第22話  本当にくだらない奴 ベト 

――屋敷の地下室の物置。

 カーネルの配下の者たちに連れて来られたベトは真っ暗な地下一階の小さな物置部屋に押し込められてしまう。

 既に死んでいるとはいえ、薄暗い冷たい石の個室に鉄の鎖で繋がれていることは、潜在的でかつ、抗い難い恐怖をベトに抱かせていた。

『ベトは強い子……』

 何度も己を振るい立たせようとするが、既に肉体を失い透けて先がないはずの膝がカタカタと震えている錯覚に陥る。

『ベトは……』

 歯を食いしばって暗闇の恐怖に耐える。耐えねばならない。ベトには守らねばならない双子の妹がいるんだから! 大好きな母と父に妹のディンを守るよう頼まれたんだから! 絶対に泣き顔だけは見せてはらない。そう、心に誓っていたはずなのに、つま先立ちして崖の先に立っているような強烈な不安により、涙が滲んでくる。

 ――ドクンッ!

 突然、グニャリと個室全体が大きく歪む。それらは壁が悲鳴を上げているようにのたうつと、真っ赤に染まって幾多もの管が浮き出てくる。

『ひっ!?』

 たちまち個室が生物の臓物を想起させる光景に変貌してしまい、あがりそうになった悲鳴を呑み込む。経験則上、ここで恐怖により大声を上げれば、この屋敷に住まうアイツを呼び寄せる。そう。父と母を失ったあの時のように。

 まだベトが人間だったとき、父と母はこの屋敷を曰く付きの物件として格安で購入する。家族で引っ越してきて数日後に、この屋敷の呪いの王は牙をむいた。呪いの王は他者の恐怖を糧とする。奴はこの屋敷に閉じ込めるとまるでベトたちを弄ぶかのようにジワジワと恐怖を与え、精神を摩耗させていった。

(もう絶対に、泣かないの!)

 あのとき、母は決して声を上げるなと言ったのにベトは恐怖で声を上げて泣いてしまった。母に抱きしめられていたのにだ。結果、奴に隠れていた場所を知られて母は呪い殺されてしまう。あのとき、誓ったのだ。もう、何があっても絶対に泣かないと。

(ベトは―)

 なけなしの勇気を振り絞ろうとしたとき、赤色の壁が盛り上がり、人型の何かが這い出てくる。それは、四つん這いになった状態で不自然に顔が湾曲している怪物だった。

『クケクケケケケェェッ! あまーーーい、恐怖のにおいがする‼』

 生理的嫌悪を刺激する擬音を顔が湾曲した怪物が叫ぶ。必死に口から飛び出る絶叫を堪える。

 怪物は四つん這いになって部屋を回って周囲を窺う。怪物の捻じれた両眼は糸のようなもので縫い合わされており、異様に大きな鼻をクンクンとさせていた。

 きっと、この怪物は目が見えない。鼻でベトたちの位置を探っているんだろう。そして、恐怖の匂いとも言っていた。あの時と同じだ。呪いの王は恐怖を養分とする。鼻でベトの恐怖を識別しているのだろう。

(ベトは強い子! ベトは強い子! ベトは強い子!)

 何度も最後に母が言い残した台詞を心の中で繰り返す。ベトが弱かったから、母と父、ディンもあのとき命を落とした。ベトは強くならなければならないだ。

『味わい深い恐怖はどこだぁぁーーーーーー?』

 間延びした声を上げつつベトが座らせられている小さな椅子の周りの石床を這いまわる。

(ベトは――強い子!)

 必死だった。瞼を固く閉じて懸命に呪文のように母の最期の言葉を繰り返す。

『ベト……』

 微かに声が聞こえる。それはとても懐かしい声であり、今ベトが最も会いたい人。

 聞き違いだろうか? いや、この声は忘れるはずがない! これは大好きな母のもの!

『おかあ……さん?』

閉じていた瞼を開ける。そこにあったのは、白目となり恐怖で引き攣った母の顔。その母の頭部が身体が捻じれている怪物の口の中から生えていた。

『ベトぇぇぇ、早く逃げるのよぉぉぉーーー』

 血の涙を出して金切り声を上げる母に、

『母はこう言っているが、どうする? どうするぅ?』

 鼻の先で器用に唄いながら、ベトに問いかける顔が捻じれた怪物。

『お母さんっ‼』

 必死に母の名を呼ぶベトに顔が捻じれた怪物はニターと笑い、

『はーーい。さようーーーならぁぁ!』

 弾むような声色で叫ぶ。途端、怪物の喉の奥から捻じれた爬虫類のような怪物が大口を開けて母の顔飲み込んでしまう。咀嚼の音ともに母の断末魔の声が響き渡る。

『お母さんっ! お母さんっ! お母さんっ!』

 何度も母の安否を確かめるべく必死に呼びかけるが、

『残念――――、死んじゃいましたぁぁ♬』

 顔の捻じれた怪物はベトに醜悪な笑みを向けながら、舌なめずりをしてゲップをするとケタケタと笑う。

 ――プツン。

そのときベトの何かが切れる音がした。

『許さない……』

今まであった脱力感さえ覚えた恐怖が別の強烈で抑えがたい感情に置き換わっていく。

『ベトは、許さない』

 馬鹿馬鹿しい! なぜ、こんな外道に怯えなければならないのだろうか? 母と父をベトたち姉妹から奪った真正のクズに! こんな奴にその価値はない!

『ベトは――お前を絶対に許さないっ!』

 激高して奴の顔に唾を吐き、睨みつける。これが今のベトにできる精一杯の抵抗。でもいいんだ。たとえ、死んでもこいつの望む反応をすることだけは御免だから。

 しばし怪物は呆気に取られたように、ポカーンとしていたが、

『き、貴様ぁ、我らの苗床の分際でぇこのネジレ様に唾を吐きかけやがったなぁッ! 貴様には親子共々永劫の苦しみを味会わせてやるッ!』

ルチール様に読んでいただいた物語の中の三下の悪役が吐くような台詞を宣い、ベトに鋭い爪を持つ右手を振り上げる。

『本当にくだらない奴……』

ベトのような子供の煽り程度で激怒するような奴に今の今まで怯えていたんだろう? ベトはとっくの昔に死んでいる。今更痛みなどに恐怖するだけ無駄というもなのだ。それよりも――。

『お前のような屑はいつかきっと、誰かに倒される。その時、泣くのはお前の方だっ!』

 他力本願の台詞を吐く。それが勇者か、英雄なのかはわからない。でも、きっとこいつらは倒される。それがこいつらの末路!

『くそ餓鬼がぁぁぁーー!』

 振り下ろされる奴の右手。妙にゆっくりの軌道を瞬き一つせずに見上げていると、その手はまさにベトの目と鼻の先で停止する。

 そこには頭から角の生えた細身のお兄さんがまさに悪鬼の表情でネジレの右手首を握っていたのだった。



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