王城の夜更け②


「古代精霊の力で作る強化回復薬ハイポーションだと……」


 軍務大臣兼、軍務局局長のドラーツィオ侯爵閣下が、チャールズの作った強化回復薬ハイポーションを前にうなった。


 僕――神誓騎士団団長アンドレアス・グランドーニは、閣下の後ろに控える、出向組の二人の反応を窺う。


「ほぁーしゅごい……魔力マナ神気エーテルが反発しないで溶け合ってる……魔力の純度もメッチャ高いんだあ……」


 ストロベリーブロンドを二つに結ったチェチーリアは、ソファから身を乗り出してまじまじと強化回復薬ハイポーションを覗き込む。限定起動した智神の加護――髪と同じ色の丸眼鏡で、人の眼では知りえない様々な情報を読み取っているのだろう。


「団長、この薬を手に入れた経緯をうかがっても?」


 美神の加護を持つ黒髪の美丈夫――ベンジャミン・ジュスティーノが、余韻の残る柔らかな声で僕に問い掛けた。ドラーツィオ閣下への説明も兼ねて、僕は居住まいを正して説明する。


「報告書には書いていませんが、地の神ゴルゴンの攻撃を受けた現場の騎士が神気エーテル枯渇に陥って死にかけたんですよ」

「うそ、誰!?」


 強化回復薬ハイポーションに夢中だったチェチーリアが、僕の言葉に勢いよく顔を上げる。


「ジャンニーノ・ピアーニ騎士。智神の加護で地の神を観測しようとして、『邪視』と『石化』の呪いをまともに喰らいました」

「ジャンニ君!? 団長、ジャンニ君は無事なの!?」


 ソファの背を掴んで前のめりになって、ジャンニーノの安否を確認してくるチェチーリア。

 同じ智神の加護を持ち、騎士団内で唯一自分より年下のジャンニーノは、彼女にとって大事な弟分なのだ。


「無事だよ、その薬のおかげでね」


 僕は机の上に置いた強化回復薬ハイポーションを視線で示す。


「報告によれば、ピアーニ騎士にその強化回復薬ハイポーションを摂取させ、さらに魔術によって神気エーテルを追加したことで、神気枯渇から戦闘可能な状態まで一気に回復させたそうです」


「なるほど……それで貴殿は、この薬を神誓騎士団で独占するために報告しなかったと」


 閣下は非難がましい目で僕を見たが、知ったこっちゃなかった。


神誓騎士僕らに効く薬なんてのは、そうありませんからねえ。使う機会もないくせに、見栄を張るために欲しがる連中に死蔵されるなんて御免ですよお」


 僕の言葉に、閣下がため息を吐いた。この強化回復薬ハイポーションを見た高位貴族たちが、目の色を変えて作り手を囲おうと、あの手この手で足を引っ張り合う光景がありありと想像できたからだろう。


「閣下、団長。よろしいでしょうか」


 ここで再び、閣下の後ろに控えていたベンジャミンが口を開く。


「なんだ」

「薬の効果を、私の身で確認させていただきたく存じます」


 もっともな提案だった。僕も薬の効果を自分の目で確認したわけではなかったので、丁度いい。


「僕は構わないよ」

「……部屋は汚すな」


 僕たちの許可を得たベンジャミンは改めて深く一礼し、「失礼」と一声かけてソファの後ろを離れ、僕と閣下の間にあるローテーブルの隣に移った。

 ついでにチェチーリアも反対側のテーブルサイドに移動し、ベンジャミンの正面に陣取る。


 ベンジャミンは跪いて上着をテーブルの上に広げ、シャツを捲った左腕をその上に突き出した。


「【限定起動】」


 そう唱えると、右手に嵌めていた手袋が黄金の短剣に変わり、白い掌に横たわる。そのままクルリと短剣を一回転させて逆手に持って、真下に伸ばした腕を迷わず貫いた。


 反対側から突き出す切っ先から落ちた血の雫が、ポトリと一滴、上着に落ちる。


「――っん……」


 唇を引き結んだまま短剣をゆっくりと引き抜けば、傷口からあふれ出た血が上着のシミを増やし拡げた。


「【変われ】」


 引き抜かれた黄金の短剣は、その一言で止血帯に変化して腕に巻き付く。そしてベンジャミンが強化回復薬ハイポーションの瓶の蓋を片手で開け、中身をそっと傷口にかけ――



 煌めく星屑が肌に触れた瞬間、刺し傷が跡形もなく消えた。



「……………………は?」


 目の前の現象に理解が追いついていないベンジャミンが、喉の奥からおののいた声を絞り出す。


「…………傷が、消えた…………」


 ドラーツィオ閣下も、辛うじてそう口にするのが精一杯だったのだろう。先程まで鮮血を溢れさせていた傷口があった場所を凝視したまま固まっている。


 チェチーリアに至ってはテーブルの上で四つん這いになり、短剣の刃が貫通した側――肌を、鼻先がつきそうなほど近くで覗き込んでいた。


 僕は固まる三人を横目に、再び焼き菓子アマレットを口に放り込んで紅茶で一服し――……



 ――チャールズくん、ちょっとお!?!? ここまで効くとか聞いてないけどお!!?



 平静を装いながら、内心で色々と規格外な青年に思いっ切り八つ当たりした。


「これは……既存の魔法薬とは比べ物にならんぞ……表には出せんな。見栄の張り合いどころか、戦争が起こるぞ」

「他国への流出など、考えたくもありませんね」


 チャールズ謹製の強化回復薬ハイポーションの効果を間近で見た閣下とベンジャミンが、存在が露見した時の悲劇を想像して冷や汗をかいている。


 そんな二人に若干の申し訳なさを感じつつも、僕は更なる情報を畳み掛けることにした。


「その強化回復薬ハイポーション、実は他にも効果がありましてねえ」


 三人分の視線が一斉にこちらに注がれる。僕はコホン、とわざとらしく咳払いをした。


「なんと、神誓術の効果を底上げすることが確認されてるんですよ」


 一瞬の沈黙の後、最初に手を挙げたのはチェチーリアだ。


「はいはいはい! 底上げって具体的にどういう感じ? 確認って誰がしたの?」


「エベルト・フェルナンディ騎士。旅神の加護を強化して、野営地に居た王国騎士二十人を王都の正門前まで一度に運びました」


「エベさんヤバいね!? 二十人一気に【転移アスポート】って、普通に死ぬよ!?」


 このやりとりを聞いた閣下とベンジャミンも目を剥いた。



 神誓術による加護を使う時、術者は自分の持つ神気エーテルを消費する。


 旅神メルキュリースの加護の代表とも言える【転移】は、転移させる距離と、対象が持つ神気エーテル量によって神気の消費量が決められる。

 転移距離が長ければ長い程、対象の神気エーテル量が多ければ多い程、術者が消費する神気も増加するのだ。


 旅神メルキュリースの加護を受けた騎士が一人で、王都から半日の距離にある野営地まで一度に運べる人数となれば、せいぜい四、五人が限界だろう。

 それ以上であれば確実に神気エーテル枯渇で行動不能になる。


 それを、一度に二十人。

 しかもその後に平然と活動できるともなれば、チャールズとカンタリスによって作られた強化回復薬ハイポーションの驚異的な効能は、推して知るべしだ。


「閣下の仰る通り、この強化回復薬ハイポーションは表には出せません。なので、僕の独断でチャールズ・アドルナートと交渉し、神誓騎士団で定期的に買い取ることになりました」


 僕の言葉を聞いた閣下の目が鋭くなる。


「具体的な交渉内容は?」


「まず『買い取った分は全て神誓騎士団内で消費し、外部には存在を秘匿する』というのは、向こうからも提案されてます。

 細かい所は明日副団長ナーシャが詰めることになりますが、一本当たり金貨一枚で月三十本ずつ購入する予定です」


「金貨一枚!? 正気か!? !! 良からぬ連中が高値を付けて買い占めたらどうする!?」


 薬の効果を間近で確認した閣下が声を荒げた。やっぱ安いよね? 僕の感覚がずれてるわけじゃなくてひと安心。


「あちら曰く、『売る気のない相手とはそもそも商談をしない。長期にわたって安定した取引が見込めるから、無理なく買い続けられる値段を提示した』そうですよ。神誓騎士僕らに需要があるなら、勿体ぶる気はないそうです」


 閣下は盛大に顔を顰めたあと、ぬるくなった紅茶を一気にあおってこう言った。


「軍務局からも購入経費を出すと、そちらの副団長に伝えておけ。一本当たり金貨三十までなら上乗せして構わん」


「あ、閣下。チャールズ・アドルナートがBランクに昇格したら、購入量が月五十に増える予定ですなんですけども」


「その辺りのさじ加減は、明日の交渉で決めろ。他所に流れるよりマシだ」

「ありがとうございます、閣下」


 僕は紅茶を飲み干して、閣下の後ろに戻っていたベンジャミンに声を掛ける。


「ベンくん、紅茶のお替りもらっていい?」


 言葉の裏を汲み取ったベンジャミンが、閣下に視線で確認を取る。

 怪訝な目を向けてきた閣下を、僕は正面から見返した。


「……ジュスティーノ、私の分もだ」

「かしこまりました、閣下。チェチーリア、手伝ってください」

「え? あー、はいはーい」


 遅れて気付いたチェチーリアが、ベンジャミンの後をついて行こうとするのを呼び止める。


「チェチ、このお菓子ナーシャに持って行ってあげて。きっと明日の準備で根詰めてると思うから」

「りょうかーい! あ、さっきのお話もついでに伝えてくるね!」



 そうして二人が執務室を去るのを見送った後、閣下が切り出した。


「それで、部下にも聞かせられん話とはなんだ」

「チャールズ・アドルナートが、地の神ゴルゴンから召喚者について聞きだしました」


 前置きなしの報告に、閣下の目が鋭くなる。僕は普段の笑みを消して、閣下の顔を真っ直ぐに見据えた。



「『毒殺師の後継者』――召喚者は、そう名乗ったらしいですよ」



 その名を聞いたドラーツィオ侯爵閣下の顔が、憤怒に歪んだ。



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