第十五章 雪の季節

第一話 寒い季節の楽しみ

 俺とシルはトネム・イカシで寒い季節タルミ・ウシを過ごすことになった。ルームさんが宿の人と話して、次の暖かい季節カサミ・ウシまで泊まっていいことになったらしい。料金は前払いで。それは、寒い季節タルミ・ウシの間の薪や食料を用意するためのお金でもあるんだと思う。

 それ以外だと、暖かい服や織物なんかも買い足した。宿屋の人に頼んだ食料以外でも、自分たちで食べたいものも買ったりした。ドライフルーツだとか、保存食の瓶詰めのフルーツなんかだ。

 この街の人たちはみんな働き者だ。昼間は森に行って食べ物を集めてきて、それをせっせと保存食にする。燻製肉、干し野菜、干しきのこ、ドライフルーツ、瓶詰め、果実酒。

 そして夜になったら街のあちこちで飲み食いして踊り歌う。本当に毎日。すごいエネルギーだと思う。

 そんな暖かい季節カサミ・ウシが終わる前に、ルームさんはトネム・イカシを旅立った。またチャイマ・タ・ナチャミを経由して、バイグォ・ハサムに行くらしい。ルームさんが背負っている荷物の中身は、もしかしたら来た時とは全然違うものなのかもしれない。そうやって、旅をして暮らしている人なんだ、というのがなんとなくわかった。

 トネム・シャビを訪れる旅人マスタヤは、大体が暖かい季節カサミ・ウシにきて寒い季節タルミ・ウシが始まる前には去ってゆく。ルームさんのように。

 同じように暖かい季節カサミ・ウシにやってきて寒い季節タルミ・ウシに飛び去る渡り鳥のことも旅人マスタヤと呼ぶらしい。旅人マスタヤ渡り鳥マスタヤ、どちらが先にあった言葉なんだろうと思ったりもした。答えはわからないけど。

 だから最初のうちは、寒い季節タルミ・ウシをトネム・シャビで過ごそうとしている俺とシルのことを、宿の人たちは珍しがっていたみたいだった。普段しないことをさせているなら迷惑だったりするだろうか、食べ物だって分けてもらっているし、と心配していたけど、みんな快く受け入れてくれた──と、少なくとも俺からはそう見えた。

 そうして、気付けば急に夜が寒くなった。朝には霜で地面が白くなった。湖に氷が張るようになった。そう思っているうちにルミが降り出した。寒い季節タルミ・ウシになるのはあっという間だった。

 暖かい季節カサミ・ウシの間、あんなに活動的で賑やかだった街だけど、寒い季節タルミ・ウシが始まった途端、静かな街になった。歌い踊るのは終わりと、誰もが急に家に引っ込んだ。

 そして、ある日降り始めたルミは昼も夜も降り続け、次の日も降り続け、その次の朝には家が埋もれるくらいに積もっていたのだった。




 雪が積もっている間、家の出入りは二階からするらしい。二階の廊下の突き当たりにドアがあって、その先になんだか玄関みたいなスペースがあると思っていたのだけど、それは間違いなく玄関だったみたいだった。寒い季節タルミ・ウシ用の。

 とは言っても、外は雪。特に天気の悪い日は、わざわざ外に出るようなこともない。

 建物の奥に勝手口のようなドアがあって、そこを開くと壁に囲われた土間になっている。家の中は暖炉の熱が巡るようになっていて暖かいのに、土間の空間だけはじっとりと冷たい。壁のすぐ向こうに雪が積もっているのが伝わってくる、冬の空気だ。

 そこに、寒い季節タルミ・ウシの間に使う薪が積み上がっている。倉庫のように他にも様々なものが置かれているみたいだった。その空間からさらに、地下に貯蔵庫があって、薪と同じように食料や保存食はそこに貯めてある。

 この辺りでは、雪の間は外に出なくても良いだけの備えをするものらしい。

 宿の人にはよく声を掛けられて、特にケヴァさんというその家のおばあさんに頼まれて、俺とシルはその家の子供たちと一緒に土間や貯蔵庫に向かうことになった。そこで、子供達がひんやりした野菜だとかパントゥを焼くための粉だとかを探し出す。俺とシルは一緒にそれを持ってケヴァさんのところに戻る。

 ケヴァさんは銀髪のような白髪をまとめ上げて、首も顔も手もシワだらけなのだけど、しゃきしゃきと動き回る元気な人だ。それで、いつも美味しいものを作っている。

 そんなケヴァさんに頼まれる仕事を、シルは楽しんでいた。何度か手伝っているうちに材料と出来上がりの料理の関係がわかってきたらしい。料理の名前もいくつか覚えた。自分が運んでいる食材を見て「今日はチーズのパンジュスタトゥが食べられる?」なんて言うようにもなった。

 俺とシルはそんな風に話しかけられたり、何かちょっとした手伝いをお願いされたり──理解できる言葉はまだ少ないけど、何かと気にかけてもらえるのはわかる。寒い季節タルミ・ウシは家から出られないから、そうやって仕事をするのも楽しいことというか、娯楽のようなものなんじゃないかって気がした。

 パントゥを捏ねて形を作るのも楽しい仕事だった。ケヴァさんの言葉はわからないものも多かったけど、身振りと合わせてなんとか理解できた。ケヴァさんに止められなかったから、きっと大丈夫。その様子を見ているうちにシルもやりたがって、二人で代わりばんこに捏ねる。

 そうやって、シルが体重をかけてパントゥを捏ねていたら、ケヴァさんが褒めてくれた。最初はケヴァさんに何を言われているのかわからなかったけど、どうやら「ハイバ・クトー」というのは、相手を褒めている言葉らしい。感謝と悩んだけど、食材を運んできたときに言われる「イトス」の方が感謝の言葉に近いような気がしている。

 シルがこねたパンを手のひらでぺたぺたと触ると、にこにこと笑って「ハイバ・クトー・ハイバ」と繰り返した。


「ハイバ・クトー」


 シルがその言葉を繰り返す。意味はわかっていないんだと思う。


「多分だけど、上手とか……褒めてるんだと思う」


 俺の言葉に、シルはびっくりしたように目を見開いて、何度か瞬きをして、それから自分がこねて今はまあるくなっているパントゥの生地を見下ろした。

 それから、俺を見て笑った。


「ハイバ・クトーって、嬉しい」

「『イトス』っていうのが『ありがとう』って意味みたいだよ」


 シルはちょっと考えてからケヴァさんの方を振り向いて、何か言いたそうに口を開く。言葉はすぐに出てこなくて、困ったような顔で俺を見る。俺はただ頷いた。大丈夫、という気持ちで。

 それでもう一度ケヴァさんの方を見たシルが、また口を開く。今度は思い切ったらしく、声も出てきた。


「イトス……ハイバ、クトー、イトス」


 ケヴァさんはたどたどしいシルの言葉を笑って受け取ってくれた。それで大きく頷いて、もう一度「ハイバ・クトー」と言ってくれた。シルも嬉しそうに笑った。




 その後、大きなパントゥの生地を小さく切り分けて、一つ一つにチーズジュスタの欠片を詰めて包んでころころと丸める。子供たちもやってきて、みんなで仕事をした。

 そうやって出来上がったたくさんの生地を暖炉の火を使ったオーブンで焼けば、チーズのパンジュスタトゥになる。焼きたてはチーズジュスタが柔らかく溶けていて、パントゥの生地もほかほかと温かくて、口の中で噛むとパントゥはほんのりと甘くてチーズジュスタが塩っぱくて良いにおいで、美味しい。

 そこでケヴァさんはきっと、今日のチーズのパンジュスタトゥはシルが捏ねたのだと言ったのだと思う。みんな口々にシルに向かって「美味しいハンナ」「ハイバ・クトー」と声を掛ける。チーズのパンジュスタトゥを頬張っていたシルは顎をあげて口の中のものを飲み込むと、嬉しそうに笑って「イトス」と言った。

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