第四話 歌い踊る夜

 楽器を持った人が集まって音楽が流れる。その前に踊る人たちが集まる。その周囲には簡単な造りのテーブルや椅子があって、飲み食いする人が集まる。

 ルームさんにその喧騒の中に連れてこられた。そして、近くの店で買ったリハトゥやナティトゥや、あるいは名前を知らない似たような食べ物の器を渡される。多分この辺りで待っているようにと言われて、俺が「はいチャイ」と返事をすると、ルームさんは人混みの中に紛れてしまった。きっとルームさんはルームさんで、何かの用事があるんだと思う。

 シルは椅子に座って食べている間も、近くで踊っている女の人の様子を真似て小さく足を動かしていた。シルが三つ目を食べ終えたところで、その女の人がこちらを見て笑った。

 そして近くまで寄ってきて何かを言う。何を言われたのか聞き取れなくて聞き返したら、シルの腕を取って引っ張る。シルは瞬きをして、俺とその女の人の間で視線を動かした。言葉はやっぱりよく聞き取れなくて──かろうじて「タッシ」という単語はわかった。意味はわからないけど。


「多分だけど、一緒に踊ろうってことじゃないかな」


 俺がそう言えば、シルは飛び上がるように立ち上がって、腕を引かれるまま踊りの中に入っていった。

 カラムランさんのときと同じだ。お互いに言葉はわかってないんだろうけど、女の人が踊るのを見て、シルが真似する。長い髪をぐるりとなびかせてシルがくるくると何度も回ったら、周囲の人が手を叩いて歓声をあげた。

 他にも女の人が何人か集まってきて、シルの周りを囲んでシルに立ち姿、回り方、手の広げ方、そんなものを教えているみたいだった。

 片足を前に出して左手は腰に、右手を上げて、その格好のままぴょんぴょんと跳ねる。かと思えば前後に大きく跳ねて、くるりと回って──シルが真似をする度に、女の人たちが手を叩いて喜んで、それでシルも嬉しそうに笑う。

 時々俺の方を見て、目が合うと俺のところまで跳ねるように駆けてくる。


「ユーヤ! ユーヤ! まだ踊ってても大丈夫?」

「大丈夫だけど、お腹空かない? 食べなくても大丈夫?」

「お腹空いた!」


 シルはそう言って、テーブルに置きっ放しの器からナティトゥを一つ摘んで、口に放り込んで、少しの間咀嚼してたかと思うと、顎を上げて飲み込んで、その勢いでまた踊りの中に入ってゆく。すごい勢いだった。

 それでまた、他の女の人たちと一緒に跳ね回り始めてしまった。




 シルがそうやって、どのくらい踊っていたのかわからない。女の人たちは時々踊りの輪から外れて何か飲み物──お酒かもしれない──を飲むし、そうやって少し休んだらまた踊りの中に入ってゆく。入れ替わり立ち替わり、いつもそこでは誰かが踊っていた。

 シルも時々は俺のところにやってきて、何かを摘んで食べたりエフウを飲んだりしていた。ちっともじっとしていない。

 用事を終えたらしいルームさんが戻ってきて、俺が一人なのを見て変な顔をした。何度か瞬きをしてから、踊りの方を見て「チャー」と小さく呟いた。隣の椅子に座ったルームさんになんて言えば良いかわからなくて、困った挙句出てきたのは特に意味のない「はいチャイ」だった。


「チャーチャー・パーソム」


 そう言って、ルームさんは笑った。そうして、自分が持ってきた器から小さな果物っぽいものを摘み上げて口に入れた。小指の爪ほどの大きさで、夜の景色の中では黒っぽく見えた。

 ルームさんは何も言わずに、その器を少し俺の方にずらした。食べて良いってことなんだと思って、俺もそれを一粒摘み上げる。甘酸っぱいにおいに鼻をくすぐられる。

 指先に、水分が詰まっている感触があって、ぎゅっと力を入れると潰してしまいそうだった。口の中に放り込んで舌先で潰せば味はぎゅっと濃くて、その小さな粒のどこにこんなに詰まっていたのかと思ってしまう。

 もう一粒摘み上げたところでシルがまた駆けてきた。


「ユーヤ! それなに? 食べてみたい!」


 その勢いに、摘み上げていた指をそのまま差し出せば、シルはぱくりと俺の指先を咥えた。シルの舌が俺の指先から小さな果実を奪って、また離れてゆく。

 顎を上げて飲み込んだシルが「美味しい!」と笑って、それからルームさんを見た。


「もう、終わり?」

「シルは、まだ踊っていたい?」


 俺の言葉に、シルは勢いよく頷いて、でもすぐに思い直したように首を振った。


「踊ってたいけど、大丈夫。終わりなら、もう大丈夫」


 広がったシルの髪の毛が落ち着く前に、俺はルームさんに声をかける。


終わりですか?クニュ・ソンチュ

違うヤメイ終わりソンチュ


 ルームさんは俺とシルの顔を見比べて笑うと、またいつもみたいに「チャーチャー」と言った。俺もいつもみたいに「ありがとうクゥクンクゥ」と返す。


「まだ踊ってても大丈夫みたい」


 俺の言葉に、シルはぱっと顔を上げて、嬉しそうに頷いて、また踊りの方に走っていった。

 駆けていったシルを出迎えた女の人──もしかしたら、俺と同い年くらいかもしれない──が、シルと向き合ってシルの両手を握る。戸惑うシルに笑いかけて、曲に合わせて飛び跳ねる。

 一瞬、シルは戸惑った表情を見せたけど、すぐに笑って真似て飛び跳ねた。そして、そのまま二人で両手を握ってくるくると回り始める。ぴょんぴょんと跳ねながら回るのは疲れそうだけど、シルも、一緒に回っている女の人も楽しそうに笑っている。


「ユーヤ」


 ルームさんに声を掛けられて振り向けば、思いがけず真面目な顔をしていた。俺は小さく「はいチャイ」と答えて、続く言葉を待つ。


「レキウレシュラ・ク・とてもマク寒いイーン

はいチャイ


 それから、ルームさんは少し黙った。言葉を選ぶように。


「カサミ・ウシ・ソンチ・レウニー」


 暖かい季節カサミ・ウシ。「ソンチ」は確か「ソンチュ」が「終わること」で、それと似たような意味だったはず。「レウニー」は何かの出来事の前に聞く言葉だった。例えば、もうすぐ到着するとか、この後に何か食べるとか──だから俺は「この後」とかそういう意味だと思って聞いていた。

 だからつまりこの言葉は、「この後、暖かい季節カサミ・ウシが終わる」って意味だ。暖かい季節が終わる──そうしたらきっと寒い季節タルミ・ウシになる。

 考え込んでしまった俺を安心させようとしているのか、ルームさんはいろいろと話してくれた。

 ルームさんはきっと、俺たちを心配してくれている。寒い季節タルミ・ウシにレキウレシュラに行くのは駄目メタイだと言われた。その理由は俺にも想像ができた。

 レキウレシュラという場所はとてもマク寒いイーンとてもマク多いママーイヒーム。きっと危ない。雪に埋もれに行くようなものなんだと思う。

 そして多分だけど、次の暖かい季節カサミ・ウシまで待てと言ってくれている。

 俺は顔を上げて「はいチャイ」と答える。行くなと言われているわけじゃないのはわかった。ただ、待てと言われているだけだ。

 大丈夫、そういう気持ちを込めてもう一度「はいチャイ」と言った。

 ルームさんがほっとしたように笑う。


「チャーチャー・パーソム」


 ルームさんが言うその言葉は、俺にはやっぱり「大丈夫」って聞こえた。

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