ブレッサ=レオーニ伯爵領⑦(3/5 改稿)


「はあぁ……やり切った……」


 天蓋付きの豪奢な寝台ベッドの上に俺――フランツ・マリオッティは湯上りの身体を投げ出した。


 俺の人生で一、二を争う怒涛の一日だった。朝、アドルナート伯爵家でチャールズ様の廃嫡と追放に立ち合い、その足で愛馬のロベルタに乗ってブレッサ=レオーニ伯爵領に行く途中でミカエラ様たちと遭遇。そして伯爵邸でアマーリア・ブレッサ=レオーニ女伯爵に対して事態の説明と全力の釈明。これをどうにか乗り切り、今後の対応は明日に持ち越す事になった。


 その後は夕食を振る舞われ、客人という事で屋敷にある大浴場に案内された。公衆浴場の倍の大きさはある浴槽に一人で身を沈め、湯上りには伯爵家の侍女たちによる香油でのマッサージ。


 至れり尽くせりのもてなしを受け、極め付けがこの部屋だ。

 屋敷の中心からかなり離れた場所にあるこの部屋は、おそらく高位貴族の為の貴賓室だろう。

 天蓋付きの大きなベッドを始めとして、屋敷の随所に置いてあった調度品よりも高価な品が、圧迫感を感じさせない絶妙な場所に配されている。庭に面した窓際のソファなんて、応接間の物より遥かに良い革を使っていた。


 チャールズ様と泊まる際は、主人に何かあった時の為に二間続きの従者用の部屋をあてがわれていたので、どうにも収まりが悪い。一応俺も男爵家の令息ではあるが、分不相応に豪華な部屋は落ち着かないのだ。


「まあ、いいさ。役得だとでも思っとくか」


 サラリとした肌触りの良い寝間着を着た俺は、少し冷たい真っ白なシーツに長い手足を放り出す。羽毛がたっぷり入った枕の柔らかさに、頭も眠気も委ねて――ドアに近づく気配が三つ。


 寝台の脇に置いた剣を無音で手元に引き寄せたと同時に、部屋の扉が叩かれる。


「フランツ殿、まだ起きていらっしゃる?」


 扉の向こうから聞こえたのは、この屋敷の主人アマーリア・ブレッサ=レオーニ伯爵の声。残り二つの気配は侍女か。害はないと判断して起き上がり、剣をそっと元の位置に戻す。


「伯爵? このような夜更けにどうされ……」


 ましたか、と言い切る前に、侍女が外から両開きの扉を開く。


「寝具は足りているかしら? フランツ・マリオッティ男爵令息」


 そこにいたのは、黒いレースの夜着ナイトガウン一枚のブレッサ=レオーニ女伯爵。まろやかな弧を描く乳房の頂点に付いた薄桃と、肉付きの良い柔らかな肢体の輪郭が、網目の向こうに透けていて、思わず口笛を吹きそうになったのを辛うじて堪える。


 同時に、過剰なまでのもてなしに合点がいった。


 なるほど、主人が直に触れるものが不潔で汗臭いままなんて以ての外。香油まで使って念入りに綺麗にもするだろう。

 何より、この屋敷で最も高貴な人間が過ごす部屋が、他より豪奢でないわけがない。


 ――ここは、伯爵のだ。


 貴族のご婦人が夫のいない間に若い愛人を引き込む、なんて珍しくはない。まして彼女は、夫であるレオーニ辺境伯とは領地を別にしている身なのだ。


 片や伯爵、片や男爵令息。拒否権なんてものはない。


 何より――俺好みのイイ女からのお誘いなのだ。


「いえ……少しばかり肌寒い心地がしておりました、アマーリア・ブレッサ=レオーニ伯爵」


 俺の返事に笑みを浮かべて舌なめずりをする彼女に、獲物を前にした猛獣が重なる。


「あらまあ、あんまり驚かないのねえ。遊び慣れてるのかしら?」

「この顔ですから、引く手あまたでして」

「ふうん、私なんか相手にならないって?」

「滅相もない。お選びいただき恐悦至極」


 伯爵は寝台に腰掛けた俺の太ももの上に腰を下ろし、両の手を俺の頬に添えた。間近に迫った肌から、香油の甘い匂いがする。


「フフ、クロイツと違って堂々としたものねえ」

「へえ、アイツと火遊びなんてするんです?」


 俺は伯爵の腰に手を回して彼女を支えながら聞いた。


「誘ったのだけど、泣きながら逃げちゃったのよねえ。『ご母堂に不埒な真似は出来ません!!!』って」

「ブッハ」


 嫌いな奴の無様な話にたまらず口元を抑えて吹き出す。伯爵もその時の事を思い出したのか、クスクスと肩を震わせながら笑った。


「クロイツの事、あんまり好きじゃないの?」


 ひとしきり笑った後で伯爵が俺に問いかける。流石に他家の従者に「嫌い」なんて面と向かって言えないので、回りくどい形で答えた。


「まー……他人と合う合わないがあるのは、しょうがないと思っています」

「ミカエラの護衛で王都まで一緒に行って貰おうと思うんだけど、ダメ?」


 両指を合わせ上目遣いの可愛い声で命令おねがいされた。


「……向こうにも『仕事』って事をキッチリ言い含めていただければ」

「ウフフ、ありがと。チャールズ殿は良い従者をお持ちねえ」


 伯爵の白い指が俺の頬をツゥとなぞる。


「ミカエラったら、夕食終わってすぐ私の部屋に来て、『チャールズ様を追いかけたい!』って。滅多にワガママ言う子じゃないから、叶えてあげたいのよお」


 でも、と伯爵が俺の耳に唇を寄せた。


「チャールズ殿って今、立場の上じゃ平民でしょ? このまま彼のお嫁に出すには、ちょっと抵抗あるのよねえ。息子が二人いるから、婿むこにする訳には行かないのよ」


 なるほど、その話をする為に来た訳か。


「我が主の意向にも寄りますが……具体的には、どうお考えで?」


 伯爵は俺の胸に手を置いて、トン、と俺の身体を押す。逆らわずに寝台ベッドの上へと押し倒された俺の上に、伯爵が覆いかぶさった。


「母親の実家、ヴィオレッタ子爵家に籍を置くか。それとも――アドルナート家に戻って領主になるかね」


 アドルナート家に戻って領主になる。つまり、自分を追放した父と弟を、逆に追放せよと。応接間で見せた獰猛さが一切ない、無邪気な笑顔で何てことない風に伯爵は言う。


「さっきは色々厳しい事言っちゃったけど、これでもチャールズ殿の事は結構買ってるのよ?」


 俺の身体に押し当てられた、夜着ナイトガウンの合わせ目から零れ落ちそうな柔らかな双丘に目を奪われていると、伯爵にツンと鼻先を突かれた。


「薬師ギルドで孤児や農家の三児四児を雇い上げて、薬を作らせて職を手に付けさせる。商人達や伯爵領の下位貴族たちを説得しての資金集めから、薬師ギルドの体制作り、実行までほぼ全部一人でやったんでしょ? たったの九歳で!

 個人事業って言ってるけど、アレは領主が金を出してやるべき雇用政策よ。まだまだ若いけど、十分領主になれる力量はあるし、うるさい外野を黙らせるだけの実績もあるわ。

 私の娘に真珠をくれる甲斐性もあるしね」


 指先で俺の赤毛を弄びながら、伯爵は続ける。


「アドルナート領の繁栄は、隣接する我が領、引いては我が夫レオーニ辺境伯にとっても歓迎すべき事。その為の助力は、惜しまないわよお?」

「だから実の父と弟を自分の手で処断せよ、と」

「義理の息子をいじめたい訳じゃないけど。そのくらいはやって貰わなきゃ、今回の事は不問になんて出来ないわ。周りの目だって気にしなきゃいけない立場なんだから。

 安心なさい。誰かさん達みたいに金だけむしってこき使おうなんて思わないわよ」


 つまりこれが、ブレッサ=レオーニ伯爵家からチャールズ様に求める謝罪。チャールズ様ご自身で果たさねばならない責任という事だ。


 これを果たせば、廃嫡と追放に甘んじたが故の一連の騒動を不問にし、義母として後ろ盾になり、チャールズ様の立場も保障すると。


 一先ず、主人の立場を守る術を得られた事に内心で胸をなでおろしながらも、まだまだ働く必要があるなと苦笑する。むしろ、己の主人が試される此処からが本番と言った所か。


「あなたの主に期待してるわ。帰ってくるまでにお膳立てくらいはしておいてあげる。

 どの道アドルナート伯爵とは、一度今回の事についてキチンとしておかなくちゃ、ねえ?」


 楽しみで仕方がないとでも言いたげに、伯爵はニッコリと笑った。



 ◆



 伯爵との一夜を過ごした後、移動の為の準備期間に二日を要し、チャールズ様から遅れること三日。


 俺はミカエラ様とその従者のクロイツ、護衛の兵士たち共々王都ヴァニスを目指す事となった。



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