第133話 意外な心当たり


 ――マユラ悪宮殿

 そこは紫一色の石造りの建物。その壁や床、天井に描かれた波紋のような染みはまるで生き物のようにその態様を変えている。その建物の最奥の絢爛豪華の玉座で六大将のアンラ・マンユは、ソウルチップスを啄んでいた。これはアンラが能力で今まで戦争や反乱で勝利した敵の魂を凝集し、菓子に変質させたもの。これらを喰らうことでアンラはその魂の保有者の膂力、能力、その他一切を奪うことができる。そんな反則に等しい超常の能力。

 突然大扉が勢いよく開かれて、血相変えた兵士が転がり込んできた。


『た、た、大変ですっ!』

『騒がしいッ! アンラ閣下は今お食事中じゃぞッ!』


 紫色のローブに身を包み、巨大な脳のような頭部を有するアンラの側近の一柱ひとり、悪神マナーフが叱責の声を上げるが、兵士はアンラだけを見据えたたまこのマユラ悪宮殿の大門の方角を指さしながら、


『敵襲ですっーー!』


 そんなあり得ぬ妄言を吐く。


『このマユラ悪宮殿に敵襲? 面白い冗談だな』


 全身黒色でできた細身の悪神、サウルがその複数ある目でその兵士を睨みながら、不快そうな声を上げる。


『ほ、本当なんですっ! 敵は――敵は――』

 

 通常なら失禁してもおかしくはないサウルの威圧にも一切動じもせず、涙を流しながら必死に敵の情報を口にしようとする。


『早く言いなさいッ!』


 苛立ち気味に幾つもの顔と複数の手から成る怪物、ザルッチがヒステリックな声を張り上げる。


『て、敵、敵、敵、ててててててきききき――』


 兵士は何度も喉を押さえて叫ぼうとして、突如白目をむく。そして、不自然に長い舌をチロリと出して両腕を上げると、


『ベルゼバブデブー♪ ベルゼバブデブー♪ ブーブー、ブーブー、バブバブ♬』


 奇妙な言葉を叫び、軟体動物のような気色悪いダンスを開始する。


『ベルゼバブデブー♪ ベルゼバブデブー♪ ブブデバブデブー♩ ウジウジしていて、とっても臭い蠅の中の蠅、キングオブ蠅♬ それがバブぅ♫』


 ――グチャッ! グシュッ! グシャ!


 そのダンスはまさに死の舞踊。顔がグニャグニャにねじ曲がり、両腕が明後日方向へ曲がって、潰れて肉を引き裂き、骨を砕く。ゆっくりと兵士は蠅のような怪物へと変貌していく。


『バブよりも恐ろしく~♪ バブよりも残酷で~♬ バブよりもつおーーーい、それこそが我らが偉大なる御方! この世で最も悪く邪な我らが君を不快にさせたお馬鹿ちゃまへのお言葉を告げるでちゅ♩』


 蠅となった兵士はそう叫ぶと突如踊りを止めると、のけ反り気味に左腕をアンラたちに向けると、


『今からお前らを殺しに行く。ここにかなり強い奴がいると聞いて、らしくなく宣戦布告のようなものをしてみることにしたのだ』


 蠅男となった兵士の口からでたのは全く別の少年の声。その弾むような声の内容は、この世の絶対者の一角であるアンラとその配下の悪神に対するものとは到底思えぬ傲岸不遜なものだった。


『この不快なクズを排除なさいっ!』


 ザルッチの命により、マユ悪宮殿の壁に控えていた精鋭たち指示を飛ばす。


『『『ハッ!』』』


 精鋭たちは蠅となった兵士を包囲し、各々の武器を向ける。


『今は御方ちゃまの御言葉中でちゅ!』


 蠅となった兵士は先ほどの少年の声とは一転、ぞっとするような耳障りの声色で叫び、口から無数の触手を高速で伸ばす。


『かへ?』

『ぎっ!』

『げぇ!』


 触手に全身に貫かれて、取り囲んでいる精鋭の全ては無残な亡骸と化す。


『なッ⁉』

『ちっ!』

『なんなのよ、もうっ!』


 ザルッチ、マナーフ、サウルは飛びぬいて蠅だった兵士から距離をとる。

 そして、蠅だったものは再度のけ反り気味に右腕をアンラたちに向けて、少年の言葉で話始める。


『これは私にとって久方ぶりの命を賭した戦だ。そこの強いだれかさん。努々逃げるなどという野暮な真似はしないことだ。私はお前らを一匹たりとも生かしてこの世界から帰すつもりはない。だから、お前の生き残るすべは私を闘争で殺すことしかない』


 蠅となった兵士は両腕を天へと掲げて、


『さあ、闘争をしよう! 血液が沸騰するような魂と誇りと意地をかけた潰し合いを!』


 そう宣言し、脱力した途端、蠅だった兵士は急速に膨張して破裂して粉々に吹き飛んでしまう。そしてその体内から出てくる無数の蠅。それらは空中を飛び回る。


『ぐぎっ!』


 小蠅どもは部屋にいた精鋭たちの幾柱いくにんかの体内へと入り、グシャグシャと肉体を改変し始める。


『こ、こいつはマジでヤバイぞっ!』


 サウルが叫んだとき、


 ――バクンッ!


 アンラの右腕から生じた口がその変質している精鋭ごと喰らい、咀嚼する。


『アンラ様、御手を煩わせてもうしわけございませぬ』


 悪神マナーフが跪き、頭を深く下げる。


『まさか、あいつか? いや、そんな馬鹿な……』


 アンラはマナーフを一瞥すらせずブツブツと何やら呟きながら、元に戻った両腕を組んで考え込んでしまう。その初めて見る主のあまりに鬼気迫る様子に他の三体の側近たちは、困惑気味に顔を見合わせる。

 しばらくして、アンラは眼球だけを部屋の隅へと向けると、


『アスラと至急連絡をとれ! どうにも途轍もなく嫌な予感がするっ!』


 そこに佇む配下の一柱に有無を言わせぬ指示を飛ばす。


『はっ! 直ちにッ!』


 配下の一柱が怪物を象った石に右手をあてて通信を試みるが、眉根を顰める。


『早くしろよ!』


 イライラと床を踏んで声を荒げるアンラに交信を試みていた配下は立ち上がり、姿勢を正して、


『それが外部との一切の交信が遮断されております』


 そう報告する。


『くそがっ! 間違いない! 僕らにこんなふざけた真似をできる奴らなど限られている。おそらく、あいつ・・・の封印が解かれたんだッ!』


 怒号を上げるが途端に何か思いついて、顎に右手を当てて、


『しかし、それにしてはあいつの言動、おかしかったな。あれじゃあ、まるで下僕だ。間違ってもあのプライドの塊のようないあいつがあんな態度をとるはずもない。だったら、これはどういうことだ!?』


 遂に頭を抱えて唸り出してしまう。


『他人の空似か、それとも――馬鹿馬鹿しい! それはありえない! どのみち、僕らから交信を遮断するだけの力はある。ならば――』


 アンラは首を左右に振ると立ち上がって、


『この場にいない六大魔神を討伐に向かわせろ』


 配下に指示を飛ばす。


『承りました』


 悪神マナーフが首を深く垂れて額に右の人差し指を当てて何やら指示を出す。


『これで多少の損害は与えられるはず。あとは、ここでいつも通り処理するだけ。それで万事うまくいくはずだ』


 アンラは再度椅子に蹲ると、指の爪をカリカリと嚙み始めた。



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