第31話 正体不明竜現界


 杭でめった刺しになったデボアへの総攻撃が続き、先ほどタイタンの巨大な滅びの剣が奴の頭部を切断し、デボアは絶命した。


「勝った……のか?」


 アキナシ領の領主、オリバー・アキナシが、自分に問いかけるかのようにボソリと呟く。


「ああ、喜ぶがいいさ。フェリスたち人類の勝利だ!」


 私が両腕を上げて声高らかにそう宣言すると、観戦していたアキナシの住人から一斉に津波のような歓声が襲ってくる。


「コテツ・アキナシの悲願が達成された……」


 オリバーは両膝を地面に突いて、涙を留めなく流し、声を上げて笑っていた。

 あの伝説が真実ならば、コテツ・アキナシにとって悪竜デボアは、愛する恋人の憎き仇。目と鼻の先に仇が眠っているのに指を銜えてみているしかなかったのなら、その悔しさは想像を絶するものがある。きっと、そのコテツ・アキナシの無念の物語を信じる、アキナシ家にとってもデボア討伐は悲願だったのかもしれない。

 何より、いつ結界が緩み、領民に牙をむくかわからぬ怪物を何百年間も監視し続けなければならぬ責務を背負わせられていたのだ。アキナシ家の重責からの解放の渇望は、私たちが想像していたよりも強く大きかったのだろう。


「これで全てカイの計画通りってことですか?」


 隣のローゼが半眼で、私に問いかけてくる。

 つい先刻、ギリメカラにより、風猫がケッツァー伯爵の領軍を撃破し、総大将であるムーダイトを捕縛した旨の報告を受けている。計画はこの上なく順調に推移している。


「いんや、まだだな」


 この茶番を仕組んだ馬鹿の強制退場がまだ残っている。イーストエンドの経営を上手くローゼが軌道に乗せるまでには、他の王位継承権者共からのチョッカイを可能な限り排斥しなくてはならない。それには、ケッツァー伯爵は邪魔なのだ。ここで確実にこの世から排除しておく。


「では、あれの鑑定にでも行くとしよう。アキナシ家と折衷にはなるが、当面の活動資金程度にはなるはずだ」


 デボアには王国に破滅をもたらす悪竜という大層な伝説が引っ付ていた。報奨金はもちろん、爪に牙に鱗、内臓に至るまで高額で売れそうだしな。


「利益を最大値するとは、そういう意味もあったんですね?」


 深く深く息を吐き出すローゼから視線をデボアに戻したとき――。


「マスター、あの大蜥蜴を媒介に、何かが来るのである」


 普段のアスタらしくもない固い声。

 全身が赤く発光したデボアを中心に、立体的魔法陣が形成される。あの魔法陣を構成している文字には見覚えがある。確か、古代神語とかいう御伽噺話の文字だったか。


「ネメア、アキナシにいる者達を全て領域内に収容しろ」

『ハッ! 御前は?』

「無論、あれの処理だ。少々厄介な相手かもしれんし、お前たちはこの場でこいつらを守っていろ」

『御心のままに』


 胸に手を当てネメアが一礼し、私は子狼フェンを狐の獣人九尾に渡す。そしてネメアの領域を出ると、地上へと降り立った。


 デボアの全身から血が滲み出ると空中で球体が形成されている。あれは本に書いてあった受肉ってやつなのかもしれん。なんでも、異界から魂だけを転移し、一定の条件を満たした生物どもの臓物等を利用して肉体を生成する外法の技だったか。

 異界からの来訪者か。十中八九、強者だろうな。このまま、あの現象を見物していれば、まず戦闘となる。そして、それは――。


「マスター、随分と上機嫌であるな?」

 

 そのいつになく厳粛な声に振り返ると、アスタが眉をしかめた険しい表情で、私を凝視しながら、そんな到底あり得ぬ感想を述べてくる。


「上機嫌? 馬鹿いえ。こんなのただ面倒なだけだ」

「なら、なぜそんなピクニックにでもいくような、楽しそうな顔をしているのであるか?」

「楽しそう?」


 眉をしかめて顔に触れると、頬は緩み、口角は吊り上がっていた。確かに、客観的にみれば、楽しんでいるかのように見えるな。

 おいおい。まさか、本気で強者と闘う事を心待ちにしているとでもいうつもりか? 過去の記憶を取り戻した今、私はそんな救いようのない戦闘狂ではない、そう確信したはずだ。第一、私以上の強者などこの世界に履いて捨てるほどいる。ここで無理に命を懸ける必要などないはずだ。


「やっぱり、お気づきにはならなかった……のであるな。マスターは吾輩のかつてのともによく似ている。いかに、まともを振舞おうが、その本質は変われやしないのである」

「酷い言われようだな」


 私の声が聞こえているのかいないのか、アスタは瞼に深い哀愁こもらせて私を見つめると、


「そして、今後もその狂いきった願望が叶うことはおそらくない」


 そうきっぱり宣言する。


「お前、さっきから何を――」


 その疑問を口にしかけると、


「マスター、貴方のお好きなようになさいませ」


 アスタは胸に右手を置くと、深く一礼するとその姿を消失させる。

 どうにも調子が狂うが、確かにあの球体との戦いは余計だ。他世界からの来訪者である可能性が濃厚である以上、比較対象がいない以上、戦ってもこの世界での私の立ち位置などわかりやしないのだから。だからこそ、ここで、あの球体を破壊すべきだ。今の私ならそれができる。

 そのはずなのに――。


「マジかよ……」


 私に右手は腰の【村雨】の柄に触れるだけ。

 これではアスタの言通り、私がそんな無意味で非生産的な闘争を望んでいるようではないか。

 いや、どの道、殺すことには変わりない。もしかしたら、自身のこの世界での立ち位置を図るヒントくらいにはなるかもしれんしな。そうさ。きっとそうだ。

白と赤のまだら模様の球体は、ゆっくりと大きな生物を形成していく。それに呼応するかのように、その発せられる魔力は次第に強く濃厚になっていく。

 巨大蜥蜴を依り代に受肉したのは、三頭の蜥蜴。軽くデボアの数倍はある山のごとき巨体に、鋭く大きな牙を持つ三つの頭に三つの翼。外見上は御伽噺でよく出てくる竜だ。唯一奇異なところは、三つの頭に巨大な異界の軍帽を被っていることくらい。


『ここは……人界かい? ボクの眷属の死により受肉した、と言う事は、ゲームは開始されている。そう理解していいのかな?』 


 超巨大蜥蜴はその無駄にデカイ図体で意味不明なことを尋ねてくる。


「さあな」


 くそぉ……。


『ボクはアジ・ダカーハ。盟約ルールに従い、この人界で悪逆の限りを尽くそう。

 ――人種の国、街、田畑を焼き、

 ――人種の尊厳を踏みにじり、

 ――人種に破滅と絶望をもたらそう。

 それこそが、ボクら――』


 これかっ!


「もういい。お前のできもしない大層な妄言には、興味がない。それよりもだ。お前は、そもそも私と闘えるのか?」


 ただの大蜥蜴にしか思えん。強力な能力制限でもしていれば別だが、おそらく期待は薄そうだ。

 最近、こんなことばかりだ。以前もアルノルトを圧倒した強者は既に去った後、今回も期待させた挙句、ただのデカイだけの巨大蜥蜴か。まったくもって度し難い。


『ボクがお前と闘えるか、だって? それ、本気で言っちゃってる?』


 一丁前に声を震わせているところから見ると、屈辱にでも感じているんだろう。

 ま、私は爬虫類の心理学になど興味はない。巨大蜥蜴の気持ちなど心底、どうでもいい。

 

「ああ、お前からは、雑魚臭しかせん」

『こ、このボクを雑魚だと――』


 私は地面を蹴って奴との間合いを食らい尽くし【村雨】を一閃 、鬱陶しく喚き散らす三本の内の一本を切断し、元の位置に戻る。


「ほらな、反応すらできやしないじゃないか」


 一呼吸遅れて巨大蜥蜴アジ・ダカーハが、今まで散々耳にしてきた絶叫を吐き出す。


「期待させやがって……」


 不快だ。不快すぎる。こいつの存在全てが私をイラつかせる。これが、どれほど自分勝手で理不尽なことを言っているかくらいわかっている。それでも私はこの巨大蜥蜴に久方ぶりに憤りというものを覚えていた。


『下等生物ごときがぁぁッーー!!』


 切断された頸部から、大地に降り注ぐ真っ赤な液体。その頸部や肉片、血液から湧き出る様々な大きさ、形状の蜥蜴ども。数百にも及ぶ蜥蜴どもは、私に牙を向く。そして切断された頸部は盛り上がり、忽ち傷一つない姿で復元していた。


『その虫けらを、骨、血肉の欠片も残さず食らい尽くせっ!!』


 埋め尽くされた蜥蜴の軍勢は私に殺到する。

 

「【真戒流剣術しんかいりゅうけんじゅつ一刀流】、壱の型、死線」


 即座に木端微塵に弾け飛ぶ蜥蜴ども。刹那、飛び散ったその血肉から先ほどの数十倍の数の竜モドキが即座に生み出される。


『無駄さぁ! 切れば切るほどボクの眷属は生まれるんだからねぇ!』


 おそらくこのアジ・ダカーハという巨大蜥蜴は、肉片や血液からでも己の分身のような存在を複製することができるんだろう。


「舐められたものだ」


 まさか、数と大きささえ揃えれば闘争に本気で勝てると思っているか? もしそうなら、滑稽すぎて泣けてくる。第一、あのイージーダンジョンの魔物たちでさえも、お前のような特異的な性質の魔物は腐るほどいた。別に珍しい特性などでは断じてない。

 私が得意とする剣術なら、こいつを殺し尽くことなど造作もない。なにせ、この数万年間そんなことばかりやってきたものでね。

 私は【村雨】の鞘を腰から外し、左手に持つ。そして右手を軽く柄に触れ、重心を低くすると瞼を固く瞑る。

 同心円状にドーム状の膜が広がっていき、奴の全身をすっぽりと覆い隠す。これでこの愚物は私の腹の中だ。

 唸り声のように大気をギシリと歪ませる中、右手で【村雨】の柄を握り、魔力を込める。【村雨】から私の紅の魔力が巻き上がり、渦を成す。


『どうしたぁ? もうギブアップ――』

「【真戒流剣術しんかいりゅうけんじゅつ一刀流】、ろくノ型――ゼロ


 既に腹の中にいることすら知らぬ滑稽な道化に、私は最悪の言霊を噤む。

神速で振りぬいた【村雨】の刀身。刹那、真っ先に消失したのは音。次いで色も消え、視界が真っ白に染め上げられる。

 全てが消失した純白の虚無の世界。そこに、色が戻り、音が戻って、世界は息を吹き返す。


ゴオオオオオオォォォォォッーーー!!


 耳を聾するような轟音と全てを薙ぎ払う竜巻を伴った爆風がアキナシ北東部の草原を同心円状に吹き抜けていった。


『ぐ……が……』


 私の眼前に広がる底さえ見えぬ大穴。その穴の上空に浮遊する一本の蜥蜴の頭部。


「はっ! 随分、スマートになったじゃないか」


 多分、蜥蜴の尻尾のごとく、自ら引きちぎって難を逃れたのだろう。

 もっとも――。


『ぞんざいを……だもでない? きざま……ボグに……なにを……しだ?』

 

 回復どころか、形すらも壮絶に歪んでいることからも、既に瀕死のようだがね。


「なーに、そう難しいことじゃない。私の魔力を圧縮して剣戟とともに放出しただけだ」


 生物はもちろん、無生物においても、全てのものには魔力が宿る。それはいわば、そのものを成り立たせる設計図のようなものだ。そして、強靭な魔力は弱い魔力を打ち消すという基本的性質がある。この性質を利用した技が、さきほどのろくノ型――ゼロ

 この技は、私の魔力を限界まで濃縮した斬撃を結界内に無数に放つ技。いわば、私の純粋な魔力のたっぷり籠った死線の長距離版といったところか。

 ただし、相手の魔力による奇跡を軒並み無効化する力がある。おまけに、魔力により威力が大幅に増強されており、これを使うと、範囲内の大地は大穴が空き、あまり多様はできぬ技でもある。


『あ゛り゛な゛い゛……ぞん゛なもので……ごのぼぐが――』

「この後に及んで現実逃避か。救いようのないほど情けない奴だな」


 肩を竦めると【村雨】の刀身を構える。


『ボグを゛……どう゛ずる……づもりだ?』

「ああ、勿論、文字通り、死ぬまで刻むのさ。お前も私達の尊厳を踏みにじり、破滅と絶望とやらをもたらそうとしていたんだろう? なら同じことをされても、文句などいえんよなぁ」


 こいつにはこの私のうっ憤くらい受け止めてもらうとしよう。


『や゛、や゛べろ゛ぉ!』

「やだよ。お前は私を不快にさせすぎた」

『だずげ――』


 巨体蜥蜴、アジ・ダカーハ奴の劈くような悲鳴を子守唄に私は奴の解体を開始した。


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