる。先生と立花さんの横顔は、何処か根本が似ているように見えた。


「小清水が何かしら関わっている。アイツが怪異の影響を受けないのも多分偶然じゃない」


 先生が解答に爪をかける。


 ――――だが、立花さんは酷く訝し気に僕達を見ていた。彼は困惑の表情に立ち戻って、重々しく口を開く。


「小清水なんて名前、無いんですよ。もう一人の名前は――――■■■■」


 その言葉の最後は、何かに乱されるように、ぐちゃぐちゃだった。

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