第77話 私が楽にしてやる
重い瞼を開けると、そこは真っ赤な床が広がっていた。
頭がひどく重く途轍もない苦痛や嘔吐感、寒気など様々な不快な感覚が幾度となく体中をめぐり、上手く思考を働かせることができない。
絶えず攻め立てる不快感に顔を顰めながら、唯一動かせる顎を引き、
『ひっ!?』
思わず悲鳴を上げてしまう。当然だろう。僕の下半身はドロドロの肉の柱に埋まってしまっていたのだから。
『目が覚めたでありまーすかぁ?』
頭部が魚類の怪物が僕の目の前に立つと、右手の持つステッキの先で僕の喉を持ち上げてくる。
『お、おばえ……は?』
呂律が回らない掠れた声で何とかその疑問の言葉を絞り出す。
魚が頭部の怪物は一歩離れると胸に右手を当てて、恭しく一礼し、
『ボンジュール、土地神モドキッ!
芝居がかったクネクネとした動きで自己紹介をしてくる。
背後の扉の前でフォルネウスに首を垂れて跪いていたアルデバランが立ち上がると、近づき、片膝を付く。そして、のけ反ったフォルネウスの背後で巨大な傘のようなものを指す。
そのフォルネウスの両脇にいた髭を生やしたフグ頭の男と真っ赤なタイ頭の女が奇天烈な決めポーズを決めて、
『アチキが、ウロコーヌっ! 覚えておくのねん!』
『ワシが、フグオじゃいっ! 覚えて置きやがれっ!』
声を張り上げる。
『ぎしき!? みんだ、はどうしだっ⁉」
『皆でありまーすか? あーあ、チミとその天使の彼女と、そして、そのとびっきりの掘り出し物以外、まったく使いものになりませんでしたでありまーす』
歌うようにステッキを向けた先。そこに視線を向けたとき、
『ジャルッ‼?』
僕は絶叫を上げていた。そこには、中央の肉の柱に首から上だけとなったシャルがいた。
シャルの両眼からは血が出ており、顔の色も土気色で既に、こと切れているのは誰がみても明らかだった。
『特にその掘り出し物は十分な役目を全うしてくれましたのでありまーーす。何せ、たった一匹で残りの二大将の御二方の現界も成功したのでありまーーす。そしてぇー』
興奮でもしているのだろう。顔を上気させ、早口でまくし立てる。だが、僕にとってもはやそんなフォルネウスの言葉など雑音に等しかった。
『じゃる! じゃる!』
あれで生きているはずがない。無駄だとはわかっている。それでも僕は声をかけないでいられなかったんだ。
『チミたち二匹を贄にして最後の大将を現界するのでありまーーす』
フォルネウスがステッキを天に掲げて詠唱のようなものを唱えたとき、
『ぐががぁぁぁぁぁッー――‼?』
神経に杭を打ちつけらえたような痛みが走り、視界は次第に真っ赤に染まる。真っ赤に染まっていく。
痛み、苦しみ、憎しみ、嫉妬、悲しみ、あらゆる負の感覚が身体中を暴れる。そして次第に溶けていく僕の身体。
(シャル! シャル! なぜだ!? なぜこんなむごいことができるッ⁉ シャルが何をしたっていうんだっ!)
既に口は溶解し、視界が真っ赤に染まる中で、僕はその当然の疑問を心の中で、全力で叫んでいた。何度も何度も叫んでいた。
――それはお前自身がよく知っていることじゃないのか?
僕の前に立つのは8歳くらいのおかっぱ頭の金髪の尊大な態度の少年が、さも呆れたような顔で僕の疑問に返答する。その少年の偏屈そうな姿になぜかこの時僕は奇妙な懐かしさと強烈な拒絶感を覚えていたんだ。
(僕が知っている!? んなわけがあるかっ!?)
――知っているさ。確かに切っ掛けは
(どういうことだよッ⁉ 僕にはお前が何を言いたいのかさっぱりだッ!)
やはり、僕はこの少年が嫌いだ。それがこのわずかな時間でわかってしまった。
――どのみち、もうじき、条件の有無に関わらず、
(だから、意味がわからないと――)
――最後に老婆心ながら教えてやる。お前が過去と真の意味で向き合ったとき、お前のこの悪夢の旅は終わる。
(悪夢の旅⁉)
――そうだ。今から始まるのはお前にとって辛くも、苦しい夢の旅。僕も卑怯で臆病なお前が無事人間になれることを心から願っているよ。ほら、そろそろお出でになられた。
その言葉を最後に、おかっぱ頭の少年は丁度扉に向けて跪き、恭しく
扉がゆっくりと開き、刀身が異様に長い異国の剣を右手に持った少年が姿を現す。
(――ッ⁉)
それは、僕がいつもこの世で最強と信じて疑わない名も知らぬ誰かさんだったんだ。
その黒髪の少年は凄まじい怒りが眉の辺りに這い、フォルネウスを睥睨していた。
『ネズミがこの場まで侵入したのですありまーすか? 中々見事な隠匿の技でありまーす』
尊大に口上を述べるフォルネウスに黒髪の少年は、
「侵入? 隠匿? 違うな。堂々と正面から入って殺し尽くしてここまできた」
そう吐き捨てるように言い放つ。
フォルネウスは初めて顔を不快そうに顰めて、
『アルデバラン、この虚言癖のゴミを排除するでありまーーす』
「はいですねぇ」
アルデバランが立ち上がると、顔を鰐のようなものへと変えると突進していき、岩のような右拳を振り下ろす。しかし、黒髪の少年に放たれたはずのアルデバランの丸太のような右腕は明後日の方向に折れ曲がっていた。
『んむ?』
頓狂な声を上げるアルデバランに、黒髪の少年は舌打ちをすると、無造作に蹴り上げる。
アルデバランは臓物をまき散らせながら、壁まで一直線で吹き飛び衝突。その振動で建物が大きく揺れ動き、真っ赤な血肉がまるで花びらのように舞い落ちる。
『役立たずがっ! フォルネウス様、このワシがやるきに!』
『いや、アチキが――』
それが二匹の発した最後の言葉となった。ウロコーヌとフグオの全身は粉々の細かな肉片となって四方八方に弾け飛んでしまう。
『んなッ⁉』
フォルネウスは驚愕に目を見開き、背後に飛び退いて右手に持つステッキの先を黒髪の少年に向けようとするが、少年の姿はフォルネウスの背後にあった。
「私はな、お前たち雑魚の大言壮語にはもううんざりなのだ」
黒髪の少年はフォルネウスにゆっくりと近づくとその耳元で静かに囁く。
『お、お、お前は?』
クルクルと魚の両眼をさ迷わせるフォルネウスの前に黒髪の少年は、左手に持っていた物体を奴の足元に放り投げると、
「そいつらもお前同様、大層な大言を喚き散らしてはいたが、不愉快なほど手応えがなかったぞ?」
フォルネウスは床に投げ出された三面の鬼の頭部にカッと目を見開き釘付けとなると、カタカタと全身を震わせる。その顔は驚愕に引きつり、滝のような汗が流れ出しながら、
『アスラ様ぁッ!』
そう絶叫する。
「まあ、これが真剣勝負のゲームで、お前たちが勝利した以上、キャット・ニャーも、ここの惨状もある意味、当然の結果。それはわかっているつもりだった。だが……なぜだろうな。それが私はひたすら許せなく感じている」
黒髪の少年に異国の剣の剣先を向けられただけで、
『うひぃっ‼』
フォルネウスは悲鳴を上げて後退る。
「そうだな。正直に言おう。お前らのような取るに足らぬ雑魚どもに好き勝手放題されて、今、私は心の底から憤っている」
黒髪の少年の声とともに、その右手に持つ異国の剣の刀身から闇色のオーラが漏れ出ると部屋中を覆いつくす。
『うぎぃぃぃっ!』
もはや、戦意すら失い逃げようとするフォルネウスの四肢を両断し、黒髪の少年は奴の頭を鷲掴みにする。
『ゆるじで……くだざい……』
フォルネウスの懇願の言葉を、
「言ったろ。私は怒っていると。故に、お前にまっとうな死が与えられることはない」
黒髪の少年は即座に拒絶し、肩越しに振り返ると、
「おい、ベルゼぇっ! この身の程知らずに、この世の地獄を見せてやれ! 自重など一切なく徹底的にだっ! お前が飽きたら、私が直々に魂を粉々に破壊してやる!」
『御意でちゅう』
突如出現した蠅顔の怪物が跪きおしゃぶりを装着した口をきしゃきしゃと忙しなく動かす。
『べ、べ、べ、ベルゼバブぅぅぅー――‼』
フォルネウスが顔を強い絶望一色に染めて絶叫したとき、黒色の霧で包まれ奴の姿は跡形もなく消えてなくなってしまった。
黒髪の少年はゆっくりと僕の傍までくると、
「悪いが、そうなってしまった
『……』
どうせ、シャルや皆がいないこの世に未練などない。別にそれは構わない。
少年はそんな僕を見て初めて顔を苦渋に歪め、
「私は今のお前ならこのゲームに勝利できると思っていた。これはお前の力を過信しすぎた私の落ち度でもある。だから――」
黒髪の少年は右手に持つ長剣を振り上げて、
「私が楽にしてやる」
その言葉とともに、ゆっくりと振り下ろした。
ギルバート・ロト・アメリアの肉体の死を確認。【
――――――成功!
ギルバート・ロト・アメリアの魂を現時点から過去の一定期間内にランダムで回帰いたします。
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