嫌悪

1.

「あなたいま好きな人はいる? いないわね、そうでしょ? だったら私とお付き合いしましょう、それがいいわ。素敵なことよ。お互いに求めるものがきっと得られるって、そう思わない?」


「…………は?」


 いきなりペラペラとまくしたてられて、わたしはぽかんと口を開けるのが精一杯の反応だった。


 七月に入って一気に気温が上がっていた。例年よりも早い夏の空気だけど、そのせいで目の前の人物は頭が沸騰しているんじゃないかと思う。少なくとも良識ある人間なら出会い頭に知り合いでも何でもない人間をこうも自分本位に口説いたりはしないはずだ。


 それも同性をだ。控えめに言ってどうかしているし、率直に言って頭がおかしい。


「返事を聞かせてもらえないかしら?」


 そしてなぜあんなトチ狂った物言いをしておきながら優雅に首を傾げているのか。イカれた物言いとは裏腹にやたらと容貌が美しいのがまた不可思議さに拍車をかける。私に言いよってきた(私の解釈が本当に正しければだけど)女は一言で言うならば美女だった。キレイでもカワイイでもなく、美しいという言葉が妥当。


 目はぱっちりと大きく気が強そうで、まつげが長い。日本人にしてはやたらに高い鼻と色素の希薄な肌色は本当に自分と同じ人種か疑わしいけど、先程の流暢な日本語はネイティブな発音だった。ネイティブジャパニーズである。でも鼻から下だけなら白人だと言っても通用するだろう。


 写真写りが良すぎるだろうな、と思わせる顔と、あまりに理解しがたい物言いのせいで、眼の前にいるというのにモニターを隔てた向こう側のように価値観の開きを感じる。とても同じ世界の住人とは思えなかった。


 背中まで伸びた髪は綺麗な金髪で、都会ならいざしらず、地方の大学生にしては派手で垢抜けている。自分で染めたのか知らないが、染め慣れていると思えた。そういうところも、私とは相容れない。


「あのね、誰だか知らないけど冗談なら随分と趣味が悪いわ」


 呆気に取られたままの私に変わって、一緒に食事を取っていた海来みらいが口を開いた。


「そうね、冗談だとしたら悪質だわ。でも安心して、私本気だから」


 一切怯む様子はなく、そう言って微笑む顔は上品だ。彼女の容姿によく似合う微笑みだが、発言を鑑みるに胡散臭さが色濃い。


「それで? 返事は?」


 考える暇など与える気もないようで、すぐに返事を催促してくる。わたしと交代で呆気にとられた友人と顔を見合わせてから、ようやくわたしは意味のある言葉を口にした。


「……返事なんて聞くまでもないんじゃない?」


「そう。それじゃイエスね」


「その冗談は笑える」


 目一杯無表情でそう言うと、女は何がおかしいのかくすくす笑った。まさか本当にいまのが面白い冗談だと思っているわけでもあるまいに。


「何がおかしかったの?」


「新鮮な反応だったから。やっぱりいいわね、あなた。とっても私好み」


 ああ、どうやらこいつは遊び人だな、となんとなく察する。私好み、なんて初対面で言い放つ輩が真摯に恋人一筋です、なんて態度を取る訳がない。この手の人間は自分の刹那的な愉しみを相手も共有していて、自分が遊び飽きる時には相手も飽きていると思い込んでいるのだ。


「それはどうも。あなたはとっても私好まない感じよ」


「斬新な日本語ね」


「あなたの口説き文句も相当斬新じゃない。同じ文化圏で育ったとは思えない」


「あいにく留学経験はないのよね。ご期待に添えず申し訳ないわ」


「何も期待してないから気にしないで」


 それなりに辛辣な返事をしているつもりなのだが、なぜか言えば言うほどこの女は愉快そうに微笑む。気持ち悪いぞこいつ。


「あなたマゾなの?」


「イエスでありノーでもあるわね。どちらも楽しめたほうが人生は得だわ」


 へんたいだ、と向かいに座った海来の口が声に出さずに動いた。全面的に同意だ。


「そもそもあなた、さっきのは一応告白ってことでいいの?」


「あら、それ以外に聞こえたのなら驚きだわ」


 こいつ、私には皮肉が有効だと早くも気づいたらしい。いちいち腹立たしい。でも確かに有効だ。私はつまらない話なら無視できるけど、腹立たしい物言いには反論しないと収まらない性分だった。


「私のことを何も知らないくせに告白してくるなんて、それでどうして成功すると思ったのか是非聞きたいわね」


「何も知らないなんてことはないのよ、遙華はるか


 あまりに呆気なく名前を呼ばれる。思わず海来と顔を見合わせた。


「でも知らないことはきっとたくさんあるでしょうね。だからお付き合いするのよ、お互いをもっとよく知らなくっちゃ。そうでしょ?」


「あなたってストーカーなの?」


「好きな人のことを知りたいと思うのは普通のことでしょう?」


 否定しろよ。


「遙華、相手するだけ無駄よ」


 いつの間にか昼食の皿を空っぽにしていた海来が言う。私は海来より食が細く量が少なく、つまりとっくに食べ終わっていたので、海来と一緒に席を立った。


「それじゃ、さよなら。ええと?」


一夏いつかよ」


「そう。一夏さん、あなたは知らないようだから教えてあげるけど、わたし男は嫌いだけど、女はもっと嫌いなの。悪いけどあなたとはお付き合いできそうもないわね」


 普通ならそれで諦めるだろう。そもそもこれだけ適当にあしらわれていればこちらにその気がないのはわかりすぎるほどにわかったはずだ。


 だというのに。


「そうかしら?」


 女は(イツカだっけ? 覚えられるかわかんないけど)楽しげに微笑んだ。


「何が言いたいの」


「あなたは自分を女嫌いだって言うしそう思ってる。でもそれは本当かしら?」


「本当よ」


「思い込みかも」


「何が言いたいの、って聞いたんだけど。遠回りが好きなら付き合いきれない」


「あなたは女が好きってこと。私とおんなじでね」


「…………」


「図星かしら?」


「……あまりに突拍子もないから反応できなかっただけよ」


「だといいわね、あなたにとっては」


 頬に添えるように一夏の手が伸ばされる。ほとんど条件反射で身を引いた。


「ちょっと、やり過ぎよ」


 身を引いた私と入れ替わるように海来が前に進み出た。


「ナイト様ね。遙華につきっきりの。名前は確か……」


「海来。でも覚えてもらわなくて結構よ」


「あなたも可愛い。でも髪が短いのは勿体無いわ。短いのも好きだけどあなたは長いほうが似合うと思うけど?」


「余計なお世話」


「私って世話焼きなの」


 数秒か数十秒か、私たちは二対一で睨み合う。数ならこっちの方が有利なのに、軽薄なフリして意味深なことばかり言う一夏には見透かされてるみたいで落ち着かなかった。見透かされてる? 何を? 私は嘘なんてついてないし、見透かすものなんて無い。なら問題もない。


「行こう、海来」


 眉間に力が入って前のめりになりつつある海来を促してその場を離れる。何も言わないどころか微笑んで見送る一夏が不気味だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る