第二話 山盛りのストゥ・ティヤ

 外に出ようとしたら、宿の人が灯りを貸してくれた。ハイフイダズの提灯アイサンに似たそれは、バウとかクンバウと呼ばれていた。

 薄い布の内側で、小さな火が揺れている。

 借りた提灯クンバウを持って、反対の手をシルと繋いで、夜道を歩く。出歩いている人はみんな同じように提灯クンバウを持っているし、露店の店先にも提灯クンバウが吊り下げられていて、灯りがふわふわと漂っているみたいだ。

 それがら、ぎこぎこというような声が響いている。いくつも重なってずっと響いているその音がなんなのかわからない。何かの楽器なのかもしれない。人も多くて賑やかなので、もしかしたらお祭りのようなものなんだろうかとも思ったけど、考えてもわからなかった。

 道の片側、湖の岸の方には店は置かれていなかった。どの店も、湖に向かって店を開けている。店も道も人と灯りに溢れていて明るいけれど、湖の方は暗いばかりで何も見えない。

 シルは興味深そうにあちこちせわしなく視線を揺らしている。いろんなにおいや、誰かが何かを口に運ぶ姿、店先に並ぶ何か、それを受け取る様子、いろんなものに気を取られてふわふわと危なっかしい。瞳孔が膨らんでいるのも、暗いからってだけではなく、いろいろ気になるものがあるからだと思う。

 俺の手がぎゅっと握られて、引っ張られて、何かを見付けたらしいシルを人にぶつからないように引き戻す。その視線の先では、様々な食材が並んだ店先があった。店の人は注文を聞きながら、器にその様々な食材を盛っている。


「あれ、食べる?」


 シルは俺を振り向いて、勢いよく頷いた。




 ストゥ・ティヤというのが、その料理の名前らしい。麺のようなものを器に入れて、その上からスープをかける。そして、店先に並んだ具材を選んで乗せる。もちろん、たくさん乗せたら乗せただけお金を払う必要はあるみたいだけど、こうやって選べるのは楽しい。

 シルが「あれ」と指差すと、お店の人が大きなスプーンでそれを掬い上げて「これ?」というように聞いてくる。それに対してシルが頷いたり首を振ったりするので、俺が「はいチャイ」とか「いいえメイ」と伝える。

 肉団子のようなもの、魚を揚げたらしいもの、緑色の葉っぱを刻んだもの、赤い野菜、透明感のある白っぽい塊、豆のようなもの。シルは気になったものを片っ端から入れていった。そのせいで、器は具で山盛りだ。

 最後の方はお店の人が笑い出して、お金を払うときもまだ笑っていた。


ありがとうクゥクンクゥ


 なんとか覚えていたお礼の言葉を言えば、笑ったまま手でこちらを仰ぐような仕草をした。その仕草の意味はわからないけど、きっと悪いものじゃないんだと思う。


 店先には木のテーブルとベンチのような椅子がいくつか置かれていて、シルは山盛りの器をそろそろと運んでそのテーブルの上に置いた。テーブルの端に出っ張りがあって、周囲を見るとそこに提灯クンバウを引っ掛けておくみたいだった。

 あちこちで同じように提灯クンバウが揺れている。提灯クンバウの布には様々な色が使われていて、何かの模様になっているものもあった。シルの銀色の髪は暗がりの中で提灯クンバウの様々な色を受け止めて、虹のような色合いで輝いている。

 シルはフォークを握り締めて、どれから食べるか迷うようにしばらくじっと器の中を見ていたけれど、やがて大きく頷いて、具の山を切り崩した。

 最初は、肉団子のようなものを掬い上げる。口を大きく開けて、中に入れると、目を大きく見開いた。口をもぐもぐさせながら、俺の方を見て、目を細める。きっと美味しかったんだろうなと頷くと、シルはもう一つ肉団子を掬って、俺の方に差し出してきた。


「自分で……」


 言いかけて、シルと目が合って、言葉を止めてしまった。

 嬉しそうにフォークを差し出してくるシルに何も言えなくなって、シルに差し出されるままにそれを口に入れる。ふわふわと柔らかな肉団子は、口の中で潰すと中からじゅうっと美味しいスープが飛び出してきた。中に肉以外の何かが混ざっているらしい。柔らかいだけじゃない、しゃきしゃきするような歯ごたえと、ちょっとぴりっとする刺激があった。

 噛むたびに、溢れ出してくるスープと肉の味が美味しい。思わず噛むことに集中してしまう。

 顎を持ち上げて口の中のものを飲み込んだシルが、楽しそうに笑う。


「ユーヤも美味しい?」


 俺の口の中にはまだ肉とスープが詰まっているので、頷きだけを返す。シルは楽しそうな顔のまま、俺を見て頷いた。


「ユーヤはずっと気分が悪くて大変だったから、わたしがユーヤを助けるね」


 口の中の肉団子を飲み込んで、でも何を言えば良いのかわからなくて、俺はぽかんとシルを見る。シルは白っぽい塊を持ち上げて自分の口に入れると、今度はそれも俺の方に差し出してきた。

 俺はぽかんとしたまま、シルの顔と差し出されたフォークの先を交互に見る。シルは顎を持ち上げて飲み込んで、話し始めた。


「あのね、これも美味しい。ええっと……柔らかくて潰れて気持ち良いし、美味しいよ」

「そうなんだ……その、ありがとう」


 それで、シルがあまりにも期待に満ちた目で俺をじっと見ているものだから、結局俺はフォークの先を口に含んだ。

 野菜だと思う。大根とか、カブとか、そんな感じの。よく火が通ったその野菜は、歯が柔らかく沈んで、口の中でぐずりと形が崩れて、ほんのりと甘くてとろりと喉を通るのが気持ち良い。

 その味を噛み締めながら、俺はようやくシルの意図に思い至った。

 きっとシルは、俺の世話をしたいんだ。俺が船酔いで気分悪くしている間、甲斐甲斐しく水やお茶を渡してくれたりしていたけれど、もしかしたらそれが楽しかったのかもしれない。

 それとも、俺が今までシルの面倒を見ていたように、そうしてくれているのかも。それはつまり、ここまで俺がシルのことをこんなふうに面倒を見ていたってことで──それ以上を考えるのはなんだか恥ずかしくなって、口の中のものと一緒に全部飲み込んだ。

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