王城の夜更け⑤
王宮。スティーヴァリ王城の更に奥にある、王族専用の居住空間。
この国で最も貴い一族以外に入れる者は、私――王宮筆頭魔術師カテリーナ・スフォルツァを含めてもごく一握りしかいない。
「さあさあ先生、座ってくれ! 南方から仕入れた
「座る場所を作ってから言え」
資料の束で埋め尽くされた書斎のソファを勧める、部屋の主にして第十六代国王カルヴァドスは、私の苦情も意に介せず笑う。
「ああ、すまん先生。夢中になって読んでいたものだから」
「貴重な資料だ。丁寧に扱わないか」
渡り廊下で遭遇した宰相を気の毒に思いながら、私はソファの資料を片づけながら書斎を見回した。
王宮の調度は、王が代替わりする毎に変えられる。取り分け私室である国王の書斎は、その代の王の性格を如実に反映するのだ。
当代国王カルヴァドスの書斎は、いわゆる『
部屋の一角に目を向ければ、大衆小説から論文まで、分野を問わず好みの本ばかり詰めた本棚。
別の一角には天の神である戦女神フレイリアの彫像や絵画。また別の一角には南の島から献上された人の頭ほどもあるサンゴや、北の大陸から取り寄せたトナカイのはく製と毛織物、東の群島国家の使者から譲り受けた古代の刀剣などの外国の品々。
国や時代を問わず様々な品を集めた部屋は、混沌としていながら不思議とまとまりがある。
書斎と続き部屋になっている隣室から、苦豆茶の芳醇な香りが漂う。ほどなくして、白磁の茶器を乗せた銀盆を両手で持ち、カルヴァドスが戻って来た。
「どうぞ先生。お好みで砂糖と牛乳を入れて召し上がってくれ」
「ありがとう」
ソファで資料を整理していた私に、カルヴァドスが恭しく給仕する。
王が臣下に給仕をし、それを臣下も受け入れるなど、非常識も
ここが王宮という私的な空間であり、かつ私とカルヴァドスの二人だから許されることだ。
『貴女を先生と呼ぶときは、どうか王でなく生徒として扱って欲しい』
彼が王位に就いた時、私に下した最初の命令。
即位から十三年、こうして私を書斎に呼び寄せ、王としての責務を忘れて他愛もない話をするのが一番の楽しみだと言っていたのはいつだったか。
資料をざっと整理して露出させたテーブルの上に、苦豆茶が注がれた茶器と、砂糖とミルクの小瓶を並べる。
私は砂糖をひと匙、カルヴァドスは三匙と牛乳をたっぷり入れて、互いに茶を一口。
砂糖の甘さでキリリと引き立った苦味が、独特の香りと共に身体を満たしていく。
「ああ、うまい。やはり眠気覚ましにはこれだな」
「そんなに甘くしてか」
「苦すぎると気分が削がれるんだ。小さい頃に飲んだ、先生の薬草茶より苦いからな」
「ああ、遠乗りで雨に降られて風邪を引いた時の。八歳だったか? 子供用に樹蜜を入れてやったじゃないか。今なら何も入れずに飲めるだろう?」
「勘弁してくれ!」
二人で軽口を叩き合ったところで、どちらともなく茶器をテーブルに置く。
「……あの頃は、まさか己が王になろうとは思わなんだ」
感慨深く呟いて、カルヴァドスがソファに背を預ける。
「兄の魂が召され、弟が戦女神の寵を受けた。更には叔父と玉座を争い、この部屋の主となってしまった。
生きるとはまったく、ままならんな。ただ穏やかに過ごしたいだけなのに、いつだって望まない災厄ばかりがやってくる」
カルヴァドスは先王の次男で、側室の子。元の王位継承権は第四位。先王と継承権一位の兄が亡くなり、叔父に排斥されかけた所を、戦女神フレイリアの加護を受けた
「今回だってそうだ。我が国に仇為すために、古き神を呼び起こす愚か者がいるとはな。神々は大いなる力は、信者の心の支えとなるものであって、殺戮の道具ではなかろうに」
王位のために弟の加護を利用したカルヴァドスが、自嘲の笑みを浮かべて鼻を鳴らす。
私は何も言わずに、苦豆茶をもうひと口飲んだ。
「……だが、それ以上にだ!」
そう言ってカルヴァドスは、私を迎えた時と同じ好奇に満ちた目を輝かせて立ち上がる。
「古代精霊!! まさか人の神グラーテが人だった頃より生きる精霊が、この国の人間と契約を交わし、あまつさえ我が国に仇為す者の企みを退けたと!
こんなことが他の王の治世にあったか!? 太古の神秘を目の当たりにする機に恵まれた王が他にいたか!?」
もうすぐ三児の父になる三十半ばのいい大人のはしゃぎっぷりに、私は思わず溜息を吐いた。
そんな私にはお構いなしに、カルヴァドスはテーブルに両手をついてこちらに迫る。
「なあ先生。古代精霊はどうだった? 契約者のチャールズ・アドルナートはどんな人間だった? それを聞かねば今日は眠れんのだ!」
「座れ馬鹿者」
私は迫りくるカルヴァドスの額を再び
「好奇心
「カンタリス……古代精霊の名か」
目を爛々とさせたまま小突かれた額をさするカルヴァドスを前に、私は続ける。
「チャールズ・アドルナートは自らの為すべきことを見出し完遂する、意志の強い青年だ。
あの時、野営地から一人で逃亡することも可能だった中、彼はそうしなかった。地の神と臆することなく相対して退去の儀を成功させ、更には王国騎士たちの命をも救った。
温厚で誠実な人間だが、望まぬことを無理強いすれば、間違いなく反発するだろう」
「むぅ」
「詳しい経緯は分からないが、父親に資産を奪われかけ、次期伯爵の地位を捨ててまで王都に逃げてきた男だ。お前の振る舞い次第では、国外逃亡が視野に入ってもおかしくない」
「それは困るな、気を付けよう! 古代精霊と
それで先生! 古代精霊、いやカンタリスはどのような力を持つ精霊なのだ?」
カルヴァドスの催促に、私は懐から取り出した小瓶をテーブルに置いた。
「古代精霊の力で作った
チャールズがグランドーニ卿に渡した、カンタリスと作った
帰りの馬車の中でグランドーニ卿から説得用に譲り受けたそれを、カルヴァドスは手に取ってしばし無言で眺めた。
「美しい……だが、恐ろしい劇薬だ」
ややあってそう呟いたカルヴァドスは、小瓶を天井の灯りに透かす。
「古代精霊の力が込められているというだけで、欲しがる輩は山ほどいるだろう。
だがそれ以上に、この薬が神国に渡りでもすればいかに我がスティーヴァリ王国でも破滅の道は免れぬ。
あそこは、神の
好奇心に満ちた幼子の顔が、一転して為政者の顔になった。周りの状況に対する理解と判断、切り替えの早さは、私が見てきた王たちの中でも群を抜いている。
「なるほど。先生が銀級魔術勲章の話をしたのは、俺の耳に必ず入るようにするためか。
ああ、納得した。これは王が守らねばならぬものだ。悪意ある者の手に渡らぬよう、あらゆる手を尽くさねばならない。ゆえに――……」
カルヴァドスは持っていた小瓶を置いて、私に向き直った。
「見極めねばならんな、チャールズ・アドルナートと古代精霊カンタリスを」
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