第87話 北西部の探索(4)――理不尽な現実

 まだ日が昇る前に僕らは北西端の沼地に向かって歩き出す。

 奴らの襲撃まであと、二日。もはや一刻の猶予もない。最低でも後一日で到着しなければならない。もっとペースを上げたいところだけど……。

 チャト達はこのペースが限界だ。やっぱり、最強の存在は僕だけで探したほうがよかったかも。意外なのはラミ。皆へばっているのに、彼女だけは汗一つなく僕のペースについてきている。

 ともかく、皆も限界だ。そろそろ小休憩すべきか。


 大木にもたれかかって身体を休めていると、


「だがよ、本当にその沼地に件の最強の存在がいるのかよ?」


 ブーが、今一番の僕が危惧していることを尋ねてくる。

 

「ああ、多分ね」

「多分って、あんたら、そんな朧気な状態で捜索しているの?」


 呆れたように当然の感想を述べるラミに苦笑しながら、


「でも、僕はいると信じている」


 僕は今、彼は北西部端にいると考えている。皆にはまだ、探索がまだだったからこの場にいる可能性が高いと説得しているが、実際のところは違う。

 彼はあの夢の中で『ゲーム』という言葉を頻繁に使っていた。普通に考えれば、僕とアルデバランたちの真剣勝負を意味する。彼がプレイヤーではなくゲームの傍観者である以上、確かに、彼がゲーム版内にいる可能性は普通に考えれば高くない。だが、相手はあの超常の存在だ。特殊な空間や結界を這ってゲーム内で観戦していることも考えられるのだ。だからこの僕の主張はある意味矛盾している。

 ならなぜ、北西部に絞って今も僕は迷わず向かっているのかというと、正直、僕にもよくわからない。ただ、彼はノースグランドの北西端にいる。そう僕の感覚が強く主張している。これはあの予知夢以降、常に強く感じていたこと。

 ひどく矛盾しているがこのまま北西端に到達すれば、彼に会うことができると僕は確信していた。


「あんたら、よくこんな頭お花畑の奴についていくわね? 第一、あんたらは魔物で、こいつは人間でしょ?」

 

 ラミの指摘に、


「それを言われると滅茶苦茶イテェよな」


 チャトが罰がわるそうに頭を掻くと、


「そうねぇ、少し前までの私なら猛反対していたわ」


 ターマも相槌を打つ。


「ま、ギルの言うことだしな。それなりの根拠があるんだろうさ」

「そうだな。今までもなんとか状況は好転してきたわけだし」


 ラミは皆を奇妙な生き物でも見るかのような視線で眺めていたが、


「あんたら、マジでイカレテるわ」


 そう心の底からと思える言葉を絞り出だした。


 休憩が終わって再び進行を開始する。



「ここはもう完全に奴らの領域、慎重にね」


 小さく皆に注意喚起を促すと、意を決したような面持ちで大きく頷いてくる。

 ただ一柱ひとり、ラミだけが大きな欠伸をしていた。その緊張感のない姿に小さなため息を吐きながら、数歩進んだとき、突然、水の中に浸水したかのような独特な違和感を覚える。

 この胃が捻じり上げられたかのようにキリキリ痛みに、耐え難い陰鬱とした圧迫感。これはきっと、結界だ。それも早々悪質な部類の。

 他の皆を振り返るが、


「どうした、ギル?」


チャトが眉を顰めて尋ねてくる。対して――。


「これ、マズイわよ!」


先ほどまでの余裕の表情とは一転、彼女の顔は、極度の緊張で強張り蒼ざめていた。


「わかっている。どうやら、魔王軍の結界に捕まった!」

「違うっ! これは魔王軍なんかじゃない!」

 

 ラミが裏返った声を張り上げる。


『ざーんねん、むねんねーん。ここら一体はアチキの腹の中なのーーん』


ラミの視線の先には軍服に軍帽を被った一匹の真っ赤なタイ頭の女が、両腕をくねらせ、蟹股で胴体をこれほどかというほど捻りながら、こちらを眺めていた。

 あれはあの夢の最後で見た悪夢の光景の中に出てきた――。


「ウロコーヌぅッ!」


 最悪のタイミングでの遭遇。もっと恐怖が沸き上がるかと思っていた。だが、なぜだろう。僕の口から出たのはとびっきりの怨嗟の声。


『あらーん、アチキの名を知ってるなんて中々殊勝なお猿さんねぇ』


 ウロコーヌはその気色悪いポーズのまま、露出した魚類の眼球をグルリと動かして、僕らを観察する。

 たったそれだけで、チャトも、ターマもあの普段物怖じしないブーですらも、指一つ動けずカタカタと身体を小刻みに震わせる。


「ウロコーヌ!?  フォルネウス指揮下の悪軍中佐じゃないっ! 無理! 絶対に無理ぃ!

 あれから逃げられるはず――」

『あんたー、少し、五月蠅いわん』


 血走った両眼でまくし立てるラミは、突如眼前に現れたウロコーヌにより平手打ちにされる。

 凄まじい速度で一直線にラミは木々をなぎ倒しながら、薄暗い森の中へ吹き飛んで消えていく。

 

『あらーん、あんな手加減ビンタ一発で寝落ちって相変わらず羽虫って脆いのねーん』


 紫色の液体に運ばれてくるラミの首をウロコーヌは右手で鷲掴みにする。ラミの左頬はパンパンに腫れあがり、白目をむき、全身がピクピクと痙攣している。どう甘く見積もっても瀕死だった。

 これ以上好きにさせてはダメだ! 全力でやらなければあれからは逃れられず、僕らはあっさり全滅する。

 瞬時に最強の存在を模倣し、腰のフレイムを抜き放ち奴の脳天へと渾身の力で振り下ろす。

 フレイムは豪炎を巻き起こすが、奴の薄皮一枚を軽く焦がして粉々に砕け散る。

 ウロコーヌはラミを地面に放り投げると両手でペタペタと焦げた頭に触れる。そして、魚の顔に生じるいくつもの太い血管。


『地を這う蛆虫ごときがぁっ!』


 奴が激高したとき僕の視界は真っ赤に染まる。身体は俯せに地面に横たわり、全身にバラバラになるような痛みが走る。

辛うじて動く顔を上げると、粉々の肉片となったみんなの姿。


「う、嘘だ……」


 たった一吠えで僕らが全滅してしまう。こんな理不尽、あり得ない! あっちゃならない!


『運が悪かったのねぇーん。あんたはその虫どものようにすぐには殺さないわぁーん』


 その言葉を契機に僕にとって長い、長い地獄のような時間が始まった。


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