第36話 最初の信頼獲得

 重い瞼を開けると、まだ幼さが抜けぬ赤髪の少女が心配そうに僕を覗き込んでいた。

 人と変わらぬ可愛らしい容姿に頬から延びる数本のヒゲ。この少女はよく知っている。そうだ。僕らしくなく命を懸けてでも助けたかった少女。


「シャル、おはよ」


 目もくらむような安堵感が身内に広がり、笑顔で挨拶をすると、


「よかった。起きたよぉ」


 シャルは僕に抱き着いてその胸に顔を埋めると動かなくなってしまった。どうやら相当心配させてしまったようだ。

 シャルの後頭部を撫でようと右手を挙げようとするが、


「いずっ!?」


 バキバキと右腕の骨が軋み筋肉が悲鳴を上げる。左腕、両足ともに同じ。指先一本動かせないようだ。


「僕、どうなったの?」

「ギル、三日三晩眠ってたの」


 シャルは右腕の袖で涙を拭うと即答する。


「そうか……」


 いくつかわからないことも多いが、とりあえずシャルが戻ってきた以上、一難は去ったと思って良いだろう。少なくともあの盗賊の襲撃を仕組んだ黒幕はこの件からは手を引いた。そう考えていいはずだ。もっとも、今後も相手はそもそも正体どころかその目的すらも不明なのだ。今後も似たような事態は繰り返される恐れはある。それでも――一つの危機は乗り切ったのは違いない。

 それにしても――。


「僕って地下牢にいないけどいいのかい?」


 変に僕の治療に拘ってシャルの立場が悪くなるのは避けたい。僕自身ですら、自分が完全には信用できちゃいないんだし。


「心配いらん。全員一致でギル、お前をこの里の住民として迎え入れることが決まった。今後は自由に出入りしてよい」


 声が漏れていたのだろう。部屋の扉が勢いよく開き、左頬に傷のある赤髪に猫顔の男キージが桶のようなものを抱えて入ってくるとそんな意外極まりないことを口にする。


「へ? どいうこと?」

「だから、お前は正式に我らシープキャットの同胞となった」

「僕を仲間とみなす……ってこと?」

「ああ、そうだ」

「いいのかい? 僕は人間だよ?」


 少し前まで人族の僕を殺そうとするほど僕を激烈に警戒していたのに、なぜこんなにあっさり仲間と認めてくれたんだ?


「人かどうかは関係ない……わけではないが、お前を警戒しても無意味と皆悟ったんだろうさ」

「無意味、どうしてさ?」


 キージは僕の問に呆れたように肩を竦めると、


「あんなふざけたことをできる奴が敵となったら、どのみち、俺たちは一瞬で滅ぶ。警戒するだけ無駄ってやつだろうさ」

「いやだから、あれは多分あの杭の効果で――」

「確かめたが、杭にそんな効果はないよ。あの戦闘はお前の純然たる力によるものだ」

「杭にそんな効果がない……か」


 確かに僕の動きに違和感はまるでなかった。そんなに極端に能力が向上しても動体視力、何よりも感性がすぐに向上するわけがない。あのとき僕はあれが普段本来の動きと認識していた。まあ、その分、全身はこのようにバキバキで身動き一つできないわけであるが。


「ともかくだ。今回俺たちはこの里の致命的な危機を認識した」

「結界頼みではダメってことだね?」

「ああ、此度はお前がいたから乗り切れたが、今回のようにシャルが攫われる事態になれば、里は間違いなく終わりだ」


 そう。シャルの結界に頼りきっていることこそが、この里の致命的ともいえる欠点。何せ今回の相手はその結界内のシャルを攫うほど相手だ。他の防衛の手段を考えなければ、あとはない。

それはそうと――。


「シャル、君は攫われたときの記憶はあるの?」


 まあ、聞くまでもないだろうけど。


「ううん……全く覚えていない。気が付いたら家のベッドで寝ていたの」


 やはりな。完全に黒幕の思いのままに事態は動いたってわけか。

 きっと、黒幕にはシャルに危害を加える意図はなかったんだと思う。あくまでこの里を試していた? いやそれも違うか。黒幕は賊の襲撃までに間を与えてこちらに対策を立てる猶予を与えた。あれがなければ、そもそも最初の賊の襲撃でこの里は終わっていた。

 もしかしたら、本当に遊んでいるだけなのかもな。この里ケット・ニャーという場所を使っての遊戯。だとすると、今後もまだある可能性が高い。それはキージなら薄々感じてはいるはず。


「里の防衛力を増強しなければならない。そういうわけかい?」

「ああ、その通りだ。ここは俺たちの里だ。俺たちの手で守らねばならない。それでだな……」

「わかってる。どのみちも行く当てもないし、微力ながら協力させてもらうよ」


 口籠るキージに僕はさっきから筋肉痛を訴えている右手を挙げて了承の言葉を吐くと、


「ギル、ありがとうっ!」


 シャルが僕に力一杯抱き着き、僕は口から言葉にならない悲鳴を上げたのだった。



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