第十六章 ドラゴンの巣
第一話 行ってみたい
まだ残っている雪の間から、草木の柔らかな緑が鮮やかに見えていた。湖の氷はすぐに砕けるくらいに薄く柔らかくなっていた。柔らかな陽射しに空気もぬかるんでいた。
船上で景色を眺めていたシルが、木々の影に見え隠れするウペラの角を指差す。その白い横顔を眺める。銀色の髪が暖かな陽射しを反射して虹色に輝いている。
「シルは、レキウレシュラに行きたいと思う?」
椅子に座っていたシルは瞬きをして、後ろに立つ俺を振り返って見上げてきた。俺は櫛の動きを止めて、シルを見下ろして応えを待つ。
沈黙が続いて、こんなこと聞くんじゃなかったって不安になり始めた頃、ようやく口を開いた。
「ユーヤは、一緒だよね。約束だよね」
シルの言葉に、俺は慌てて大きく頷いた。
「シルのことを勝手に置いてったりしない。一緒にいる。約束」
「ユーヤと一緒なら行ってみたい」
俺の言葉に嬉しそうに笑って、シルはまた前を向いた。俺が髪を梳かし始めると、そのままシルが言葉を続けた。
「レキウレシュラにはドラゴンがいる?」
「それは、わからないけど。でも、シルみたいな髪の色の人がいるって。それに、シルが歌っていた雪の歌」
「レキウレシュラの歌なんだよね?」
「そう。だから、シルのことが何かわかるかも。わからないかもしれないけど」
それ以上何を言ったら良いかわからなくて、俺は誤魔化すように櫛を止めて「髪の毛おしまい」と声をかけた。シルがまた振り返って俺を見上げる。
「あのね、ユーヤ」
梳かしたばかりの髪がさらりと揺れて、部屋の灯りを映して輝いた。俺はまだ言葉を見失っていて、黙ったまま首を傾けた。
「今まで、初めて見るものがたくさんで楽しかった。わたしはずっと動けなかったけど、ユーヤが来て動けるようになって、楽しいことがいっぱいあった。どこかに行くのも何かわかるのも楽しい。だから、わたしはレキウレシュラに行ってみたい。ドラゴンがいるなら会ってみたい」
きっと俺は、なんのためにレキウレシュラに行くのかって、この時になってもどこかで考えていたんだと思う。
ドラゴンなんか見付からなくても、本当のことなんかわからなくても、構わないんじゃないかって。このまま、何も知らないまま、ずっとシルと旅をしていたって良いじゃないかって。
シルに「行きたい?」って聞いて「行きたくない」って言われたら、レキウレシュラには行かずにずっと、ずっとこうして旅を続けていられるんじゃないかって。
「楽しいことは全部ユーヤがいたからで、ユーヤが助けてくれたから。だから、ユーヤと一緒が良い。ユーヤと一緒にレキウレシュラに行きたい」
そう言って笑ったシルが、椅子から立ち上がる。そして俺の手から櫛を取り上げた。
「今度はユーヤの番」
シルに促されて、俺は髪に結んでいた
シルは俺と一緒にいるって約束してくれた。俺もシルに一緒にいるって約束をした。けど俺は、きっと自分の約束を信じきれていないんだと思う。まっすぐなシルと違って。いつまで経っても。
「シル」
声をかけて振り向けば、シルは手を止めて俺を見下ろした。俺はさっきのシルみたいに、シルを見上げる。
「一緒に行こう」
本当はもっと、いろいろと言いたいことがあった気がする。約束のこととか、ここまでの旅のこととか、この先のこととか。でも、それをどう言葉にして良いかわからなくて、出てきた言葉はたったそれだけだった。
それでもシルは嬉しそうに笑って、頷いた。
ウペラの角を追いかけていたシルの視線は、今度は飛び立つ黒い鳥──
シルの髪が広がって、風の流れが見えた。湖の上を滑る風はひんやりと
シルは顔にかかる髪に頭を振って、くすぐったそうに笑って俺を見た。
トネム・センルベトは、トネム・イカシによく似た街だった。トネム・イカシよりも少しだけ雪解けが遅いかもしれない。到着したのはもう夕方で、街のあちこちで
到着したらまずは、泊まるところを見付ける。船の人、船を降りた先の人、食べ物を売っている店の人、と聞いて回って辿り着く。ただ聞くのも申し訳なくて、店ではちゃんと買い物もした。木の器に入った
宿屋らしき建物で先に幾らか支払って部屋に案内される。「
その日はそのまま部屋で
そんなにすぐに何かが変わるはずもないのに。
そう思いながらも、俺は弱くて自信もないから、自分の中の不安をどうにもできないままだった。
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