悪意は何時だって夜に蠢く

悪意は何時だって夜に蠢く①

「おい、聞いたか!? 例の盗賊が討伐されたってよ!」

「野営地で何十人も殺したって言う、あれか?」

「そうそう! いやあ、これで安心して荷が運べるってもんだ!」


 すっかり夜も更けたというのに、煌々と明かりがともる王都の酒場から祝杯をあおる酔っぱらいたちの声は絶えない。


 半月ほど前から王都の目と鼻の先にある野営地で、惨たらしい略奪を繰り返していた盗賊団が王国騎士団に討たれたと、主要な広場で道行く人々に知らされた。


 盗賊団を恐れて足止めを喰らっていた商人たちが快哉をあげ、鬱憤を晴らすかのように飲み食らい、久方ぶりの大量注文で、厨房も店員も右往左往する。王都中の酒場がこんな調子だ。


 そんな酒場のすぐ裏の真っ暗で薄汚い路地へオレ――グリムは、四本の足で入っていく。


 ――あーあ、どいつもこいつも。踊らされちゃってさあ。


 盗賊団なんて嘘っぱち。あれは全部、地の神ゴルゴンの依代になった小娘の仕業。王国騎士団? 馬鹿言え! 腕力だけのでくの坊たちが何人いたって討てるもんかよ!


 オレの主だけじゃなく、自分の国の偉い連中にも騙されてるってのに、おめでたい奴らだなあ!


 何にも知らないバカたちを尻目に、真夜中の路地裏を軽やかに進む。人が入れないような細い道に、犬の身体でスルスル進み、ある場所で立ち止まった。


「開けゴマ! なんちゃって」


 ボロ屋の壁に、前足をポンと置けばあら不思議。さっきまで魔術で隠されていた扉がこの通り!


 オレはご機嫌に舌を垂らしながら、扉に付けられたオレ用のくぐり戸を通って中に入る。

 ぽっかりと空いた空間の真ん中にある地下への階段をチャカチャカ降りて、また昇り……


 そうして頭上にある扉をグイと押し開ければ、五つの像と目が合った。

 人の神グラーテと地の四神だ。


 ここは教会。かつて人の神グラーテが人だった頃の偉業を伝え、魔術の才ある者が精霊と契約を結ぶ神聖な場所。蝋燭だけが照らす聖堂に、香炉から漂う花の香が鼻をくすぐる。


 その中に微かに漂う、濃ゆい死の匂いも。


「それは誠にございますか、師父よ!」


 オレが祭壇の下からノソノソと這い出たのと同時に、しわがれた男の大声が建物に響く。


「声が大きいよ、オルセン」


 そんな教会での無作法を柔らかに咎めたのは、夜更けに似つかわしくもない幼女の声だ。

 オレは祭壇の陰からこっそり顔を出し、話の成り行きを見守る。


「ああ、ああ……かの悍ましき灰死の病を振りまいた元凶が、王都に居ると。我らを死と恥辱に追いやった者が、王都に居ると! ああ、ああ、なんと喜ばしき事でしょうか師父よ!」


 頭からフードをすっぽりと被ったローブの男が、幼女に跪いて泣いていた。

 裾から覗く太い尾を覆う鱗が、ロウソクの火をテラテラと跳ね返す。


「落ち着きなさい、オルセン。喜びとは、君の望みを叶えた時に得るものだ。このまま計画通りに事を進めては、得るべきものが得られなくなる。

 人の神グラーテが人だった頃より生きる精霊の力を、火の神の子孫にして比類なき召喚士たる君が、わからない道理はないだろう?」


 白いワンピースを着た栗毛の幼女が、まだ十歳にもならない幼子とは思えない、穏やかな語り口で足元の男をそっとさとす。


「お止めなさるな、師父よ! 私は三百年、ずっと機を伺っておりました! 我らが一族をなぶり者にした人間たちに、必ずや鉄槌を下す機を! そして百年前、師父のとうと御業みわざを教わってより、星の揃う日を心待ちにしておりました!

 どうか、お止めにならないで下され! この老骨に一矢報わせて下され! 私の家族を奪った、の病の根源たるものに!!!」


 オルセンと呼ばれた男の慟哭が、聖堂に木魂する。幼女は目を伏せ、悲し気な顔でオルセンを見つめた。


「……どうしても、実行するんだね」


「命など、家族を亡くしたあの日にとうに捨てました。師父よ、後の事をどうか頼みます。憎き人間どもを打ち滅ぼし、どうか我らが子孫の楽園を……!」


「……わかったよ、オルセン」


 オルセンは最後にもう一度深く頭を下げて、教会を出て行った。バタン、と両開きの扉が閉まり、辺りが静寂に包まれた瞬間――……


「……ブッハーーー!! 無理、もう無っ理!! 面白すぎでしょ今のーーー!!」


 祭壇の陰で必死に笑いを堪えていたオレは、我慢できずに思いっ切り噴き出す。その声に、先程オルセンを見送った幼女が振り向いた。

 同時に祭壇から飛び出した俺は、白いワンピースの栗毛の幼女に飛びかかる。幼女は「わっ」と言って尻餅をつきながらも、小さな手でオレの頭を抱え込んだ。



「おかえり、グリム。そんなに笑っちゃダメだよ、本人は至って真面目なんだから」

「ウヒャヒャヒャヒャヒャヒャ、ただいまあ! だって、あるじぃ!」



 主が、オレの顔を撫でながら微笑む。昨日より一回り小さい掌から漂う死臭に、尻尾がビュンビュンと音を立てて揺れる。


 ――ああ、この匂い! どれだけ身体を乗り換えても変わらない、魂に染みついた死の匂い!


 手の小ささなど問題にもならない濃厚な死臭を、オレは存分に満喫するのであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る