第26話 ドッペルゲンガーって……

 



 ペリアたちはマローネを連れて、診療所の待合室にやってきた。


 三人に取り囲まれたマローネは、さしずめ罠に閉じ込められた小動物といったところか。




「ごめんなさいぃ……」




 マローネは涙声で肩を震わせ、何度も謝る。




「今回の放火事件に、あんたが関わってるってことか?」


「たぶん……」


「何でたぶんなんだよ。張本人なんだろ」


「私が……火をつけたわけじゃないの。でも、テラコッタの目撃情報があったから、もしかしたらと思って」


「彼女はドッペルゲンガーと言っていた」


「それって、自分そっくりの分身が出てくるってやつだよね。見たら死んじゃうの」


「そう。私は……作ってしまったんです。テラコッタの、ドッペルゲンガーを」




 そう言って、マローネは強く拳を握る。




「作れるもんなのか?」


「できちゃったんだろうねぇ……」


「これまでの話をまとめると、マローネはそのドッペルゲンガーが放火したと言いたいの?」




 彼女は何度も首を縦に振った。




「確かに、それなら被害者のはずのテラコッタが外で目撃されたのもわかる。でもどういうこった? マローネ、あんたテラコッタとは仲違いしたんじゃなかったのか」


「幼馴染だったんだよね」


「……はい。テラコッタとは、家が隣同士で、生まれてからずっと一緒でした。二人で遊んだり、二人でヘロドトスおじいさんの人形劇を見たり、二人で人形について調べてみたり……昔は色々してたんです。でも、近くにいるからわかってしまうんです」


「何をだ?」


「テラコッタと私の間にある、絶望的な才能の差です」


「人形遣いの、ということ?」




 再び頷くマローネ。


 テラコッタは、幼い頃から魔術の才能に溢れていたと聞いている。


 見たところ、マローネは魔術師という雰囲気でもない――彼女の言葉通り、本当にその差は絶望的だったんだろう。




「そしてヘロドトスおじいさんが死んだあと、テラコッタは彼が残した研究を受け継ぎました」


「それっ!」


「へっ?」




 ペリアは急に立ち上がり、マローネを驚かせる。




「私たち、それが知りたくてここに来たの!」


「そう、なんですか……でもドッペルゲンガー理論の資料は、おそらくもう燃えてしまいました」


「火事に巻き込まれちまったのか」


「ドッペルゲンガー……もしかしてその研究って」


「……実は私、その内容までは詳しく知らないんです。いえ、知ろうとしなかったと言ったほうが正しいんでしょう。高度すぎて、直視すると、テラコッタと自分の差が嫌というほど見えてしまうから」


「マローネさん、テラコッタさんのこと好きなんだね」




 ペリアのいい意味で空気を読まない一言が、核心をさらけ出す。


 マローネは顔を真っ赤にして、慌てふためいた。




「っ……!? ちっ、ちがっ! そういうのじゃありませんからっ!」


「でも、好きだから人形遣いになったんじゃないの? 差が見えても、諦められなかったから」


「そうなの?」


「そうなんだろうな」


「そんなんじゃありません! 本当に……本当に、そんな、綺麗なものじゃなくて……」




 何かを思い出したのか、彼女の感情の高ぶりは急激にしぼんでいった。


 うつむき、暗い声で言葉を続ける。




「私、テラコッタが人形遣いの研究に没頭してるのが好きでした」


「やっぱ好きなんじゃねえか」




 フィーネの指摘に、マローネの顔が耳まで赤くなる。




「フィーネ、赤くなってるからやめてあげて」


「でもなあ……」




 フィーネが突っ込まずにはいられないほど、彼女からは好きのオーラが発せられていた。


 しかし気を取り直し、すぐに話を再開する。




「……だけど、研究に集中してる間は、私のことなんて見てくれないんです。好きになるほど、私のほうを見てほしいっていうわがままな気持ちが膨らんでいって」


「マローネさん……本当にテラコッタさんのことが大好きなんだね」




 今度はペリアが指摘した。


 マローネの顔がトマトのように真っ赤に染まる。




「ペリア、そろそろ爆発しそうだからやめてあげて」


「だけどさぁ……」




 反論しないということは、自覚はあるのだろう。


 当然だ、フィーネやペリアの目から見ても明らかなのだから。


 好きすぎて、こじらせているのだ。




「わ、私は……どうにかして振り向いてもらおうと思って、人形遣いの勉強をはじめました。差があるからって、諦めたら、何も変わらないと思って。でも、結局それも……続ければ続けるほど、自分の非力さが明らかになるばかりで」




 無知と全能感は紙一重である。


 きっとこの世で最も自信家なのは、何も知らない人間だ。


 そう、つまり知れば知るほどに、霧は晴れて、立ちはだかる壁の大きさを実感してしまう。


 マローネはそれを見てしまったのだ。


 そしてこう思ったのだろう――『最初から知らなければよかった』と。




「才能がある人にはどうあったって追いつけない。私みたいな凡人には、テラコッタの近くにいる資格すらない! そう思って……私は、距離を置いたんです」


「今は、男を連れ回してるって聞いたが。テラコッタのことを諦めて遊んでるってわけか?」


「……気を良くしたのは確かです。いざテラコッタから離れてみれば、ちやほやしてくれる男がたくさんいる。自分を見てくれる男がそこらじゅうにいる。気持ちよかった。心地よかった。でも……そこにはテラコッタがいないんです」


「結局そこに戻る」


「男を連れ回してたのは、あの子に見せるためです。男に取られるぞと思ったら……私のこと、見てくれるんじゃないかと思って」




 マローネの告白に、三人はほぼ同時に反応した。




「馬鹿だな」


「阿呆」


「そこまでやるなら告白したらいいのに」


「少しは容赦してくれませんかっ!」




 マローネは涙目だった。


 正論なだけに、真っ直ぐに心に突き刺さるのである。




「で、まだドッペルゲンガーの話が出てきてねえんだが」


「それは……二年前、でした。テラコッタから距離を置いた私は、でも、彼女に会えないのが寂しくて……一応、私も人形遣いのはしくれ、人形の外側ぐらいは自分で作れるので……作ってみたんです」


「まさか……」




 エリスは戦慄する。


 仮に思っている通りだとしたら――この女、テラコッタのことがあまりに好きすぎるからだ。




「はい、テラコッタの等身大人形です」




 そして残念なことに、その予想は当たってしまった。




「本当にそうだった……」


「あ、あんた……そりゃやべえだろ。いや、何でそこまでするのに、テラコッタに告白しねえんだ?」


「だって、だってテラコッタは人形遣いに夢中で! 私のことなんて見てくれなくて! もし断られたら……私は死ぬしかなくなるじゃないですか! そんなの怖すぎるっ!」




 いや、お前が怖いよ――フィーネとエリスは二人同時にそう思った。




「わかるなぁ……私も寂しいとき、フィーネとエリスの小さな人形を作ったりしたから」


「人形遣いあるあるなのかそれ!?」


「でもペリアの場合はかわいい」


「確かに」




 二人は納得した。




「んで、その等身大人形って……聞いた限りじゃ、外見だけなんだろ? なんで動き出したんだよ」


「わかりません。でも、一ヶ月ほど前から急に動き出して、喋りだして。本当に、テラコッタ本人としか思えないような行動をはじめました」




 エリスが視線で『そんなことありえる?』とペリアに問う。


 彼女は首を振って『ありえない』と答えた。


 そう、それは現実的にありえないことだ。


 人形魔術とは、人形を操る魔術。


 自律して動くのはまったく別の分野であって、目指す方向性が違うのだ。




「私が望めば、何だってしてくれる。私のことだけを見てくれるテラコッタ……夢みたいな毎日だったんです」


「……じゃあ、恋人みたいなこともさせたのか?」




 マローネは首を振って否定した。




「どこまでを想像しているのかは知りませんが……できませんでした」


「だろうな。余計に虚しくなるだけだ」


「だから、かもしれません。ドッペルゲンガーは私が遠慮するたびに不満そうで」


「それが一人でに逃げ出した」


「一週間ほど前のことです。探したんですが、ぜんぜん見つからなくて。テラコッタと入れ替わってるかも、と思ってすれ違って様子を見たりもしてたんですが……結局見つからずに、どうしようもなくなって。そのままいなくなるならいいと思ってたんですが……ごめんなさい。私のせいで、本当にごめんなさいっ!」




 彼女な金色の髪を振り乱し、必死に何度も謝った。


 フィーネは困った様子で頭をかく。




「あたしらに謝られてもなあ。テラコッタに直接言えよ」


「それ以外に方法はない」


「……はい。わかってます。こうなった以上は、もうそれしかないんだって」




 思いつめた表情のマローネは、それこそ償いのためなら命まで捧げそうにも見えた。


 ペリアたちとしても、テラコッタ側が彼女のことをどう思っているのかわからないので、これ以上はマローネの事情には首を突っ込めない。


 となれば、最も重要なのはドッペルゲンガーの行方だ。




「ドッペルゲンガーはマローネとのやり取りに不満を覚えてたんだよな」


「自分が求められないのは、本物のテラコッタがいるからだと考えた」


「それで火をつけて消そうとした……だったら今も、テラコッタを狙ってるんじゃないかなっ」




 ペリアたちがその結論に達した直後のことだった。


 診療所の奥から窓ガラスが割れる音が聞こえ、「きゃああぁあっ!」という女性の叫び声が響く。


 三人はマローネを置いて、音のした場所へと駆け出した。




「おらぁっ!」




 フィーネは扉を蹴破り、部屋に突入すると、背中の剣を抜く。


 そこに立っていたのはテラコッタだった。


 テラコッタが、ぐったりと意識を失ったテラコッタを抱えている。




「てめえがドッペルゲンガーか」


「あなたは誰?」


「剣王って言や、ピンとこねえか?」


「わかんないなあ。僕、マローネのこと以外に興味ないから」


「そうかい。だったらここで覚えていきなッ!」




 フィーネはテラコッタ――否、ドッペルゲンガーに斬りかかる。


 その後ろでは、ペリアが糸を伸ばし、彼女の動きをアシストしていた。


 ドッペルゲンガーに刃が襲いかかったのは、フィーネが前に飛び出したのとほぼ同時。


 限りなくゼロに近い速さで斬撃を繰り出す。




「覚えてほしいなら、傷ぐらいは付けないとね」




 しかしドッペルゲンガーは、その刃を指で挟んで止めた。




「馬鹿な、こいつ……!」




 そしてもう一方の手から、溶岩のようにどろりとした炎を湧かせると、腕を振り払いフィーネに飛ばす。


 飛沫は刃を形作り、彼女の首を狙った。


 エリスが防御壁でそれを止めようとするが、まったく防ぐことができない。


 フィーネは全力で後退。


 さらにペリアに引っ張られ、どうにか避けることができた。




「じゃあね」




 ドッペルゲンガーは、指だけで支えていた剣を投げ捨てると、テラコッタを連れて窓から逃走した。


 剣が地面に落ちると、その重さにガゴンッ! と床がひび割れる。


 その衝撃に、床にしゃがみこんでいたテラコッタの母と、彼女を支える父は肩を震わせ怯えた。


 フィーネは自らの手のひらを見てつぶやく。




「あいつ、魔獣なんかじゃねえ」


「でも追わないと、テラコッタが危ない」


「ああ、わかってる! ペリア、あたしたちが時間稼ぎをするからお前は――」




 そう呼びかけるフィーネとエリスの手を、ペリアは両手でぎゅっと掴んだ。


 そして真剣な眼差しで言い聞かせる。




「私、ひどいことを言ってるかもしれないけど……まず、自分の命を最優先してね? 私、フィーネちゃんとエリスちゃんが傷つくのが、一番悲しいからね?」




 ペリアは優しい。


 だが、聖人ではない。


 自分の中で、大切なものの順番はしっかりと決めてあるのだ。


 本当に追い詰められたときは、嘆きながらも、下から順に切り捨てていくだろう。


 そしてその一番上にあるのが、フィーネとエリスなのである。


 二人は手を握り返すと、笑みを浮かべた。




「もちろんだ」


「ペリアを悲しませる人間は極刑。自分も例外ではない」




 その言葉に安堵したペリアは、そっと手を離す。




「じゃあゴーレムちゃんを取ってくる。すぐに向かうから、無茶しないでねっ!」




 そして彼女は病室から出ていった。


 傀儡術式で自らの肉体を強化し、その細い手足からは想像できないスピードで駆け抜ける。


 フィーネとエリスも、窓から出てドッペルゲンガーの追跡を始めた。




「あいつの正体、やっぱりあれ?」


「ああ、あの魔術の威力……間違いねえ」




 敵の気配と匂いを追い、彼女たちは疾駆する。




「――モンスターだ」




 戦う術ではなく、時間稼ぎの方法を考えながら。



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