第13話 料理に盛られた毒 ローゼマリー

鉱山都市――アキナシ領、領主の館


「わかりました。わかりましたよ。殿下のお気持ちは重々承知いたしました。一度、会っていただくよう、あの御方を説得させていただきます」


 顎に無精髭を生やした金髪の美丈夫から引き出したこの言葉に、ローゼは心の中で大きなガッツポーズをしていた。

それもそうだ。このシブイ叔父様は、オリバー・アキナシ騎士爵殿。彼は今まで、フェリス公女など知らぬ存ぜぬと頑なに認めようともしなかったのだ。それが、ようやく、フェリスお姉さまへの説得を承諾してくれたのだから。


「感謝いたしますわ」


 勢いよく頭を下げるローゼに、


「止めてください、ローゼ殿下。お礼を言わねばならないのは、私の方です。どの道、我らの活動にも限界がきていたんです。此度のローゼ殿下に手を差し伸べられたのは、あの御方にとっても渡りに船というものでしょう」


 疲れたように、微笑むオリバー殿。


「私を信用してくださった、オリバー卿に報いるよう精進していきますので、よろしくお願いいたしますわ」

「はい、こちらこそよろしくお願いいたします。明日の朝、早く私自ら公女殿下のもとへ説得に向かいましょう。これから慌ただしなる。今日は、ゆっくりと部屋でお休みください」

「はい!」


 頬が緩むのを全力で抑えながら、あてがわれた部屋へと弾むような足取りで戻る。


「やりましたわ! これで、風猫の領民化の道が開けましたっ!」


 部屋に飛び込むとソファーに腰を下ろし、興奮気味に口にする。

 もちろん、計画が順調に推移していることも純粋に嬉しい。だが、それ以上にこの有頂天ともいえる気持ちの理由は、フェリスお姉さまと再び会えるから。

 そうだ。アキナシ領に立つ直前にカイから告げれたのは、風猫の首領が過去に失踪したフェリスお姉さまであるという驚愕の事実だったのだ。


(カイの秘密主義はどうにかして欲しいものです。でも……)


 フェリスお姉さまは、王族の中でも数少ないローゼの心を許せる人だった。だから、生きてまた会えることが、飛び上がらんばかりに嬉しい。

欣喜雀躍するローゼとは対照的に、


「うーん、そうだなぁ」


 歯切れの悪いザックと、


「おめでたいことである」


 逆に真っ向からローゼの歓喜を否定するアスタ。


「なぜです!? フェリスお姉さまとは目指すものが似ています。会っていただけば、きっと――」

「いや、そういう問題じゃねぇんだ。むしろ、姫さんはよくやっているよ」


 ザックが、木製のコップに葡萄酒を注ぎながら、何の慰めにもならぬ言葉を紡ぐ。


「なら、どういう問題なのですっ!?」

「この計画を立案したのが、師父だってことだ」

「確かにこの計画の柱を立てたのは、カイです。でも、この計画では、私がオリバー卿を説得することが、かなめ。それをわかっているから、カイは私にここでの説得を委ねたんですよっ!」

「なら、聞くけどよ。今師父はどこにいる?」

「は? イーストエンドの【深魔の森】ですけど?」 


そうだ。万が一のために、ケッツァー伯爵が攻め込んできたときに対処するため。カイが【深魔の森】にいるのは、そんな目的のためだったはずだ。


「そうだ。師父はここにはいねぇ。もし、此度の作戦が、姫さんがオリバーのオッサンを説得する。そんな単純な話なら、きっと師父は姫さんの傍にいて、俺達がそのケッツァー伯爵から、風猫を防衛する。そんな作戦になっているはずだ」


 葡萄酒を喉に流し込むと、ザックは難しい顏でローゼも当初から違和感を覚えていた事項を口にする。


「それは私も疑問に思っていましたが、流石に考えすぎでは?」


 ザックは、カイに全幅の信頼を置いている。そして、それは武術だけではなくあらゆる事項にも及ぶ。そして、それは、ローゼとて同じ。だから、きっと無意識に、必要以上にカイの一挙手一投足に意味を持たせてしまっているのだ。

 今迄、ずっと本を読んでいたカイの女性執事アスタが初めて本から視線をローゼに向けると、


「ローゼ、君は我がマスターを根本的に勘違いしている。あれは異常、いや、異常すぎるのである。強さはもちろんだが、思考そのものがもはや常軌を逸している。どうせ、此度も我らの想像を斜め上にいくような、おぞましい事態に収束するに決まっているのである」


 そう暗い笑みを浮かべながらも強く断言する。

 カイの思考が異常か……それはそうだろう。そうでもなければ天下のアメリア王国の前であんな命知らずの綱渡りのような真似はできないし、義賊とはいえ盗賊を領民にしようとは絶対に思わない。


「そうかもしれませんが――」


 ローゼが反論を口にしようとしたとき客間の扉がノックされて赤髪のメイドの女性が入ってくる。そして恭しく一礼すると、


「お食事をお持ちいたしました」


 ローゼたちのテーブルまで来ると、皿を置き始める。

 彼女からは自己紹介を受けている。最近入ったばかりの新人のメイドで、名前はジェーン。気立てのよい親切な女性だ。

 オリバー卿は、このような訳ありの身寄りのない、今の生活に困窮している人々を積極的に屋敷で一時的に雇い、その者に相応しい職を斡旋している。故にこの屋敷には彼女のような女性が複数存在しているのだ。


「ご苦労様。毎日ありがとう」

「いえ、私の仕事ですし」


 はにかむような笑顔に心を癒されていると、


「さーて、姫さん、さっそく食べようぜぇ」


 ザックがフォークを持って促してくると、


「それでは私はこれで失礼いたします」


 ジェーンは、慌てたように一礼すると部屋を退出していく。

 うーん、客人が個室で食べる際には席を外し呼ばれたら直ぐに応対する。それはこのアメリア王国での典型的な礼儀作法。入ったばかりというのに大したものだ。物覚えが早いのかもしれない。そう考えながらも、席に着くと、ザックは険しい顏でメイドが出ていった扉を凝視していた。

 そして席を立ちあがると、その料理の皿を掴み、窓の外から地面に投げ捨てる。


「ザック、何をするんですっ!?」

「いいから見てな」


 しばらくすると木々に止まっていた小鳥数羽がそれらを啄みにくるも数口食べただけで横たわり動かなくなる。


「え?」


 事態を飲み込めず頓狂な声を上げる。


「この料理をお前たち人間が食べれば朝まで熟睡する程度の睡眠薬が入っているのである。もっとも、吾輩にはこの程度の薬など効果は皆無なのであるが」


 アスタの皮肉の効いた言葉が妙に遠くに感じる。そしてつい最近味わったばかりの血液が冷える様な感覚。どうやらまたローゼは排除されようとしているらしい。しかも、此度は、ようやく信頼勝ち取ったと思っていたこの屋敷でだ。

 その事実は想像以上に、ローゼの心をめった刺しにして抉る。


「これは、オリバー卿の指示だと思いますか?」


 奈落に落ちるような失望感から、今すぐ項垂れたくなる気持ちを全力で抑えて二人に問いかける。


「いんや、あのオッサンは師父と異なり、根っからの善人だ。こんなこと、できやしねぇさ。それに、こんなことすればまず間違いなくこの鉱山都市は、取り潰しにあう。姫さんに危害を加えることと釣り合うようなメリットが、あのオッサンにはねぇよ」


 ザックのやけに自信満々の言葉に、冷え切っていた心に明かりが止まる。次第にパニックに陥っていた頭が平常運航し始めた。

 その通りだ。百歩譲って、オリバー卿がローゼを嵌めるにしても、それはローゼがこの地を離れた場所で実行するはず。


「これもカイの計画の内。そういうわけですか?」

「具体的に知っていたら、師父から一言くらいあるだろうし、きっと、漠然とした危険性だったんだろう。だから、鑑定の力が使えるアスタの姉さんが、姫さんの護衛につけられた」


 だとすると、益々、今ここにカイがいないことが不自然だ。もはや、間違いない。これは、ローゼがオリバー卿を説得するような単純な話ではない。


「くくっ! 動き出した以上、マスターは、もう止まらないし、顧みない! 覚悟するのである。このまま事態は、より出鱈目で、最悪なものへと向かう。その事実を!」


 アスタは、両腕を広げて天を仰いで、悪趣味にケタケタと笑いながら、そう得々と宣う。

 ザックも同意見なのだろう。アスタの言葉に異を唱えない。


「既に、メイドに睡眠薬を盛られているんです! もっと出鱈目な事態ってどんな事態ですかっ!」


 叫ぶローゼに向けてザックが人差し指を当てて、口を噤めとのジェスチャーをする。

 慌てて口を噤むローゼに、


「どうする? このまま寝たふりでもしておくか? そうすれば、この茶番を仕組んだ間抜けがのこのこと現れると思うぞ?」


 小声で囁いてくる。


「いえ、私たち以外も睡眠薬とは限りません。もし毒でも盛られていたら大惨事となります。直ぐに屋敷の者達に知らせてその注意を促すべきでしょう」


 ザックは口角を吊り上げると、


「姫さんならそういうと思ってたぜ」


 弾むような無邪気な声色で、そう呟いたのだった。


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