第59話 醜さは百年経っても変わりません
リュムの視界を、己の放つ雷光が埋め尽くす。
雷撃がガーディアンの結界と衝突すれば、その光はさらにまばゆく、激しいものとなった。
しかし獣の身体を得た今の彼女にとって、視覚情報は人間だった頃ほどの価値を持たない。
敵の位置は耳と鼻で感知できる。
だが、
視界が閉じれば、五感のうちの一つが消えたことで脳は動きを活性化させ、思い出したくもない風景が浮かんでくる。
『ねえねえリュムちゃん』
鉄の匂いに満ちた帝都。
その無骨な街の隙間にぽつんと存在する公園で、二人の少女がブランコに乗って遊んでいた。
桃色の髪の少女――リュムと、ペルレスによく似た同世代の女の子だ。
『リュムちゃんちは避難しないんですか?』
『うちにそんなお金ないもん。ラウラの家はどうなの?』
ラウラと呼ばれた少女は煙が立ち上る夕暮れの空を見上げ、ここではないどこかにいる家族のことを想いながら言った。
『お姉ちゃんは偉い研究者ですから。最後までこっちに残ると思うんです』
『そっか、ペルレスさんはラウラと違って頭いいもんね』
『ひどくないですか? 別に私がバカなわけじゃないです』
『そんなこと言ってないけど』
『心の中で言ってました』
『言ってたかも』
『やっぱりー!』
ぷくっと膨らむラウラの顔を見て、リュムはけらけらと笑った。
平和な一時だった。
戦時中とは思えないほどに。
そのとき、ふいにラウラの表情が曇る。
『……もうじき、帝都も攻撃を受けるんですかね』
王国の装甲機動兵はすぐ近くまで迫っていた。
魔力結晶砲が開発されてからというものの、完全に戦況はひっくり返ってしまったのだ。
『その前に終わるんじゃない? どうやっても帝国は勝てないしぃ、きっと近いうちに降伏するよ』
大人が聞いたら、その場で殴られて矯正施設にでも入れられそうな発言だ。
しかし、誰もがそう思っていた。
『いくらユグドラシルが帝都を守ると言っても、ね』
帝都のど真ん中から天に向かって伸びる大樹、ユグドラシル。
それはまさに帝国のシンボルであり、同時に守護神でもあった。
『そしたら、お姉ちゃんも危ない目に合わなくて済むですね』
『そーだね……王国がまともな人間の集まりだったら、だけど』
『きっと大丈夫です。今も民間人には手を出してないと聞いたですから』
『ふーん、ミンカンジンなんて難しい言葉を使うようになったんだね』
『バカにしすぎですよ? 私だってニュースは見るんです』
『そっかぁ、ラウラが成長してくれてあたしは嬉しいなあ』
『リュムが育てたように言うのはおかしいです』
『勉強は教えてあげたよね?』
『それとこれとは話は別です!』
必死に反論するラウラを見て、リュムは思わず『あはは』と笑った。
そのまま勢いを付けて、彼女のブランコは大きく振れる。
戦争なんてどうでもよかった。
もっと言えば、帝国だってどうでもよかった。
滅びるというのならとっとと滅びてくれていい。
結晶砲は怖いけど、降伏したら自分たちに向けられることはない。
自分さえ巻き込まれないのなら――そう、思っていたのに。
子供の自分から変われないまま、何もない世界で、もう百年以上も過ぎてしまった――
「
頭部より伸びた角から、前方のガーディアンに向かって雷撃が放たれる。
エリスは後ろに飛んでそれを回避。
するとリュムは頭を振り乱す。
雷撃はまるで鞭のように振り回され、再度ガーディアンの足元に迫った。
エリスは――
「この威力なら、行ける」
あえて雷撃を避けない。
結界を展開し、前に踏み込む。
稲妻はガーディアンが脚部に展開した結界に阻まれながらも、装甲まで到達。
だがその程度の威力ではミラーコーティングされたアダマスストーンは焼けない。
リュムの攻撃を突っ切って、拳を振り上げた白い大型人形が眼前に迫る。
「だから生意気なんだって!」
フルフュールの口が大きくがぱぁっと開いた。
不揃いだが鋭い牙がずらりと並び、さらにバチバチと雷をまとう。
リュムはそのアギトで、ガーディアンの拳を噛み砕いてやるつもりだった。
対するエリスは、お噛まないなしに真正面から殴りかかる。
「結界術式――」
「噛み千切れろぉおッ!」
牙が人形の腕に食い込み、ガギィッ! と重たい金属音が鳴る。
リュムの後ろ足はわずかに後退したが、そこで止まった。
あとは首を振り回し、捕えた腕を引きちぎるだけだ。
だがもちろん、ガーディアンの攻撃もそこで終わりではない。
拳に魔力が宿り、淡く光を放つ。
「ガーディアンブレイカー」
カッ、とリュムの体内で閃光が爆ぜた。
ゴーレムの拳に搭載されたものと同様の破綻結界だ。
エリスの格闘術の技量はペリアに劣るため、パンチそのものの威力は及ばない。
しかし結界の扱いはエリスのほうが上。
威力はゴーレムが放つ破綻結界の拳とそう大差はない。
それが体内で炸裂したのだ、相当なダメージが入るはずだが――リュムは揺るがない。
彼女はこう思っているだろう、『この程度の攻撃であたしが倒れるわけないじゃぁん!』と。
伊達に“将”を名乗ってはいない。
帝都で大量生産されるモンスターたちとは格が違うのだ。
いくらガーディアンが新型であろうと、単機で倒せる相手ではない。
「もらったぁあああッ!」
ぐいっと首を持ち上げ、人形の関節部からガギッと不自然な音が鳴る。
――その時だった。
すっかり優勢だと思い込んでいたリュムの瞳に、
(結晶砲――嘘でしょ、このゼロ距離で? 自分だって巻き込まれるってのに!?)
ただの脅しかもしれない。
だが、ガーディアンを繰るエリスの殺気はぶれず、今も真っ直ぐにリュムに向いている。
ただの直感ではあるが、『本気だ』と思わせるだけの迫力があった。
リュムは慌てて口を開き、腕を解放する。
その直後――
「結晶砲、発射」
ガーディアンの右肩に載った砲門から、魔力塊が発射された。
「グルゥアアアァアアッ!」
リュムは獣の咆哮を轟かせながら、全力で後ろに飛ぶ。
砲撃はその足元をかすめ、地面に着弾。
大爆発を引き起こした。
焼かれるリュムの体。
さすがにこの至近距離だと、いくら雷撃で相殺し身を守ろうとしても、身を焼かれてしまう。
しかしそれはガーディアンも同じはずだ。
痛み分けなら悔しがる必要もない、すぐに気持ちを落ち着けて次の攻防に集中すべきである。
そう思って空中でバランスを取りながら、リュムはガーディアンのほうを見る。
「んなっ――!?」
彼女は驚愕した。
ガーディアンは足元に結界を展開しつつ、それをさながらサーフボードのように扱い、空中を飛んでいたのだから。
無論、機体は無傷。
(破れかぶれのゼロ距離射撃じゃない。最初からそのつもりで近づいてきたんだ!)
ならば結果が痛み分けであるはずがない。
リュムは劣勢なのだ。
そしてその状況は今も続いている。
空を舞う白銀の重騎士は、魔力結晶砲を獣に向けた。
そう、エリスは先ほど“右側”の結晶砲を使用した。
もう一方は温存していたのだ。
「今度こそ仕留める」
冷酷にリュムを見下ろすエリスは、冷たい声でそう告げた。
ドウンッ! と結晶体が放たれる。
狙うは、ちょうど地面に足を付ける直前のリュム。
タイミングは完璧。
彼女の肉体のスペックからしても、絶対に回避はできない――はずだ。
「やるじゃん」
リュムの焼けた口元が吊り上がる。
その表情から“諦め”は見て取れない。
むしろ――ここからが本番だと言わんばかりの、好戦的な笑みである。
「だったらあたしも全部出しつくす!
帯電するリュムの体。
その余波だけで周囲の空気は歪み、木々は灰と化し、岩土は溶解する。
そしてその足はまだ地面に付いていないにもかかわらず――雷の力が、巨体をガーディアンに向かって打ち放った。
さらに体は激しく回転し、周囲の空気をかき混ぜて、竜巻を発生させる。
万物を切り裂く風の刃。
万物を焼き溶かす雷の瀾。
そして万物を貫き砕く螺旋の暴力が、エリスに向かってくる。
無論、ガーディアンに到達するには放たれた魔力結晶をどうにかせねばならないが――
「くうぅぅ……ッ!」
リュムは呻きながら強引に空中で体をひねる。
砲弾はその体の表面をなぞるように掠めていった。
皮膚を焼かれ、削られ、引っかかれたような痛みを感じ顔をしかめる。
だが、
(やはり一筋縄ではいかない相手)
とっておきの攻撃を防がれ、少し落ち込んだ様子のエリス。
だがそんな感情を引きずる余裕はない。
すぐそこまでリュムは迫っているのだから。
(防ぐ――受け流す――いや、どちらも不可能)
今までの攻撃とは段違いの威力だ、同様の対策では乗り越えることはできない。
だから彼女は防ぐことは考えず、むしろ両拳に魔力を溜め、“迎撃”を選んだ。
「死んじゃえぇっ! こんな世界、滅んでしまえぇええっ!」
「ガーディアン・ブレイカーッ!」
ガーディアンの両手が同時に前に突き出される。
だが二つ重ねても、破綻結界の威力はまったく歯が立たなかった。
己が繰り出した攻撃をそのまま跳ね返されたように、人形は弾き飛ばされる。
腕は軋み、人工筋肉のいくつかが千切れ、操縦席にアラートが鳴る。
それでよかった。
防げない、避けられないのだから、こうして強引に遠ざかるしかないのだ。
それに拳の威力では、リュムの強靭な肉体を貫くことはできない。
決着をつけるのならば、魔力結晶砲以外無いのである。
そして当然のように、ガーディアンに相対するリュムとてそれはわかっている。
だから――
「仕留めそこねようと、これは貰っていくッ!」
彼女が狙うは、両肩の結晶砲。
小賢しい敵は、自分のとっておきの攻撃を、自分では想像できない方法で防いで見せるだろう。
そう最初から予測した上で、相手の切り札を削ぐことを目的に動いた。
そしてその目論見は、見事に成功した。
すれ違いざまに爪を引っ掛け、砲身を引きちぎり、そのまま投げ捨てる。
二本の結晶砲は砂埃を巻き上げながら山に突き刺さり、それから少し遅れて両者は着地した。
「きゃはははっ! 無くなっちゃったね、大事な武器」
「問題ない、本来は付いてなかったものだから」
むしろ身動きが取りやすくなった、と言わんばかりにその場で軽くジャンプするエリス。
「強がるねえ」
「それって自分のこと?」
極電磁螺旋――あの威力の攻撃を連発できるのなら、リュムはとっくに勝っているはずだ。
追い詰められて初めて使ったということは、それだけ消耗が激しいということ。
挑発的な言動は、明らかに強がりである――お互いに。
「てかさぁ、何でさっきからあたしだけで戦ってんの?」
かれこれ数分間戦い続けているが、一緒に来たはずの仲間は一向に援護してくれない。
わざわざモンスターの姿に変わったというのに、ただの傍観者に徹しているというのだろうか。
スリーヴァならそれもあり得る――そう思ってしまう程度には、リュムは彼女を信頼していなかった。
「ちょっとスリーヴァ、見てないで手伝ってよぉ!」
苛立たしげに、ガーディアンの後方に向かって呼びかけるリュム。
しかしそこにいたのは、ローブを纏った巨大な骨の怪物――ではなかった。
赤い人形が立っている。
大剣片手に、何かを踏みつけながら。
「は? 何で、あんたがそこにいんの……しかも、何でスリーヴァがやられて……」
呆然とするリュム。
村の外にいるはずのブレードオーガが、なぜか背後から現れた。
それだけで彼女が混乱するには十分すぎる状況だった。
だがそれ以上に、知ってしまった真実が、リュムの心をかき乱す。
こちらがもたらすのは“混乱”ではない。
「まさか……そういう、こと? 巻き込んでおいて、こんな場所に連れてきておいて――」
“憤怒”である。
「
リュムの感情に連動するように、フルフュールの体が激しく放電する。
ブレードオーガを繰るフィーネは、スピーカー越しにエリスに問いかけた。
「どうなってんだ、あれ」
「……わからない」
リュムと戦っていたエリスもさっぱり事情が飲み込めず、首をかしげた。
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