第六話 同じでも同じじゃなくても

 スパイスの効いたにおい。ごろごろとした肉と、よく煮込まれて柔らかくなった何かの野菜。それから今度のクフ・プワには、穀物の粒の代わりに麺状の具が入っていた。バイグォ・ハサムで食べたストゥ・ティヤとは少し食感が違う気がした、くらいしか違いがわからない。

 それでも雰囲気がかなり違うのは、スープが全然違うからかもしれない。思い返せば、バイグォ・ハサムで食べたものは魚介のスープが多かったと思う。クフ・プワは肉の味が強い。具だけじゃなくて、スープにもワンマが使われてるのかもしれない。

 シルはまた、肉の塊で口をいっぱいにしていた。唇の端からスープが流れ落ちるのを見て、相変わらずだなと、指先でそっと拭う。シルが俺の方を見て、くすぐったそうに目を細める。

 俺は指先の持っていき場を見失って、慌ててクフ・プワに視線を戻す。慌てる必要なんかないのに、とは自分でも思った。


 カラムランさんは一緒にクフ・プワを食べて、そのあとのデザートを食べるまで俺たちに付いてきた。ルームさんと話している様子を見ると、会話の内容はわからないけどずいぶん親しげに見える。でも、それはもしかしたらさっきの踊りを見たせいで、俺が勝手にそう思ってしまってるだけかもしれない。




 シャソチャロという名前の焼き菓子だった。一口サイズに切り分けられたものを指先で摘んで持ち上げる。生地がぎゅっと詰まっていて、見た目の割に重い。

 口に入れると、最初にスパイスのにおいと刺激を舌に感じた。そのあと、ほんのりと柔らかい甘さ。味わうように噛めば、スパイスがぴりと舌を突っついた後に、滑らかな生地の甘さが撫でていく。

 シルは一つ摘んで口に入れてすぐ、目を見開いて、それから何度か瞬きをした。そのまま口の中で噛んでいるうちに、きっとどんな味なのかわかったんだと思う。目を細めて、俺の方を見る。


「甘いと思って食べたからびっくりしたけど、これ、美味しい」


 口の中のものを飲み込んで、シルがそう言った。


「俺も、最初はちょっとびっくりした。でも、うん、美味しい」


 俺の言葉に、シルは嬉しそうに笑って、それからまたシャソチャロを一つ摘んで口に入れる。俺ももっと食べたくて、もう一つ摘み上げた。

 シルと目が合って、笑い合う。


 シャソチャロが美味しかったので、あとで食べたくて、包んでもらった。

 そうしたいってことがなかなか伝わらなくて、ルームさんと二人向かい合って、言葉や身振りで頑張って意思疎通をしていた。その様子を見たカラムランさんが、ぱっとお店の人のところに行って、シャソチャロをたくさん包んでもらって、その包みを俺に差し出してきた。

 ルームさんが、俺を見る。「合っているのか?」とでも言いたげに。

 俺は思わず頷いてしまってから、慌てて「はいチャイありがとうクゥクンクゥ」と声に出して、カラムランさんが差し出す包みを受け取った。

 ルームさんは小さく息を吐くと、自慢げな顔をしているカラムランさんに、小さな声で「カージュ・パティ」と言った。

 自信はないけど、これは「ありがとう」って意味かもしれない。




 ルームさんに宿屋まで送り届けてもらって、シルと二人取り残される。ルームさんはどうやら、何か用事があるらしい。その用事がカラムランさんに関係しているのかは、わからない。

 宿屋からあまり離れないようにしながら、またシルと散歩する。

 崖の上まで登って、また降りてきて、実のところだいぶ疲れてはいたんだけど、そんなに遠くまで行かなければ、また戻ってくるくらいの体力は残っていると思う。

 谷間の風は強い。シルの長い髪が、風に煽られて広がる。

 宿屋の方を気にしながら、少しだけ階段を登る。登った先の、踊り場のような少し広くなったところで、少し座って休憩をする。

 見上げれば、空はまた切り取られてしまった。入り込んでいた陽射しも位置を変えて、別な場所を照らしている。


「ユーヤ」


 立ち上がって周囲を眺めていたシルが、俺を振り返って見下ろす。俺は座ったままシルを見上げる。切り取られた空を背景に、シルの顔は影になっていたけど、それを縁取る銀色の髪が白く輝いていた。


「さっきの、踊るの、楽しかった」


 シルの言葉に、俺は頷いた。


「うん、楽しそうだったね」

「ユーヤは、踊るのは好きじゃない?」


 シルの言葉に、俺はちょっと考え込んだ。できるだけ正直に答えたいとは思うけど、こういうことを言葉にするのは難しいなとも思う。


「好きじゃないっていうか、踊ったりとか、あまりしたことがないから。それに、うまく踊れないと思うし」


 結局、なんだか言い訳めいたことしか口にできなかった。自分の言葉を冷静に思い返せば、ただ恥ずかしいってだけじゃないかとも感じられた。

 シルは考えるように黙って、それからそっと、俺の隣に座った。俺を見る視線が、なんだか少し不安そうに見えた。


「わたしは、踊るの楽しかったし、好き。でも、ユーヤはそうじゃない?」

「シルが踊ってるのを見るのは、好きだよ」


 シルが不安そうなのが気になって、咄嗟にそう言ってしまってから、なんだか急に恥ずかしいことを言ったような気になってしまった。目を伏せて、慌てて、言葉を繋げる。


「俺は、自分で踊るのは苦手だけど、見るのは別に嫌じゃないよ。それに、シルは踊るのが楽しくて、好きで、それで良いんじゃないかな」


 そこまで言って、立ち上がる。シルは何が気になっているのか、座ったまま、じっと俺を見上げている。

 シルが何も言わないから、俺はちょっと考えてからまた口を開く。


からいものと同じだと思ってる。俺は、あんまりからいと痛くなっちゃって食べられないけど。でも、シルはからいものが好きだよね」

からいもの……わたしは、からくないものも好きだから、からいものが食べられなくても、大丈夫だよ」


 シルは、ドラゴンの姿になって空を飛びたい。でも、それは我慢してもらっている。俺に合わせるために。

 そんなものをこれ以上増やしたくはないと、俺は思っている。からいものも、踊ることも、このままだとそうなってしまう気がしていた。だから、シルに届くように、俺は喋り続けた。


「シルはからいものが好きなら、食べられるときは食べたら良いと思うよ。俺は……その時は隣でからくないものを食べてるかもしれないけど。踊りだって、シルは楽しいなら踊ったら良いよ。俺は、一緒には踊れないかもしれないけど、でも、見ることはできると思うから」

「同じじゃなくても、大丈夫?」

「シルが好きなものと俺が好きなものは、同じでも同じじゃなくても大丈夫。同じでも同じじゃなくても……置いていったりしないし、一緒にいるから」


 座っているシルに手を差し出すと、シルは俺の手を取って、立ち上がった。強い風が吹いて、シルの銀色の髪とスカートがふわりと膨らんだ。


「前に食べたからいお肉、わたしは美味しかった。また食べたい。ユーヤと一緒に食べたいけど、ユーヤと同じじゃなくても大丈夫。踊るのも、楽しい。ユーヤと一緒に踊るのも、楽しそうだと思うけど、でも、ユーヤが嫌なら大丈夫。でも、やっぱり好き、からいものも、踊るのも」


 そう言って、シルは俺の手をぎゅっと握って嬉しそうに目を細めた。シルの中で、何か納得できたらしい。俺もなんだかほっとして、それで笑った。

 崖は高くて、そこから見える景色はやっぱり怖いなと、俺は思ってしまうけど。でも多分、それは仕方ないし、それでも良いんだと思った。




『第十三章 精霊の谷』終わり

『第十四章 巨人の湖』へ続く


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